9-3
玄関がノックされた。
「ごめんください。護律官か、修律士の方はおいでですか」
こんなときに。相変わらず泣きじゃくるエレクトラに、ミキの気は取られていた。ノックが聞こえる。よりにもよって今、来客は困る。吸血鬼の餌や擬態先を増やしかねない。守り切れる保証がない。
ドアノブが軋む。
(待って待って。今だけは勝手に入らないで)
身が二つに裂けるほど葛藤しながら、ミキは結局、吸血鬼の嫌疑を振り切って、玄関へ踵を返した。
今は来客の安全確保が最優先だ。悪いが、すぐに追い帰してしまおう。
小走りでドアノブに取りつき、扉を開く。入堂しようとする来客を、門前で身体を使い、立ち塞がる。
知らない顔がずらりだ。ミキは眉をひそめた。
「すみません今は……」
言葉が途中で引っこんだ。来客の一人が、ぐったりとしたジョゼを背負っていたのだ。
「ジョゼ⁉ 一体何があったの⁉」
意識も定かでないジョゼに釘づけのミキ。その視線の間に「まず自己紹介を」と、商人風の男が割って入った。
「私たちは行商の者で、一晩の宿を乞いにここへ……。道中、こちらの方が倒れていたので、こちらまでお運びしたのですが」
どうしてこう次から次へと。ミキは頭から熱が出そうだった。
絶対に人を近寄らせてはならないときに、よりにもよって弟子が倒れて、運ばれて来るなんて。
ダメだ。入れるな。入れてはいけないが、一刻も早くジョゼを診なければ。
瞬き一つの間に、決断から逃げたくなるほど迷った末に、ミキは道を開けて、一行を迎え入れた。
「……とにかく、一旦お入りください。二階にベッドがあります……上がって! さっさと!」
焦って強引になるミキに、行商人一行はたじろいだ。
「し、しかし泥が」
遺体を運んだ波のせいで、玄関先は洪水の後の様相だった。来客の足元は、踵まで泥塗れである。
「そんなの良いから!」
当初は追い払うつもりが一転、ミキは腕を引っ張って、躊躇する客を強引に招き入れた。
餌が増えるとか、状況が混迷するとか、考えている場合ではない。外で待たせている間に、ジョゼが手遅れになってしまうかもしれない。エレクトラへ目を光らせている内に、客人の手を借りて、さっさとジョゼごと隔離してしまおう。
エレクトラの咽び泣く声が、行商人には気掛かりのようだった。ミキの肩越しに様子を窺おうとするのを、さり気なく遮って、ミキは愛想笑いを浮かべた。
「礼拝堂の奥には立ち入らないでください。ちょっと今、間が悪くて……」
エレクトラを見られるよりも、遺体を見られる方が確実にまずい。事を荒立ててしまえば、潜んでいるか擬態しているか、吸血鬼につけ入る隙を与えるだけだ。
行商人たちを誘導しつつ、ミキはエレクトラの様子に気を配る。
床に寝かされたジョゼの容態を診る。呼吸も、脈拍も、浅く弱いが、体温は正常だ。頭を打った痕はない。来客には悪いが、二階の寝室に移してもらおう。
その間に、エレクトラの正体に白黒つける。
「おい。何番目の部屋だよ?」
考えを練っているミキの頭上、階段の踊り場から、商人見習いの悪態ぶった声が降った。
「ああ、一番奥の……」
護衛と見習い、二人の姿しかないことなど、気にもしなかった。
注意を誘われた瞬間、ミキのうなじに吹き矢が刺さった。
反射的かつ即座にミキは臨戦する。吸血鬼の牙、穿痛感、最も警戒していた刺激だった。ベルトの帯剣を抜き、背後の空へ振り抜いた。
剣の間合いの外で悠然と立ち、吹き矢筒を構える行商人を視認する。
「何ですか、あなた⁉」
首筋に残る穿痛感を、むんずと掴み抜き、床に叩き捨てる。吹き矢が粗悪な鈴のように転がる。行商人が吹き矢筒を捨て、鉈を抜く。
鉈の上段振り下ろしを、ミキは剣身で受け流す。襲撃――敵に背後を取らせないよう立ち回り、ミキは護律官証に念を込めた。
礼拝堂まで遺体を運んだ波、今は地面に染みこんだ水の“ゼノン”に働きかけ、堂内に濁流を呼び寄せる。
刃が交錯し、鍔迫り合いの拮抗。濁流で玄関が開け放たれる。同時に、ミキは行商人の腹を蹴り、濁流の浸水域から離脱する。
「うおお!」
行商人は蹴りの受け身で手一杯だった。成す術もなく濁流に足を呑まれ、身体を浚われる。行商人は激流に浮き沈みながら、外に流されていく。
濁流が、樹に打ちつけた。凄まじい水流で、レンプが樹の磔になる。
水が引き、レンプは四つん這いでむせて、濁った水を吐いた。
「これはまた、随分派手にやってるねえ!」
樹冠に紛れたフクロウ翼人が、レンプを見下ろしていた。レンプがむせているのを良いことに、好きに言葉を吐き捨てる。
「しっかりしたまえ! 君らに任せた僕にまで累が及びかねないのだからね!」
「なら安心しろ。じきに片がつく」
服が吸った水をこそぎ落としつつ、それでもまとわりつく重さに難儀しながら、レンプは護律会堂に引き返した。ブーツの中も水浸しだった。
〇 〇 〇
(あと二人!)
ミキが階段へ振り返った瞬間、不意に足腰の踏ん張りが利かなくなった。
後ろを向いた勢いを殺せず、足が滑る。手をついて体勢を整えようとしたが、腕も骨が抜けたように力が入らない。腕で床を押して加速を乗せる意図のみが空回りし、ミキは顎から床に倒れてしまった。
訳もわからず床に這いつくばるミキは、何とか立ち上がろうと足掻いたが、首をもたげた途端に猛烈な眩暈に襲われた。床に身体が沈むようだ。
霞みゆく視界の先に、吹き矢が転がっている。
(く、すり……)
覚束ない意識の中、ミキは護律官証を手に包み、“ゼノン”で小さな水球を作ったが、もう遅かった。頭上に浮かべた直後、水球が弾け、ミキの頭に注いだ。
ミキは階下に降りた男たちの靴を、辛うじて睨んでいた。靴音がぼやけて、脳内に反響する。
暗闇のように粘る意識の最後、“ゼノン”に一つの命令を残すのが、精々だった。
吹き矢の傷に小さな水滴が残り、血を吸い出している。ベルベットのように水滴に広がる赤い血は、水を染めることなく、無色透明の中に消えていった。
◯ ◯ ◯
階段の踊り場に寝息を立てるジョゼを残し、見習いと護衛が礼拝堂に降りた。
「驚いたぜ」見習い役が零す。「麻酔を食らって、あんだけ動けるたあな。それに何たって、あの反応の速さ、見たか? こんな田舎の護律官にゃ勿体ねえぞ」
「そ、それより」護衛役は外を気にかけ、恐る恐る言葉にした。「溺れてませんかね……」
“ゼノン操水術”に浚われたレンプのことだと思い至り、見習いは「ああ」と曖昧に相槌を打った。
「あいつなら滝だって登れら」
「ほ、本当、ですか?」
嘘に決まってんだろ。
とは口にせず、見習いは面白さ本位で、護衛を心底驚かせたまま放置することにした。
「それより、作戦行動中は対等だっつったろ。タメ口でいこうや」
恵まれた体格と不釣り合いに恐縮する護衛。
見習いは、護律官が意識を失ったのを確認し、回復体位を取らせる。仲間に一発入れられた分、思うところはある。だが、彼らの倫理上、標的以外の損害は、可能な限り抑えるべきだった。
仲間の安否は、外で見学を気取っているゲボ吐きフクロウが勝手にやるだろう。
「さあ」見習いが、礼拝堂の奥の獲物へ牙を剥く。「これで邪魔者はいなくなった」
その瞳が映す先に、標的の女がいる。
彼らを案内した修律士――ジョゼ・ライクワラが、護律会堂に泊まっていると証言した通りである。頭部の包帯を見るに負傷しているらしい。禁域で保護された可能性が浮上するが、崖から転落したにしては傷が浅すぎるように見えた。
やはり、待子組が何かを隠しているのではないか。見習いは訝しんだ。標的を始末し終えたら、問い詰めてやろう。
当の標的は、怯えて腰を抜かしていた。
直前の騒ぎに中てられたのだ。突如叫んだ護律官、礼拝堂を襲う濁流、倒れる護律官。一時に怒涛の展開を目の当たりにして、冷静でいられる人間は少ない。当然の反応だ。
だが、見習いは心底、その態度を見下した。
「だっ……」貼りついた喉が通ったような、女の第一声。「誰ですか……何が起きて……何で……」
怯えが声を震わせている。見習いが、護衛が一歩近づくと、女は腰を抜かしたまま後ずさり、背が死体に当たると腹這いになり、這う這うの体で教壇に縋り、背中に密着させた。
彼らに命を狙われる理由が、まるで思い当たらないような女の態度に、反吐が出る。
見習いには、密かな暗い欲があった。
死の瀬戸際に追い詰められた標的が、命を乞い、焦った拍子に口走る懺悔、その先にある罪の告白を、聞きたい。
無論、任務に支障を出さない範囲で。などという甘い考えは挟まない。見習いの欲は、効率的な任務遂行の延長線上で、偶然によってのみ満たされる、頼りないものにすぎない。見習い自身もそれで充分だと自覚していた。
だからこそ、標的が見せる兆候には、人一倍に敏感であった。
この女には、罪の自覚すらない。
邪悪が性根に染みついてやがる。
それはそれで、見習いの満足を誘う獲物であった。
ためらいなく殺せることほど、喜ばしいことはない。
「嫌……来ないで……」
「そりゃできない相談だぜ。てめえは今、ここで死ぬ」
「どうして⁉」女が逆上する。「私、まだ何も悪いことしてない!」
「……まだ? 舐めてんのか、このアマ」
何か悪いことしたからだろうがよ。俺らが動いたのはよ。
「おい。ここ、禁域とかいう場所の外だったよなあ?」
見習いが肩越しに振り向いて尋ね、護衛が頷く。怯える女がいないかのような、気安さだった。
「じゃあよお」見習いが鉈を抜く。「やっぱここでぶっ殺しても、文句ねえよなあ?」
鈍い光を返す刃に、女は目を落としそうなほど瞠目した。血の気の引いた白い肌が引き攣って、笑うように絶望している。
「俺がやる。お前は逃げ道、塞いでろ」
護衛の抜剣を認めて、見習いが一歩踏み出した。
嫌、嫌、嫌……。女が呪文を唱えるように呟く。行き止まりを背にして尚、女は床を足で掻いて、後退を試みている。憐れを誘う仕草の端々に、見習いは苛立ちを募らせた。
「良い加減、往生しようや」
歩き歩き、慣れた調子で鉈を頭上に振り上げ、見習いは女に影を落とした。見上げる視線の窮地、見下す視線の余裕が交錯する。
「――……」
その瞬間、見習いは鉈を上げたまま、立ち止まってしまった。胸をつんざく女の過呼吸が、礼拝堂に響いている。
「……あの、ど、どうしました? 早くしないと」
護衛に言われるまでもない。見習いは任務に遊びを見出している。しかし、標的の始末にかけては、誰よりもストイックに臨んできた自負がある。
だが。見習いは肩越しに振り向いた。
「何か、変、だ……」
身体を動かすと同時に、見習いの手から鉈が滑り落ちた。ずるり、と女に覆い被さるように倒れるにつれて、見習いの肉体が、ズレていく。
輪切り。そう形容する他なかった。
困惑で顔が固まったまま、見習いの首が落ちる。永遠に新しく知ることがなくなった見習いは、輪切りとなって、傷口から血をぶちまけ、肉のブロックとなって、呆然とする女に降り注いだ。
血溜まりに、内臓と骨つき肉が、べしゃべしゃと落ちていく。
「――何?」
頭の包帯まで血濡れの女が、理解の追いついていない顔で、変わり果てた見習いの塊から、自らの両腕を引き上げた。直前までの体温を残した鮮血が、震える両手に流れていた。
「何、何、何、何、何、何、何……!」
繰り返される、静かな理性の悲鳴。恐怖と混乱に染まった顔に、狂人の相が浮かぶ。女は、崩壊する正気を繋ぎ留めるかの如く、血塗れの手で、頭を掻き毟る。むせ返るほどの血の臭い。呼吸すらままならない中、「何」という理性の悲鳴が、絞られていった。
ヒュッ、と女の息が喉をかすれたのを最後に、悲鳴が途絶えた。
女は白目を向いて、がくりと失神した。
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