Bell 〜 ちょっと不思議なラブストーリー
Bell
先月、河村美樹(25)は、ふとした気まぐれで立ち寄ったアンティークショップ「時の結晶」で、とても可愛らしいフランス製の古い目覚まし時計に出会った。
ショップの一角にひっそりと佇んでいたその時計は、クリーム色の優しいボディがなんとも言えず愛らしく、まるで時代を超えて彼女のもとへ来たかのような不思議な感覚を覚えた。
「わぁ、これ…素敵」
その瞬間、他のアイテムには目もくれず、自然とその時計に手を伸ばしていた。古びた文字盤にはギリシャ数字が刻まれ、金属のベルは少し錆びついていたが、それがまたアンティークらしい風情を漂わせている。
特にクリーム色のボディは、部屋のインテリアにぴったりだと思った。美樹の中で、この時計を自分の部屋に置いた姿がすぐに思い浮かんだ。
店主の岡本に聞くと、ゼンマイ式の時計で、どうやらゼンマイが壊れているらしい。実際に時を刻むことはできず、オブジェとしての扱いで3,000円というお手頃価格だった。
美樹は迷わず購入を決意した。動かなくても可愛ければそれでいいし、スマホの目覚ましもあるから実用性は求めていなかった。
家に帰り、さっそくベッドの横にその時計を置いた。シンプルな木のベッドサイドテーブルに、アンティークの時計がよく馴染んでいる。
その姿を見て、思わず微笑んでしまった。時計が持つその独特の存在感が、部屋にちょっとしたエレガンスなエッセンスを加えてくれたのだ。
それからの毎日、目覚ましの音が鳴ることはなく、ただのインテリアとして美樹の生活の一部になっていった。スマホのアラームが日々の目覚めを支えてくれている。特に何の変哲もない日常が続いていた
――その日までは。
ある早朝、美樹は突然、耳元で響き渡るベルのけたたましい音に飛び起きた。
心臓がドキッとするほど大きな音だった。慌てて音の主を探すと、それはベッドサイドに置かれていたアンティークの目覚まし時計だった。
「えっ、どうして…?」
呆然としながらも、目覚ましのベルを止め、時計をまじまじと見つめる。壊れていたはずの時計が、まるで何事もなかったかのように動いているように見える。ベルの音も初めて聞いたものだった。
「まさか…夢じゃないよね?」
美樹はふと柱時計に目をやった。時刻は6時ちょうど。今日は普通に仕事がある日だし、起きなければならない時間だ。
でも、もっと驚くことがあった。慌ててスマホを手に取り確認すると、目覚ましアラームのセットをすっかり忘れていたことに気づいた。
「嘘でしょ、私、アラームかけ忘れてたんだ…」
そう呟いた瞬間、アンティークの目覚まし時計が美樹を救ってくれたのだと悟った。
「この子が…私を起こしてくれたってこと…?遅刻しないで済んだわ、ありがとう…」
美樹は時計をそっと撫で、感謝の気持ちで胸がいっぱいになった。
不思議な、この時計がとても愛おしく思える。まるで自分のために、時を超えて助けに来てくれたかのような特別な存在になった。
美樹は時計に「リリー」と名づけた。
ベルの音が「リリリリー」と聞こえたからだ。
その日は朝からしとしとと雨が降り続いていた。窓を打つ雨粒の音が心地よく、まるで穏やかなリズムを刻むように響いている。
美樹はリビングのソファに身を預け、雨音に耳を傾けていた。外は薄暗く、空には灰色の雲が広がり、風がそっと木々を揺らしている。
「こんな日は、ゆっくり過ごすのが一番…」
美樹はそう思いながら、ブランケットを軽くかけ、まどろむように目を閉じた。雨はリズムを変えることなく降り続け、まるで遠くの森をゆっくりと濡らしているかのようだ。葉に当たる雨音が、静けさと自然の美しさを伝えてくれる。
部屋の中にいても、その雨の音と湿った空気がどこか心地よく、美樹の心を穏やかに包み込んでいた。
静かな雨の日の午後、何も考えず、ただ雨音に耳を傾けながら過ごす時間は、まさに贅沢なひとときだ。
外に出る予定もないので、ゆっくりと流れる時間を楽しんでいた。
窓の向こうには、雨が次第に強まり、遠くの森が雨で霞んで見える。美樹はその景色をぼんやりと見つめ、雨の静かな美しさに癒されていた。
その時、突然耳元で「リリリリー!」とベルの音が鳴り響いた。
目を覚ました美樹は、心臓がバクバクと鳴るのを感じた。この日は何も予定がないのに、リリーが鳴る理由が全く思い当たらなかった。
「えっ、何?どうして鳴ったの?」
頭が混乱し、パニックになりかけた。
まさかの出来事に、考えがぐるぐると回り始めた。
「もしかして、何かの警告?地震?火事?それとも強盗?…いや、飛行機がこの家に墜落する?
次々と不安な想像が脳裏をよぎる。
リリーがただ鳴っただけなのに、信頼は絶大だった。これまでスマホのアラームのセットし忘れによる寝坊に3度も助けられたことがあるから、ただの偶然とは思えなかったのだ。
美樹はリリーが教えてくれている「何か」があるはずだと確信した。
深呼吸をして落ち着こうとしたが、心の中で「早く逃げなきゃ!」という思いが強まるばかりだった。とりあえず、何か起きる前にこの場所を離れるべきだ。何も考えず、大急ぎで動き出した。とにかく安全な場所に向かおうと、貴重品とリリーを抱えて玄関へ走った。
外に出ると、先程までのシトシト雨とはうって変わって激しい豪雨が降り注いぎ、風も強く吹き荒れていた。車のワイパーも追いつかないほどの激しい雨に、一瞬足がすくんだが、美樹はリリーをしっかり抱えたまま車を走らせた。
空は真っ暗で雷までも鳴り始め、何か尋常じゃない事が起き始めている事は確かだった。
「とにかく、何もない場所に行かなきゃ…」
道路は水で溢れ、通行人の姿はなく、雷雨は激しさを増していた。心臓の鼓動が高鳴る中、美樹は無意識に郊外を目指していた。自然とハンドルを握る手にも力が入る。
「リリー、私に何を知らせてくれるの?何か悪いことが起こるの?」
まるでリリーに語りかけるかのように、美樹は声に出していた。リリーが何かを守ってくれようとしている気がしてならなかった。
郊外に向かう道はどんどん狭くなり、車の振動が伝わってくる。視界がどんどん悪くなる中、美樹は不安とともに車を走らせ続けた。
美樹が郊外の畑が広がる場所にたどり着く頃、ようやく激しい雨は完全に止んだ。
車を停め、ひとまず深呼吸をして気持ちを落ち着けようとした。ふぅっと息を吐くと、ちょうどその時、西の空から柔らかい日差しが差し込んできた。
「え…?」
美樹は少し驚いて外に出てみた。空気はまだ湿っているが、雨が止んだことで清々しい気持ちに包まれた。
そして、ふと空を見上げると、そこには信じられない光景が広がっていた。なんと、目の前には大きな二重の虹がかかっていたのだ。
「わぁ、すごい!こんなに綺麗な虹…」
美樹は思わずその美しさに見入ってしまった。
虹が空いっぱいに広がり、その鮮やかな色が彼女の心を温かく包み込んでいるように感じた。
美樹は思わずリリーを見つめ、にっこりと微笑んだ。
「もしかして、この景色を見せるためにリリーが鳴ってくれたのかな?」
そんな風に思えて、気分が一気に高まった。テンションが上がり、すっかり夢中になって虹を見ていたその時、ふと近くに誰かがいることに気づいた。
振り向くと、若い男性が一眼レフカメラを手に、一心不乱に虹の写真を撮っているところだった。
テンションが上がっていた美樹は思わず声をかけた。
「すいません、私のスマホでこの目覚まし時計と私、一緒に写真を撮ってくれませんか?」
その男性は一瞬驚いたように不思議そうな表情を浮かべたが、美樹はニコニコと微笑みながら「リリー」とのこれまでのことを話し始めた。
話を聞いた男性は優しく微笑み、スマホのカメラを構えた。そして、虹を背景に、美樹とリリーの写真を撮ってくれた。
「よかったらこのカメラでも」
今度は一眼レフカメラでも写真を撮ってくれた。
「この時計は本当に素敵なアイテムですね」
撮り終わると男性は感心した様子で言った。さらに話を聞くと、雨雲レーダーを見て虹が出るタイミングを予測し、この場所に来たという。
「すごい!そんなことができるんですね。私なんて危険を察知してガムシャラでこの場所まで来ちゃっただけですけど…」
美樹は驚きながらも、男性の冷静で計画的な一面に感心していた。そんな美樹の素直な反応に、男性も嬉しそうに笑っていた。
その後、虹が少しずつ消えゆくまで、二人は一緒に空を見上げ、いろんな話をして過ごした。音楽、演劇、映画の事など…。
話は弾み、空が暗くなるまで一緒にいても飽き足らず、連絡先を交換して2人は別れた。
そして現在———
ちなみに、この時出会った男性が今の旦那さん「健太」です。
この物語は、私とリリーと健太のちょっと不思議な出会いのお話です。