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ヴァンパイア・イン・マタニティ  作者: ごっこまん
2.日常のフロア開拓村
9/36

2-2

 バニスター夫妻。出産に際して静養で村に来た夫婦だ。その夫人が産気づいた。


 ミキの出番だ。


 磨いたペンダントをかけ、ミキは制服の懐にペンダントヘッドを仕舞って立ち上がる。道具を箱に仕舞いながら、酒場のカウンターに向かって声を張った。


「バーレイ村長」


「お湯だね。もうすぐ沸くのがあるよ。厨房も暖炉も使ってじゃんじゃん沸かそう」


「いつも助かります」


 バーレイ村長がカウンター裏のスタッフルームに姿を消すと、ミキはベルトのホルダーから瓶を取り、栓を抜いて手に水をかけた。水はミキの意思に従って指先から肘までを洗い、清潔にすると、ミキは一滴残らず瓶に戻した。


「“雲送リ”は私とジョゼにお任せを」と、イリーナ。続いてジョゼも同調する。


「ええ? 大丈夫? 雪降らせたらやだよ? 私の査定に響くんだから」


 からかい半分で深刻ぶるミキに向かって、ジョゼが不敵に笑って指を振ってみせた。


「いつまでも半人前じゃないんすよ、自分ら。それに、いつも言ってるじゃないすか。いつまでもお師匠さんに頼ってばかりじゃいられないって。ま、こういうときくらい、自分らに任せてくださいよ。な、イリーナ」


 少々がさつに、一方的にジョゼから肩を組まれたイリーナも、こくんと頷いた。ジョゼの馴れ馴れしさにうんざりと言いたげだが、決して拒む気配はない。


「それからガキども、これから赤ちゃんが生まれるからな。お母さんらお姉ちゃんらを手伝ってやれよ」


 酒場の出口に足を向けながら、ジョゼはこの場に残す子どもたちに言いつけていった。


「復唱。お湯は」「慌てず運ぶ」「汚れたタオルとシーツは」「専用の籠に入れる」「分娩室には」「呼ばれるまで入らない」「客室では」「うろちょろしない」「役割は」「分担したり協力したり」


「よし。二階組とホール組で分かれ。別命あるまで待機せよ。気づいたことがあったら声を出してけ」


 兵隊ごっこじみたやり取りで、ジョゼは見事に、子どもたちの表情を一丁前に引き締めさせる。


「ぼく、ストーブと暖炉にかける鍋と水、運ぶよ」


「二人でやった方が早いから、おれも手伝う」


「村長、空いてる鍋ありますか」


「暖炉の種火もください」


 協調して取り組む子どもたちに「頼んだぜ」と手を振って、ジョゼはイリーナを小走りで追いかけた。二人はポールハンガーから、向こう脛まで丈のある厚手のコートを選び、手袋とフードもしっかり着こんで、玄関から外に出て行った。


「どれ、わしゃ暖炉の番を」と、クロウ爺は錆びた節々に文句を言いながら、暖炉の傍の安楽椅子に場所を変え、薪と火掻き棒を手にする。


 酒場に居合わせた村人たちが、慣れた様子で自分の役割に就いていく。整然とした慌ただしさの中、破水を知らせに来た人を伴い、ミキは階段を上っていった。


 分娩は二階の客室で進んでいた。ミキは、元々一つに束ねていた、肩まである黒髪を更に丸め、頭巾を被る。口元にスカーフを巻きながら、客室へ行くまでに、村の女性から状況を説明してもらった。


「初産よね」「はい」「破水時、夫人はどこに」「幸い、ベッドの上で」「良かった。村の女手は」「回しています。今はシーツの交換を」「旦那さんは」「傍についています」「陣痛はまだなのよね」「はい」


「いぎゃあああぁあぁっぁああぁっぁ……!」


 聞いている方まで卒倒しそうな悲鳴が、建物を揺るがした。


 悲鳴にギョッとする子どもたちを、クロウ爺が「うろたえんでええ」と穏やかになだめる。階下から届くざわめきを背中に感じながら、ミキと説明中の女性は、二人してちらっと上階を見上げたが、すぐに平静に戻った。


「陣痛、早いわね」とミキ。「急ぎましょう」


 破水から間もない。本当に初産なら……いや、たとえ経産婦でも驚異的な進行速度だ。


 客室の扉を開けると、くぐもっていた悲鳴が鮮明になり、ミキたちの耳を聾した。岩に圧し潰されそうな女の悲鳴が、否応なしに耳にした者を戦慄させる。薄暗い部屋で、蝋燭の灯りだけが、場違いなゆるやかさで揺らぎながら、四隅を照らしていた。


 ベッドに横たわり、悶絶するバニスター夫人の周りを、フロア村の女手が甲斐甲斐しく動き回っている。羊水で濡れて交換したタオルを洗濯場へ回しに、一人がミキたちとすれ違う。


 丁度、洗い桶一杯の熱湯も到着する。


「ああ、取り上げ神官さん! お待ちしてました!」


 真っ先にミキに気づいたのは、妊婦の夫、バニスター氏だった。


 尋常ではない妻の苦しみようは、声にも、表情にも、繋いだ手の握る力からもひしひしとバニスター氏に伝わったことだろう。夫人の取り乱しようは、普段の姿を知る夫だからこそ異様に映る。苦しむ夫人の赤ら顔を目の当たりにし、すっかり青褪め、うろたえるバニスター氏のすがるような目つきに、ミキは仰がれていた。


「妻を……イヴリンを」


 しかし、ミキは瞳を、真っ直ぐにバニスター夫人へ注いでいた。


 バニスター氏の狼狽をよそに、ミキは粛々と、湯気の立つ熱湯に手を肘まで浸す。肌を刺して滲むような熱さに耐えた後、清潔なタオルで手を拭く。夫人の手を取り、その強くつむった目蓋の奥を見通すように、“取り上げ神官”として、凛々しく口を開いた。


「バニスターさん、今までよく頑張りましたね。もう一息です。踏ん張っていきましょう」


 そして、一人のミキ・ソーマとして、「安心して」と穏やかに継いだ。


「こうしている間も、フロア村の人たちみんなが、あなたたちのために働いているわ。勿論、私もね。あなたがお母さんとして、元気な赤ちゃんを抱けるように、全力で手伝うからね」


 バニスター夫人に、ミキの手が握り返された。喉を焼くような喘鳴で息を整え、「おね、がい」と搾り出された、汗と涙の赤ら顔の嘆願を、ミキは聞き入れた。


 苦しみに見舞われる夫人へ、ミキは慈しみに満ちた微笑みを返す。脇で血圧を測っていた女手へ「呼吸のリズム取ってあげて」と告げる。五秒で細かく吸って、五秒で長く吐き切る。隣から刻まれるリズムに従って、夫人に深呼吸をさせる。息がまるで唸るようだった。


「お父さん」そしてようやく、ミキは父親になろうという男へ向く。「落ち着いてください。()()、ではなく()()、です」


 バニスター氏は虚を突かれたようだった。


「子ども、も……」と言い訳じみてつけ加える自分が不甲斐ないとばかりに、消え入りそうに呟いた。


 何故気づかなかった。バニスター氏は己を責めた。妻は、自分の子を産むために、必死になっているのに。


 どんな子が産まれてくれるのだろう。産気づく直前まで、二人して思い描く家族像で談笑していた時間が、バニスター氏の中で蘇る。君みたいに、しっかり者に育っておくれ。あなたみたいに、大げさなくらい美味しそうに食べる子かな。元気なら、どんな子だって良い。あとは、家族が健やかでいてくれれば。

 苦しみで我を忘れる妻を目の当たりにし、覚悟の甘さが祟って心を掻き乱した挙句、今の今まで記憶から吹き飛んでいた。


 バニスター氏の面構えが変わるのを見て、ミキは力強く頷いた。


「お腹の中で四十週間、お母さんは否応なしに身体の変化に振り回されます。親子の付き合いで、お父さんはどうしても、その期間の分だけ周回遅れになりがちです」


 だからこそ、お母さんが一番命を賭けるこの局面は踏ん張り時だと、ミキ・ソーマは訴える。


「出産でお父さんにできることは少ないです。少しは手助けになることもありますが、やることなすこと全部裏目に出ることもあります。それでも、苦しいときにしっかり支えてくれたことを、お母さんは覚えています。役に立つか、立たないかじゃありません。お母さんと、お母さんが命を賭けて産もうとしている、お二人の赤ちゃんのために奮闘する姿を、ご夫人と、私たちと、これから生まれる子に見せてください」


 ミキに勇気づけられて、バニスター氏の顔に血の気が戻ったようだった。


「倒れない範囲で結構です。一緒に頑張ってください」


 バニスター氏は、力強く頷いた。


 ミキ・ソーマは、ときどき自分の立場がわからなくなる。


 本職は地方護律官だが、これを司祭と勘違いする人がいるし、ジョゼやイリーナの指導者で、村の子どもたちにとっては教師だ。妊婦にとっては助産師か医者のような者で、何もわからない頃から出産に立ち会う内に、いつの間にか“取り上げ神官”の評判が立ち、フロア開拓村に限らず周辺の村から安産を祈願する人々が集まるようになっていた。


 その上、こうして父親を勇気づける役まで、つい買って出てしまった。


 その目まぐるしさが、村人からの信頼の証のようで嬉しくもあった。


 毎日がとてつもなく多忙だが、ミキの人生で最も穏やかな時間だった。


 呼吸法で抑えていたが痛みの限界を迎えたようで、妊婦の絶叫が爆発した。


「痛……い、いったい、痛い痛い! もうやだぁ! やめるぅ! 終わり終わり終わり!」


 嵐のような絶叫も、“取り上げ神官”を演じるミキには精々、春一番である。


「まだ始まったばかりですよ、お母さん。腹をくくってくださいね」


「くくります! くくってください! くくれぇ! とっとと引きずり出してぇ!」


 胎児に縄をくくって引っ張り出す光景が浮かんだ。確か、とミキ。“おおきなかぶ”って童話があったわよね。


「必要なら似たことはできますけれど、まだ早いですよ」


「今あ! 今なのお!」


 迫真の駄々である。ええ? 本当にい? 疑いが勝るものの、万が一があってはいけない。悪い慣れは大敵だ。


「今かどうか見てみますねー。さ、痛いの逃がす呼吸しましょう。五秒吸っ吸っ吸うー三、四、五……五秒吐いて―……四、五。お上手ですよー、そのままどうぞ、続けて。……どのくらい開いてますか?」


 局部を観察している助産師に耳打ちする。五センチ。ミキは耳を疑った。いくらなんでも速すぎる。普通なら五、六時間くらいはかかる開き具合だ。


 思わず考えたままを漏らした小声に、緊張を保った助産師の小声が返った。


「今朝、お腹を下したと言われていたので、陣痛を勘違いしてらしたのかも」


 つまり、破水より前に陣痛が来ていて、元々子宮口は開き始めていた、ということかしら。


 時系列を頭の中で整頓しながらも、それでもミキは声もなく唸った。


 このお産は、そう考えても、短時間でとんとん拍子に進んでいる。しかし、腹痛と勘違いするくらいの軽い陣痛に始まったことに反して、今は、尋常ではないほど悶絶している。出産は妊婦の数だけあるとは言うが、バニスター一家は、ミキをして初めて看る事例だった。


 異常な出血はない。普段は我慢強いのかしら。それとも痛みに強い体質? 破水と雰囲気に呑まれて、緊張が切れただけなら良いのだけれど。


「痛いいだい! も、もう終わる? もう終わりで! もうやだ!」


「もう少しですよ。……私が看ます。聴診器で胎児の心拍を測ってください」


 ポジションを交代し、観察する。やはり、いきむにはまだ五センチ足りない。


「じゃあ、お父さん、これ」


 使い方、わかりますよね。とミキが差し出したのは、亜麻糸を手の平大に固く丸めた玉だ。気圧されかけたバニスター氏が玉を受け取ると、持ち直した顔で首を縦に振った。


 フロア開拓村に到着したその日に受けた講習を、バニスター氏は思い出しながら、夫人とベッドマットの間に玉を入れ、腰から尾てい骨のあたりを圧していく。息を吐くタイミングに合わせて「この辺か?」「強くするか?」と、夫人の反応を窺いながら、できるだけ苦痛を逃がすように圧迫した。いきみたい感覚を逃がすためのマッサージである。


「ちっ……が……そこ、あ、違うぅ……! ちがっ、ああもう! チッ! うぐううう……もう良い、いらないぃ……! や、めて……! 邪魔……!」


 舌打ち、歯ぎしり、挙句に邪魔。残酷なまでの端的さで、新米お父さんを突き放す。


 苦しむ夫人に何もできず、全てに裏切られ、何もかも信じられなくなった表情で、バニスター氏がミキを不安げに見つめてきた。


 結果は良くないが、必要なのは結果ではない。ミキは微笑んで、父親の大いなる一歩を踏み出した男へ、グッと親指を立てて見せた。


 みっともない役回りでも、“取り上げ神官”のお墨付きがあって、肩の荷が下りたのだろう。陣痛の波が引いて、夫人が落ち着き始めると、ようやく意を決したバニスター氏は「何か欲しいものはないかい?」と尋ねた。


「ス……スグリの、はぁ……」


「うん……スグリだね」


「はぁ……シロッ、プぅ……」


「シロップが良いんだね。わかった、すぐ持って来る」


 聞くや否や厨房へ急ぐバニスター氏に気づかず、夫人の口から「を、水で……割って……」と、尾を引いて消え入る希望が漏れていた。


 あちゃー、踏んだり蹴ったりね、お父さん。と、苦笑いで頭を抱えたミキであった。


 が、バニスター氏の持って来たスグリシロップの原液が存外口に合ったらしく、バニスター氏に差し出されたスプーンをじっくり口内で舐め、呑みこんだ。


「あり、がと……。パパ」


 束の間、和らいだ苦痛の中で、笑顔が汗ばんでいる。次から次に運ばれるタライ一杯の湯が、粗悪な放熱器よりもずっと、室温を上げていた。


 子宮口は七センチまで開いている。


 その隙間からすぐそこに、胎児の頭が覗いていた。

ここまでお読みくださり、ありがとうございます。


妊娠・出産の知識は独学で得たものなので、間違えているかもしれません。他、専門的っぽいところも怪しい部分はあると思いますので、読者の方の中に詳しい方がいらっしゃいましたら、是非ともご指摘ないし面白いお話をご共有いただけたらと思います。


いいね・ブクマ・評価、どれかポチッとしてもらえると嬉しいです。

ご感想・その他コメント、いつでもお待ちしています。「良かった」とかの一言でも、顔文字とかでも歓迎です。


次回をお楽しみにお待ちください。


SNSとか所属しているボドゲ製作サークルとか

X:@nantoka_gokker

  @gojinomi

booth:https://gojinomi.booth.pm/

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