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ヴァンパイア・イン・マタニティ  作者: ごっこまん
9.襲撃と血

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31/36

9-2

 放牧から帰宅したラライが目にしたのは、ご馳走に囲まれたグランティだった。


「これ……どうした、村の人」


「や、やっと来てくれた……助けてくれ。ラライ」


 グランティが、胸まで一杯にしたように呻く。


 幕舎の入り口で立っていたラライを避けて、一族の者がほかほかの料理を運ぶ。「まだ来るのか」と、グランティは怯えてさえいた。


 ラライは大方察した。


狗人(クー・シー)、縁結び。満足させる、永遠、料理出す。村の人、言え、満足と。言わない、ずっと作る。満足、そしたら、共食」


 グランティのパンパンの腹が、要領を得ない説明を都合よく解釈させた。


 大量のご馳走で友好を図るのは、狗人(クー・シー)の伝統である。まず賓客が満足するまで――つまり、満腹に限らず、充分な持て成しを受けたと納得し、満足を表明するまで、たとえ拷問の域に達しようとも、歓迎の手を休めない。料理や歓待は延々と続く。


 ある意味、平和的手段に則った脅迫だ。


 料理が余れば、普通に全員、宴に参加する。そうに決まっている。見ろ、この足の踏み場もない皿の包囲網。何で今まで気づかなかったんだバカ野郎。


 ギチギチに張った腹を抱えて、グランティはママシュの方へ、起き上がりこぼしめかして身体を向けた。


「心尽くしのご歓迎、感激至極です……大変、心満たされました……どうぞ、皆さんも……」


 切羽詰まった末、奇しくも正解を引き当てるグランティであった。


 宴の賑々しさを、途轍もない満腹感を抱えながら眺めるグランティは、異文化折衝の場面には必ず護律協会員を伴おうと、心に誓った。


  ◯ ◯ ◯


 押し開けられた扉が、壁に激突する。不気味なほど静かな礼拝堂に、衝撃音が反響した。


 洪水のような波が楯と遺体を乗せて、身廊に押し寄せる。波は楯諸共、遺体を教壇に叩きつけ、悪い夢のように外へ引いていった。


 ミキは遺体へ、乱雑にだが前もって「怒っても化けて出ないでよ!」と言い捨てていた。


「イリーナ!」


 戻る波を裂いて、ミキは走った。階段を登り、寝室に着くまで、絶え間なくイリーナの名を叫び通した。寝室に近づくにつれて、くぐもった音色が、叫びの合間に漏れ聞こえた。イリーナかジョゼなら、すぐに返事をするはずだ。


 予感に反して、頑ななまでに長閑な午後のひとときが、ミキの心臓を逸らせた。


「イリーナ!」


 ノックも忘れ、寝室に押し入る。


 悲し気な子守歌の旋律が、明朗に耳に届いた。


 ミキの息が上がっている。切迫した呼吸、耳に迫る脈動に対して、あまりにたおやかな調べだ。


 部屋は冷たく、カーテンが暗く閉ざされていた。廊下の採光窓から差す淡い陽光が、ミキの背中越しに、薄っすらと寝室の中へ伸びている。


 床に落ちた陽光の先に、エレクトラの背中があった。色素の薄い彼女の薄着姿が、妖艶に間接光を返して、闇に浮かぶ。頭髪をきつく巻いた包帯が白く、痛々しい。


 暖炉も眠る部屋で、ミキに背を向けて、エレクトラがイリーナを寝かしつけているように見えた。いきなりミキが入室したにもかかわらず、エレクトラは気づく素振りも示さず、延々と子守唄を口ずさんでいる。


「エレ、クトラ……?」


 子守唄が、止む。


 沈黙が、ミキの耳に痛かった。固唾を呑む。


 おもむろにエレクトラが振り向いた。肩を滑る髪。冷たい流し目に、微笑みを湛えていた。


「ミキ・ソーマ護律官ですね? 助けてくださって、ありがとうございます。あなたは命の恩人です。感謝しても、しきれません」


 まるで他人事のような口ぶりだった。消耗の欠片もない、全幅の謝意を乗せた台詞が、寒々と響く。


()()()――)


 フルネームを教えた覚えはない。エレクトラが気絶している間になら口にした。


 気絶したふりをして、ずっと、様子を窺っていた? 何のために?


 偏見だろうか。ミキは自問する。私は、禁域の異常を目の当たりにした。その偏見で、エレクトラを見ている。吸血鬼への疑念に囚われて、忘れ難く濁った目をしていることだろう。


 だが今は、事実をかざして、エレクトラが人か否か、見極めている場合ではない。


 動けないイリーナがいるこの場で、強硬手段はとれなかった。安易に正体を暴くと、逆上を招きかねない。イリーナを人質に取られたら、対処が難しくなる。


 もう二度と、悲劇を起こしてはいけない。


 呼吸を呑み、整える。


「いつ、名乗ったかしら?」声に険があった。


 その険を待っていたかのように、エレクトラの笑みが深まった。


「イリーナさんから、教えてもらいました。恩人ですもの。お尋ねしないと、無礼でしょう?」


「そう」


 エレクトラの言う通り、イリーナからミキの名前を聞き出した可能性はある。しかし、もしも、エレクトラが吸血鬼だったとして、ミキのフルネームをわざわざ口にした意味は何か。


 十中八九、挑発だろう。


 ミキが手を出せないとわかっていて、自らボロを出すか出さないかの、危険な遊びを楽しんでいる。


 だとすれば、この吸血鬼は、かなりの性悪だ。


「お疲れじゃありません?」


 微笑みを絶やさずエレクトラが、ナイトテーブルの方を手で示した。干したコケモモが、木皿に盛ってある。


「私も少しもらったんですけど、美味しかったですよ。あなたもどうですか?」


「いらない。イリーナは? どうしたの?」


 内心を悟られないよう、極力何気なさを装った。


 エレクトラはくすくすと、心底おかしそうに肩で笑った。癇に障る笑い方だった。


「酷ぉい。気絶していた私より、この方の心配が先ですか?」


「どうなの」


 苛立ち、険を隠さなくなったミキに背き、至極くつろいで、エレクトラはイリーナの前髪を、愛おしそうに掻き分ける。イリーナは接触に気づかないほど、深く眠っているようだった。


「お疲れだったのでしょう。私が意識を取り戻すと、入れ替わるように」


 ミキはエレクトラから距離をとりつつ、イリーナの様子を窺った。布団の下で、胸が上下している。息はある。


 一旦、ミキは、肩の力を抜いた。禁域の遺体と同じ末路を辿っていないだけでも、奇跡のように思えた。ひとまず、イリーナは無事らしい。


 だが、それだけでエレクトラの疑いは晴れなかった。寝室に居座らせている限り、イリーナの身が危ない。いつでも手にかけられる間合いにいる以上、尋問はおろか、雑談すら危険を孕んでいる。


 それなら、とミキは口を引き締めた。


 イリーナに手出しできない場所に誘導する。


 ミキは険を払い、別種の真剣さをもって、エレクトラに言いつけた。


「お疲れのところ、すみません。アルデンスさんらしい方が見つかりました。私には、ご本人かどうか、わかりません。一階にいらっしゃいます。ご確認お願いできますか」


 エレクトラなら、この頼みを断れないはずだ。


 見込み通り、エレクトラは、気安く請け負った。二人はすぐさま退室する。


(ごめんね、イリーナ。後で診てあげるからね)


 ガウンも着る素振りも見せないエレクトラに、「寒くありませんか」とミキは尋ねた。


「いいえ」


 場を繋ぐつもりの会話もそれきりで、二人は一階の礼拝堂に降りた。


 施設の主である以上、ミキが前から案内しなければおかしい。エレクトラに背後を見せている間、ミキは産毛一本すら風を拾えるほど警戒していた。


 しかし、何事もなく肩透かしを食らった気分で、二人の遺体に、エレクトラを直面させる。


 ミキは、立ち尽くすエレクトラの背中を、刺すように見つめた。エレクトラがあっさりとミキの隙を見逃すとは思えない。むしろエレクトラは、進んで隙を晒しているように見えた。


 肥大化した猜疑心に、精神が摩耗しそうだ。


「なん、ですか。これ……」


 エレクトラの声の震えが、真に迫った。怯え、混乱。取り乱した心境が、疑いの耳を通していながら、痛いほどミキに伝わった。


「すみません」ミキは、声だけを鎮痛にする。「見つけたときには、既に」


 エレクトラは、腰が抜けたように、その場によろけて、へたりこむ。どちらかの遺体へ縋るどころか、一歩たりとも寄ろうとしない。


「こんな……こんな、酷い……!」


 しゃくり上げる喉で、無理に言葉にしたような声が、次第に湿っぽくなった。やがてエレクトラは泣きじゃくるのを堪えながらも、溢れる感情に翻弄され、止めようがなくうずくまった。


 見るからに、市井の女性である。


 本当に、エレクトラは、奇跡的に助かっただけなのかもしれない。となると、遺体になった二人を襲った吸血鬼は、まだ禁域内に潜伏していて、確実に逃走できる隙を狙っているとも考えられる。


 沈痛に泣き崩れる人に、何という目を向けているのか。ミキの内に、自分への嫌悪が差した。


 が、ミキはその考えに傾かないよう、護律官証を強く握って、手の平に食いこませた。吸血鬼を取り逃す痛みは、この比ではない。ただの圧迫痛と比べるのもおこがましい。


 吸血鬼が別にいるとして、エレクトラだけが見逃された理由を、どうすれば説明できるのか。


 遺体の状態を見る限り、その血の吸いっぷりから、吸血鬼が飢えていると予想が立つ。ならば、エレクトラだけが生き残る理屈はないはずだ。


 あえてエレクトラを泳がせて、救助を呼ばせるつもりか?


 禁域へ、自然に大量の餌を呼び寄せるつもりなら、そういう奇策に出でもおかしくはない。


(頭の中で敵を大きくしすぎちゃダメだ)


 絆されすぎるな。疑心暗鬼になりすぎるな。正しく疑え。ミキは自らに言い聞かせた。


(吸血鬼は、身体的にも精神的にも、擬態に長けている。この程度じゃ、尻尾を出さない)


 人間である確証が欲しい。人間であって欲しい。


 だが吸血鬼なら、ここで処分する。


 初手に“ゼノン操水術”は使わない。本来、吸血鬼の弱点である水だが、エレクトラは何らかの方法で耐性を得ている。その前提で正体を暴く方法を選ぶべきだ。


 もうすぐ日没である。吸血鬼なら、直射日光を浴びせれば、一発で正体を暴ける。


 だが、そうか。やられた。ミキは内心納得した。


 エレクトラが薄着のままでいる理由は、外に出ないための口実だ。つい半日前に瀕死だった人間を、あんな薄着で外に連れ出せない。自然な口実が、ミキにはすぐに思いつけなかった。


 ならば、銀に触れさせるしかない。


 護律官証は銀製だ。吸血鬼に接触させれば肌が爛れる。すぐさま正体が明らかになるだろう。


 不意を突いて、銀と接触させるのが手っ取り早いか。それとも、あえて触るように強要し、反応を観察するべきか。あるいは……


「エレクトラさん……。エレクトラ・()()()()()()()()さん」


 悼むように呼びかけた。反応しない。いや、気にかけていられないほど、取り乱している。という演技だろうか。エレクトラは相変わらず、肩を震わせ、濡れ泣いている。


 ミキはエレクトラの苗字を、ベア婆さんから聞いていた。だが、護律会堂や禁域では一度も口にしたことがない。鎌をかけるには丁度良いと思った。だが、「ブランです」と訂正するか、「はい」と答えるかで見分けようというのは、考えが甘かったか。


 対処法を固めつつ、エレクトラの方に一歩踏み出し、ミキは、握っていた護律官証を、露わにした。

ここまでお読みくださり、ありがとうございます。


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ご感想・その他コメント、いつでもお待ちしています。「良かった」とかの一言でも、顔文字とかでも歓迎です。


次回をお楽しみにお待ちください。


SNSとか所属しているボドゲ製作サークルとか

X:@nantoka_gokker

  @gojinomi

booth:https://gojinomi.booth.pm/

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