相談できない病
私は誰かに相談するということができない。
相談するのが怖いのだ。
相談できない病に罹っている。
恐らく私がそうなってしまったのは、私がまだ保育園に通っていた頃のことだ。
私は保育園で体罰、虐待を受けていた。
小さい頃から昼寝ができなかった私は、その度に個室に呼び出され、怒鳴られ続けていた。
毎日、毎日、小煩いババアに詰め寄られて、何故眠れないのかと理不尽に叱責を受けてきた。
子供ながらにとても怖く、自分でもどうして眠れないのか分からなかった。
それを家族に相談しても、相手にされることはなかった。
何故か? それは保育士の先生の外面だけが良かったからだ。
だから「行きたくない理由」に嘘を吐いているのだと思っていたのだろう。
どれだけ訴えても、助けを求めても、受け取ってはくれなかった。
そうして学校へ行くようになって、更に悪化した。
私の通っていた学校には「相談室」なるものが存在していた。
言わずもがな、学校でのいじめや人間関係を相談する場である。
当時いじめに遭っていた私は、そこで何度か相談したことがある。
「絶対誰にも言わないで」そう告げて相談したはずなのに。
しかし相談していたことは、教師達に筒抜けだった。きっと相談室の先生が漏らしたのだろう。
その後担任から呼び出され、相談していたこと、相談していた内容について問いただされ、結局解決することなく有耶無耶にされた。
もみ消されたのだ。
私の妹が教師志望だから悪く言う気はないし、教師も大変であることは理解する。
けれど、私が今まで出会ってきた教師という人間は、いじめ問題という面倒事を嫌う人間が多かった。
ただでさえ忙しいのに、子供たちの厄介事の解決をしなければいけないからだろう。
だから有ること無いことを言い聞かせ、大人の権力で適当に納得させるようなことを言って、有耶無耶にする。すぐにもみ消す。
その頃からだろう。私は大人を嫌いになった。信頼することをやめた。
更にその追い打ちをかけるかのように、クラスの問題児(ジャイアンみたいなのを想像してくれると有難い)に目を付けられ、様々な被害に遭ってきた。
ポケモンを盗まれ、家に飾ってあったプラモデルを壊され、勝手に家に入られて。
今考えても頭のおかしい行為しかしないクズだった。
それを親に話しても、結局は友達同士の問題(私は友達と思ったつもりもない)。
「招いたお前が悪い」そう親に言われて、絶望した。
そうして私は人を信じることをやめた。
親しい仲の友人と一緒にいても「トイレに行っている間にお金を盗まれるんじゃないか」「私のいないところで悪口を言ってるかもしれない」と。
本当はそんなことない、そんなことをする人達じゃないと理解しているつもりだ。だけれど、完全に信じることが難しい。
信じたくても、完全に心を開くことができなくなってしまった。
例えるなら心の扉が二枚あるようなものだ。一枚は「友人関係・親友関係」の扉。二枚目は「本当の自分」を守る扉。
二枚目の扉だけを、開けられずにいたのだ。
本音で話すことも、相談をすることもできない、堅牢な扉ができてしまった。
私は自分の意思で、その堅牢な扉の奥、心の牢獄の中に閉じこもっていた。
そうして困難や問題に直面した時に、いつも自分で解決しようとするようになった。
自分で解決して、杞憂に思っていたことが起こらないようにと頑張って来た。
見捨てられたくない、期待されないなんて事が起きないようにしたい。
そう閉じこもっていくうちに、自分が分からなくなってしまった。
周りに合わせ、ある程度の距離感を置いて、心を閉ざしてきた結果だろう。
けれど違った。その距離感はただの溝だった。
自分の心に続く橋のない深い溝があるだけの、虚無な空間。
自分が何を思っているのか、自分がどんな思いをしているのか分からない、ぼんやりとした空間。
私はそこに永遠に囚われ続けている。
今こうして執筆している時も、自分の心はないに等しい。
腹立たしいことが起きても「怒っている」ことは理解出来ても、何故こんなに激昂してしまうのか分からない。
悲しくても、何故こんなに悲しいと思っているのか分からない。
そして「死にたい」と思っても、何故こんなに死にたいのか、何故生きたいと思わないのか分からない。
それを相談すれば、迷惑になってしまうだろうか。
この苦しみを誰かに伝えることで、何か解決の糸口は見つかるだろうか。
今までだって、手を伸ばしてくれる人は居たはずなのに。
私はその手を取るのがとても怖く、結局その機会を逃すことばかりだった。
けれどせめて、できることならば。
死ぬ直前だったとしても、最期くらいは差し伸べてくれた手を取りたい。
この鬱屈とした、虚空の世界から飛び出したい。
そんな日はいつ来るのだろう。
そんなことを考えながら、私は今日も虚空の中を彷徨い続ける。