実に残酷な「時の流れ」
時の流れというものは、実に残酷なものだと私は考える。
それは山を流れる川のように流れ、その流れは何人にも止めることはできない。
「時間」は誰にでも平等に訪れて、一分一秒の狂いもなく刻まれる。
けれど、その一分一秒が当たり前に過ぎていくから、実際に「時間」の価値が分からなくなってしまう。
動画を見たり惰眠を謳歌していたり、それとは逆に勤勉に仕事や学業に取り組んでみたり、執筆してみたり。
どんな使い方をしようと、時間は必ず流れていく。
それは人も同じだ。
時が経過すれば考え方も変わるし、悩むことだってある。
簡単に変わることはできないだろう。けれど時間が経てば、自ずと変わっていく。
ゲームボーイの時代からDSへ、DSからSwitchへ時代が移り変わるように。
昭和から平成、令和に移り変わるように。
そして志を同じくしていた人が、一度休憩するように。
沢山悩んで、沢山落ち込んで、それでも「時間」がある限り前を向いて進んで行く。
どれだけ頑張っても、過去には戻れないのだから。
止めることも、巻き戻すことも、ましてや加速させることもできない。
人には皆平等に「時間」が与えられている。その使い方は千差万別、そこに間違いなど存在しない。
いつしか「終わり」が来てしまうけれど、それまでには膨大な時間が残っている。
理不尽で残酷で、無情な「時間」。けれどそれを乗り越え、強くしてくれるのもまた「時間」なのかもしれない。
焦る必要はない。この膨大な時間が流れる中で、また必ず出会うことができるのだから。
私はこの小説の道に命を賭けてしまったから、もう後戻りできなくなってしまった身だけれど。
いつでも待っている。このメランコリーな「時間」が許してくれる限り。
ノベプラの片隅より、愛をこめて。