5-1
イヴリン・バニスターが、次の陣痛の山を越えたところだった。
母体の血圧、脈拍を計測結果をミキは尋ねた。続けて、大きく膨らんだ腹部に聴診器を当てて、胎児の心拍を調べてもらう。
今のところは正常だ。
更に次の陣痛。バニスター氏のいきみ逃がしも様になってきた。
これだけ頼もしい現場だが、ミキは緊張をたわませなかった。
事実、湯の供給にトラブルがあった。それに出産の形は、妊婦の数だけある。全て終えるまで、安心できる瞬間はない。
分娩第一期、極期。窓から床に落ちていた陽が傾いて、壁を照らしていたのも薄らいでいた。その間も、バニスター夫妻を始め、助産師たちも忙しなく働いている。
子宮口は嘘のように開くペースを落とした。
九センチに届いてからが、もどかしい。
「取り上げ神官さん」
バニスター氏の不安そうな声に打たれて、ミキは顔を上げた。一度は波に乗った夫人の苦痛が、傍目にも激化しているとわかる。心配を口にすると現実になるかもしれない。長く付き添って疲れの滲むバニスター氏の顔には、言葉を選ぶもどかしさが表れていた。
不用意に難しい顔をしていたかもしれない。付き添いの家族を不安にさせてしまっては、“取り上げ神官”の名折れである。
一息ついて、ミキは肩の力を抜き、固くなっていた表情をギュッとすぼめ、一気にパッとほぐした。
心からの笑顔で、ミキはバニスター氏に語りかけた。
「お母さんも赤ちゃんも、すっごく頑張ってくれて助かります。お二人とも、実は普通の半分の時間でやることを、もう済ましちゃっているんですよ」
「そ、そんなに速くて……?」こうなのか? バニスター氏が顔を白くする。
「ええ、今は」
ふと、ミキは窓に目を向けた。四角い枠から差す日光の角度を見る。ジョゼとイリーナは上手く雲を送れたのか、窓の外はやや暗い。一足早い夜の訪れを感じる空模様の一方で、夕陽の焼けるような光が長く伸びている。
音も無く、空から降る粒の影を落としているのに気がついた。雪雲だ。
ちょっとだけ失敗しちゃったのね、二人とも。後で反省会ね。とミキは内心苦笑する。
「取り上げ神官さん?」
バニスター氏の声で我に返った。今はそれどころではない。
「いえ、何でも。お産の進み具合ですが、序盤は駆け足だったのが、今は普通のペースになっています。何も心配いりませんよ。ちょっと予想と違ったので、ムムムって難しい顔になっちゃってました。ご不安にさせて申し訳ありません。……いやあ、この取り上げ神官のペースを乱すとは、大物親子ですねえ」
「え、ええ!」バニスター氏の顔に色が戻った。「何たって、俺とイヴリンの子どもだもんな! 世界一に決まってる! なあ、世界一だぞイヴリン!」
陣痛のピークに突入した夫人に、はっきりと応える余裕はない。しかし、潰しそうに夫の手を握る力が更に強くなり、痛がるほどバニスター氏に伝わった。見る見る持ち直すバニスター氏の様子にミキは、良い父親が育ちつつある予感がした。
分娩室の扉がノックされるのに、誰も気づいていなかった。
何度かノックは断続したが、痺れを切らしたように扉が開かれ、ルイーズとカーデュが前のめりに入室する。
「ソーマ先生!」
ミキより先に、女手の一人が気づいた。エリザ・カミング。その子たちの母親である彼女は、不躾に分娩室へ踏み入った二人を目に留めた途端、諫めるように声に棘を含ませた。
「あんたら、勝手にずかずか入って来んじゃないよ」
「でも、妊婦さん、苦しんでる!」
「見りゃわかるでしょう。何言ってんだい」
「そうじゃなくてえ!」
微妙に噛み合わないカーデュとエリザのやり取りがもどかしく、控えめなルイーズが珍しく声を張る。
「ママ、酒場の方なの! サー・グランティのお嫁さん!」
分娩室が張り詰めた。ブラダ・スペイバーンが産気づいている。ルイーズの事前報告から、ロス、ヘレン、ベシーは一時離脱中だとわかっていた。
エリザは息子と娘に尋ねた。
「村長さんとこのおばあさんは?」
ルイーズとカーデュは不安げに互いを見合わせた。即答できないなら、いない。
パニックの気配に、ミキが声を上げて蓋をした。
「みなさん、まだ慌てることありませんよ。他に腹痛を訴えていた方って、いましたっけ?」
一大事とばかりに周りの調子が外れる中、ミキは何食わぬ顔でバニスター夫人を看続ける。エリザは「さ、さあ」と応えるので精一杯だった。
「苦しそうなこと以外、何か具合の悪そうなこと、あったかな?」
再び、ルイーズとカーデュ二人は互いに見合わせると、カーデュが「多分ない」と答えた。
答えを聞いて、ミキだけが一人、少しだけ冷静に考える余裕を得た。
他に回せる女手、器具諸々の手配など、ミキは冷静に頭の中でそろばんを弾く。苦しんでいる。陣痛か。誰だろう。最初の陣痛なら、一人を下に降ろして経過観察を――。
だが、その差配が整わない内に、矢継ぎ早にルイーズが「それから……!」と伝える状況を耳にすると、分娩室の一同は思わず困惑し、顔を見合わせた。
その中で、ミキだけがじっと母体に神経を尖らせつつ、子どもの報告に耳を立てていた。
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