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ヴァンパイア・イン・マタニティ  作者: ごっこまん
5.産声に浮かれる
17/36

5-3

 呆然と、多幸感と、開放感とに感化され、腰抜け気味に膝が笑っている。浮ついた足取りで階下へ戻ると、産声に誘われたのか、既にバニスタージュニア(仮)の誕生祝いのムードが漂っていた。


 ロスを始め女手たちや、バーレイ村長親子がいつの間にか戻っており、グランティの熱い抱擁で圧縮されるエレクトラや、馬を繋ぎ直して戻って来たアルデンスたちを囲って、口々に感謝と歓迎を押し売っていた。


(手加減してやんなよ、旦那方。お客さんたち、しきりにギブアップしてるよ)


 アイラは妙に冷静な視点から突っこんだ。


 ざっと見て、歓迎攻撃に加わっていないのは、暖炉の前でうとうとしているクロウ爺と、その傍で両腕を按摩しつつ、外で食らった寒さを癒しているスミス親子、それから体調が気遣われるブラダくらいだった。


 酒場で一所に固まる人々を避けて、アイラはブラダの下へ行く。


「調子はどう? 痛くない?」


 疲れを滲ませるアイラはしゃがんで、毛布とクッションに身を預けているブラダに声をかけた。


「嘘みたいに引いちゃった」


 一汗かいたとばかりにしゃっきり語る妊婦の強さの前では「そうみたいね」としか言えなかった。


「イヴリンは?」


「イヴ……ああ、バニスターさん? 無事。男の子よ」


「みんな! 男の子だってさ!」


 酒場が沸いた。二階を向いて、口々好き勝手に言祝ぐのが、いつしか“ハッピーバースデートゥーユー”の大合唱に変わる。


 歌の楽し気な雰囲気に誘われて立とうとするブラダの肩を押さえるアイラ。ブラダは唇を尖らせるが、アイラの有無を言わさない気迫にたじろいだ。


「お願いだから今は大人しくしてて……!」


 大人しく引き下がったブラダをよそに、酒場は盛り上がる。


 ハッピーバースデー、ディア……ディア? 皆の視線がアイラに集まる。


「……あ、ああ、名前? ご両親から聞いた方が」


 ディア?


「……ハンク」


「ハンクー!」


 生誕の歓喜は最高潮を迎え、歌い終わりに拍手が上がる。アイラも仕方がなく、疲れた拍手で間に合わせたが、心の底では喜びを分かち合っているつもりだった。父のバーレイ村長が音頭をとって出産祝いの準備が始まり、賑わいが散り始める。


 その溌剌とした雰囲気から、ベア婆さんが一歩離れて眺めていた。祖母ベアを見つけたアイラは、ブラダに「具合悪くなったら言ってね」と言い残し、祖母のもとへ小走りした。


「おばあちゃん」


 いきなり抱き着いて、胸に頭を預ける孫を、ベア婆さんは鷹揚に抱き返す。


「あらまあ、アイラや。話は聞いたよ。よく頑張ってたってね」


 しわがれた手で頭を撫でられるアイラは、顔をうずめたまま、首を横に振る。


「私、ちゃんとお産のこと、覚えていきたい」


 後悔を含んだ声音に気づかないふりをして、ベア婆さんは「大きくなったねえ」と、孫が一皮剝けた喜びを密かに噛み締めた。


 ひとしきり、孫の心細さが癒えたところで、ベア婆さんが尋ねる。


「あんた、旅人さんたちにちゃんとお礼は言えたのかい?」


 はっ、とアイラは顔を上げ、アイラは祖母に礼を告げる。祖母の胸から、ブラダを支えた立役者であるエレクトラとアルデンスの名前を呼び、跳んでいく。


 アイラは二人の手を取り「本っ当に、ありがとう!」と、しきりに感謝する。感謝の言葉の一つや二つでは、アイラの気持ちは伝わらなかったので、三つ四つと重ねた。ベア婆さんは、とにかく良しと頷いて、褥婦の様子見に、老骨に悩まされながら階段を上った。


「あの、アイラさん、そろそろ」とアルデンスが困惑する。


 一人で舞い上がってしまっていた。アイラが自覚する。自覚した途端にはしたなく思って、二人まとめて握手していたのを解く。手を離す俊敏さや、火に触れ飛び退く勢いだった。


 それでも、本当に感謝してもし足りなくて、最後のおまけに「ありがとう」と、アイラは笑顔で締めた。


 エレクトラとアルデンスが、握手で乱れた着衣を正し、微笑みを返す。


「お人好しが」


 今更、アルデンスが意趣を返す。照れ隠しやら、悔しさやらで脇腹を小突くエレクトラの肘鉄を無視し、アルデンスが言う。


「昔取った杵柄で。お役に立てて良かったです」


「へえ……お二人ともですか? 旅先でお会いされたんでしたっけ。すごい偶然ですよね」


 言い淀むアルデンスに代わって、エレクトラが答える。


「私はこの人に教わったんです」


「旅の中で覚えたんですか? すごい」


「この人、教えるのがとても、とても上手なんですよ」


 何か引っ掛かる物言いだったが、アイラは感心が勝って感嘆した。「いいえ、素直で呑みこみが速いんですよ」と、アルデンスの言い方にも引っ掛かりがあった。全員ニコニコしているのに、旅人二人の間だけで鋭利に研いだ謙遜が飛び交っているように見えた。


 日没からしばらく経っていた。


 仕事終わりの夕食時、腹を空かせた村人たちが続々と酒場へたむろする。村人から別の村人へ、出産やトラブルが共有されていき、賑やかさに華が咲く。アルデンスとエレクトラはすっかり村の恩人と知れ渡り、ブラダの陣痛騒ぎから一息つく暇もなく、歓迎の温もりに浴し続けている。


 また、ローヤルマドラス飛脚の翼人(ハーピィ)が郵便を届けに来た。村を代表し、村長が一括で預かり、各届け先に分配する仕組みである。


 飛脚が羽を繕って、雪を落として言う。


「それにしても、こう雪に降られちゃ、寒くて飛んじゃいれないや! 少し暖をとらせてくれ!」


 村長が快諾するや、飛脚は暖炉の前を陣取り、五メートルに届くかという翼を広げて、思うさま温まる。風圧でクロウ爺の髭がたなびいた。クロウ爺は、薫風と戯れる、若き日の妻の髪の豊かさを思い返した。


 続いて、狗人(クー・シー)ラライの一家が来店する。


「何だか、今日は特別賑やかね」あれよあれよと集う人々を前にして、アイラは呟いた。


 ラライが鼻を鳴らし、アイラの方を向く。いや、アルデンス……エレクトラの方だろうか。香りに敏感な一族だ。嗅ぎ慣れないものがあれば、興味を引くのだろう。


 が、ラライは旅人へ深く関心は向けず、アイラに向き直す。


「ミキどこ」


 素っ気ない片言も慣れたものだ。アイラは二階を指した。


「多分、胎盤が出るの待ってるか、悪露の具合を看てるか」


「じゃ、母親無事か。これ、お祝い」


 たぷんたぷんの革袋と、蔓で縛った革の包み。中身はトナカイの初乳とペミカンーートナカイの肉と脂にベリー類や種子を練り合わせた物だと言う。産後の肥え立ちに良いらしい。「めでたし」とラライの一家は、それぞれ控え目に祝辞を述べて、三人を後にした。


「素っ気ない訳じゃないの」


 アイラが旅人に説明する。万が一にでも、狗人(クー・シー)に袖にされたと勘違いさせるのは、しのびなかった。


「あんまりお祝いに身が入り過ぎちゃうと、遠吠えで大騒ぎになっちゃうの。ミキ先生が怒るから我慢しちゃって。ほら、あれ見て」


 狗人一家はふさふさの尻尾を、ふぁさふぁさと振っていた。


 アルデンスとエレクトラにひそひそと伝えようが、狗人(クー・シー)の聴力は誤魔化せない。だが、ラライたちはアイラを軽く受け流し、暖炉前の飛脚の臭いをしきりに嗅ぎ始めた。飛脚も飛脚で慣れているのか「遠くに嫁いだご家族にお手紙はいかがで」などと商談する余裕を見せた。


 酒場に活気の火が着いて、誰もが今日の出来事を語り合うのに大忙しだ。


「アイラさん、少し良いですか」


 アイラが、人々の喧騒から取り残された気になったときだった。エレクトラの手を引きながら、アルデンスがアイラを壁際に手招きした。何だろう。アイラは誘われるまま赴く。


 三人で作る輪の内で、周りを気にしながら、アルデンスは声を潜める。


「この村に、他の宿はありますか?」


「え?」


 アイラは内心穏やかでなくなった。遠回しに、他の宿があれば移りたいと言ったように聞こえたのだ。何か、ここで過ごしたくなくなるような粗相が……あったけれども。


「そんな、ご遠慮なさらなくても……あ、騒がしかったですか?」


「いいえ……? ああ、誤解させる聞き方でしたね。……まあ、素敵な村なので、少し事情を知りたくなったと言いますか」


「はあ」そう言われちゃうと、色々教えてあげたくなっちゃうなあ、もう。


 フロア開拓村の宿泊施設は実質二か所ある。一つは村長邸宅に附属する酒場兼宿屋で、ここがメイン。もう一つは、村外れにある護律会堂だ。ただし、護律会堂で貸す部屋は、路頭に迷う人間を出さないためのシェルターという役目があるため、宿賃がかからない代わりにサービスが期待できない施設である。


「あ、お二人は別ですよ。御恩のある方々に宿代なんかせびっちゃ、バーレイ家末代までの恥ですから」


「護律会堂で泊まられる方って、どのくらいいます?」


「滅多にないんじゃないですかねえ。私の知る限り、いません。辺鄙な村の、特に不便な場所にありますし」


「でしたら、お泊りになるなら、お宅のお部屋を選ぶ方がほとんどなんですね」


「と言っても、ほとんど妊婦さんと、そのご家族さんばかりなんですけどね。それ以外だと、飛脚さんとか、商人さんとか」


 そうですか。むっつり思案する様子のアルデンスに、アイラが「あの」と声をかけるのと同時。


「アイラさんは、この村の来客について、どれくらい把握されていますか?」


 平静だが、食い気味のアルデンスに、アイラはたじろいだ。


「えっと……一応、来客予定なら、お父さん……村長からよく聞いていますけれど」


「どういう方が、いつ来られたかは」


「わ、かります」


「でしたら……」


 酒場で島々のように点在するテーブルへと料理が運ばれ、歓談は更に熱を増す。喧騒に掻き消えるアルデンスの声を、間近にいるアイラだけが拾えていた。


 人相を尋ねられるかと、アイラは見越していた。しかし、まるで違う。来客の背景や事情を探るような内容で、しかも、当てはまる人たちがここにいることを、事前に知っていたかのような条件だった。


 アイラは戸惑った。アルデンスもエレクトラも、人探しの旅に出ていると聞く。その条件に当てはまる、あの人たちがその行方を知っているようにも見えない。疑問が次から次に湧きつつも、アイラは正直に答えた。


「ええ、いらっしゃいますけど……」


 アルデンスが、瞬時に表情を凍らせた。「どなたが」


「おい、お前ら! 我らが取り上げ神官様の凱旋だ!」


 二階から降りてくるミキを見つけた村人が、会話の弾みそのままに大声を張った。慶事の喜びに温まった酒場が一体となって、「ミキ、ミキ、ミキ、ミキ!」「ソーマ、ソーマ!」のコールが止まない。


 一身に注目を集めるミキは、めちゃくちゃ降り辛くなって苦笑した。見つかる直前までヘンテコだと自覚するような小躍りをズンチキしていただけに余計に降り辛い。それだけバニスター夫人の分娩が上手くいって喜んでいたのだった。


 気恥ずかしさを誤魔化しがてら、襟を正して階上からホールを見渡した。村と縁もゆかりもない旅人が、ミキに代わって、具合の悪くなった妊婦を助けてくれたという。一言、礼を伝えたかった。

 酒場の隅に、見慣れない二人の姿を見つけた。


 何やら男が女を急かして、慌ただしく身支度を整えさせている。防寒着に袖を通す暇も惜しむように、男は女にコートを押しつけた。アイラが二人を引き留めようと、その周りであたふたしている。近くにいたグランティも、丁度今その様子に気づいたようだ。


 ふと、見慣れない二人組の、女の方が振り向いて、ミキと目が合った。


 その女の立つ場所だけ、何故だか一段と澄みきっている気がした。


 瞳も、御髪も、空気のように澄んだ色合いをしているからだろうか。酒場の光を集めて、女は薄明りの儚さをまとっているようだった。


(あの人たちが、ブラダさんを看てくれたっていう……?)


 ミキが彼女に手を挙げると、コールに応えたと勘違いして、宴会野郎どもが歓声を上げた。群衆から離れたところで、空気色の彼女は恥ずかしそうに目を泳がせて、ミキから背を向けてしまった。


(あの人、どこかで会ったような……)


 ミキが既視感に囚われている内に、二人組の男の方が、空気色の彼女に何事か言いつけ、その細腕を掴んで急いで去るよう促した。


 結局、余人に知られることもなく、二人は玄関を出てしまった。


 もう夜だ。それも、雪夜である。胸騒ぎがする。


 ミキは足早に階段を降り、旅人の姿を追おうとした。が、目線が低くなるにつれ、村人の群がるのに紛れて見失いそうになる。人の合間を掻い潜ろうと一階に踏み出す。


 途端に、村の男に捕まり、肩を組まれてしまった。


「フロアの聖女様に!」


 男と、その掲げた陶器のジョッキから、酒気が昇っている。出来上がった連中が乾杯の音頭にかこつけて、我も我もとジョッキを掲げた。


 こんなのの相手をしている暇など、ミキにはなかった。


「ごめんなさい、そんな場合じゃなくて」


「何だ。妊婦さん、どこか悪いのか」


 不穏な雰囲気が首をもたげた。


「それはない」誤解を、つい、きっぱりと否定した。「私の出る幕なんてないお産でしたよ。ベアさんに少し休め、って言われたから……」


「おい聞いたかよ!」「この子、出る幕がないときたわ!」「持ってるねえ、おらが村の護律官様は!」「ありがたや」


「とにかく!」急いでるんです。が引っこんだ。いきなりミキの目の前へ、ジョッキに並々と注がれた蜂蜜酒が差し出さると同時だった。


「ささ、駆けつけ一杯!」


 ミキは生唾を呑んだ。


 黄金色に揺らぐ酒と、群衆の向こうにいるであろう旅人との間を、視線がしきりに往復する。疲労、気がかりな出来事、醸した蜂蜜と樽熟成の織りなす芳醇な香り……。


 目が回った。酒を選べば、それはそうである。


「そんな場合じゃなくて」と言っていた頃のミキは、酒に溶けて消えてしまった。誘惑に負けた訳ではない。むしろ、冷静に判断した上での飲酒である。後顧の憂いもなく、存分にグビッと煽ってやった。


(アイラとグランティが気づいているし、ちゃんと面倒見てくれるでしょ。昼から頑張り通しだし、ベアさんの言う通り、骨休めしなきゃだもんねえ、っへっへ)


 ミキは上機嫌でジョッキを両手に、村人と肩を組み合い、酔いに任せてラインダンスに興じ、でろんでろんのうわばみの如く美酒を愉しんだ。


 あひゃひゃ。ちゃんミキ、お酒大好きれす。蜂蜜酒(ミード)、最高~! 今日も一日お疲れーっす!


「もう一樽、空けられるわよねえ!?」


 酒場の酔客どもが、意識をアルコールに溶かして、一つとなる。酒を一滴でも舐めたが最後、酒を信仰し、酒を布教し、酒に殉教する。こうなった護律官ミキ・ソーマを止められるものは、給仕の酒酌みのみであった。

ここまでお読みくださり、ありがとうございます。


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ご感想・その他コメント、いつでもお待ちしています。「良かった」とかの一言でも、顔文字とかでも歓迎です。


次回をお楽しみにお待ちください。


SNSとか所属しているボドゲ製作サークルとか

X:@nantoka_gokker

  @gojinomi

booth:https://gojinomi.booth.pm/

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