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ヴァンパイア・イン・マタニティ  作者: ごっこまん
7.眠れる乙女

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26/36

7-4

 時は昨晩に戻る。


 追手たちは、崖下に降りた仲間の帰りを待っていた。


 崖道に風除けの幕を張り、身を寄せ合って黙々と食事する。獣脂に浸して揚げ焼きにし、甜菜糖で埋めたパン。クルミ、松の実、ローストしたナッツや豆の粉末をカメリア油で練り固めた焼き干し。干したベリー類を含んだバター。チーズ。


 フクロウ翼人(ハーピィ)は、凍ったネズミを丸ごと。


 黙々と、谷風の語らいを聞いて、食べる。


「湯が飲みたい」


「我慢だよ、我慢」


 火を焚くには難しい気候だった。よしんば好天気だったとしても、隠密作戦中の追手たちの居場所を知らせるような真似は厳禁である。


「スープとか言うから」


 待機中の全員の覆面越しに、非難がましい視線が隊長格へ集まる。標的の護衛と軽口を叩き合ったときに、隊長格がポロッとこぼした一言は、むしろ味方に効いていた。


 飄々としていた隊長格も、さすがに食事の味が不味くなる思いだった。


「わ、悪かったよ……。終わったらスープでも何でもご馳走するよ。今もこうして、崖を降りて頑張ってる若い子もいんだからさ、そりゃもう盛大に」


 と言った直後、隊長格の男は食べ終わって一息つくと、手に残った食べカスを払いながら立ち上がる。舌の根も乾かない内に、


「何かあったね、こりゃ。あーあ、ひたむきな子だったなあ。仕方ない。退くかあ」


 仲間が崖に降りて、随分と時間が経った。標的の死亡を確認する、あるいは止めを刺して戻るには、充分な時間だった。


 気の抜けた号令だが、是も非もなく、なおざりに撤収する。


 手先の作業を見物するだけの翼人(ハーピィ)へ、「トントン、ごめんください」と、おもむろに声がかかった。


「手伝わないよ! この鉤爪は、君らほど器用じゃないのでね!」


 隊長格は半笑いで、違う違うと、手をなよなよ振った。


「窓口は開いているかな。速達を頼まれてくれよ」


  ◯ ◯ ◯


 現在。


 エレクトラを背負ったミキは、まさしく怒涛の波に乗って、ジョゼとイリーナの待つ護律会堂へ帰投した。


 扉を乱暴に蹴り開け、開口一番。


「お帰りなせっす。お早いっすね。コケモモ出しときましたよ」


 ミキが散らかした教壇を、代わって整頓するジョゼの言葉に被せて。


「目一杯の薪を集めて! それから毛布と、救急箱! 早く!」


 ミキの大声に弾かれて、ジョゼが振り返る。ミキの背には、だらりと手足を投げた女性が担がれていた。一緒に整頓していた手を止め、目を凝らすイリーナへ、ジョゼは「遭難者」と言葉少なに伝えると同時に、二人は急いでミキの指示をこなした。


 エレクトラを担いで、ミキは二階へ上る。


 エレクトラは目を覚まさない。ミキは止むを得ず 客間のベッドに寝かせた。


 念のため、乾いた服に着替えさせる。ボロボロの服を脱がせる内に、ミキの表情は次第に険しくなった。余りに傷がなさすぎる。浅い、深いの程度の差ではなく、負傷箇所が少ないのだ。


 服の破け具合から、深手の一つや二つ、全身打撲はあるものと考えていた。だが、割れる直前のザクロのような頭部の傷口と比べれば、身体は綺麗なものだった。


(崖から落ちたんじゃないの……?)


 疑問は尽きなかったが、エレクトラの治療が最優先だ。


 ミキは手に水を集め、人肌ほどに温めた。その水を手の平に馴染ませて、エレクトラの頭の傷を、撫でるように洗おうとした。


「や、めろ……やめろ……」


 水が頭皮に触れた途端、エレクトラは身じろぎ、ミキの腕を押し返そうとした。意識が戻ったように見えたが、うなされているだけのようだった。


「怖い目に遭ったのね」


 ミキの胸に、ずんと重く憂いがわだかまる。意識を失っても何かに怯えるエレクトラが哀れで、いたたまれない。うなされる彼女を、ミキは優しく胸の中に、心音が聞こえるように抱擁した。エレクトラが、身体の間に腕を差しこんで抵抗する。


「大丈夫。大丈夫よ。助かるよ」


 官服が血で薄汚れた。焦げ臭さが鼻をくすぐる。暖炉に、灰を被せ損ねた熾火が静かに熱を発していた。嫌がるエレクトラが腕を押し、掌底にミキの顎がにじられた。それでもミキは根気強くエレクトラを宥めた。エレクトラが落ち着くまで、胸の中で頭を撫で、ゆっくり拍子をとって、背中を叩いた。


「頭の傷を洗わせてね。ばい菌が入ったら大変。その後、針で縫って包帯を巻くから、じっとしててね」


 ミキから逃れようと、健気に身をよじっていたエレクトラが、次第に安らかな寝息を立てて、大人しくなっていく。その隙に、ミキは、くたくたに煮た果実の皮を破かずに水で洗うかのような繊細な手つきで、傷を清めた。


(見た目の割に、浅い……? というより、深手が塞がったような……)


「救急箱と毛布、お持ちしました」


 イリーナの入室で疑問が途切れ、処置に意識が向いた。気のせいよね。


「ありがとう。そこ置いといて」


 途中、ミキはエレクトラの素肌に触れて体温を測った。やはり冷たい。急いで傷を縫い、身体を温めなければ。


「チクチクするけど、我慢してね」


 髪の水を乾かして、清潔にした傷口を、ランプの火で炙った針に糸を通し、縫い合わせていく。縫合後、ガーゼを当て、包帯を巻いて固定する。エレクトラは大人しいものだった。


 ミキはエレクトラとベッドを共にし、二人で厚手の布団を被った。


 今は暖炉に頼らず、人肌で徐々に体温を分けていくのが最善だ。いきなり高温で身体を温めると、心拍数が増えて、身体の末端の冷たい血液がいきなり臓器に注ぎこまれる。そうなると、ショック状態に陥る危険があった。


 布団に、イリーナが持ってきた毛布を重ねがける。客間の暖炉には、ジョゼが薪と湯の準備をしている。ある程度体温が戻った後への備えは万全だ。


 中々体温が戻らないことに苛立ちが募る一方、エレクトラの呼吸は当初より穏やかになっていく。


 ミキはエレクトラを抱き起し、ぬるま湯を飲ませようとした。吸飲みに、口をつけようともしない。


「お師匠さん」ミキの気を紛らわせるように、ジョゼが口を開く。「この人が」


 ミキは寝床で頷く。


「旅人さんだと思う。酒場で見かけた人に似てるわ」


「本当に、禁域に……」


 ミキは難しい顔をして、逡巡していたが、やがて状況を整理するつもりで、頭の中のことを口に出した。


「イリーナ、コシノフ卿は何て?」


「外出中でした。婆やから駐在騎士に伝達を申しつけています」


 心なしかイリーナは晴れ晴れしていた。よっぽどコシノフ卿と話したくなかったのだろう。


 エレクトラの額に手を当てる。ミキの体温は戻っているが、エレクトラは冷たいままだ。


「体温の戻りが悪いわね……。ごめん二人とも。どっちか温めるの、代わってもらって良いかしら。できれば、しばらく裸で」


 冷えた身体を温めるなら、その方がほんの少しだけ効率が良い。都市部ではともかくとして、フロア開拓村のような田舎では、常識的な対処だ。同性なら抵抗も少ない。


「教官殿はどうなさるのですか」


「もう一人の旅人を捜索しに行くわ。この子の救助で後回しにしちゃったから」


「そういうことなら、お安い御用す」


 ジョゼが前に出て、するりと脱衣し、肩を露出するまでの数瞬。ミキはふと考えた。


 ジョゼの外見は中性的だ。ミキも初対面のとき、男性と勘違いしたくらいには心身ともに男勝りである。そんなジョゼが、仮にエレクトラと同衾したとしよう。


 エレクトラが目覚めた場合、かなり心臓に悪い目に遭わせてしまうのではなかろうか。


 おはよう、仔猫ちゃん。見ず知らずの気障ったらしい性別不詳が、いつの間にか裸で一緒のベッドに入っていて、爽やかさも過剰に、起きがけの挨拶をする。誇張しすぎたジョゼ像を、ミキは妄想した。幾らか現実的にデチューンしても、やはり、まずい絵面ではないか。


 もっと悪いのは、救助したアルデンスがその場に居合わせてしまうパターンだ。


 修羅場になる……!


 ミキは咄嗟に平手を立ててジョゼの眼前に出し、申し訳ない気持ち一杯に制止した。


「ごめん、やっぱりイリーナ指名で」


 事情がさっぱり呑み込めず、ポカンとするジョゼの傍らで、イリーナは「……まあ、教官殿たってのお願いでしたら」と、粛々と同衾の準備にかかる。その下着姿を目にしたミキは、思わず「えっぐ」と口にしそうになったが、何とか堪えて言葉を呑めた。


「よ、よろしく、イリーナ。ここ、一人で任せて大丈夫?」


「お任せください」


「じゃあ、ジョゼは村の仕事をお願い。それから、村の人たちに言付けを頼めるかしら。人命救助のため……って、理由は伏せた方が良いわよね。とりあえず、“雲降ロシノ刻”は延期、天候回復は自然に任せる。って伝えてちょうだい。鐘の打ち方、複雑だけど、覚えてる?」


「覚えてます。了解す」


「お願いね。それから、サー・グランティにも連絡を。エレクトラを見つけた、って。旅人のことはグランティ以外には聞かれないように注意して」


「了解す。内密に」


「余った時間は、お姉さんのお見舞いに当てなさい」


「さっすがお師匠さん、そうこなくっちゃ」


 ベッドを出るミキ。入れ替わるイリーナは眠るエレクトラの服を脱がし、ジョゼは官服を着直した。各自、禁域、護律会堂で治療、村に連絡。持ち場に散開する。


 東雲は茜に染まっていた。フロア開拓村より東の管区で、護律官が“雲降ロシノ刻”をつつがなく終えたのだろう。


  〇 〇 〇


 護律会堂にイリーナだけが居残って、しばらく経った。


 静かな客間のベッドの中で、イリーナは冷たい身体のエレクトラと、素肌を密着させていた。行きずりの女と肌を重ねる。誤解を多分に含むのは承知しているが、誤解の余地のある状況に立たせられるのが不服だった。


 しかし、ソーマ教官の役に立つという一点で、イリーナは万事良しとした。


 エレクトラを、もっと胸の中に寄せる。


 華奢な身体だ。不健康でさえある。まだ前進冷たいが、死んだように身震いの一つもしない。ただ、穏やかな寝息で、胸郭が膨張と収縮を規則正しく繰り返して、生きていることがわかった。


 ところが、体温が戻らないのにもかかわらず、エレクトラの身体は、徐々に汗ばんでいる。


 体温調節機能が戻るのは、ある程度温もりを回復してからのはずだ。だが、エレクトラの身体は冷たい。


(元々、体温が低いのでしょうか。それとも冷え性。……むしろ、この人の体温が正常で、私の方が発熱しているとか)


 イリーナは自分の額に手を当てた。エレクトラを抱いている内に冷えた手が心地良い。しかし、病を得たにしては平熱で、体調に違和感もない。


 枕元から乾いたタオルを手繰り寄せ、イリーナはエレクトラの汗を拭った。発汗すると体温が奪われてしまう。抱いてもわかるほど芯まで凍えているのに、汗までかくのは奇妙なことだった。


(確か、身体の一部だけでも発熱していたら、汗をかくはずで……)


 イリーナは、遠慮がちにエレクトラの身体を探る。むずがゆいのか、腕の中でエレクトラは、くすぐったそうに身をよじる。触診、触診……イリーナは自分に言い聞かせた。


(あ、ここ……)


 ()()が熱いとわかった途端、釣られてイリーナの顔も火照ってしまった。触診だと自分に言い聞かせていたが、そこが熱いと、どうしても下世話な気分にさせられる。


 気を紛らわせるつもりで、タオルでエレクトラを拭いた。


 どれだけ目が悪かろうと、目を凝らす必要のない距離に、エレクトラの儚い顔立ちがある。今にも透けて消えてしまいそうな肌、頭に巻いた包帯からこぼれる御髪の艶やかさ、長いまつ毛は繊細なガラス細工のよう。少し飾るだけで、並み居る男どもの注目をさらうに違いない。


 それにしても、よりにもよって、眠れる美女が()()を熱くしますか。


(意外とむっつりなんでしょうか)


 眠れる乙女の内に、雌豹の姿を勝手に思い描くイリーナの方こそ、むっつりではないか。心の中の影がイリーナに指摘する。心の囁きに耳を塞ぐように、イリーナはベッドを出て、寒さを抱いて震えながらローブをまとった。


 今のエレクトラには、暖かすぎるのも毒だ。急激に体温が上がったショックで死ぬ可能性もある。しかし、発汗が見られた以上、部屋が寒すぎても具合が悪い。少し、火を起こそう。


 暖炉の灰を掻いて熾火を晒し、その周りに薪を組む。ナイフで粗朶を花咲かせるように繊維を裂き、熾火に中てて火種を作り、焚火を育てていく。五徳に鍋を乗せ、湯を沸かす準備もする。


 粗朶が弾け、薪に燃え移る。次第に頼もしくなる火勢に手をかざし、エレクトラに与えた体温を取り戻していく。


 念入りに暖をとってからベッドに戻った方が、エレクトラも温まるだろう。


 焚火の安らぎに溜め息をつく。視界一杯を煌々と照らす火の、心音に近しい揺らぎ。パチ、パチと弾ける薪の音の耳楽しさ。火勢が強まると、ごうと熱風に髪を撫でられた。


 イリーナは、目も耳も、暖炉に奪われていた。


 その間に、背後でエレクトラが起き上がっているとも知らずに。


 背筋が冷たい気配を拾うと同時に、イリーナの目の前で布が落ち、鼻先をかすめた。


 何かと思った瞬間、首に布が巻かれ、きつく絞められた。


 苦しい。息ができない。タオルで首を絞められている。イリーナは首とタオルの隙間に指を挟もうと藻掻いたが、タオルは凄まじい力で絞られ、突く隙間がない。


 胸元に修律士証を探す。が、エレクトラと同衾する際に、温めるのに邪魔だと思って外していたのを忘れていた。“ゼノン操水術”が使えない。焦りが虚血で増幅し、背後の襲撃者に力で訴えようと、無茶苦茶に暴れようとした。


 が、襲撃者はその場で丸まるように姿勢を低くし、イリーナを仰け反らせた。仰向けになるイリーナの背中に、襲撃者の肩が当たる。首を絞める力が何倍にも増してかかるのに対して、イリーナの足腰は力の入れどころを見失い、床を掻くばかりとなった。


 やがて、イリーナの手足はだらりと投げ出され、視界が段々と暗くなっていく。口から泡を噴き、普段の洗練されたたたずまいは見る影もなく乱れ、その意識は闇の底に落ちていった。


 気を失い、床に倒れたイリーナを、タオルを手にしたエレクトラが、真顔で見下ろしていた。

ここまでお読みくださり、ありがとうございます。


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ご感想・その他コメント、いつでもお待ちしています。「良かった」とかの一言でも、顔文字とかでも歓迎です。


次回をお楽しみにお待ちください。


SNSとか所属しているボドゲ製作サークルとか

X:@nantoka_gokker

  @gojinomi

booth:https://gojinomi.booth.pm/

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