7-1
人の気配がした。目が覚めると、酒場の灯りが消されていた。真っ暗なホールに、スタッフスペースから灯りが漏れている。
ミキ・ソーマは、眠気の泥を拭い落とすように、のっそり身体を起こした。
いつの間にか酔い潰れて眠ってしまっていたらしい。
支え腕に柔らかな感触、クッション。誰かがかけてくれた布団や毛布がずり落ち、酒場の寒さに身震いする。だが、暖炉の前、敷物の上で寝かされたおかげで、凍えるほどではない。
暖炉では、薪に熾火の赤が浮かんでは沈む。
生きているかのような熾火の浮沈を眺めながら、ミキは毛布を肩まで持ち上げ、眠気が抜けるのを待つ。
毛布の坂をころんと滑る物があった。拾ってみると、それはぬいぐるみであった。ボタン目、毛糸髪、端布のパッチワークを着た女の子のぬいぐるみだ。
村の子の誰かが、寝落ちたミキを憐れんで、せめて眠りが寂しくないように、心を尽くして宝物を置いてくれたのだろう。
ふっ、と微笑みたい。しかし、ミキは笑えなかった。笑えないのは酒が悪い。頭が重いし、ガンガンと痛みが来る。腕で支えていないと首が座らない。咽頭のすぐ下で、ちゃぷちゃぷと液体が悪さしている気配がする。
そうしてぐだぐだしていると、隣で一緒に寝ていた固いものに腿が当たり、ごろんと転がった。同衾の相手は、何の酒が入っていたかもわからない空樽だった。
閑散とした酒場に、空樽の転がる音が、うなされているように響く。
「あ゙~、まーたやっちゃったあ~……気持ち悪~……」
自己嫌悪に陥るミキに、床を軋ませ、誰かの足音が近づいた。
「おはよう。もうそろそろ起きる頃だと思っていたわ。ちゃんと眠れたかしらね、ソーマさん」
うだるような宿酔に、気遣わしげな声が響いた。バーレイ村長の母親、ベア婆さんである。
「ごめんねえ。ちゃんとしたところで寝かせてあげたかったんだけれど。……まあ、何て酷いお顔。せっかく器量が良いんだから、しゃんとなさいね。お顔を洗っておいで」
二日酔いでそれどころではない。
「無理ぃ」
「仕方のない子だねえ。ならほら、こっちにお座り」
ミキは促されるまま、重い体でのたうつようにやっと立ち、温かな布団には代わりにぬいぐるみを寝かせておいた。ベア婆さんのランプに誘われるまま、テーブルに着く。
ベア婆さんは給仕トレイから、なみなみ汲んだ水差しとジョッキを、起き抜けのミキに差し出した。
「さ、お飲みなさいな」
「ありがと~……ベアのおばあちゃん大好き~……」
ミキはジョッキを持つのも億劫とばかりに指を振る。“ゼノン操水術”に従って、ジョッキの水が蛇のように動き出し、ちゅるちゅるとミキの口へ飲まれにいった。
「これ、お行儀良くおしよ」
と叱ったところで、二日酔いでぼんやりしたミキに効く訳はなく「うちの護律官様は困ったお方なんだからねえ」と、仕方なさそうに呆れ笑い、温め直した蕎麦粥を配膳した。
まだ夜の明けない内に、卓上ランプの光に浮かぶ、湯気立つ粥の温かそうなこと。
「わ~、ご馳走だ~。いただきま~す」
ジョッキ二杯分の水を吸って人心地ついたミキは、早速スプーンで一口含んだ。フロア開拓村で穫れたソバの実が、噛めば噛むほど香り豊かで、もちゃもちょと歯に楽しい食感を出している。野菜屑や骨を継ぎ足し煮込んだ出汁も滋味深い。
「おいし……」
頬を上気させて手料理を食べるミキを前にすると、ベア婆さんは身だしなみや作法についてとやかく言う気を失くしてしまったようだ。ミキの幸せそうな食べ方を見守って、落ち着くのを待った。
滋養が入って、酔いはともかく、ミキはすっかり目が覚めた。冴えた頭で、昨晩の寝床を気まずそうに見やり、ベア婆さんに心の底から頭を下げる。
「すみません。毎度ご迷惑を」
「水臭いことを言わんどくれ。それにもう、毎度、半分諦めてるからねえ」
「ベアおばあさーん……」
そりゃないでしょう。を全身脱力で表現するミキ。ベア婆さんはくすくす笑ってから、居住まいを正した。
「日が昇る前に、引継ぎ済ましちまおうね」
ベア婆さんから、ミキが休んでいる間の話を共有してもらう。就寝中に分娩が一件、どちらも村人、経産婦のスピード出産。母子ともに健康。ミキは心底「酔いどれてすんません……」とテーブルに額をこすりつけた。
「もう良いから」と、ベア婆さんも慣れたもので、引継ぎを続ける。
慣れられている。ミキは情けなさを堪えて、ずっと気がかりだったことを口にした。
「シャクルトンさんのご夫婦は、まだなんですか?」
ベア婆さんは、渋い顔で、首を横に振った。
「連絡が来ないのよ。昨日の郵便にも無くってねえ……あ、そうそう、これは別で、協会からの手紙ね」
手紙を受け取りつつ、ミキは表情を曇らせた。
「村から出した遣いからもですか?」
ベア婆さんが神妙に頷く。
「そうですか……。せめて、ご無事でいらっしゃれば良いんですが……」
「ひょっとしたら、ロア村あたりで道に迷っているのかもしれないねえ」
ベア婆さんの指摘に、ミキは少し考えた。
ロア村は、黒い森の奥にある、林業と狩猟採集で生活する小さな村だ。シャクルトン夫妻の住まいから見れば、ロア村を通ってフロア開拓村を目指せば確かに近道になる。だが、ロア村周辺は樹々が密生しているため、森に慣れた者でさえ時には遭難する、難所でもあった。
まさか、妊婦を連れて、危険な近道を選ぶとは、ミキには思えなかった。
だが、あり得ないと決めつけているからこそ、ロア村方面に遣いは出していなかった。シャクルトン夫妻と会えずにいる理由に、一応の説明はつく。
「もう一組、ロア村方面に遣いに出しましょう。ジョゼかイリーナに声をかけてみます。ブラダさんの様子は」
ブラダ・スペイバーンの陣痛は、やっと二回目を迎えたが、もう治まっている。
「長くなりそうですね、ブラダさん……」
「私らが気を揉んだってしょうがないさ。私らは、来るべき時に備えておくだけさね」
頷き、ミキは思い出した。
「そう言えば、ブラダさんを助けてくださった、旅の方たちは?」
ベア婆さんが、少しだけ顔を曇らせた。「それがね……」
ミキは旅人の名前を、そこで初めて知った。アルデンスとエレクトラ・ブラン。二人は何も告げずに、荷物を残して忽然と姿を消してしまったという。
「何でそんな急に……」
二人して、首を捻る。
「旅の方たちの行方について、サー・グランティや、お孫さんは、何と?」
グランティはともかく、アイラが何故今出て来るのか全くピンと来ない様子で、ベア婆さんは眉をひそめた。
「階段から、二人の姿を見たんです。旅の方たちを引き留めていたみたいで……」
「……そう言えばあの子、夕べは妙にそわそわしていたね。ブラダのことで、虫が騒いだんだとばかり思っていたのだけれど……ごめんなさいね。何も知らないわ」
「お孫さんに聞いておいてもらっても、よろしいですか?」
「構わないけれど、ひょっとしたら、サー・グランティの方が詳しいんじゃないかしら」
「何か心当たりが?」
「それがね……」
旅人の急な出立と時を同じくして、火薬庫が荒らされたことが発覚した。
村でも早合点な衆が、この二件を安直に結びつけて、彼らが火薬を盗んだという噂が流れる寸前だったらしい。
「まあ、サー・グランティの機転のおかげで、噂になる前に、犯人の目星はついたようだけどね」
「誰だったんですか」
「昨日の晩、飛脚の翼人が来ていたろう」
アルコールと一緒に記憶が蒸発したのか、ミキには全く心当たりがなかった。頭を掻いて笑って誤魔化し、首を傾げる。頼りない護律官の面倒を見るのが、老いを早めていやしないかと訝りながら、ベア婆さんは説明してやった。
「狗人の子がね、火薬庫にその翼人の臭いが残ってたってさ」
グランティの要請に応じ、捜査に協力した狗人は、村に滞在中の複数の氏族から選出された。亜人の嗅覚のみに頼ってしまうと、万が一に嘘をつかれたとき、人間には正誤の判断がつかない。そこで、村の人間と二人一組で捜査してもらい、臭いの正体をペアの者にのみ伝える。その後、村人で答え合わせをする、という寸法だ。
犯人像は、見事に一致した。
羽のような物証は無い。だが、フクロウの翼人だと言われると、確かにそれを裏付けられそうな痕跡が残っていた。破壊された火薬庫の扉には、平行する線が複数刻まれており、鉤爪による疵にも見えたのだ。
(騎士グランティも、もう伊達じゃないわね)
普通ならば、多種族間の折衝は、護律協会の仕事である。護律官や修律士抜きで、それだけ働けるのは、グランティの腕が良い証拠だ。肩書だけの騎士を揶揄する意味で、村人がふざけてつけた“サー”の敬称も、今や心からの尊敬がこめられていた。
けれど「それでどうして、サー・グランティが、旅の方たちに詳しいと?」
「旅人が火薬庫荒らしと疑われかけた、って言ったでしょう。サー・グランティったら、『それだけは絶対にない』って、血相変えて庇ったらしいのよ」
だから一夜明けない内に犯人を掴んだのか。ミキは内心納得した。だが、グランティが旅人を庇う動機は、グランティの私情で説明できる。
「ブラダさんと、お腹の子の恩人だからじゃ」
「そりゃ義理堅い子だけれど、義理堅いだけにねえ」ベア婆さんが頬に手を当て、首を捻る。「一期一会の恩ってだけだとね、どうにも、あの子らしくない気がするのよねえ」
僅かな沈黙。確かに、グランティの性格なら、旅人にも疑いの目を向けているだろう。家族を助けてくれた恩はあったとしても、私情と事件は割り切るはずだ。
何か、知っているのだろうか。ミキは思う。
もっとも、アイラであれ、グランティであれ、旅人の事情をどれだけ知っているかは、聞いてみなければ始まらない。ミキはベア婆さんに二人への聞き取りを任せて、話を変えた。
「そもそも、飛脚の方は、何のために火薬なんかを盗んだんでしょう」
そこがミキには疑問だった。火薬の使用は、特殊な禁域の事情が絡んでいる。旧ヘルシング領周辺以外では用が限られる物を、誰が欲しがるのだろうか。
一応、禁域以外でも火薬が使われることはある。鉱夫か、採石夫か、鉱山持ちの領主に売る可能性が、あるにはある。なら何故、わざわざこんな僻地から盗むのか。
「さて、ねえ……」
ベア婆さんは勿論、ミキにも全く思い当たる節がなかった。ベア婆さんが続ける。
「犯人がわかる前なんだけれども、サー・グランティは、この家に隠したと疑っていたようだわ」
「ここにですか?」
理屈が飛躍しすぎていて、ミキは耳を疑った。
「この家の中も外も、狗人に臭いを追わせていたらしいの」
幸い、グランティの疑念は杞憂に終わったという。
昨晩は人が集まっていた。そこに火薬を結びつける発想。ぞっとしない話だ。
「そりゃまた、物騒な……どうしてそんな」
「火薬は危ないじゃない。あんたも酔ってて使い物にならなかったし、ピリピリしてたのかもねえ」
(本っ当に申し訳ない)
酒を減らそうと思っても、断酒だけは選択肢にも上がらないミキであった。せめて、ブラダの出産はできる限り手厚く当たるようにしよう。
「火薬庫荒らしの件、今はどうなっています?」
「コシノフ卿に被害届を出すことになったよ。ローヤルマドラス飛脚を訴える方向でね。卿好みの、元手がかからないすぎわいだもの。きっと速達より速いでしょうよ」
「火薬の行方は……さすがにわかりませんよね?」
「まあ、空を飛ばれちゃ難しいわよね。狗人たちに火薬の臭いを追ってもらえるのなら、とっ捕まえても良かったのだけれど」
危険物が行方不明のまま。尋ねなくてもわかってはいたが、改めて人の口から聞かされると、冗談ではない。
「私からも修律士たちに注意を促しておきます」
不安が残るが、今はコシノフ男爵が解決してくれることに期待するしかない。
それ以上、連絡すべきことがないと確認し、ミキは冷めた蕎麦粥を一息に掻きこんで、「ご馳走様」と席を立った。
「それじゃあ、そろそろ“雲降ロシノ刻”に向かいます。ベアさんは、お孫さんが起きたら、旅人のことを聞いておいてもらえますか。できれば、サー・グランティにも。日の出頃には戻りますから、何か聞き出せたなら、そのとき教えてください。またしばらく、この場をお任せしますね」
幸多き水が巡らんことを。ミキはベア婆さんに、護律の祈りを捧げた。両掌を額につけ、顔から胸にかけて拭うように落とし、みぞおちから水を掻くように両手で円を描き、一周させた両手で祈り手を結び、胸の前まで上げる。雨が降り、川を流れ、海に至って空に還る。水の巡る過程を模した祈りは、護律協会の精神の体現である。
忙しいとき、手が離せないとき、つい忘れがちになるが、ベア婆さんとのミーティングの締めでは、一度も忘れたことがない。
「行ってらっしゃい」
ベア婆さんも、しわがれた手で、流麗に祈りを返してくれた。
「あ、それから」
ミキの眠りを見守ってくれたぬいぐるみに、何か礼をして欲しい。ベア婆さんにそう告げて、ミキは外出の支度にかかった。
その後、ぬいぐるみには酒場で一番良い席と、色布を白布で挟んだサンドイッチが供されたという。
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