4-2
無言の谷間、橇引く蹄の速足が酒場の近くまで来ているのに、老スミス氏が気づいた。
橇は玄関前、馬繋柱の辺りで止まった。引き綱を柱に繋げる間が空き、玄関をノックする籠った音が鳴る。続いて、呼び鈴に繋がった紐が引かれ、りんりんとホールに澄んだ音が響いた。
「ごめんください」
妙に甲高い声だった。湯が沸くのを待っていたアイラが返事をして、ぱたぱたと来客を迎えに行く。きっと、シャクルトン夫妻だ。
「ここまでは来ないよね」「人目は避けるはずです」
来客の会話が、くぐもって漏れ伝わる。防寒のため渡したカーテンを除け、扉を開き、一旦玄関ポーチに入る。再びカーテンを除け、今度こそ玄関扉を開く。
アイラは外の空気で息を白くした。来客は二人。女の前に、男が立っている。二人で身体に積もった雪を落としているところだった。
二人とも、特に女の方は顔色が悪い。体調を崩している風ではなく、憔悴している面立ちだ。到着したばかりの橇の引馬は二頭とも、もうもうと湯気を上げており、全速力で走らされたことを物語っている。
「いらっしゃい。お待ちしていました」
「はい? お待ちして、って?」
てっきり女声だと思っていたものが、男の口から出て、アイラは面食らった。しかし、そう気取られる前に持ち直す。失礼があってはいけない。
「もー、またまた」
と、アイラは愛想良くしながら、いつまでもきょとんと立ち尽くす男の背を押した。腰に帯びた剣の鞘が、アイラのスカート越しに足に触れた。
「到着が遅くてみんな心配してたんですから。うーわ、雪で頭真っ白じゃないの! 寒かったでしょ? さあ早く、中で温まってください」
「はあ、それは、願ってもないんですけど。どなたかと」間違えていませんか。が遮られる。
「はいはい、お話は温かいところでゆっくり伺いますんで。ああ、でもすみません。今、ソーマ先生お産に当たってて。ああ、コートなんて後で脱いでください」
アイラは玄関ポーチで、瞬く間に二人の雪を落としてしまった。
「あの、橇と馬は」
「あら、すみません。気が利かなくて。それより、お疲れですよね。好きなところに掛けててください。あ、ストーブと暖炉の前、空いてますよ。白湯ならすぐに出せますから。お父さん、お父さーん、シャクルトンさん来たよー。馬繋いでー。……お父さーん?」
男女が口を挟むタイミングを逸したまま、アイラは歓迎する。男女はおずおずと酒場に足を踏み入れた。その後ろを、「本当に良いの?」と言わずも、女がついて行く。「まあ、よろしいのでは?」と言わずも、男は肩をすくめた。
アイラは父を呼びながら、きょろきょろと辺りを見回した。厨房を覗く。
「お父さんは?」
厨房の料理方に聞いてもわからない。ひとまず白湯を分けてもらい、来客に供した。
「あ、ありがとうございます……」
恐縮に似た色で白湯を受け取った女性へ、アイラは「遠慮しないで」と気安げにする。髪も肌も、透けて消えてしまいそうな女性だった。テーブルの上で、そわそわと右手首を触っているのを見ると、黒や白に艶めく糸でミサンガが編まれている。
ふと、その腹部にアイラの注意が向いた。フードや上着を脱いで露わになった体型は、こけたら折れそうなほどに細い。
明らかに、引っこんでいる。
「あの、何か?」と、恐る恐る聞かれるだけの間があった。
アイラは混乱しつつも、ぼうっと女の腹を指して、口を動かした。
「臨月って話じゃ……?」
来客二人は、からからの口で噴き出した。見るからに取り乱す女の隣で、男は笑顔で取り繕い「いや、そうなるのは、まだで」と、しどろもどろ一歩手前に打ち明ける。
「私はアルデンス。ただのアルデンス。彼女はエレクトラ・ブラン。旅の途中で、日も暮れそうなので、お宿を貸していただければと……」
アルデンスと名乗る男は、男の骨格に女の皮を被せたような見かけで、アイラへ簡潔に要点を伝えた。
聞き馴染みのない名前を頭の中で反芻する内に、アイラは徐々に勘違いに気づいていく。アイラは、悪い顔色を総なめする勢いで表情を変えた末、無になった。考えることが多すぎて、頭が煮えていた。
「失礼シマシタ。マ、白湯デモ」と勧める。
即座に後ずさって二人から離れ、アイラはグランティへぐりぐりと目配せした。グランティは小さく頷き、ブラダに一言断って離席する。グランティは来客二人の前を、腰帯の短剣を見せるように素通りし、壁のハンティングトロフィを眺める風を装っていた。
その裏で、居残り組の子ども二人をアイラが呼び止める。目線の高さを合わせて、声を内緒に落とした。
「ルイーズ、ソーマ先生に伝えて。お湯運ぶの少し遅れるって。カーデュ、バーカウンターの裏行って、ペラペラ出して見て。あの人たち。ペラペラ、わかる?」
ルイーズは素直に、カーデュは目を爛々とさせて頷いた。「よし、ゴー」と三人で小さな円陣を組み、速やかにそれぞれの持ち場に移る。
愛想を振る舞いながら、アイラは風のように二人のもとへ戻った。
「ごめんなさい。静養でご夫婦がいらす予定だったので、私てっきり」
腹の底では警戒していた。バーカウンターの裏で、カーデュは指名手配書の束をペラペラとめくり、一つ一つの人相書きと来客とを見比べている。
アイラは改めて旅人二人を観察する。
アルデンス。妙に声が甲高い。明らかに男とわかる外見だが、髪や肌質など、女性寄りの雰囲気が漂っている。中性的、ではあるのだが、男女の中間にまとまった感じではなく、土台の男らしさと表面の女らしさの主張が強く、拮抗している類の中性である。
エレクトラ・ブラン。景気の悪そうな顔の女だ。身体のどこを見ても細く、栄養失調を心配してしまう見た目である。
(旅人、って言うか、夜逃げか駆け落ちみたい)
アイラはアルデンスを見る。腰に佩く剣。人攫いということはないだろう。
しかし、辺鄙な村の、冬も明けきらない時季に、商人でもなく旅人。それも男女二人で。シャクルトン夫妻もそうだが、この二人組も負けず劣らず無謀だ。そもそも役人以外には、妊婦や隣村の住民か、遠方の親戚くらいしか用事がない村なのに。
護身用とばかり思っていた剣が、不意に不穏な気配を漂わせる。陽のある内の来訪だ。少なくとも吸血鬼の心配はいらないだろう。しかし、アイラは護律協会の会員ではなく、所詮は村の小娘である。怪物への見識に自信がない。
狼男を始めとした亜人種たち、霊髄の諸相、祖霊に……アイラも知らない何か大勢。
(家に招き入れるんじゃなかった)
疑心暗鬼が止まらない。こいつら、怪しい。村の看板娘の勘がビンビンだ。
男の声とか特に。
「気になさらないでください」アルデンスが応える。「臨月、とも聞こえましたが、ここは……?」
「ええ」アイラ自ら、受け答えのぎこちなさを認めた。「申し遅れました。フロア開拓村、村長の娘のアイラ・バーレイです。ここ、子宝村なんて呼ばれるくらいには、取り上げ上手な人ばかりで、評判を聞いた方々が、わざわざご出産のために来られるんです」
今はとにかく、カーデュが手配書の人相と照会できるように、何としてでも場を繋がないと。
さりげなく、アルデンスの視線がカーデュの方に向くのを、アイラは身体を張って遮った。いやいや、バカか。アイラは自責する。カーデュにも見えなくしてどうするの。
「一見、こちらは酒場と宿屋のようですが」
「あ、ああー! 答えになっていませんでしたねー!」
アルデンスが酒場全体を興味深げに見回すのを、これ幸いとアイラは動いた。
「おっしゃる通りです。ここは村長の邸宅、ぶっちゃけ私の家で。……お恥ずかしい話なんですが、助産院を建てる余裕もありませんし、広さに飽かせて受け入れ続けている内に、実質助産院のようになったんですよね」
「はあ、道理で」
アルデンスがチラ、と酒場に目をやる。エレクトラも感心した風に、目を巡らせた。
「それじゃあ、突然お邪魔して、ご迷惑でしたよね」
ええ、まあ。と、喉から出かかった台詞を呑みこんで、アイラは曖昧な愛想で、やんわり否定した。
「でも、お部屋のご予約だって」
申し訳なさそうにするエレクトラへ、アイラはとんでもないとばかりに、両手を交差させるように振った。
「大丈夫ですよ。今だってベビーラッシュですけど、空き部屋もありますし」
アイラは硬直した。いけない、つい口を滑らせてしまった。満室をでっち上げて追い出す手を、自分で潰してどうするのよ。
(やりにくいなあ。すごく怪しいのに、悪い人たちに見えないんだもんなあ)
「しかし」アルデンスが切り出す。「こう言うと失礼かもしれませんが、産婆さんっていうのは、こう、家々を駆けずり回るお仕事とばかり思っていました」
「さ、最初の頃はそうだったんですよ」気遣われた?「先任の地方護律官さんの頃からもう、それじゃ間に合わなくなっちゃったそうなんです。で、身体がいくつあっても足りない! ってなっちゃって、そんなにうちを頼りたきゃ勝手に来なさい! って開き直ってみたら、こうですよ」
上から聞こえるうめき声を指して、「あの、今も?」とエレクトラが尋ねた。
「はい。昼頃からずっと」
「……命の生まれる家」
エレクトラの噛み締めるようで軽やかな呟きに、アイラは片眉を上げた。
「真っ新な、赤ちゃんの魂が、一番降りて来る村。だからきっと、雪も魂みたいに綺麗で、天国に一番近いのかも。素敵な村に来れちゃったな」
おまじないみたいに、不思議なことを言う人だ。でも、悪い気はしなかった。“命の生まれる家”、“天国に一番近い”、愛する我が家や村がそう呼ばれるのは、何だかむず痒い。
待ちな、アイラ。アイラは頭を振った。
こんなお花畑チックな戯言に絆されちゃいけない。絆されちゃいけないのに、自分が褒められたみたいに、口元が緩んじゃう。
「……取柄なんてそれくらいですが。大好きな村です」
「アイラ姉ちゃん! そいつら悪者じゃなかった!」
心肺が口からお出かけするくらい、大きな声が出た。
見てごらん。バーカウンターで指名手配書をめくり終えたカーデュが、問題を解き終えた生徒らしく、精一杯に手を上げているよ。おりこうさんだね。サー・グランティも、感心して首を横に振ってるよ。
違うだろ。アイラは血相変えて振り向いた。
「カーデュこらテメー! こっそりやれってんだよお前え!」
「良いじゃん! 悪者じゃないってわかったろ!」
「だったら疑われて気分悪くなんでしょが! 大体、手配書だって少し古いんだから確定じゃないの! 詰めが甘いの、詰めが!」
村ぐるみの付き合い特有の手加減無用な空気が漂い、喧嘩の気配がピリついた。
それをいち早く察したのが、アルデンスだ。
「まあまあアイラさん、と、カードゥくん? ああ、カーデュくんね。手際がよろしいじゃないですか。私どもがお尋ね者なら今頃、適当に用事をでっち上げて尻尾を巻いて逃げているところでした」とおだてて、喧嘩に水を差した。
「いや、真面目な話ですよ。どこの馬の骨かわからない私どもの素性を検めるのは、当たり前じゃないですか。やましいこともなし、気を悪くするなんて厚かましい真似、とてもできません。それに、実は最初から気づいていましたし」
やっぱり気を遣わせてた。ガキっぽい独り相撲を見られた気分になって、アイラは項垂れた。
「……すみません。ご無礼を働いた上に、お見苦しいところを」
アルデンスは朗らかでも、声が甲高かった。
「何をまさか。お若いのにご立派ですよ。あ、でね、カーデュくん、中々様になっていましたよ。筋が良いくらいです。鎧を着たらもう、騎士と見分けがつきませんよ、きっと。君には英雄の素質があります」
何となく遊び感覚だったカーデュは、話しかけられるのはもとより、まさか褒められるとは思っておらず、照れ臭そうにどぎまぎした。エレクトラに微笑まれ、手を振られると、もうどう返せば良いかわからないといった様子で、カウンターに隠れた。
アイラの警戒が薄れていく。アルデンスとエレクトラの物腰は柔らかで、どこか気品がある。
今すぐ騒ぎを起こされることは、ないか。
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