9-1
マスタードの効いたマッシュポテトにベーコンを混ぜ、スライスチーズと越冬タマネギを敷いた黒パンの上に、こんもりと載せる。ビーツのピクルスとコケモモのジャムを添えて、ジョゼへ供された。
ジョゼは腹ペコだと断って、村長お手製のスモーブロを頬張りながら、レンプと名乗る商人の話を聞いた。
レンプは旅人と一時期、行動を共にしていたらしい。
宿場町で別れた後、レンプの仕事が予定よりも早く済んだため、市場開拓がてら、彼らの行方を追ってみようと思い立ったのだと言う。
「何しろ、短くない間、寝食を共にしていたのですから。急に別れたもので気になって気になって。特にアルデンスさんには、護衛や夜警で大変お世話になりましたし、行く宛てがないのなら、帰りもご一緒できればと」
「……それだけで、っすか?」
たっぷり咀嚼したスモーブロを水で流し呑み、ジョゼは尋ねた。
「いくら気になるからって、こんな田舎くんだりに寄り道まで……。追いつけるとも限らないっすし、商人さんなら、お忙しいっすよね。ちょっと一緒に旅をしたからって、どうしてそこまでされるンすか」
レンプは周りを気にする素振りを見せて、ジョゼに耳を貸すよう、手招きした。
「彼らは、何かから逃げているように見えました」
核心を掴まれた気がした。味変につけたコケモモジャムを、口の端につけたジョゼはハッと顔を上げ、レンプの目を見る。締まった光が、瞳に宿っている。レンプは本気だ。
これまでの経緯を聞く限り、ジョゼも薄々そのような予感がしていた。自分一人の思いつきに固執するジョゼではなかったが、村の外から来た人も同じ予感を抱いているなら、話が変わる。
にわかに、予感が確信めいてきた。
声量に釣られてつい、ジョゼは声を潜めた。
「何かご存知っすか」
「ジャムついてますよ」
左右の頬で迷うジョゼに、レンプは鏡になったつもりで、ジャムが悪さしている場所を指した。ようやくジョゼは拭い、指のジャムを舐った。
「何かご存知っすか」何事もなかったかのように振る舞うジョゼ。
「詳しくは、何とも。まさかとは思いましたけれど。逃げているにしても、どうにも怪しいところが多いですし」
「商人の勘すか?」
「ま、まあ、そんなところで」
ジョゼの食いつきの良さに、レンプは苦笑した。話に熱中しすぎたとジョゼは内心反省し、前のめりの姿勢を正した。
レンプが話を仕切り直す。
「一旦そう考えると、放っておけるほど、冷徹にはなれませんで。どこから来たのかも知りませんが、二人だけで冬の旅とは、尋常ではありませんよ。どれだけ心細かろうか。もし、まだ追いつけるなら、帰り道くらい、一緒にいてあげたいじゃないですか」
レンプの組んだ祈り手が、きつく結ばれた。よほど、二人の身を案じていたのだろう。ジョゼにはレンプの心配が痛いほど伝わった。ブラダを助けてくれた二人だからこそ、尚更に。
旅人が困っているなら、助けたい。そう考えている者のたたずまいに見えた。
護律会堂に運ばれたエレクトラを思い起こす。一人で凍えていた。目が覚めたときに、見知った顔があれば、どれだけ安心を得られるだろう。
エレクトラと、それからアルデンスの傍には、頼れる人が、一人でも多くいた方が良い。
「旅人なら、護律会堂に泊めています」
二人。と言えないのが、もどかしい。
「はっ? へ、ほっ、本当、ですか?」
こんなに早く追いつくと考えていなかったのだろうか。レンプは驚きで、第一声が裏返っていた。バーレイ村長もすぐ傍で「え、そうだったの?」とのんびり口を挟む。
「ご案内します。こちらへ、どぞっす」
「ああ、でしたら、荷台と馬をどこかに預けないと」
「預かるよ」
きょとんとして、レンプはバーレイ村長へ向いた。
「あれ、言ってなかったっけ。僕ね、ここの村長」
まさかカウンターに重鎮が立っていると、レンプは思わなかったらしい。
ジョゼはレンプを連れて、酒場を出た。玄関先に、ブラインドタイガー商店の荷台に寄って、買い物に興じる人がちらついた。
商品と馬を村長に預け、商人見習いと護衛を加えて、四人は護律会堂へ向かった。
途中までは散歩気分、だが慣れていないと奥は険しい道のりだ。ジョゼは時々、三人の方を振り向いたが、三人はぴったりついて来ていた。健脚だなあ、と思う。ジョゼ自身、この道に慣れるのは早かったが、各地を移動する行商人の足腰は別格のようだ。
しかし、さすがに距離には参ったのか、
「随分、奥まった、ところまで」
レンプは息も絶え絶え、弱音を吐いた。いつの間にかジョゼ、商人見習い、護衛の三人と、レンプは離れていた。膝に両手をついて、肩で息をし、人心地つかせてから、レンプはガチガチの背を伸ばす。ほぐれた凝りが、疲労と一緒に排出されたように呻くレンプには、中年特有の愛嬌があった。
急にジョゼは「おばさんになる」と周りにやいやい言われていたのを思い出した。中年レンプの姿に、中年ジョゼの姿が重なりそうになるのを、頭を振って掻き消した。
夕暮れとはいえ、進むペースをもっと配慮すべきだったか。ジョゼは同情を込めて、困ったように笑みを浮かべた。
「不便なところですみません。道なりに真っ直ぐ行けば、もうすぐっすから。休憩しますか?」
「いやあ、足元が暗くなったら、それこそ大変だ。私もまだまだいけるところ、ご覧に入れましょう」
よっこらと、重い足を前に出すレンプの意気を買い、一行は再び前進する。
「護律会堂なら、女性だけで生活されてるんでしょう? 何人でお住まいなんですか」
主人に比べて、商人見習い風の男は、体力に余裕を見せて、雑談を振ってきた。
「自分と同じ修律士がもう一人。で、自分らの師匠……地方護律官殿が一名の、三人っすよ」
「大変でしょう、往復は」
「もう慣れっこっすよ。それに、この生活も結構充実してるっすよ」
「素晴らしいですね。何か元気の秘訣でも?」
露骨に商材を探すような見習いに、ジョゼはクスリと笑った。
「全然。毎日必死に頑張ってるだけっす」
「なら、もっと充実するような……例えば、疲れに効く商品があったら、欲しいんじゃありません?」
わかりやすい市場開拓だった。ジョゼはまたクスリと笑った。
「そりゃまあ……でも、売値次第っすね。見ての通りの寒村っすから。領主もケチで、余裕ないっす」
「なら、あれが打ってつけですね。あれ」
「えー? 何すかー?」
村の外から持ちこまれる珍しい商品。そのセールストークだけでも、ジョゼたち村人にとっては、新鮮な娯楽だった。見習いの拙い話でも、聞いている内にジョゼは乗せられる気になっていた。
「えーと、あれ。何だっけあれ」
手際の悪さにジョゼは苦笑した。
手頃で、精のつく物があるのだろうか。日々、子どもたちの相手をするジョゼは、元気なチビッ子どもに張り合うために、確かに栄養満点な物が欲しくなるときがあった。いつの間にか商談に乗り気にさせられたジョゼは、見習いの次の句を待った。
「いてっ」
不意に、ジョゼのうなじにトンッと、何かが当たった。遅れて、痛みが刺す。
(アブか? 出るの早くね……)
何か存在感のあるものが、肌に食いついている。うなじの異物感を払うと、思ったよりも大きく、固い感触に当たる。刺し傷を弾くように取れたそれは、呆気なく地面に落ちて、乾いた音を立てた。
吹き矢が、転がっている。
「今回は、試供品ということで」
レンプの声がした。起こったことが呑みこめず、ジョゼは揺れる視線を、吹き矢の射線に合わせた。
レンプが、筒を口から離す。
「目が覚めたら、生まれ変わった気分になれますよ」
レンプの冷笑が、二つにぶれて見えた。
「お前……何、だ……」
ジョゼの景色が焦点を失う。固い地面が、小舟が揺れるように不安定だ。頭が重い。ふらっと倒れそうになり、咄嗟に、見習いの肩に腕を回し、身体を支えた。
(力が、抜け……? 何、で……?)
吹き矢の毒に思い至るほどの余裕はなかった。
浮沈する思考が、意味を成す前に分散する。逃げる旅人。追う誰か。旅人を探す行商人。ジョゼが教えた居場所……。何かが、ヤバい。
追う。その一点で、行商人も、同じだった。
(エレ、クトラ……)
薄れた意識を抜けて、本能が足止めをしろと告げる。肩に回した腕に、見習い商人の首を絞めさせた。
だが、その危機感すら霧散し、腕から、足から力が抜けていく。全身が錨となったように、足から意識が地の底に沈む。
夜が夕焼けを追う空が、頭上を回っていた。
見習いの肩に回した腕すらも、力が失せた。その胸に縋りつくような格好で、ジョゼは膝から崩れ、固い地面の感触を前身に浴びて、気を失った。
商人見習いが、ブーツに引っかかったジョゼの指を、鬱陶しそうに蹴り払った。
〇 〇 〇
「修律士でこの程度か。護律官の実力も、たかが知れる」
人の好さそうな外面が剥げて、レンプが霜が降りたような無表情で、追手の本性を垣間見せた。吹き矢を回収し、気絶したジョゼを見下ろす。
「おい」
あごで指図し、護衛風の男にジョゼを背負わせた。
「この女、呑気に飯食った後だからな。麻酔が悪さしかねん。嘔吐と呼吸に注意しとけ。間違っても死なせるなよ」
黙々と女体を扱う護衛に対し、見習い風の男は「かったりい」と、ふらつきながら不平を口にした。
「なあ、こりゃ、待子組の失敗だろうよ。何だって俺ら勢子組が尻拭いせにゃなんねえの」
待子、勢子はそれぞれ、狩猟において、獲物を狩る役と、追い詰める役を指す。
「てめえらで仕留める、つった獲物だろうが。それを今更、俺らに振るってのか。恥知らずがよ」
見習いは、苛立ちをぶつけ紛いに、護衛に「なあ」と同意を求めたが、溜め息とも返事ともつかない喉の風鳴りで濁された。
「おやおや!」
その頭上から羽ばたきが舞い降りて、川岸から斜めに生える松の幹に乗った。村ではローヤルマドラス飛脚を名乗った、フクロウの翼人である。
「僕らの本分は目的の遂行だけだろう! 手段はともかく、過程にこだわるなんてナンセンスさ!」
「待子組のてめえが、言うんじゃねえよ!」
見習いが石を拾い、舐めた態度のフクロウ目がけて投げる。フクロウ翼人は「ホッホウ」と一鳴きし、幹から滑空して投石を避ける。石が松の樹皮を抉る。フクロウ翼人は、そのまま上空へ高度を上げ、勢子組を嘲笑うかのように頭上を旋回した。
「やめろ」レンプが諫める。「飛脚君の言うことはもっともだ。待子も勢子もない。我々は一つの結社。常に、歴然とした、たった一つの結果のみを求めている。彼の報せを基に、最善策を講じるのが、今の我々の役目だ」
「でもよう」見習いは、レンプには強く出られなかった。
「そうそう! 前向きに考えたまえよ! 目標は谷底、袋の中のネズミ! 拝露の術師だとは、話が違うが、僕の見立てではもう妙な術は使えない! 今度こそ、彼女は終わりさ!」
「知るかオラッ! 降りてこい! ゲボ吐き鳥野郎!」
「未消化物と呼びたまえ! 知らんかね!」
「良い加減にしろ」
レンプの、平坦だが通る声が、二人を射止めた。見習いは忌々し気に舌打ちし、腕を組んで、ふてぶてしく片足に体重を預けた。それを見たフクロウ翼人は、元の松に降りて羽を休める。
話のできる雰囲気になったところで、レンプが続ける。
「後は時間の問題だ。少し、状況を整理しよう」
勢子組が目標を追いこむ。フロアーサラディン間の崖道に誘導し、護衛と目標を分断。その後、待子組が目標を仕留める。
これが追手たちの本来の計画だった。
だが、待子組の手違いで、目標は崖の底へ。また、死体確認のために降ろした仲間の消息が途絶えてしまう。
やむを得ず、待子組は一時撤退。代わって、目標の動向に詳しい勢子組が、目標の知己を装ってフロア開拓村側から接近する。そして、現地の護律官に禁域内の調査を促すか、侵入を試みる。
目標が息絶えていれば、それで良し。さもなくば、勢子組で始末する。行方不明の仲間の生死は不問とする。
だが、実際の状況は異なっていた。
「目標は禁域で遭難中だったはずだが、護律会堂に宿泊している。と」
「谷底に真っ逆さまの二人が⁉ ホッホウ! そりゃあ、不可解だねえ!」
フクロウ翼人が素っ頓狂に鳴いて、ぐるりと首を捻る。
「てめえ、何か隠してんじゃねえだろうな?」見習いが凄む。
フクロウ翼人は、とんでもないとばかりに、頭が上下逆になるまで、首を回して見せた。
「言っただろう! 過程にはこだわらないって! 祖霊に誓って本当さ! こっちだって天地が引っくり返った気分だよ!」
「ともかくだ」レンプが話を戻す。「事前情報と食い違っているのは奇妙だが、実地が禁域から護律会堂に変わっただけにすぎん。任務は続行する。だが、想定より早い実力行使に備え、まずは修律士二名を各個制圧する。一名は既に制圧完了。護律官については、禁域調査が不要であれば即刻制圧。目撃者不在の状況を作り、目標を処分する。良いか」
「要するに、いつも通り、ね」見習いが雑に総括した。「ここでは何も起きていない。ただ、どうしてだか、人が姿を消しただけ。本当のところは、大きな声では言えねえ、ってやつ。だろ?」
見習いがおふざけで、口の前に一本立てた人差し指に、レンプと護衛が同調する。護衛は、力なく寝息を立てるジョゼを背負い直した。
「平穏を汝らが光へ。不穏を我らが闇へ」
レンプの一声に、護衛と見習いを装う二人が続く。平穏を光へ。不穏を闇へ。斉唱するのは、彼らを象徴する標語である。
フクロウ翼人が翼を広げた。
「結構! では僕は、君らが上手く呪えるように見守っていてやろうかな! 待子組に良い報告をさせてくれたまえよ!」
谷を越え、崖上に鳥影が消えるのを合図に、追手三人の裏の顔も、しばし鳴りを潜めた。足取りは、ジョゼが先導していたときよりも軽かった。
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