7-2
防寒は万全。ランプを忘れずに、ミキは酒場を出た。
玄関を一歩出た途端、寒風に二日酔いの火照りが洗われた。吐く息で霜化粧するまつ毛。ふるふると身震いを一つ、反面「割と温かいわね」と、身体の訴えとは真逆の感想が浮かんだ。腹に収めた粥の温もりが心強い。満足した腹を、しかし、まだ酔いもさざめく腹の機嫌を伺うようにさする。マフラーを、口を覆うように整える。
夜明け前の村は、とっぷりと暗闇に包まれていた。ランプの光のおかげで、夜明け前の底がやっと白くなった。村長宅前の道では、雪が雑多な足跡に踏み固められ、その上を新雪の紗が降りていた。
その暗がりの遠く先で、ランプの光が一つ、揺れていた。
野良仕事に精を出すには、まだ時季が早い。ミキは試しにランプを掲げ、大きく弧を描くように振ってみた。すると、少し遅れて遠くの光も同じようにして応える。
(こんな時間に、誰かしら?)
光は丁度、ミキの行き先で揺らいでいた。
禁域への道を進むと、闇の中の姿を光が暴き、グランティが二頭の馬を引いて現れた。
見ない馬ね。
「お早いですね。サー・グラン……」
「おはようございます」食ってかかるような挨拶だった。「護律官。“雲降ロシ”ですね。馬をお使いください。道中、お話があります」
グランティの淡々とした口調の裏に、切迫が含まれていた。見れば、引かれている馬はどちらも、馬具をしっかり備えている。時刻といい装いといい、とても帰厩の途中には見えなかった。
軽く挨拶を交わすつもりだった気安い心を、ミキは引き締め、即座に鐙へ足をかけた。
「火薬庫荒らしの件は聞きました。ご負担をおかけしてすみません。その件ですか?」
グランティと馬を並べ、護律協会へ向かう。グランティは進路をミキの馬に任せ、肯うとも否むともつかず、ミキに顔を向けた。
「昨夜、禁域方面で、何か大きな音が聞こえたと、狗人が」
行方を案じていた火薬が今、頭の隅で取り返しのつかない弾け方をした。
「まさか爆発ですか」
グランティは首を横に振る。
「“雲送リ”の間、渓谷は風下です。狗人からは、崖崩れにしては妙な音だった、としか」
「音はしたけれど、臭いは嗅いでいないから、確証がない、ですか。……でも」
ミキもグランティも、揺らぐ灯りの中にいて、ともに確信の固い目をしていた。
その目を、ふとグランティは曇らせ、いたたまれなさそうに一度、視線を逸らした。
「旅人に、抜け道を教えました」
「そう……え? 何て?」
遅れて耳を疑ったミキに構わず、グランティはアイラとラライの関わりを伏せ、事の顛末を伝える。人命にかかわると告げられ、止めるに止められなかったことを。そして、ミキに道を教える許可を、一応形だけでも取ったことを。
腹底から逆流しそうな昨夜の宴を、盛大な溜め息に変えて、ミキは何とかいなした。鼻腔を酒臭さがガヤガヤと連れ立って、呼気が白く、朝前の空に還っていく。余りの酒臭さに、ミキの乗る馬が唇を裏返し、前歯を剝き出しにした。
「グランティさあー……それズルいってえ……」
宿酔を堪えるように、ミキは頭を抱えて、とつとつと恨み節を吟じた。
「言ったよねえ……へべれけになっても飲む私が断然悪いんだけど……そうなった私に、真面目な話を持って来ないで、ってさあ……」
「申し訳ないです。緊急だったもので」
「わかるわよ? わかるけど……。ああ……。多少お酒が入った方が、本音とか忌憚のない意見が出るとか言ってさあ……あえてお酒の席で大事な話をする人いるけどさあ……お酒が言わせるのって、本音でも忌憚のない意見でもなくてさあ……それまで組み立てた色んな前提ガン無視の我欲か……そもそも何の話かも忘れて、ポロッと口から出ちゃっただけの世迷言かくらいって言うかあ……とにかくダメなのよう……」
何の話だよ。面倒な酒臭さを察知し、グランティは聞き流すことにした。
「同意します」
「何が『同意します』よ。澄ましちゃって。本当にわかってんのかね、君」
酔いの戻りに絡み酒であった。頭を抱えたせいで、肩から下に溜まっていた酒精が、頭に来ていた。
「はい。わかりました」
「君、誓って本当かね」
「誓って本当です。それより、馬が怖がって止まってしまいます」
「むう」
ミキの口がすぼまった。言われてみれば、馬は禁域へ行くにつれて御し難く、なだめても前進をためらうようになっていた。酔いの熱にまどろむ両頬を、ミキはパシッと叩いて、胸に霜を降ろすような深呼吸をした。
「で、旅人は抜け道に行ったから、火薬庫荒らしの容疑から外れるって訳ですか」
グランティの返事は、いい加減だった。「ここにいると、人が死にます……」代わりに、グランティの呟きが、不穏に響いた。
「何、それ?」
「旅人が強引に出立した理由、だと思います」
グランティが馬を転回させ、止めた。ミキが馬を止めるのを認めて、順を追って説明する、と置く。
「旅人を見送った手前、火薬の紛失、崖崩れと立て続けに起きて、昨日は眠れませんでした――」
本当は、すぐにでも旅人の安否を確かめに向かいたかったというグランティ。しかし、崖が崩れた直後で不安定な現場へ、迂闊に足を踏み入れれば、二次災害に遭う恐れがある。事情が事情であるため、村人の応援は見込めない。
もしも二人が無事なら、あれだけ念入りに言い含めたのだ。必ず戻って来る。
だが、もしも、戻って来れないのなら。
グランティは逸る気持ちを自制し、未明頃を待って、抜け道を覗くことにした。
「ご承知の通り、彼らは戻っていません。狗人たちに、崖の崩落以降、禁域に異変がないことを確認した上で、今しがた、抜け道の様子を見に行ったところです」
「どうでしたか」
「この二頭だけが、見つかりました」
グランティは馬の首をしっかり撫でた。
「旅人の馬です」
「え、それじゃあ……」
昨晩に起きた一連の事件が、否が応でも結びつく。
「ちょっと、何てもんに乗せてくれてんですか⁉」
ミキの狼狽に中てられたか、馬がそわそわするのをなだめる間に、グランティが言う。
「ソーマ護律官、率直に申しまして、気が気でありません。禁域に近づくだけで、この怯えよう。それに、彼らの言い残した言葉。この先で何かあったに決まっています」
「護律協会として! ……何かあったじゃ、困るんですけど」
「軽率だったと反省しています。お詫びも申し上げます。自分で蒔いた種ですから、できることなら俺自身で解決したいと思ってはいます。ですが、禁域内部のことは、俺の裁量を遥かに超えた問題です。ソーマ護律官のお力をお借りする他、ありません。どのような形でも責任を受け入れます。どうか、彼らを」
グランティは深々と首を垂れて、きつく祈り手を組んだ。
昨夜の美酒の苦味が、今頃になって口腔を焼く心地に苛まれながら、ミキはじっくりとその苦味に慣らす顔で唸った。答えは決まっている。清算するのが嫌なだけで。
酒臭い溜め息が、ぼはぁと出る。ミキは馬を降りた。
「旅人二人の人相と服装は?」
グランティが顔を上げるのを待つ。
「……軽率だったのは私も同じです。話はわかりました。護律協会の名の下に、本件は本官が預かります。最善を尽くしましょう」
「ありがとうございます……!」グランティは旅人の特徴を伝えた。「ご厚情、どうお礼を申し上げれば良いか」
「それなら、サー・グランティも最善を尽くしてください」
「俺の、最善?」
ミキが爆発した。
「まず、今すぐブラダさんの傍に戻りなさい! 今何時だと思ってんですか⁉ どういう事情であれ、身重のご夫人をほったらかしだなんて信じらんない! 本ッ当、騎士様って良いご身分ですよね!」
ほったらかし……良いご身分……? 異議を咆えかかるグランティだったが、鼻先にビッと突かれた指で、声が喉下に引っこんでしまった。
「それから、立派なパパになってください」
諭す調子でそう切り出されると、グランティは弱かった。
グランティに馬を預け、それぞれ、目的地へ向けて別れた。
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