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ヴァンパイア・イン・マタニティ  作者: ごっこまん
7.眠れる乙女

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25/36

7-3

 ミキは会堂に帰って一番に、玄関横の壁にかけてあるハンドベルを鷲掴みにした。


 会堂内は我が城とばかりに、やりすぎかというくらいベルを振り鳴らし、練り歩く。


「ジョゼーッ! イリーナーッ! 起きなさーい!」


 ベルがうるさい。二階に上がる途中、階段の踊り場に差しかかったところで、二人の部屋の方が騒がしくなった。


「やっべ、もうそんな時間か」「早くしましょう」「何だこれ」「それ私のです」「まじか、えっぐ……痛っ! おい、叩くこたないだろ!」「声が大きいです」


 二人のやり取りが丸聞こえだった。炙った黒パンの香ばしい香りも降りてくる。まどろみの中、ささやかな朝食にありついていたところを飛び起きて、身支度に駆けずり回る姿が、ありありと想像できた。


 やれやれ。と、ミキは引き返し、一階で待つこと数分。


 ジョゼ・ライクワラとイリーナ・コシノヴァ、髪型と服装の乱れた修律士二名が整列する。


 やましいことがあります。ご存じでしょう。罰があるなら可及的速やかにお願いします。そう顔に書いてある。ジョゼの頬には黒パンくずのお弁当。叱られるのを覚悟した面持ちだった。


 咳払い一つにビクッとする二人を、ミキは内心可愛らしく思いつつ、護律官の肩書に恥じないよう、かしこまった。


「おはようございます」


「おはようございます!」


 二人の声が揃う。護律の祈りを交わす。


「さて、昨日の“雲送リノ刻”ですが……」


「恐れながら教官殿」


「イリーナ。まあ、最後まで聞いてちょうだい。ええと、そう。村で事件があったので、お説教どころじゃありません。どこを失敗したか、見当はついているかと思います。なので各々、反省しておいてください」


 教え子たちが困惑し、顔を見合わせる。助かった。と思う間もなく、自分たちが知らない間に起きたという事件、その言葉の響きに不安を煽られたようだった。


「何があったんすか」恐る恐る、ジョゼが尋ねた。


 頬のパンくずを取るように、ミキが仕草する。話はそれからだ。


「二つあります」


 真剣な、しかし重すぎない面持ちで、ミキは二人に、旅人と、ブラダの陣痛のことを伝えた。


「姉ちゃんに陣痛すか⁉」ジョゼの声が裏返った。「も、ももも、もう生まれたんすか⁉」


「気が早いわねえ。ブラダさん、まだ本陣痛じゃないわよ。あれは相当かかるわね」


「あわわ……姪っ子すかね、甥っ子すかねえ……!」


 聞いちゃいないんだから。確か、妊娠検査のときも、こんな感じだったわよね。


 諸手を挙げて舞い上がる弟子に、ミキも現状を忘れてしまいそうだった。イリーナも普段の難しい顔が若干和らぎ、安産を祈っているとジョゼに伝えた。


 祝福が会堂の片隅を照らす中、ミキは表情を切り替える。火薬庫荒らし、旅人の来訪、出立、そして、乗り手を失って戻って来た馬たち。


 身内の不始末に冷や汗をかいて、ジョゼが萎んでいった。


「に、義兄さんが、とんだご迷惑を……」


(あー、そっか。どっちもジョゼの家族の話題だから、上げて落とす心労が全部ジョゼに向かっちゃう訳よね。話題の順番、考えたつもりだったけど、悪いことしちゃった)「それはともかく。二人とも、昨日の夜、崖崩れがあったらしいけれど、何か大きな音がしたとか、気づいたことって、ないかしら」


 弟子二人は水を被ったように静まった。


「崖崩れ……大きな音……」


 イリーナが反復するや、ハッとした教え子二人が再び顔を見合わせた。


「お師匠さん!」「教官殿!」「実は昨日!」


「ま、待って待って。一人ずつ話して」


 ジョゼとイリーナは、昨夜の騒音について報告する。


「二人でコケモモ食ってて……」


「えー! コケモモ良いなあ! ずるい! 私も欲しい!」


「お師匠さん……」


「ごめん。続けて」


 一部始終を聞き終えた。微かに眉をひそませ、ミキは思考が早まるのを制した。


「確かに爆発の音だったの?」


「今ではもう、そうとしか思えません」


「あの音は火薬っした」


 弟子二人の訴えが、真に迫っていた。確信が強まるにつれ、ミキの動悸も強まった。嫌な予感が、どんどん大きく膨らんでいく。


「禁域を見てくるわ」


 時間が惜しい。不測の事態に備えて、ミキは装備を整えながら、二人に告げた。


「ついでに“雲降ロシノ刻”もするから、あなたたちはここで待機しておいて。イリーナは、サラディン村に電話を。禁域内の調査は、私が先行すると伝えてちょうだい」


 サラディン村側の渓谷は、フロア開拓村側とは比較にならない急峻さを誇る。護律官が不在のサラディン村で調査を敢行するとは考えにくかったが、フロア開拓村側から何の音沙汰もなければ、不安を煽られた向こうに独断専行を許すかもしれない。現状、最も事態に近いミキたちでも全容が掴めていないのだ。向こうに介入を許せば、必要以上に問題が大きくなる恐れがある。


 念のため牽制しておくべきだろう。


 イリーナもそう理解しているはずだが、それでもちょっと顔をしかめた。


「サラディン村に、ですか」


 滅多に感情を出さないイリーナが嫌そうだった。気が進まないだろうとは、ミキも承知していた。“サラディン村”とぼかして言ったが、要するにコシノフ男爵に話を通せ、という意味である。


「たまにはお父さんに、元気な声を聞かせてあげなさい」


 更にいかめしい顔をするイリーナに、ミキは「ん?」と圧をかけた。イリーナがぎりぎり頷いたので、ミキは一瞬、頬を緩ませた。


 再び、真面目な調子に戻る。


「それと、夜明けまでに帰らなかったら、トラブったと考えてちょうだい」


 ミキ自身に何かあれば、そこが分かれ道だろう。そのタイミングを逃してまで、事態を穏便に解決しようなどと思い上がってはいけない。ここは厳しく戒めるべき点だと、ミキは考えた。


 一階礼拝堂の奥を延々と探った末に、教壇の裏に隠した剣を見つけ、鞘から抜く。鋼に鈍く、ミキの面差しが映る。使える。鞘に戻し、ベルトに帯びる。スタンドからタワーシールドを取る。前面にヒレの付いた、珍しい楯だった。


「で、そのときは、電話して。交換手に私の名前を伝えて、オクトモア本島支部の十年明(じゅうねんみょう)支部長に。そこ通して、近くの特務護律官(オケアニデス)に応援要請を。多分、協会本部に直訴するより速く動いてくれるか、ら……」


 せかせか動いて、「行ってきます」の段でミキが振り返ると、弟子たちは心細さと困惑と緊張がないまぜになった表情で、ミキを案じる視線を向けていた。


「やだねえ、万が一に備えてよ。そんな馬鹿正直に受け止めないでよ」


「それ、普通の剣ですよね」


 イリーナが目を思い切りしかめて、ミキに詰め寄る。「イリーナ、近い」「すみません。わざとじゃないんです」


「ジョゼも。おばさんになるんでしょ。この程度の仕事任されたくらいでうろたえないの」


「いえ、絶対に姉ちゃんって呼ばせるんで。譲れないんで」


 軽い雑談で弟子の緊張を解せたと見ると、ミキは頼りがいのある笑みを二人に向けた。


「すぐ帰るから、私の分もコケモモ残しといてよ?」


 師匠に隠れてお楽しみとは、悪い弟子どもめ。冗談めかして場が程よく和み、二人はこの場を預かるのに渋々納得して、ミキを見送った。


 ランプを手持ちから、ベルトに帯びさせる。


 ミキは禁域の境界へ向かった。


 朽ちかけた城壁、その門楼屋上に繋がる階段を登るのももどかしく、ミキはホルダーの瓶から水を撒き、おもむろにタワーシールドに乗った。


 ヒレのある面を下にし、“ゼノン操水術”で集めた水球に浮かべる。水球は、ミキが指をクイッと上げると、それに合わせて間欠泉のように垂直に噴出し、シールドごとミキを上空に飛ばした。


 見る見る城壁がミキの下へ、滝のように流れていく。あっと言う間に門楼の屋上を見下ろす高さに到達する。中空でシールドから降りて、慣れた仕草で手に持ち替え、屋上に着地する。上昇に使った水を数枚のレンズに変え、焦点を調整しつつ、崖の中腹、村の秘密の抜け道の辺りを注視する。


 暗闇の中、景色は不明瞭。よく目を凝らし、やっと崩落の跡らしきものを見つけた。


 城壁を跳び降り、禁域へ入る。壁の向こうに水で斜面を作り、ミキは楯で波に乗って下る。


 着地した先は、霧煙る森と廃墟の世界だ。


 ブーツのくるぶしの下あたりにまで、浅く水が張っている。


(ここに来るのも久し振りよね)


 確か、先任の護律官に案内されて以来か。懐かしんでいる場合ではないが、ミキの一歩が浅瀬に引く波のように、危機感とは別の感情も潜んでいた。


 視界を遮る霧を凝結して雨粒を作る。雨粒が浅瀬を打つ音の向こうから、晴れて懐かしい風景が開けた。


 樹々は根腐れ、立ち枯れているものも見られたが、代わりに水草が繁生し、足に絡みつく。昔に見た禁域の景色とほとんど変わらない。廃墟の様子も記憶と同じだ。遺構と街路の位置関係は身体で覚えている。


 だが、廃都市は古びれて、気のせいか、初めて案内されたときよりも、いや増して静かである。住居、商店、倉庫、集会所、目にする全てに「推定」の枕を置き、「跡」の下駄を履かせながら、死んだ街中を捜索する。


 晴れた景色に、崖崩れの後を仰ぎながら、おおよその位置を割り出していく。


「あそこって、確か……」


 この道はよく覚えている。このまま真っ直ぐ進むと廃聖堂がある。そこは天井も崩落するほど風化した建物だが、その崩落から奇跡的に免れた、それはそれは見事なピエタ像が安置されている廃墟だ。


 自然の浸食と、朽ちてゆく文明との狭間に、石膏の白が神秘的にたたずむ。その光景は、ミキの記憶に焼きついている。


 ピエタ像との遭遇は、フロア開拓村赴任時に、心が洗われた体験の一つだ。


(サンタ)マトゥリ様、どうか」


 ミキは胸の護律官証を握り、聖女の名を唱えた。どうか、御身が災厄を免れたように、旅人たちの厄難を取り除いてくださいますように。あのピエタ像は、マトゥリよりもっと古い聖母であると、先任者から説明されてはいた。だが、他に祈る名を知らないミキは、旅人の無事を、護律の聖女に託すしかなかった。


「――」


 浅瀬の藻を足の甲で切っていく内に、何かの旋律を耳にした。


 人の声だ。


 女の声で、物悲し気な子守歌のハミングが、かそけく紡がれている。


 ミキは身構えた。ここは禁足地である。奇跡的に遭難者が存命していれば救助するつもりだったが、あの高所から滑落していながら、紡がれるハミングは寒気を覚えるほどに美しく、とても要救助者の歌声には聞こえない。


 この世のものとは思えなかった。


 剣を抜き、ミキは慎重に歌声の下へ行く。丁度、崩落現場と見立てた方角と重なっていた。


 崩落現場に到着すると、歌声の悲哀が、より鮮明となった。


 ここはよく覚えている。廃聖堂だ。くすんだ白の聖母像が打ち捨てられていて、物悲しい場所だった。


 アーチが崩れて、もはや壁の隙間と化した入り口を跨ぐと、記憶よりも荒れた堂内が目に入る。その前に、人影が目に留まった。


 ミキが、閃くように剣を構える。


「ゆっくり振り向いて。あなたは誰?」


 冷静に、しかし力強く、ミキは警告の意をこめて、問い質す。


 歌声が途切れる。


 崩れた聖母像を見上げていた人影は、のんびりと、夢見るようにミキの方へ振り返った。


 降雪により薄くなった雲間から月光が差していた。淡く冷たい光が、水鏡に立つその女の白を、夜闇から際立たせる。


 記憶より荒廃した廃聖堂の、血汚れた見返り乙女。


 ミキが思わず息を呑む、暗い色香を伴って。


「あなた……エレクトラ?」


 酒場で一目見た記憶からだけで、ミキ自身もよく気づけたものだと思った。


 空気のように澄んだ気配こそ同じだが、一晩の間に、エレクトラは明らかに擦れた印象に変わり果てていた。特にその流し目に中てられると、それなりに荒事をこなしてきたと自負するミキですらたじろぐほどだ。瞳に鋭く、射竦める激情が秘められているようである。


 エレクトラの、血糊で固まった髪束が、首の傾きと自重に寄せられて、柳の枝のようになびいた。


 月影が叢雲に隠れるまで、対峙していただろうか。


「ねえ、あなた、大丈夫?」


 ミキが剣の切っ先を下げた。エレクトラは見るからに災難に見舞われた後だった。服はズタズタに裂け、肌が露出している部分さえあった。服に血が付着している。その割に、傷らしい傷はほとんど目につかず、自力で立てるくらいには軽傷らしい。


 だが、目は虚ろ。視線は泳ぎ、目蓋は今にも閉じそうだった。


「……――」


 一瞬、彼女が妖しく微笑んだように見えて、ミキに何故か鳥肌が立つ。何かが異質だった。何故、以前に会った気がしたのだろう。無意識下で、酒場で感じた既視感が掻き消えた。


 次の瞬間、エレクトラは操り糸が切れたように、膝から崩れて水面に倒れた。水飛沫を上げ、顔面を半分、水草の揺蕩う中に投げ出した。


「ね、ねえ! ちょっとねえ、あなた! エレクトラ! しっかりして!」


 剣をすり落とし、ミキは倒れたエレクトラへ駆け、抱き起す。エレクトラはぐったりとし、水を吸った服がまとわりついて重く、冷たくなっていた。


 呼吸が浅い。酷く消耗している。


 一も二もなく、とにかく体温の低下を防がなければならない。濡れた衣服に触れ、“ゼノン操水術”で脱水する。ミキは上着を脱いで、衣服に残った温もりを逃さない内に、エレクトラを包む。


 気絶しているエレクトラを何とか背負い立つ。


 人影がないか、首を巡らせて、周囲を探る。


 ミキは、腹の底から声を張る。


「アルデンスさんでしたっけ!? いたら返事をください! エレクトラさんが大変です! 私はフロア開拓村の地方護律官、ミキ・ソーマです! 動けないなら助けます! 返事をください!」


 廃都市の枯れた営みに、空しくミキの声が響く。夜明け前の風の音のみが、届くばかりだった。


 アルデンスを探す時間はない。その間にもエレクトラは寒さで衰弱してしまう。それに今、見つかったところで、二人一緒に運ぶのは難しかった。


 ミキは苦々しく、奥歯を噛んだ。


「エレクトラさんは保護しました! お先に安全な場所に移します! 必ず戻りますから、……これが聞こえているなら、しばらく耐えてください!」


 タワーシールドに足をかけ、起こした波に乗って、あらゆる障害物を易々と強行突破していく。


 波が廃聖堂の壁を反響し、余波が隅々まで伝わった。顔が崩れ、見るも哀れな姿となったピエタ像の土台の裏で、横たわる人影が水面に揺れる。


 それは、エレクトラの死を確かめに降りた、追手の変わり果てた姿だった。


 顔の覆いは払われていた。血とリンパと、少々の細胞液を抜かれ、干からびた形相は、悪魔に遭ったかのように乾き固められていた。


 亡骸は、骨壺を抱くように、切断された自らの首を抱えさせられていた。

ここまでお読みくださり、ありがとうございます。

エレクトラが口ずさんでいる「物悲し気な子守歌」とは、Janne Da Arcというバンドの「風にのって」というナンバーをイメージしています。

2004年12月26日に発生したスマトラ島沖地震の犠牲者を追悼する歌だと聞きました。非常に良い歌です。

YouTubeにアートトラックというサービスがあり、YouTubeミュージックと連動し、アーティスト本人に収益還元される形で投稿された動画があります。そちらでご視聴いただけますので、是非一度、聞いてみてください。

https://www.youtube.com/watch?v=8IrkgjMHTvk


いいね・ブクマ・評価、どれかポチッとしてもらえると嬉しいです。

ご感想・その他コメント、いつでもお待ちしています。「良かった」とかの一言でも、顔文字とかでも歓迎です。


次回をお楽しみにお待ちください。


SNSとか所属しているボドゲ製作サークルとか

X:@nantoka_gokker

  @gojinomi

booth:https://gojinomi.booth.pm/

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