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六分二十四秒間の告解

 お腹の中の子は、命ではないのでしょうか。


 母親が悪魔となったのなら、その子諸共、祓うべきだったのでしょうか。あるいは、その逆は。


 その小さな命のために、母親でもない私が、私の多くを投げ打つ気を、少しでも起こしたのは、単なる気の迷いなのでしょうか。


 私にとっては到底、割り切れる出来事ではありませんでした。


 護律協会は、人々の信仰する神を尊重しています。ですが、協会自体は無神論寄りです。ましてや悪魔など、語るに及びません。


 ですので、護律官である私が、あの悪魔を、神が私の罪を裁くために遣わされた者だと見なしてしまったことは、一種の背信でした。


 冬の終わりのことです。


 その日は、止むに止まれない事情で、満天の星空が広がっていました。


 ある信仰によれば、星の瞬き一つ一つが、悪魔の瞳とされているそうです。


 晴夜の翌日は一層冷えますし、それに、地上に残された私たちには、星々の海に逃げおおせた祖先たちへの怨恨があります。先人たちは、そのような現象や、鬱屈した感情を、どうしても後世に伝えたかったのでしょう。暗い宇宙から、悪魔が私たちを見つめているという伝承は、そうして生まれたのかもしれません。


 星と月の灯りの下、そうした理性的解釈が霞むほどの、凄惨な光景が広がっていました。


 渓谷の斜面を覆う樹々は、枝に雪を残し、谷に挟まれた庭は、悪夢が踊り明かしたかのように荒れています。泥濘んで、血みどろに染まった、星月夜の底へ、薄汚れた色の羽根が絶え間なく舞い注いでいました。


 そこに、彼女が、あるいは彼が、たたずんでいたのです。


 星々の衆目を集めるように、うら白い乙女が、血と羽根の雨を浴びて、喜悦を噛み締めていたのです。


 意識は朦朧としていました。ですが、護律官として私は、彼女を、彼女の内に潜む悪魔を、駆除しなければならないと、直感しました。


 ですが、私は、彼女の声で、彼の言葉を聴いてしまいました。


 そして、これは断罪だと、解釈してしまったのです。


 迷って、我を忘れている内に、気づけば、私たちは、唇を熱烈に重ね合っていました。


 私の舌が熱烈に吸われ、粘膜が混ざり合い、淫靡な音色を綾に織りなしました。舌に牙が刺さる熱さが罰のようで、咎人の私に相応しく、むしろ胸の詰まりが浚われていくような、(たえ)なる陶酔の微熱に身を委ねたくなりました。


 唾液に血の錆味を薄めて、私の命が吸われていました。


 貪られるがままに、私は私を差し出しました。


 私は、悪魔に魂を売ってしまったのです。


 月だけが、証人でした。


 もしも、旅人が、護律の力を頼りにしていたなら。


 もしも、旅人が、ここに来なかったなら。


 もしも、旅人が、お人好しでなかったなら。


 もしも、旅人が、違う道で去っていたなら。


 もしも、旅人が、逃げるだけの臆病者でしかなかったなら。


 もしも、私が、小さな命の誕生に救われていなければ。


 もしも、私が、絶望していなければ。


 もしも、私が、逃げていなければ。


 もしも、私が、忘れ難い罪を犯していなければ。


 もしも、私が、生まれていなければ――。


 たくさんの「もしも」が、きっと、彼女に吸血鬼(ヴァンパイア)を宿したのです。


 長い時間を、彼女の彼と共にするにつれ、私は、悪魔の存在を、疑えなくなりました。


 吸血鬼が人の血を吸うのにかける時間は、六.四分間だと習いました。


 どのような根拠があるのかわかりませんが、地変前の人々は、吸血鬼もいないのに、そんなことをよく調べる気になったものだと、また、そんなことがよくわかったものだと、感心したことは覚えています。


 六分間かは、わかりません。時を忘れ、吸血鬼とキスを交わすのは、とても濃密な官能でした。


 麻酔の譫妄だとは、思いたくありませんでした。

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