6-2
数刻後、頭を抱えたグランティが、旅人二人のもとへ戻った。
「アルデンス」
グランティは、使い古されたフード付きローブを投げ渡した。
「この雪だ。頭は冷やさない方が良い」
「これはご丁寧に。……あの、どうかされました?」
アルデンスから見て、浮かない顔色だった。旅人にかける言葉を探しあぐねている。
「我が村の護律官殿は、お酒を召されてベロベロであらせられた――」
そもそもグランティには、旅人へ道を教えるつもりなどなかった。
武器をちらつかせ、強硬に村を発とうとする。しかも、出立する目的もあやふやだ。どう考えても正気ではない。
正気ではないが、グランティにとっての旅人たちは、同時に大恩のある二人でもあった。
一方で、グランティは仮にも村の平和を担う騎士である。騎士であるからには、旅人に恨みを買ってでも、強行軍を諦めさせる責務があった。結果的に、その方が旅人たちのためになる。その確信もあって、引き留める意志は固かった。
ただし、なまじ恩義があるために手荒な真似は気が引けた。村総出で一騒動起こすのも避けたい。が、一方で、説得は見込み薄ときた。
ならば、答えは一つだ。
村の最高権威にお出まし願う。
「お父さん、新しい手配書ある?」
グランティたちが酒場へ戻るなり、別れたアイラがカウンターに就いた村長に尋ねた。村長は、何のこともないとばかりに、
「いつものところに置いてあるから、見たいなら好きにしなさい」
と、アイラをカウンター裏に回らせた。カウンター下のスペースにアイラの姿が消えると、ペラペラと紙面を検める音が立ち始めた。
後からカウンターに着いたグランティが注文した。
「見張り番」
村長は蜂蜜酒を少な目に注ぎ、ジョッキの内側全面を酒で濡らすようにくゆらせ、縁を少し濡らして、グランティに渡した。飲む気がないのは、村長も承知していた。見かけがあたかも飲みかけのジョッキは、グランティが考案した裏メニューであり、すっかり温まった酒場で、呼び止められないように練り歩く口実でもあった。
飲みかけの見せかけジョッキで適当に乾杯すると、飲んだくれどもが気を良くし、道を空けてくれる。
ソーマ護律官の姿を探す。柔和な人格者の姿から村人は忘れがちだが、彼女は護律官――協会学院を修了した有資格者である。水を操る力の前には、旅人がどれだけ頑固であろうとも、コロッと態度を変えるに違いない。
壁掛け、卓上、あらゆる場所に灯された、ランプや燭台の薄暗がりに、一際目を引く白装束が浮かび上がる。
「ソーマ護律官……あ」
グランティの呼びかけに、真っ赤な蕩け顔がふらふらと振り返る。普段は柔和な人格者で知られる女だが、その目は、何者かを殺めたような形に据わっていた。
「あん? 何れすティ?」
いや「あん?」て。「何ですか、サー・グランティ」に、そんな無法な略し方があったとは。
グランティが愕然としていると、見る影もなくなったミキ・ソーマ護律官が、怪訝な眼差しを向けた。咄嗟にグランティは「お疲れ様です」とジョッキを差し出す。すると、泥酔の良いんだか悪いんだかわからない気分なりに、ソーマ護律官は朗らかに釣られて「おちゅかさーんしゅ」と、顔より大きなジョッキを掲げ返す。
(でき上がっちまってる……)
少し目を離している間に、ここまで酔っているとは……。みんな、飲ませすぎだ。
いや、村でも屈指のうわばみ、ミキ・ソーマなら、こうなっていてもおかしくはない。おかしくはないのだが、よりにもよって今か。グランティは眉間にしわを寄せ、きつく瞑目した。
「ぷひゃ~! おかわり!」
ジョッキ満杯の酒が、一息で空っぽになった。呂律が回らない癖して、酒の催促だけ流暢である。
(身体壊すって)
こうなると、ソーマ護律官の抑止力は期待できなかった。下手に交渉材料にすると、“ゼノン操水術”が何をきっかけに暴発するか、わかったものではない。
運命が、ソーマ護律官の口を借りて、ヘラヘラと嘲笑っているようだ。
グランティは、諦めた。旅人への好意と、村人の感情と、騎士としての責務の妥協点が、一気に崩れてしまった。
情緒を締め出す。厄介な状況に対処するだけの機械と化して、周囲の目を気にしながら、ソーマ護律官に耳打ちする。
「あの、旅人が火急の用と申してまして……」
「んお? そーれふか」しゃっくり。「大変」
「それで、あの……禁域、というか例の抜け道をですね、教えても……?」
「ンなぁーにぃー……?」
さすがに聞き捨てならないと、ソーマ護律官は肩を怒らせた。柄を悪く、上目でグランティを睨みつける。酒臭く、荒い鼻息が、グランティの前髪を揺らした。
が、グランティはさも無造作を装ってジョッキを上げ、そのすくみ上がるような視線を遮った。
ソーマ護律官の目がジョッキの肌に、耳が酒の波打つ音に、釘づけになる。
生唾を呑む音が、グランティにも聞こえた気がした。
「禁酒中なんで、代わりに飲んでくれます? オッケー?」
「んオッケー!」
ソーマ護律官は、まるで贈り物をもらった子どものように嬉々として、ジョッキをかっさらった。
「じゃ、例の件もオッケーですね」
「例ぬぉ~……?」何もわからない顔。わかるのは酒をもらったことだけ。
「お酒飲んでくれるんですもんね」
「んオッケー! 任せんしゃーい! 騎士しゃんを困らせる悪いぽ酒めぇ! 成敗しちぇっちぇーいぞぉ! 騎士しゃんの施しにぃ、乾杯!」
どうなってんだこの人の酒癖。
知性が酒樽の底に叩き落とされたとしか思えない密談が、乾杯の音頭の裏に隠される。チンピラが因縁をつけるかの如き乾杯の音頭の裏に。
そして、今。厩舎で旅人に説明するに至る。
「――が、言質は取った」取ったことにしよう。「俺が道を教えてやる。ついて来い」
グランティは開き直った。
グランティが馬引き役を買い、アルデンスとエレクトラを導く。
フロア開拓村を流れるチェイス川。川沿いを遡ると、護律会堂に突き当たり、更にその奥を行くと渓谷、廃都市に至る。
グランティによると、そこは護律協会の定める禁域だという。
「これから案内する道は、普通の禁域よりも安全だと思う。だが、それでも護律協会が警戒する場所だ。くれぐれも早まった真似はするんじゃないぞ」
案内道中の雑談代わりだった。霊髄が隆起した土地じゃないのかとアルデンスが尋ねたが、グランティは否定した。
「渓谷自体は半地変で隆起した断層地帯だ」
「そうか、やはり……道理で地図と違う……」
腑に落ちた様子のアルデンスに、グランティは頷く。
半地変、文字通り地図が塗り替わる規模の大災害から、たかだか十数年しか経っていない。各領地は主要な街道の整備とその周知に追われて、辺境の地図は修正が後回しにされがちだった。特に禁域を擁するフロア開拓村は、村に用事がある者こそ受け入れるが、不用意に余所者の入村を許しても都合が悪く、地図など描き直される計画すら立っていない。
「霊髄汚染はない。その点は安心してほしい」
そう、「問題なのは、谷底にある城塞都市の遺構の方だ」とグランティ。「そっちが禁域の大本なんだ。そこは大昔、ヘルシングという伯爵の所領だった場所でな」
アルデンスとエレクトラの脳裏に、宿場町の露店主が言っていた「大昔のご領主様」の話が蘇る。
「ヘルシング伯ブラム。奇矯で名を馳せた変人だったそうだ。吸血鬼の研究に没頭して、伯爵よりも“教授”呼びの方が定着したくらいでな」
「いかにも曰くありげな由緒で」
アルデンスが端的に言い表すのに、グランティが同調した。
「そこが禁域指定されたのも、『曰くがありすぎて、どんな危険が残されているか、全くわからないから』って情けない理由さ」
ヘルシング教授の研究の多くは逸失したが、残された数少ない成果は、現在でもほとんど解明できないほど先鋭化されていた。
この人知の及ばない研究の数々が、ある日、領民全員が死亡するほどの大惨事を引き起こしたと、推測されている。
「黒い霧が、壁内の領民をみんな食ってしまったらしい。領主一家を除いてな」
「霧……吸血鬼の仕業ですか」
グランティは首を横に振る。
「霧が何を指すのかすらわからない。狂乱したヘルシング教授自身の証言だからな。ただ、当時、ヘルシング教授は、自分の屋敷に何人も吸血鬼を囲っていたって話だ。食客待遇だ」
「吸血鬼の食客?」アルデンスが耳を疑ったように、復唱した。
無理もない。吸血鬼を養うということは、人間の血を与えていたことに他ならないからだ。そこで躓かれてもグランティに補足する知識はないので、そのまま話を続けた。
「判明しているだけで、ヴァーニー伯爵、ヴァルケル一族の者……かのドラキュラ伯爵まで交友を持っていたようだ」
聞きかじるだけでも、そうそうたる面々だ。いくらなんでも誇張が過ぎる。
「ご冗談でしょう」
「ああ、悪い冗談だよ。来客目録がそのまま、貴族名鑑同然とはな。だからこそ、そいつらが何かを企んだとしても不思議じゃない。それに、領民皆殺しだけで満足したとも思えない」
吸血鬼の中でも伯爵を自称する高位の連中が紛れこんでいたからこそ、全容不明の事件の起きたこの地を、護律協会も慎重に扱わざるを得なかった。そうグランティは聞いている。
後世、この領民の変死事件は、ヘルシング教授の供述から“幻の黒い霧事件”と呼ばれるようになる。しかし、数少ない生存者であった教授は心を病み、事件の通称を決めさせる以上の供述を残さずに没してしまった。
事件の真相は藪の中だ。
「領内の何が変死の引き金になったかは不明。叩けば埃が出るほどにヤバい交友関係が次々浮上する以上、壁内のスプーン一つ、下手に触る訳にもいかなくなったんだとさ。それで、ここは霊髄に汚染されていないにもかかわらず、特例的に護律協会が禁域に指定した、という訳だ」
アルデンスの中で、点と点が繋がった。わざわざ銃を使った狩猟を推進するのは、銃声で威嚇し、動物を禁域に近寄らせないためだろう。
吸血鬼にまつわる禁域に、赤い血を流すものはご法度だ。
命を狙われるアルデンスやエレクトラにとって、好都合な場所だった。人はおろか、猛獣も近寄らない。しかも、護律協会の掲げるお題目で流血沙汰が忌避されている限り、さしもの追手たちも、強硬な手段に出にくいと思われた。
いくら追手でも、護律協会に嗅ぎ回られるのは面倒だろう。
おあつらえ向きの抜け道だ。
「着いたぞ」
護律会堂の手前で、脇道が伸びている。枯草だらけだが、雪と霜が綺麗に降りており、誰かが通った痕跡はない。獣道よりも通路然としていた。
グランティの案内に感謝し、アルデンスとエレクトラは別れた。旅人二人は馬の背に揺られ、その微かな道を掻き分けていく。枯れた下生えに従って登坂すると、やがて開けた場所に出た。
フードを脱がさんばかりの強風に、エレクトラの目が眩む。
断崖の中腹。巨人が楔を打った跡かのような、巨大な亀裂が走っている。亀裂は充分な高さと広さを持ち、乗馬でもゆったりと通れる、天然の岩庇と崖道を形成していた。
ここが、村人が秘密にしている抜け道。
「道を教えてくださり、ありがとうございます」別れ際の、グランティとアルデンスの会話が蘇る。「ところで、どうして、見ず知らずの私どもに知恵を貸してくださる気に? 背信行為では」
ふむ。とグランティは顎に手を当て、考えた。
「背信行為ではない理由が三つある。一つは、旅の目的を偽っているあんたらが怪しいから。本当は人探しなんかじゃないんだろう。住民台帳管理者に面会するつもりなら、お館様のご尊名がすぐに出るはずだ」
「わ、別れ際だからって、随分はっきり言いますね」
「色々振り回されたからな。この際、はっきり言わせてもらう」
グランティの物言いが予想以上に無遠慮だったのだろう。アルデンスはたじろいだ。が、瞬く間に、意趣返しを思いついたように、不敵ににやついた。
「それで、こんな人けのない場所で、私どもに隠し事があると指摘して、よろしいのですか?」
「詮索しても、互いのためにならない。そう言いたいんだろう」あっさりと、グランティは言いのけた。
「大体、あんたら、村をどうにかしてやろうとか、そういう物騒なことを企んでいそうにない。禁域に侵入しようって腹かとも思ったが、それならもっとこっそり行くはずだ。わざわざ村の酒場に寄る必要がない」
この点の矛盾は自覚していると、グランティはつけ加えた。
「不審だから村を追う。だが、危険人物ではない。こんな判断、普通はしないところだが……ここでもう一つの理由だ。あんたらの言ったことを信じる限り、無理に引き留めると、村に被害が出ると判断したからだ。それがあんたらの手によるのか、他の何かによるのかは知らんがな」
アルデンスの陰から話を聞くだけのエレクトラが、目を丸くした。
「信じてくれるんですか」
「半信半疑だ。理由すらまともに教えてくれなかったしな。だが、村を出るための方便なら、もっとマシな理由をでっち上げても良かったはずだ。でも、でっち上げなかった。むしろ、ぶっちゃけた感がある。何でこの村で人が死ぬかはわからん。わからんが、理由を言えないだけの、深い事情があるように見えたんだ」
「……あなたがここの駐在騎士様で幸運でした」アルデンスが嘆息する。「それで、他の理由は?」
「最後の一つは――」
グランティは、不器用にくしゃっと笑った。
「――ブラダを、妻を助けてくれた礼だよ」
と言っても、どれも建前だ。と、グランティはつけ加えた。
「本当なら、ここで意地でも引き留めるのが、正しい恩の返し方だがな。ラライが出しゃばってくれたおかげで、どうにも諦めさせる口実を見失ってしまった。それに、放っておけば、あんたら、闇雲に谷越えするつもりだったろう。呆れたよ。あんたら自身を人質に出されちゃ、こっちはお手上げだ」
心底迷惑そうにグランティは振舞ったが、心の底ではやはり、旅人二人の身を案じていた。本当にこのまま行かせて良いのか、この期に及んで迷っている。
本音を見透かすように、エレクトラが口を開いた。
「ご迷惑をおかけして、すみませんでした。このご恩は忘れません」
自棄気味な態度に小心が耐えられなかったか、この期に及んで案じる素振りを見せるエレクトラに、グランティは「全くだよ」と、改めて呆れた。
「アイラも言っていたが、無理だと思ったら……いや、やっぱり、村で一晩明かすのが得策だと思い返してくれるだけでも良い。何かしら兆しがあったら、必ず引き返せ。迷惑なんて一回も二回も変わらないからな」
エレクトラは、顔を曇らせた。
できることならば、もう一度、あの酒場の温もりに混ざりに戻りたい。しかし、それは自分の命か、他人の幸福かを犠牲にしなければならない。今更、迷いはない。これまでのエレクトラの旅路は、常に退路が断たれたものだったのだ。
「行こう」
上ずったエレクトラの声に、アルデンスは頷いて、言外に良く言ったと含めていた。
グランティが覚悟を持って示した道を前にして、馭者と女は意を決して、馬を進めた。
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