4-1
ミキは相変わらず、イヴリン・バニスターのお産に寄り添っている。
湯と布の搬入が軌道に乗り、酒場の慌ただしさの中に、幾らか余裕が出てきた。
授業の直後に分娩の手伝いに駆り出された子どもたちの内、年少組は疲れが出たのか、ストーブの前で敷物に横たわり、すやすやと寝息を立てている。火の番で安楽椅子を揺らしていたクロウ爺は、暖炉を年長組の子に任せ、寝る子に毛布をかけている。そのついでに、「眠くないもん」とぐずる子を胸に抱いて、枯れた腕でポンポンと心拍より遅いリズムで背中を叩いてやり、夢の中へ誘ってやっていた。
今の主役は分娩の裏方の中でも、若手の村人たちである。年長組の子どもたちが、キビキビ動く女手たちに跳ねっ返されつつも、負けん気で食らいつく。若いのも幼いのも、分娩室で戦う人々を支えている。
分娩は命懸けだ。ピリつく緊張感に駆られる中、大人たちに余裕が生まれてくると、寝ている我が子が嫌でも目についた。
「あーもう、毛布を蹴飛ばして。ほーら! こんなところで寝たら、風邪引くか、火だこをこしらえちまうよ」
女手の一人が、下げたタライを床に置き、自分の子の肩を無遠慮に揺さぶった。が、すっかり熟睡する我が子は目覚めるどころか、寝返りを打ってもっと快適な寝姿を取る始末。
「しょうがないんだから……すみませんね、クロウさん。うちの子らが迷惑かけて」
「迷惑なもんかい。長生きにゃ、良い薬だわいの」
抱っこで寝かせた子どもをクロウ爺が降ろそうとすると、むずがって子どもが自分からクロウ爺に抱きついた。クロウ爺は潤ったように相好を崩したが、その子の親である女手としては感謝こそすれ、任せっ放しでは申し訳が立たない。腰に手を当てて、どうしたものかと思案する。
「フィリップ、サイモン」
二人でタライを運ぶ長男と次男を、女手は呼び止めた。
「ひと段落ついたし、チビたち家に連れて帰るよ」
「おう」「これ運んだらな」「コート出しといて」
息子たちと入れ替わりに厨房を出る、あるいは二階から降りてくる女手仲間たちにも声をかける。
「ヘレン、アイラちゃん、ああ、ベシーもすまないけど、ちょっと抜けさせてちょうだい。チビたちを家まで送ってってくるから」
我が子の寝相を目の当たりにした女手たちは、口々にお腹出しちゃってだの、世話が焼けるだの、風邪をもらうだの、がみがみと文句を垂れながら、服の裾を整えたり、毛布をかけ直してやったりした。
「わかったわ」若者代表然として、アイラが名乗り出る。「今なら私と子どもたちで充分だし、他にお子さん連れて帰りたい人は、今の内に行ってちょうだい」
女手たちが、ためらいがちに互いを見やった。
「そりゃ助かるけれど、アイラちゃん。任せて大丈夫なのかい」
「何言ってんの、ロスおばさん。村に病人出すと、後が大変なんだから。病気が流行ったら、ここだって回らなくなるもん。村人全員ぶっ倒れたって、赤ちゃんに移す訳にはいかないもの」
アイラ・バーレイは、頼もしく見えるよう胸を張り、バックヤードに顎をしゃくった。
「それに、いざってときは、うちのおばあちゃんがいるもん」
皆の視線がバックヤードに集まる。ベア婆さんはクロウ爺に次ぐ村の長老で、助産経験も豊富だ。誰からともなく「ああ」と得心いった声がさざめいた。
「なら、お願いしちゃおうかしらね」とロス。
「だったら……」とヘレン。「うちも……」とベシー。
何だかんだ、困った子が可愛い家ばかりだった。
「すぐ戻るから、ちょっとの間だけ空けさせてね」
アイラはにこりと頷いて、「さー、あんたら、大人に一つ貸しを作ってやろうじゃない」と、二人一組でタライ一つを運ぶ半人前たちに発破をかける。
「おやつが欲しいかー」「わー」「一日サボり券が欲しいかー」「わー」
俄然やる気を見せる子どもたちに、女手たちは苦笑しつつ、コートを着、眠る子を抱いてから襟を閉じた。
「よろしくね」「すぐ戻るから、お願いね」と一声かけて一時帰宅する人々をアイラは見送った。
「オレらもすぐ戻る」と、フィリップとサイモン兄弟が、弟や妹を背負ってから、お互いにコートを着せ合う。
厨房から酒場の料理人が顔を出し、「次の湯、沸いたぞ」と知らせに来た。アイラはよく通る声で返事をして、少しだけ慌ただしくなった仕事に戻った。
二階から生みの苦しみが、まだ聞こえてくる。
上から下へ、忙しく働き回るアイラが、階段の登り口で足を止める。階上から、二組の家族が降りてくるところだった。スペイバーン夫妻、それとスミス夫妻と夫側の父親。どちらの一家も、臨月を迎えた夫人の手を支えて、一、二、一、二、と息を合わせて一歩ずつ、足場を確かめていた。
「ごめんね、邪魔するわよ」と、アイラを待たせているのに気づいて、ブラダ・スペイバーンが謝った。
アイラはそんなことよりも、足元に気をつけるようにだけ伝えて、入れ替わって二階へ上る。もっとも、その忠告はスペイバーン夫妻の後に続くスミス一家に向けていた。ブラダの夫、グランティは村人の中でも頭一つ抜けた偉丈夫で、階段で妻を落とすようなヘマはしない。
むしろ、村の外から来たスミス一家の方が心配だった。夫の父親はまだ溌剌としているものの、夫婦は共に結構な高齢で、覇気がない。良く言えば落ち着いた夫婦だが、スペイバーン夫妻と並んでいるところを見ると、少し心配にさせる雰囲気が漂っている。
二組の家族が二階に降りて、アイラは入れ替わって二階に上がる。
二組の家族はそのまま、夫人同士で酒場の椅子を借りて座る。身重で足場の悪い場所を抜けて、助かった心地で、揃って盛大な溜め息をついた。
「バニスターさん、大丈夫かしら……」
「やあねえ、そんな辛気臭くしないで」
年嵩のスミス夫人の心配性を、年下のブラダが慰める。しかし、歳を重ねてからの初産だからか、スミス夫人の憂いは晴れない。
「でも、あんな、死にそうな悲鳴」
「命懸けでも病気じゃないのよ。それに、あのミキがついてるんだから百人力よ」
スミス夫人は弱々しく頷いたが、上からの悲鳴が山場に当たり、肩を縮めて萎縮してしまった。スミス氏が妻の不安を案じて、震えるその手を握った。
ブラダは一瞬、隣に座る夫のグランティに、上目を遣った。
「にしても、イヴリンの悲鳴ったらすごいわよね。どんだけ痛がるのって。これから私たちも、ああいう目に遭うんだよね。憂鬱だわ」
ああいう目に。スミス夫人は、ぽつりとオウム返しをこぼし、俯いた。
落とした視線の先にあったはずの膝元は、大きくなった腹の山でほとんど隠れてしまった。ブラダもそれは同じだ。口惜しいやら、諦めがつくやら。日に日に育つ待望が、いつの間にか重たい不安にすり替えられたような気がするが、その膨らみは憎たらしいほど愛おしくて、つい撫でている内に時間が経ってしまう。
バニスター夫人の悲鳴も、スペイバーン夫人のおしゃべりも止まらない。
「最初の内は自分の部屋から応援したり祈ったりしたげる気にもなれたけど、こうも筒抜けだと、ちょっとねえ。何時間も聞かされる身にもなって欲しいっていうか、頑張ってるあの人には悪いけれど、参っちゃうわよねえ」
それが、二組の家族が一階へ退避した理由だった。
「やめろブラダ」明け透けな物言いの妻を見かねて、グランティ・スペイバーンが肩に手を置いて諫める。「悪いと思うなら、口に出すな。お前だってもうすぐなんだぞ」
「もうすぐだからじゃない」
ブラダが声を落とす。すっかり膨らみ、下がった腹を、なだめるように撫で、夫に冷めた目を向ける。
「偉っそうに……お説教より先に、嫁にかける言葉があるんじゃないの? ちっとも女心がわかってないんだから」
「バカ言え。お前が強がっていることくらいわかる」
「何で強がってんのか考えもしないで、開口一番正論ふっかけるとこがなってないって申し上げてるんですけれども、サー?」
「サーと呼ぶな、意地っ張りめ。そうやって不安とか弱みとかを隠して、いざってときに大事にならないかが心配なんだよ。お前に何かあったら……」
「やっぱりわかってない。あー嫌だ嫌だ。騎士様って堅物だし薄給だし」
は、薄給は関係ないだろ。体格で優っているはずのグランティが尻すぼむが、気圧されずに、踏み止まった。気勢が削がれて、冷静になれたのか、継ぐ言葉は束の間、穏やかだった。
「なあ、ブラダ。なら話してくれよ、わかってない俺に。いい加減正直になれよ、ったく」
「私が悪いって言うの!?」
「そうじゃないって……」
スペイバーン夫妻の言い合いが白熱する。スミス夫人は年上として仲を取り持とうと思いながら、間を割る機会を掴めずあわあわしていた。夫と義父に助けを求めて姿を探すが、二人は窓辺に退避し親子水入らず、黄昏ていた。
「こらこら。そうカリカリしちゃ、身体に響くよ」
厨房から様子を見に来たバーレイ村長だった。
傍からは、村長でも見かねる醜態だったのだろう。ようやくスペイバーン夫妻は恥じて、口喧嘩を収めた。
村長が咳払いする。
「ブラダさん、お腹の赤ちゃんの様子に、意識を向けてご覧なさい。お母さんの不安が伝わって、動いているんじゃないかい。サー・グランティも、ほら。ブラダさん、旦那さんに触られても当然、嫌じゃないね? そんな冷えてないよね? ね?」
スペイバーン夫妻はバーレイ村長に促されるまま従った。動いている。村長の言う通りのことが、ブラダの中で起こっている。
「あれえ、本当に? いえね、不安とか何とか言ったけど、適当だったの。僕、何にもわかってないから」
いい加減なバーレイ村長に毒気を抜かれて、肩肘張っているのが馬鹿らしくなる。スペイバーン夫妻はどちらからともなく「ごめん」と口にした。村長はうんうんと頷いた。
「よそのご家庭にとやかく言える義理は、あんまりないけどね。ここは一つ、ご近所のよしみってことで。ささ、お茶でも飲んで、くつろいでしまおうか。ね、お二人とも。そっちのお三方も、どうかな」
どれ、ラズベリーリーフでも出そうか。と、バーカウンターの裏を探るバーレイ村長だったが、中々探り当てられない。じゃ、タンポポの根……も、あれえ?
「ちょっと待っててね」と一言断って、「お袋」とベア婆さんへ尋ねにバックヤードへと姿を消した。扉が閉まる直前、ベア婆さんが「どちらのお宅にお分けしたかしらねえ」と呟くのが、酒場に届いた。
気まずい沈黙を破って、グランティ・スペイバーンが、おもむろに席を立った。
「……とりあえず、お湯でも分けてもらうか」
「……うん」
夫婦としての青さを指摘されたようで、ばつの悪い気を背負ったまま、グランティは厨房へ向かう。
「スミスさんたちにもお願い」とのブラダのお願いを、片手を挙げて受けた。
白湯を注いだカップや木椀の底から、名残の湯気が引かない頃だった。
白湯の温もりがじーんと身体に広がり、出産の壮絶な面を聞きかじって強張った両夫婦の雰囲気も、少し緩んでいた。
相変わらずスミスの旦那親子は窓辺がお気に入りのようで、言葉少なに白湯を飲み干してから、ずっと黄昏ている。夕陽を追う雲の底が寂しげな橙色に染まって、空気に冷たさが忍び寄る。
「雪」
スミス氏が目に留めたままを呟いた一言は、降る結晶の一つになって、音もなく景色に馴染んでいった。おもむろにスミス氏は、妻に歩み寄る。
「ねえ、雪みたいだけど」
だけど。の続きが、待てど暮らせど聞ける気配がない。のっそり立ったまま見下ろすスミス氏の影が、夫人に落ちている。雪みたいだけど、何かしら。困惑する夫人が、夫に首を傾げてみせた。スミス氏は少し困ったように、口先をぐいぐいと曲げた。
「えっと、寒くはないかい」
「あ、えっと」とスミス夫人が言葉に迷っている内に、老スミス氏は「使いなさい。今寒くなくても後から冷える。子どもらが昼寝に使っていたのを、クロウさんからもらって来た」と、毛布を二枚用意して来た。
「あ、ありがとうございます。お義父さん」
嫁が腹と膝元を暖かくする間に、老スミス氏はブラダにも毛布を差し出す。
老スミス氏は、息子に面と向いて、険しい顔を一層しわ深くした。
「どうせ渡すもんなら、先に用意せんか。お前は昔っから間が悪い」
「ご、ごめんよ、父さん」
老スミス氏は額に手を当て、天井を仰いだ。
「すまん、ナデューラさん」息子に代わって、夫人に頭を下げる。「わしが倅を、碌に育ててやれんかったばかりに……結婚も待たせちまうし」
「い、いいえ全然」身重で席を立つナデューラ・スミス夫人。「今、幸せですから」
「良いなー。熱いなー」
通りすがりの湯運びアイラが、ぽろっと滑らせた惚気を囃した。言ったこと、言われたことに気づいて赤くなっていたスミス夫妻は、世話になっている家主の親族にからかわれて、更に顔を熱くして、椅子に座って小さくなった。
「ご馳走様」
ブラダ・スペイバーンはにやにやとちょっかいをかけた。夫婦は更にのぼせたような顔になる。
ブラダはちらちらと自分の夫の方に目配せしたが、ぴくりとも反応を見せない鈍い男に、わざとらしく溜め息をついた。鈍い男との見立て通りにグランティは鈍いので「何だよ」と口を曲げたが、それきり会話は途絶えてしまった。
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