6-1
誤字報告ありがたい!
引き続きお付き合いくださると嬉しいです!
音もなく雪の降る闇夜だった。
アルデンスは、エレクトラのペースに構わず手を引き、厩舎へ急ぐ。
「痛いって。引っ張らないで。どうしたの急に」
「待ち伏せだ」
たった一言で、エレクトラは顔色を変えた。「だから言ったのに」と、はらわたが煮える思いを噛み殺して、ひっそりと独り言ちつつ、アルデンスのペースに合わせ、自分の足で急いだ。身体が冷える前にコートに袖を通し、しっかりトグルボタンを留める。
客人の急な行動にアイラは困惑しながら、その後を追って問い質した。
「ここにいられなくなったって、どういうことですか?」
アイラの話を聞くや否や、二人はいきなり身支度も整えない内に、何のためらいも見せずに外へ出て行った。唐突過ぎてアイラは何か粗相をしたのではないかと恐れたが、アルデンスは違う、そうじゃないとの一点張りで、理由を教えてくれない。
それが猶更、アイラに罪悪感を覚えさせた。
「騒がしくして、すみません。静かなのがお好きなら、村外れに護律会堂もあります。ミキ先生なら、お二人を歓迎しますから」
聴く耳を持たない調子で、厩舎に繋いだ馬を引き、アルデンスは鞍を二つ譲って欲しいとだけ言った。慇懃な物言いに反して、アイラは頑とした語気で詰め寄られた。
村に来たばかりで、旅人を怪しんでいたときならまだしも、今やブラダの恩人である二人に、強請り紛いの仕打ちを受けるのは度し難かった。
アイラは食い下がった。
「こんな、雪の夜に、危ないですって」
「ここを出たいんです。今すぐに」
鬼気迫るほど焦燥するアルデンスに詰められて、アイラは訳もわからず、答えに窮した。
「待ってくれ」
追いついたグランティが、間に入る。「グランティ」アイラの呼ぶのに「今はサーをつけろ」とグランティは言い含め、下がらせた。
「あんたら、こんな時間にサラディン村へ行くつもりか」
アルデンスは一瞬、虚を突かれたような表情を浮かべた。
「サラディン……? ええ、まあ」
僅かに垣間見えた違和感を、グランティは間髪入れず指摘した。
「あんたら、次は誰に住民台帳を見せてもらう気でいるんだ?」
アルデンスとエレクトラは、生き別れた家族を探すため、全国の住民台帳を見て回っているという。ここ一帯の住民台帳は、コシノフ男爵邸で保管、管理されていた。
邸宅のあるサラディン村は、宿場町から黒い森を抜け、渓谷を越えるのが最短経路ではある。安全な迂回路を行くのが普通だが、アルデンスとエレクトラの目的を考えれば、急ぐ気持ちも理解できないではない。
だが、サラディン村の名が出ても、アルデンスの反応が鈍かった。目的がはっきりしている旅で、目的地の名前を失念するのは、考えにくかった。
コシノフ男爵の名が、出ない。
「……鞍を頼みます」逡巡するアイラへ「早く!」と激を飛ばし、鞍の手配に遣った後、アルデンスはグランティに向いた。
「とにかく出発します。私どもは、渓谷を越えます」
「無理だ」
グランティは語気を強めた。
「渓谷は、通り抜けられない。通行止めだ」
断崖にはいくつか渓谷や涸れ谷がある。それはアルデンスたちも遠景から確認していた。当然、その数ほどではないにせよ、道もあるはずだ。通行止めになるほどの理由とは何か。口を噤んで耳を傾けるのを見て、グランティは続けた。
「谷底の道はいくつかあるが、今はどこも雪だらけで危険なんだよ。それにもうじき春だ。所々解けちまっているかもしれん。一見、普通の道っぽくてもな、無理に通りゃクラックとクレバスの餌食になるか、雪庇が崩れるかで、生き埋めだぞ」
生き埋め……。エレクトラは息を呑む。
冷たい雪が重く圧し掛かって身動きもとれず、上も下もわからず、呼吸もままならない。助けを呼んでも、声が封殺され、心細さに凍えながら、死を待つしかできない。
想像するだけで、鳥肌が立つ。
エレクトラが恐怖に張り裂けそうな胸を掻き抱き、無意識に手首のミサンガを握った。
「悪いことは言わない。せめて一晩休んでから行け。明るい内ならまだ」
「それじゃ遅いんだよ」
アルデンスが、グランティの前に立つ。
「抜け道があるんだろう」
グランティは、受けた威圧を突っぱねて「ない」と断言した。無意識に逡巡したのを、アルデンスたちにひた隠す。だが、
「あるんだな」と、アルデンスは薄い眉を寄せた。
「なっ……あ!」こんな手に引っかかる自分が情けないグランティだった。「今のズルいだろ!」
「頼む。案内してくれ。どうしてもすぐに発たないといけないんだ」
「だ、ダメだ! そんなものはない!」
「この期に及んでしらばっくれるな!」
「あったって教えるものか、ズルッこが! 大体、村の者でも今夜みたいな日に谷越えなんかしないと言っただろう! 死にに行く気か!」
「知った口を――!」
見栄を切り、アルデンスが誇示して腰の剣を握る。
「――俺たちは、本気だ」
だが、その瞳の奥に、見栄ではないものが宿っていた。修羅場の数を物語る経験を乗せた目力に、村の長閑さに浸ってきたグランティは射竦められる。剣呑な雰囲気に直面させられる一方で、その手は、咄嗟にベルトの短剣を握っていた。
両者抜かず、睨み合う。
鞍を持って戻ったアイラが、ただならぬ雰囲気に中てられて、立ちすくんでしまっていた。
音も無い夜に積もる雪。踏み固めながら来る足音に、三人に注意が向いた。
「話、承知した。馬具、着けてやる」
アイラの手から鞍を奪うようにして、剣吞なテリトリーに侵犯したのは、狗人のラライだった。
「村人たち」ラライがアイラとグランティに向く。「お前たち、もう帰れ」
「ラライ、あんたまさか」あの道を教えるつもりか。
グランティがラライを制止するため手を伸ばす。が、ラライは、狗人に流れる祖先の血を猛らせて唸り、毛を逆立てて牙を剥く。反射的にグランティは手を引っ込める。間合いの外に引いたと見ると、ラライは穏やかさを取り戻した。
ラライが胸を叩く。「私は」の意。
「余所者。こいつら、余所者。気にするな。余所者同士の話、お前たち、聞かなかった。これ、悪くない」
「そんなこと言われても、放っておけないでしょ」たまらずアイラが身を乗り出す。「ねえ、エレクトラ、アルデンス、こっちが危ないって教えているのに、どうしてそんな意地を張ってまで、村を出ようとするの。何かどうしようもない理由があるなら、教えてよ。恩人の力になりたいって思うのは、普通のことでしょ」
それに、エレクトラやアルデンスだけではない。村が秘密にする、あの道を教えてしまったら、ラライに累が及んでしまうかもしれないのが、アイラは心配でならなかった。
「恐れの臭い、とても強い」ラライが鼻を鳴らす。旅人の臭いから、大まかな感情を読めるのだ。「引き留める。可哀そう」
話はそこまでだとばかりに、ラライが馬に鞍を着せていく。
狗人なら、臭いが充分な理由になるかもしれない。だが、グランティも、アイラも人間だ。共感はともかく、納得いかなかった。
「でも」とアイラが食い下がる。
「行かせてください、アイラさん」エレクトラの声は上ずっていた。「私たちがここにいると、人が死にます。赤ちゃんが生まれる幸せな村で、そんなこと、起こっちゃいけません」
人、死。不吉な予言めいた響きが、がつんとアイラの脳を揺さぶった。食い下がる心が、切断された気がした。行方を失った感情が、目頭から溢れそうになる。
「やめてよ。ブラダを助けてくれたのに、そんな風に脅さないで」
「ごめんなさい。だけど、教えられる理由は、ここまでなんです」
「理由になってない」
エレクトラの表情に決意が漲る。「天国に一番近いこの村を、私たちの事情に巻きこみたくないんです」
「……意味、わかんないって。お願いだから、頼むから、わかるように言ってって」
「……ごめんなさい」
溢れる涙を落とさないようにするだけで、アイラは手一杯になって立ち尽くした。グランティは、アルデンスの手が柄から離れたのを見計らい、同じく警戒を解き、アイラの気持ちを案じるように、その両肩に両手を優しく置いた。
「任せろ」と一言、アイラに代わって、アルデンスとエレクトラへ向く。
「ちゃんと名乗っていなかったな。改めて。領下鉄騎同盟、コシノフ男爵旗下、フロア開拓村駐在騎士、グランティ・スペイバーンだ」
堂に入った名乗りで、エレクトラが見るからにたじろいだ。
「き、騎士様……で、いらしたんですか?」
農民同然の格好なら、無理もないな。とグランティは肩をすくめる。
「詳しい事情はともかくだ。仮にも騎士の任を与かっている立場としては、人命にかかわることなら猶更見逃せない。俺の妻を助けてくれた恩義もある。厄介事があるなら力になってやるから、考え直してくれ」
エレクトラが絆されかけて前に出るのを、アルデンスは冷静に肩を掴み、下がらせた。
「この村に護律官も赴任していると承知の上です、サー。それで出立しようと判断したのです。頼みます。察してください」
グランティが少し不愉快そうに顔をしかめた。騎士の端くれであっても、遠回しに力不足を言い渡されて、愉快な者はいない。アルデンスの発言は、決定的な拒絶の意思表示だった。
男同士が再び、互いを見定めるように瞳の奥を覗き合う。
グランティは項垂れ、額の熱を拭った。
「……もう一度言うが、ブラダのことは感謝している。けれどな、こうも話が通じないんじゃ、付き合いきれない。どこへでも好きに行っちまえば良い。おいラライ、アイラを連れて行ってくれ」
「なっ」
澄まして成り行きを見守っていたラライがずっこける。
グランティが乱暴に背中を押して、よろめいたアイラが、ラライの胸へ狙いすましたように跳びこむ。豊かな冬毛に埋もれたアイラを掘り起こし、ラライは体裁を取り繕って、自分の胸に手を当てる。
「道教える。お前、連れてけ」
「あのなあ……」グランティはイラつきで胸焼けがした。「仮にも俺は駐在騎士で、それ以前に、この中で最年長なんだぞ。つまりこの中で一番責任が重い。十代の女子供に庇われる謂れはないし、ましてや、タッパがあるだけで見かけ倒しの十歳にもならん村の部外者に問題を丸投げして引き下がるなんてできるか」
「落ち着け、村の人。旅人、遊牧民、事情色々。結局、どっか行くだけ。騎士、違う」
「やかましい! 御託は結構だ!」頑固一喝。「なら、こっちの御託も聞いてもらうぞ! 俺はこれから父親になる! 我が子が誇れる、公明正大な父親にな! 我が身惜しさに責任から逃げて、亜人の好意に甘えるなんざ、家族に顔向けできなくなるわ! 絶対に却下だ! 参ったか! 参ったなら、とっととアイラを連れてけ!」
「え、何、それ……いや、でも」
「参ったと言え! それとも、あんたの親父に、今やろうとしてたこと、告げ口してやろうか!」
グランティの剣幕に、首をすくめて、ラライが股の間に尻尾を挟んだ。
「キャイン……! マ、マイタワン。それだけは、許してワン」
「という訳だ。特別に道を教えてやる。ただし、禁域付近の通行は、本来護律協会の管轄だ。まずはソーマ護律官に渡りをつけてやるから、断られたら、最悪俺の独断で教えるって流れで構わないな」
「待ってください。護律官の耳に」この話が行くのはまずい。アルデンスは焦った。
「待たせて悪いが」グランティは強引に話を進める。「こういうのは正しい手順を踏むことにしている。精一杯の譲歩だ。わかったな」
アルデンス、エレクトラ、すっかり食われたラライ、それと涙も引っこんだアイラ。ほとんど互いを知らない四人が、この瞬間、心を一つにしていた。
い、勢いだけで言いくるめやがった……父親怖え……。
「ラライ、アイラ、ぼさっとするな。行くぞ」
急かすグランティに、ラライは耳を伏せて項垂れ、心底降参した。根無し草の超然としたたたずまいはどこへ行ったか、気安い隣人としての顔で、ラライは旅人に向き直った。
「仕方ない。なら、餞別やる。狗人のまじない」
ラライは、旅人の胸に口と手を当て、声を込めるようにして、静かな遠吠えを送った。狗人の祖霊たるオオカミや野犬たちに、たとえ飢えていてもお目溢しを願うその遠吠えは、由緒正しい送別の礼儀であった。ラライはそれを、アルデンスの胸に、エレクトラの胸と腹に、一吠えずつ与えてやった。
おもむろに腹へまじないを施されたエレクトラは、束の間ギョッと目を見開いたが、すぐに、村で見せた中で一番の、温かで穏やかな表情を浮かべて、ラライに礼を言った。
「サー・グランティ、一つだけ教えてください」
酒場へラライとアイラを送ろうというときに、グランティはアルデンスに呼び止められた。アルデンスは諦めで肩の力が抜けて、しかしいや増して研ぎ澄まされた冷気をグランティに向けていた。
「貴公は、いつからこの村にお勤めであるか」
奇妙に高い声のアルデンスだが、ここに及んで一切のおふざけはなく、厳格さを漂わせていた。品がある、と言うよりも、様になっている口調に、グランティは思わず怯んだ。
「うん? いつから、か……。いつから、と言うか……」
質問の真意を図りかねている内に、グランティに代わってアイラが、とんでもないと言わんばかりの早口で答えた。
「生まれてからずっとです。そうよね? コシノフ卿ったらけちんぼで、本物の騎士を雇うと高くつくから、村人から見込みのある人を叙任しちゃって、装備なんかも質流れ品を買い叩いちゃって間に合わせろって。それっきりなんだから」
「こ、こら。お館様に滅多なことを言うんじゃない」
異様なまくし立て方に面食らいつつも、グランティは決まりが悪そうにアイラの頭を小突いた。だが、こう明け透けに領主のことを打ち明けられては、決まりの悪さが拭いきれない。
「まあ、閣下が吝嗇家であらせられるのは、否定しない」と、清貧を貫く者特有の哀愁をこめてグランティは呟いた。
「でしょ。グランティ、普段は農家だもんね。ね」
「しつこいな……さっきから何だよ、お前。……ああそうだよ。これで満足か。あと、サーをつけろ」
うだつの上がらない話に、アルデンスは気を緩めたようだった。不躾な質問だったと詫びて、アルデンスは改めて、グランティに道案内を頼んだ。
今度こそ別れ際だ。アイラは掴んでいたラライの袖を放して旅人の前に立ち、「無理だと思ったら、絶対に引き返してきてね。誰にもばらしたりしないから」と言い残して、厩舎を去った。
酒場の玄関口で、厩舎帰りの三人は、フクロウの翼人と鉢合わせた。豊かな羽毛に暖気をたっぷり蓄えて、身体が一回り肥えたように見える。見たところ、酒場の温かさを名残惜しみつつも、手近な村人たちへ礼を言い、いざ雪の夜へ出ようというときだった。
「ホッホウ、これは失敬! すまないが、先に通してもらえるかな! ちょっと譲れそうにない!」
「こんな雪夜に飛ぶんですか?」アイラが尋ねる。
「速達なものでね!」
ローヤルマドラス飛脚は、たすき掛けした荷包みを翼でポンと叩いた。フクロウの翼人は夜を飛ぶもの。夜目が利く彼らの一日はむしろ、これから始まるのだ。
身体の芯に温もりを抱き、闇夜へ発とうというところを、思い立ったようにアイラが呼び止める。
「あの、郵便の中に手配書とか、って」
フクロウ翼人は首だけ真後ろに向け、「あるよ!」と一言残し、羽ばたき颯爽かつ密やかに、夜空へ飛んで行く。
窓際が定位置の、スミス親子が、雪見粥をすすっていた。
ここまでお読みくださり、ありがとうございます。
いいね・ブクマ・評価、どれかポチッとしてもらえると嬉しいです。
ご感想・その他コメント、いつでもお待ちしています。「良かった」とかの一言でも、顔文字とかでも歓迎です。
次回をお楽しみにお待ちください。
SNSとか所属しているボドゲ製作サークルとか
X:@nantoka_gokker
@gojinomi
booth:https://gojinomi.booth.pm/




