4-3
「ところで、アイラさん。お尋ねしたいことが……」
アルデンスを遮り、妊婦の悲鳴が次の山場に至った。声の出所を見据え、言葉に詰まったアルデンスに代わって、焦った様子でエレクトラが、アイラに声をかけた。
「アイラさん、このお宿に……」
「あの、お産の最中でしたよね。私どもばかりに構っていて、大丈夫ですか?」
「ああーっ⁉」とエレクトラが悲鳴を上げかけたが、アイラを気にして呑みこむ。
「あっ!」とアイラが肩を跳ねて思い出し、「ぁー……」と二の足を踏む。アイラが迷う裏で、アルデンスはエレクトラに耳を引っ張られた。
「ちょっと! 気にかけている余裕なんてないでしょ!」
エレクトラの非難がましい耳打ちに、アルデンスは鬱陶しがって耳を摘まむ指を払った。
アルデンスは悲痛を心根に秘めて、苦言を返した。
「自分の命を惜しむばかりで、旅先の方々に甘えるような人とは、旅なんてまっぴらですね」
静かだが、固い芯の通った信条が込められている声だった。エレクトラは返す言葉が見つからず、「このお人好し」と言い捨てて、この話は終わりだとばかりに腕を組んで居直った。
「だから一緒にいるんですよ。感謝してください」と余裕で微笑み返すアルデンス。エレクトラは恨みがましさを無言で訴えた。
二人の密談など相手にできないほど、アイラの足は、あっちへ行こうかこっちにいようか、ふらふら迷っていた。丁度、ミキへの連絡を終えたルイーズが戻ったので、カーデュと組ませて湯運び再開をお願いする。
さあ仕切り直して、自分はどうしよう。
普段なら父に来客を任せる局面だ。が、今日に限って、剣吞な雰囲気に敏感な父が、カーデュと口喧嘩をしても首を突っこんでこない。どこで油を売っているのよ。
実際のところは、親子で茶葉を借りに近所を回っているのだが、それは酒場の誰も知らない話。
アイラが考えあぐねているところに「ようこそフロア開拓村へ、お二人さん。旅人なんだってね?」とブラダ・スペイバーンが名乗って、交ざりに来る。
「旅の話、聞かせてくれない? 予定日近いから仕事もするな、横になってろ、って、うるさくってさ。窮屈でたまんなかったの」
ブラダはアイラの肩を押し気味に叩いて入れ替わり、有無を言わさず旅人と相席する。アイラに目配せし「行きな」のハンドサイン。アイラは恩に着て、仕事に戻った。
「ねえ、どっから来たの? 旅の目的は? あ、二人は結婚してるの?」
ぐいぐい関心を向けるブラダに、アルデンスもエレクトラも少し戸惑った。ブラダの隣に、グランティ・スペイバーンがどっかり腰を下ろす。
「全くお前は。尋問じゃないんだぞ」
「はいはい、サー・グランティ。まーたお説教? あ、亭主よ。グランティ・スペイバーン」
「うちのがすみません。話に飢えてるんです」
「わしのカカアの話、聞くかい」
耳聡く、クロウ爺の話したがりが始まったが、「もう良い。暗唱できちゃう」とブラダは歯牙にもかけなかった。慣れたもので、クロウ爺はほんの少ししゅんとしただけで、安楽椅子を漕ぐのに戻る。
「良いですか」と、湯気の立つ器をアルデンスが持ち上げるのを真似て、エレクトラも白湯を一口、味を探すつもりで場を繋ぐ。
窓の外、雪は微かであるものの、暖気に当たる内に、外から隔絶された心地に傾いていた。
人心地つけて、アルデンスから口を割る。
「思えばある意味で、私どもはずっと、旅をしてきたのかもしれません。生まれ故郷は、壁の向こうか、その辺りなもので」
酒場が静まる。今日び、神妙に語られる“壁”は、たった一つしかない。
「……壁って、霊髄の?」
言葉を呑んで聞き入るブラダに代わって、グランティが前のめりになった。
アルデンスとエレクトラは、神妙に頷いた。居合わせ、聞き耳を立てていた全員から、息を呑む気配がする。
二十年ほど前、連邦全土が大規模な地殻変動に見舞われた。
あるいは、世界全土かもしれない。
国境付近で、特異な鉱物――霊髄を主とする断崖が隆起し、交通網が断絶。この災害で連邦の版図は激変した。連邦は世界から孤立したのだ。
霊髄――“神話の具現”、“流出したイデア”、“幻想の呼び石”、“神の口”、“氷の女王”、“悪魔の接吻”、“侵略的異界化鉱物”、他、別名多数。
呼び名の数が、霊髄の忌まわしさと害悪を物語る。
同じ霊髄でしか破壊できず、たとえ傷つけることができても、断崖のように巨大な霊髄塊が相手では、自己修復で一日と持たず、穴を塞がれてしまう。そのため、道路の復旧も、トンネルの開通も不可能だった。
また、周囲の熱を積極的に奪うという特性から、霊髄の壁周辺には猛烈な下降気流が常に吹きつけており、翼人ですら越えられないという。
故に、連邦は霊髄の壁から外側、各国の被災状況はおろか、国境付近で孤立した連邦領の現状も、未だに掴めていない。
これでも、霊髄の有害性のほんの一部に過ぎない。
その霊髄が絡む出自を持つアルデンス。その半生は壮絶であったろうと、酒場の誰もが想像した。
「私どもも例に漏れず、先の半地変のごたごたで一家離散ですよ。命からがら内地に逃れはしましたが、乳臭いガキ」アルデンスが口を押えて顔を背け、今吐いた粗野な空気を払うように手を振った。「失敬。育ちが悪いのが引け目なものでして。まあ……独り立ちには十年早いような子どもだともう、生きるってだけでも手に余ったものでした。それでもがむしゃらに何でもやって、最近ようやくゆとりを持てたんです。そうなると、やはり心は壁の向こうに縛られていたようで、思い浮かべるんですよ。家族のことを」
「なら、旅って、人探しに?」再び頷く二人に、グランティは圧倒された。「連邦も狭くなったとはいえ、そんな、聞いてるこっちの気が遠くなりそうだ」
「おっしゃる通りで」アルデンスは疲れた笑みを浮かべた。「それにつけても、半地変避難民の住民台帳は、案外しっかりしていましたよ。慈悲深くもヘンリー大公の布かれたお触れもございまして、どこのご領主様もお情けをかけてくださって、台帳の捜索をお許しくださいました。おかげで、予定より順調に進んでいます」
アルデンスの話を聞くにつれて、スペイバーン夫妻の中でその目的地が薄っすらと予想できた。
フロア開拓村を見下ろす大断崖。その向こうにはサラディンという村があり、この周辺一帯を治めるコシノフ男爵の本拠がある。そこで住民台帳を閲覧しようと、はるばるこんな辺鄙な村まで足を運んだのだろう。
言葉を失うスペイバーン夫妻。代わって、エレクトラが話を継ぐ。
「えっと、わ、私も、彼と似た境遇で、同じ時期に旅をしていたんです。けれど、彼のようには上手くいかなくて……たまたま彼に出会わなかったら、今頃どうなっていたか……」
微かに、息の詰まりそうな空気が酒場に満ちていた。アルデンスとエレクトラへの同情ではあるが、境遇とは少し違う、何かを、憐れむような。
「そうか……いや、でも、だとしたら……いや、そうか」グランティが言葉を詰まらせながら言う。「その、お二人には言いにくいんだが……」
「ううううううう……!」
その隣で、ブラダがびしょびしょのずるずるに濡れて呻いていた。グランティは、妻の醜態に溜め息をついた。ポケットからタオルを差し出すが、一瞬でじっとりと重くして返された上に、ブラダの泣き顔は全く変わらなかった。
「お前なあ。お前が一番辛そうにしてどうする。ほら、お二人とも困っておられるじゃないか」
「でも、でもお……ズズッ……親子離れ離れとかあ、ううっ、うー……い、いまま今あっあっあっ、キくっきき聞いたらさあああああ……ううう……」
伏せた顔を両手で覆い、泣き崩れるブラダ。
はっとして、アルデンスとエレクトラは、弾かれるようにお互いと向き合った。これから母親になる人に、この類の話は刺激が強すぎた。
「すみません! どういう場所かも考えずに、こんな無神経な話を!」
「お二人が気にすることじゃないです。暇人が墓穴を掘っただけなんで。ほーら、いい加減、泣き止めって」
呆れ慣れた調子で、グランティはブラダの肩に手を置き、慰めて撫でる半分、揺さぶる半分。軽い一押しで、ブラダは腕をずるりと滑らせ、テーブルに突っ伏した。
「おい、ブラダ……ブラダ? おい」
荒く、感覚の短い、肩を使った呼吸。苦悶を食い縛る表情には、脂汗が浮いてる。
左手で、腹を庇っていた。
「おい、まさか」
エレクトラが真っ先に立った。酒場が騒然とする中で丁度、新しい湯を張ったタライを持って通りがかったアイラが異変に気づく。タライを置いて、急いでブラダに駆け寄ると同時に、エレクトラも寄り添った。
「ブラダ、陣痛!?」
ブラダは唸るのでやっとだったが、アイラの問いに微かに頷いた。
「こんな、いきなり……誰か! 上に連れ戻すから手伝ってくれ!」
「動かさない方が良い! おばあちゃん呼んでくるまで待って!」
狼狽するグランティを制して、アイラは身を翻し、バックヤードへ走る。古い湯を交換に降りて来たルイーズとカーデュが、階段の途中で蒼白となって立ちすくんでいる。
「ゆっくりで良いからルイーズ! カーデュ! あんたらまず降りてきな!」
幼い二人は場の緊迫に呑まれかけてながら、再び階段を降り始める。が、その足取りは見るからにすくんでいて、危なっかしい。それでも今は、構っていられなかった。
「おばあちゃん! おばあちゃーん!」
アイラが扉を乱暴に開ける。灯りのない部屋に光が差す。織りかけの布と機織り機の、寒々しくたたずむ姿が、薄暗がりに浮かんだ。
「いない……? 嘘……!」
アイラから血の気が引いた。椅子に残った祖母の温もりにすら縋りたい思いに囚われる。ベテランを身内に持つ安心感を実力の一つと勘違いして、意気揚々とこの場を受け持った幼稚さを、今になった痛感した。
アイラはまだ助産のことがわからない。アイラよりも、一時帰宅した女手たちの方がずっと、それか、分娩室で助手を務めている女手たちの方がまだ経験がある。
上から応援を呼ぶか? ミキ先生なら一人でも問題ないはず。
アイラは首を横に振った。ダメだ。分娩室の助手はまだ見習いだ。結局、ミキ先生一人に二人のお産を同時に看てもらうことになる。さすがのミキ先生も、それは無理かもしれない。
子どもを家に送り帰しに出ているロス、ヘレン、ベシーから、誰か呼ぶべきか。お隣と言ってもかなり距離がある。
今、ここを離れる時間があるか? ブラダの苦悶が、酒場の慌ただしさが、背中に重く圧しかかる。
ルイーズとカーデュに呼びに行かせるのは、どうだろう。にわかに不安に中てられた幼い二人は、すぐにでもここから逃げたいに違いない。お遣いに適任な気がする。
いやもっとダメでしょ! 何考えてんの! 子どもだけで夕方に、しかも雪の中を出歩かせるなんて! 毎年のように神隠しが起こっているの、忘れたの!? 落雪に巻きこまれたり、川とか水路の氷を踏み抜いたり、行方不明でも気が気でなくなるのに、春になって、虫や魚に食い荒らされた凍死体で再会した日には、悔やんでも悔やみきれない!
(落ち着け、落ち着け……!)
調子に乗ったツケに怯えてどうする。自分の無力さを認めたのは、振りだったのか。今、一番大事なことは、ブラダの容態だ。無力なら無力なりに、何から何まで自分だけで判断するな。今すぐミキ先生に指示を仰げ。
感覚が失せた手足に活を入れ直し、アイラはいちいち歩き方を思い出さなければならないほどだった。平積みの羊毛を踏んでいくかのような感覚に悩まされつつも、その目は苦しむブラダの姿を捉え、思いも寄らぬ光景のあまりに大きく見開かれた。
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