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作中の風景が目に浮かぶような描写を心がけてきたのですが、そこがお気に召していただけたのでしょうか? それともコンセプト? そんなことを考えながら、続きを書いています。
雪の終わりが近いと肌で感じる時季になったが、フロア開拓村は先の雪化粧を保ち、チェイス川にはまだ氷が張っている。しかし、その氷の下では川の流れが戻りつつあり、チャルチャルとせせらぐ微かな音は、まるで水の精が春を待ち焦がれて歌うかのようだった。
除雪された道を、ジョゼ・ライクワラとイリーナ・コシノヴァ、二人の修律士が、足元を踏み固める風に歩いて行く。雪道の感覚の名残であった。
畑地の残雪へ木灰を撒く村人たちが、景色の一部になっている。遠くから、目一杯上げた手を振り合い、挨拶を振り撒く昼下がり。灰で残雪を融かし、耕作の下準備を整えているのだ。
春が近い。
「だいぶ過ごしやすくなったよな」とジョゼが肩を伸ばし、白い息を吐く。
「あんまり喋っていると、胸から冷えますよ」と、つれない態度でイリーナ。
「舐めんな。こンくらい平気だっつの」
「ジョゼが平気でも、ブラダさんに移るかもしれませんよ」
「う」
「お見舞いなさらないなら、止めませんよ」
そう言われるとジョゼは弱い。心底渋い顔で悩んだ末。
「超お見舞いしたい……!」
「しょげないでくださいよ。まあ、雑談一つを惜しむくらい、あなたとご家族の身体を大事に思っているってことです。さっさと終わらせて、会堂で温かいお茶を飲みましょう。教官殿、こっそり相当上等な茶葉を取り置いてますよ」
教官にも内緒とでも言うように、イリーナが振り返った。悪い目をよく凝らす内に、深く眉間に皺が刻まれたが、はにかむ表情が意外にも合う。
「イリーナって、結構やんちゃだよな」
「何か言いました?」
「賛成、っつったの」
さっさと前に向き直し、すたすた先を行くイリーナの背中を、呆れ半分にジョゼは追う。いつの間にか、吐く息がフードのファーやまつ毛に霜を結んでいた。
村から川を遡り、向かう先にある断崖は、村を見下ろすようにそびえ立っている。
鍵の凹凸のように不自然な高低差がある頂には、麓と全く同じ植生が広がるものの、標高の低い領域を除けば、軒並み枯死している。岩壁は粗く、浸食が浅い。麓から遠く眺めるだけでも、風景に馴染むのを拒むそのたたずまい故に、存在感をいや増していた。
道の両側は銀世界、土壌改良中の開墾地が広がり、まばらに防風林が残されている。放たれたトナカイの群が前脚で雪を掻いて地衣類や苔を食み、角で剥がした樹皮を噛むなど、思い思いに餌を得ている。
イリーナが立ち止まる。ジョゼはつんのめった。
「どしたン」
「あの辺、誰かに呼ばれた気がします」
イリーナが、ジョゼに指を差して示す。指先からほんの少しずれた方角から、遊牧民――狗人の少女が馬上で手を振る姿があった。狗人を乗せた馬が、速足で二人の元へ駆けて来る。
二人が手を振り返す。馬上の人は、二人にあまり首を上げさせない距離を保って止まった。
「おっす、ラライ」
目の悪いイリーナにもわかるように、ジョゼは名前をつけて挨拶を交わした。
馬上の人ラライは、色鮮やかなフェルト着の下で「むふ」と、ジョゼたちへ軽く頷いた。二人の他にも人を探すように首を巡らせる。尋ね人がいないと知ったのか、犬耳を伏せて、うんざりした目で二人を見た。
「早いね、拝露教徒。今日、二人だけか?」
「ソーマ教官は出産に立ち会っています」イリーナが馬に語りかけていた。
ラライは「あー」と、目を覆った。
ラライがジョゼとイリーナを指す。「二人、まだまだ。雲作る、下手」ラライが青空を指す。「まだ寒い。だから雪降る」ラライが胸をトンと叩く。「私は」の意味だ。「知ってる」
「おい、聞き捨てならないんだけど」
ラライがジョゼの異論を無視し、特大の溜め息をついた。
「赤ちゃん産まれる、ミキ助ける、仕方ない。でも、ミキいない、ダメ。二人だけ、いつも、いつも、天気悪くなる。こうしちゃいられない」胸を叩く。「お見舞い、行く。とっておきの贈り物ある。トナカイ集める、帰る。そして、行く。雪、降る前に」
「雪降らすって決めつけるんじゃないよ! 感じ悪いな!」
「なら早く一人前なる。ジョゼ、もうすぐ、おば、なる? しっかりしろ」
「おば言うな。生まれたら絶対に姉ちゃんって呼ばせるんだからな」
「涙ぐましい。若作り、哀れ。変なこだわり。それより、“ゼノン”の腕磨く。これ、私たちの警句。“立てない仔馬は間引かれる”」
挑発的ににやけたラライの捨て台詞に、「言ったなお前え! 見てろよお!」と、ジョゼは背中に声をぶつけた。イリーナの頭の中に、散歩中の飼い犬が引き綱を目一杯張り詰めて、他所のしつけの良い犬に吠えかかる場面が浮かんだらしい。やれやれと、ジョゼの襟首を引っ張って下がらせた。
「ラライ、何か用があって、わざわざ呼び止めたんじゃないですか?」
あ、と口を半開きにして思い出した様子のラライは、少し訝し気にして村の方に遠目を配った。無意識に犬の耳を絞る。
「黒い森、騒がしかった。余所者来てる?」
森の方が騒がしい。ジョゼは真っ先に猟銃の炸裂音を連想した。あの森は猟場である。騒がしくなるとすれば、火薬の炸裂ないし鳥獣の警戒のどちらかだった。
「狩りではなくて、ですか?」
ジョゼが尋ねる前に、イリーナが確認する。ラライはむっつり首肯した。ジョゼとイリーナは顔を見合わせる。
「また駆けこみでしょうか? それとも直近で、どなたか予定、ありましたっけ」
「あるある」まさにドンピシャなのが思い当たるジョゼ。「シャクルトンさんのご夫婦。到着が遅れててさ」
思いも寄らない回答に、イリーナは、鋭い目つきを丸くして驚いた。
「急な申し出だったのは覚えています。ですが、そのご夫婦、受け入れをお断りしましたよね? 遠方からお越しになる上に、予定日まで間もなくて、無理を押すくらいなら地元でお産するべきです、と」
妊娠の安定期なら、多少身体を動かすくらいが良いとは二人とも知っている。遠出でなければ、足を伸ばすのも悪くない。しかし旅は、特に予定日間際に決行するのは要注意、どころか避けるべきだ。
頼る伝手のない町中で、飢える獣のさまよう森の中で、波に揺れる渡し船の上で、吊り橋を渡る最中で。時と場所を選ばず産気づいてしまう危険性や、計り知れない。
のだが、幸せが過ぎて浮足立った人には、この危うさが中々伝わらなかった。
「一言でも伝えられていたら、まだ良かったかもしれなかったんだけどよ……」
渋い顔のジョゼの言いたいことが、イリーナには呑みこめなかった。
「そのお断りの手紙も、村の遣いも、全部すれ違っちまったみたいなんだよ」
「……電話は?」
「シャクルトンさんとこも、ご近所さんも、引いてないんだよ」
「だったら、まさか、忠告を聞く前に、出発しちゃったんですか」
ジョゼは渋い顔のまま頷いた。
「遣いに出したやつから、そう連絡が」
親指と小指を伸ばして、電話の受話器のハンドサインを作るジョゼ。絶句するイリーナに、ジョゼも「だよな」と同意した。
「いやー、でも良かったー。あんまり捕まんないから、どっか道端で産んでんじゃないかとばかり」
「狗人、みんなそうする」と、ラライ。「産む。即、母子乗馬」
「こちとらお前らほど丈夫じゃないんだよ。心配でこっちから様子を見に行こうかと思ってたところなんだぞ」
「ふーん」
ホッとして無事を喜ぶジョゼに対して、ラライは神妙に黒い森を眺めていた。
黒い森は鬱蒼として、中の出来事も、生き物の気配をも閉じこめる。微かに漏れ伝わった風の音が、人の耳を素通りし、獣や狗人に語りかけている。
だが、ラライには、その違和感の正体が掴めていないようだった。耳をピクッと上げた。
「親父殿、呼んでる。トナカイ、離れすぎた。もう行く」
「禁域の近くです。いつもより目を光らせてくださいね」
景色の遠くで、すっかり小さくなった馬上のラライが、イリーナに応えて腕を掲げた。
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