9-2
放牧から帰宅したラライが目にしたのは、ご馳走に囲まれたグランティだった。
「これ……どうした、村の人」
「や、やっと来てくれた……助けてくれ。ラライ」
グランティが、胸まで一杯にしたように呻く。
幕舎の入り口で立っていたラライを避けて、一族の者がほかほかの料理を運ぶ。「まだ来るのか」と、グランティは怯えてさえいた。
ラライは大方察した。
「狗人、縁結び。満足させる、永遠、料理出す。村の人、言え、満足と。言わない、ずっと作る。満足、そしたら、共食」
グランティのパンパンの腹が、要領を得ない説明を都合よく解釈させた。
大量のご馳走で友好を図るのは、狗人の伝統である。まず賓客が満足するまで――つまり、満腹に限らず、充分な持て成しを受けたと納得し、満足を表明するまで、たとえ拷問の域に達しようとも、歓迎の手を休めない。料理や歓待は延々と続く。
ある意味、平和的手段に則った脅迫だ。
料理が余れば、普通に全員、宴に参加する。そうに決まっている。見ろ、この足の踏み場もない皿の包囲網。何で今まで気づかなかったんだバカ野郎。
ギチギチに張った腹を抱えて、グランティはママシュの方へ、起き上がりこぼしめかして身体を向けた。
「心尽くしのご歓迎、感激至極です……大変、心満たされました……どうぞ、皆さんも……」
切羽詰まった末、奇しくも正解を引き当てるグランティであった。
宴の賑々しさを、途轍もない満腹感を抱えながら眺めるグランティは、異文化折衝の場面には必ず護律協会員を伴おうと、心に誓った。
◯ ◯ ◯
押し開けられた扉が、壁に激突する。不気味なほど静かな礼拝堂に、衝撃音が反響した。
洪水のような波が楯と遺体を乗せて、身廊に押し寄せる。波は楯諸共、遺体を教壇に叩きつけ、悪い夢のように外へ引いていった。
ミキは遺体へ、乱雑にだが前もって「怒っても化けて出ないでよ!」と言い捨てていた。
「イリーナ!」
戻る波を裂いて、ミキは走った。階段を登り、寝室に着くまで、絶え間なくイリーナの名を叫び通した。寝室に近づくにつれて、くぐもった音色が、叫びの合間に漏れ聞こえた。イリーナかジョゼなら、すぐに返事をするはずだ。
予感に反して、頑ななまでに長閑な午後のひとときが、ミキの心臓を逸らせた。
「イリーナ!」
ノックも忘れ、寝室に押し入る。
悲し気な子守歌の旋律が、明朗に耳に届いた。
ミキの息が上がっている。切迫した呼吸、耳に迫る脈動に対して、あまりにたおやかな調べだ。
部屋は冷たく、カーテンが暗く閉ざされていた。廊下の採光窓から差す淡い陽光が、ミキの背中越しに、薄っすらと寝室の中へ伸びている。
床に落ちた陽光の先に、エレクトラの背中があった。色素の薄い彼女の薄着姿が、妖艶に間接光を返して、闇に浮かぶ。頭髪をきつく巻いた包帯が白く、痛々しい。
暖炉も眠る部屋で、ミキに背を向けて、エレクトラがイリーナを寝かしつけているように見えた。いきなりミキが入室したにもかかわらず、エレクトラは気づく素振りも示さず、延々と子守唄を口ずさんでいる。
「エレ、クトラ……?」
子守唄が、止む。
沈黙が、ミキの耳に痛かった。固唾を呑む。
おもむろにエレクトラが振り向いた。肩を滑る髪。冷たい流し目に、微笑みを湛えていた。
「ミキ・ソーマ護律官ですね? 助けてくださって、ありがとうございます。あなたは命の恩人です。感謝しても、しきれません」
まるで他人事のような口ぶりだった。消耗の欠片もない、全幅の謝意を乗せた台詞が、寒々と響く。
(こいつ――)
フルネームを教えた覚えはない。エレクトラが気絶している間になら口にした。
気絶したふりをして、ずっと、様子を窺っていた? 何のために?
偏見だろうか。ミキは自問する。私は、禁域の異常を目の当たりにした。その偏見で、エレクトラを見ている。吸血鬼への疑念に囚われて、忘れ難く濁った目をしていることだろう。
だが今は、事実をかざして、エレクトラが人か否か、見極めている場合ではない。
動けないイリーナがいるこの場で、強硬手段はとれなかった。安易に正体を暴くと、逆上を招きかねない。イリーナを人質に取られたら、対処が難しくなる。
もう二度と、悲劇を起こしてはいけない。
呼吸を呑み、整える。
「いつ、名乗ったかしら?」声に険があった。
その険を待っていたかのように、エレクトラの笑みが深まった。
「イリーナさんから、教えてもらいました。恩人ですもの。お尋ねしないと、無礼でしょう?」
「そう」
エレクトラの言う通り、イリーナからミキの名前を聞き出した可能性はある。しかし、もしも、エレクトラが吸血鬼だったとして、ミキのフルネームをわざわざ口にした意味は何か。
十中八九、挑発だろう。
ミキが手を出せないとわかっていて、自らボロを出すか出さないかの、危険な遊びを楽しんでいる。
だとすれば、この吸血鬼は、かなりの性悪だ。
「お疲れじゃありません?」
微笑みを絶やさずエレクトラが、ナイトテーブルの方を手で示した。干したコケモモが、木皿に盛ってある。
「私も少しもらったんですけど、美味しかったですよ。あなたもどうですか?」
「いらない。イリーナは? どうしたの?」
内心を悟られないよう、極力何気なさを装った。
エレクトラはくすくすと、心底おかしそうに肩で笑った。癇に障る笑い方だった。
「酷ぉい。気絶していた私より、この方の心配が先ですか?」
「どうなの」
苛立ち、険を隠さなくなったミキに背き、至極くつろいで、エレクトラはイリーナの前髪を、愛おしそうに掻き分ける。イリーナは接触に気づかないほど、深く眠っているようだった。
「お疲れだったのでしょう。私が意識を取り戻すと、入れ替わるように」
ミキはエレクトラから距離をとりつつ、イリーナの様子を窺った。布団の下で、胸が上下している。息はある。
一旦、ミキは、肩の力を抜いた。禁域の遺体と同じ末路を辿っていないだけでも、奇跡のように思えた。ひとまず、イリーナは無事らしい。
だが、それだけでエレクトラの疑いは晴れなかった。寝室に居座らせている限り、イリーナの身が危ない。いつでも手にかけられる間合いにいる以上、尋問はおろか、雑談すら危険を孕んでいる。
それなら、とミキは口を引き締めた。
イリーナに手出しできない場所に誘導する。
ミキは険を払い、別種の真剣さをもって、エレクトラに言いつけた。
「お疲れのところ、すみません。アルデンスさんらしい方が見つかりました。私には、ご本人かどうか、わかりません。一階にいらっしゃいます。ご確認お願いできますか」
エレクトラなら、この頼みを断れないはずだ。
見込み通り、エレクトラは、気安く請け負った。二人はすぐさま退室する。
(ごめんね、イリーナ。後で診てあげるからね)
ガウンも着る素振りも見せないエレクトラに、「寒くありませんか」とミキは尋ねた。
「いいえ」
場を繋ぐつもりの会話もそれきりで、二人は一階の礼拝堂に降りた。
施設の主である以上、ミキが前から案内しなければおかしい。エレクトラに背後を見せている間、ミキは産毛一本すら風を拾えるほど警戒していた。
しかし、何事もなく肩透かしを食らった気分で、二人の遺体に、エレクトラを直面させる。
ミキは、立ち尽くすエレクトラの背中を、刺すように見つめた。エレクトラがあっさりとミキの隙を見逃すとは思えない。むしろエレクトラは、進んで隙を晒しているように見えた。
肥大化した猜疑心に、精神が摩耗しそうだ。
「なん、ですか。これ……」
エレクトラの声の震えが、真に迫った。怯え、混乱。取り乱した心境が、疑いの耳を通していながら、痛いほどミキに伝わった。
「すみません」ミキは、声だけを鎮痛にする。「見つけたときには、既に」
エレクトラは、腰が抜けたように、その場によろけて、へたりこむ。どちらかの遺体へ縋るどころか、一歩たりとも寄ろうとしない。
「こんな……こんな、酷い……!」
しゃくり上げる喉で、無理に言葉にしたような声が、次第に湿っぽくなった。やがてエレクトラは泣きじゃくるのを堪えながらも、溢れる感情に翻弄され、止めようがなくうずくまった。
見るからに、市井の女性である。
本当に、エレクトラは、奇跡的に助かっただけなのかもしれない。となると、遺体になった二人を襲った吸血鬼は、まだ禁域内に潜伏していて、確実に逃走できる隙を狙っているとも考えられる。
沈痛に泣き崩れる人に、何という目を向けているのか。ミキの内に、自分への嫌悪が差した。
が、ミキはその考えに傾かないよう、護律官証を強く握って、手の平に食いこませた。吸血鬼を取り逃す痛みは、この比ではない。ただの圧迫痛と比べるのもおこがましい。
吸血鬼が別にいるとして、エレクトラだけが見逃された理由を、どうすれば説明できるのか。
遺体の状態を見る限り、その血の吸いっぷりから、吸血鬼が飢えていると予想が立つ。ならば、エレクトラだけが生き残る理屈はないはずだ。
あえてエレクトラを泳がせて、救助を呼ばせるつもりか?
禁域へ、自然に大量の餌を呼び寄せるつもりなら、そういう奇策に出でもおかしくはない。
(頭の中で敵を大きくしすぎちゃダメだ)
絆されすぎるな。疑心暗鬼になりすぎるな。正しく疑え。ミキは自らに言い聞かせた。
(吸血鬼は、身体的にも精神的にも、擬態に長けている。この程度じゃ、尻尾を出さない)
人間である確証が欲しい。人間であって欲しい。
だが吸血鬼なら、ここで処分する。
初手に“ゼノン操水術”は使わない。本来、吸血鬼の弱点である水だが、エレクトラは何らかの方法で耐性を得ている。その前提で正体を暴く方法を選ぶべきだ。
もうすぐ日没である。吸血鬼なら、直射日光を浴びせれば、一発で正体を暴ける。
だが、そうか。やられた。ミキは内心納得した。
エレクトラが薄着のままでいる理由は、外に出ないための口実だ。つい半日前に瀕死だった人間を、あんな薄着で外に連れ出せない。自然な口実が、ミキにはすぐに思いつけなかった。
ならば、銀に触れさせるしかない。
護律官証は銀製だ。吸血鬼に接触させれば肌が爛れる。すぐさま正体が明らかになるだろう。
不意を突いて、銀と接触させるのが手っ取り早いか。それとも、あえて触るように強要し、反応を観察するべきか。あるいは……
「エレクトラさん……。エレクトラ・ヴァルディソーレさん」
悼むように呼びかけた。反応しない。いや、気にかけていられないほど、取り乱している。という演技だろうか。エレクトラは相変わらず、肩を震わせ、濡れ泣いている。
ミキはエレクトラの苗字を、ベア婆さんから聞いていた。だが、護律会堂や禁域では一度も口にしたことがない。鎌をかけるには丁度良いと思った。だが、「ブランです」と訂正するか、「はい」と答えるかで見分けようというのは、考えが甘かったか。
対処法を固めつつ、エレクトラの方に一歩踏み出し、ミキは、握っていた護律官証を、露わにした。
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