眩しさ
地方在住、独身一人暮らし女性調理師の時川礼子シリーズ。新年最初の1日目はまさかの職場恋愛の気配が。
1月1日。明けて新年。
12月31日は実家に夕食だけ食べに帰省し、今日は出勤した。
仕事があるとは言っても、自分の担当の弁当部門が暇になってたので、仕出し部門の応援に行っていた。
もう何年も元日は休んでいない。
世間が休みの日に働くのはなんとなく楽しかった。
正月三が日は晴れるので特に気が晴れた。
その代わりに人の少ない平日に休日を取れるのに優越感を覚えるからだった。
制服の帽子を脱ぎ、使い捨てキャップを取り私服に着替えた。
帰り支度をしている若い男性調理師に「おつかれー」と声をかけて出入口へ向かう。
「あの」
先程声をかけた調理師に呼び止められた。
背が高く肩幅も広くスポーツをしていましたと言わんばかりの体格の、黒髪を短く切ったおでこの広い、少し目付きが悪いが明るく仕事熱心な21歳だ。
「時川さん今日って時間ありますか?」
相談かと思い礼子は身構えた事を気取られないように軽く答えた。
「明日休みだしいけるよー」
男はホッとした表情で話し始めた。
「良かったら飲みに行きませんか?」
飲みにとは言ってもこの子は私より12歳も年下ではと礼子は首を傾げた。
「私で良いの?もっと若い子とさあ、他にも誘う?」
身振り手振りで仕事場に行ってこようかとポーズを取る礼子に、和島は真剣な顔で言ってくる。
「俺は時川さんと飲みたいんです」
はあと気圧されてじゃあ駅前ででも飲みますかと言って2人で飲み屋に行くことになった。
礼子の車に乗って、地下駐車場に車を停めて歩いていく。
助手席に弟以外の男の子が座ってるなんて不思議だなと思った。
着いたのは何回か忘年会や送別会で来た事のある居酒屋だった。
「私、親になんかあったらすぐ行かないかんけんノンアルコールね」
「俺生中いくっす。本当に送って貰って良いんすか?」
「良いよー和島くんって家は沖洲だっけ?」
「そうです」
2人席について上着を脱いで飲み物とつまみを注文する。
「で、なんで私なん?」
ノンアルコールのサングリアもどきを飲んで和島に聞く。
生ビールを一口飲んだ彼がこちらを見てくる。
「時川さん……というか礼子さんって呼んで良いですか?」
若い子は何を考えてるんだとずるっと、滑る真似をして答えた。
「まあ良いよ、減るもんじゃないし」
和島は嬉しそうに笑う。
「良かった、俺礼子さんみたいな自分を持ってる女の人好きなんです」
ごほぉと噎せる。サングリア風が飛び散らないようにおしぼりを持つ。
「え、それは人として?それとも恋愛……として?」
「いや、なんというか面白いなって思って……恋愛なんすかね……礼子さんて彼氏いるんすか?」
遠慮がちに聞かれたが即答する。
「いやいないけど」
それは事実として、どう話を続けたら良いんだと考える。
そのうちにつまみの唐揚げやたこきゅうがやってきた。
「まあとりあえず食べましょう」
繋ぐ言葉を探す時間が欲しい。
黙々と料理を食べていると段々調子が出来始めた。
「和島くんまだ21歳でしょ?私もう今年で34歳なんだよ?恋愛なんだとしたらちょっと考えた方が良いと思う」
手羽先を食べながら話しかけ、追加の注文を店員に頼む。
年上の貫禄を見せつけたい。
「考えるって何をですか?」
骨だけになった手羽先を空いた皿に入れて考える。指が脂でねとりと光っていた。
「年齢離れてるし、そのジェネレーションギャップっての?にそのうち疲れるよお互い気を使い過ぎるんじゃ」
「礼子さんは俺に気を使ってますか?」
話終える前に遮られた。
確かに気は使ってないな、気の合う仕事仲間として見てたからなとおしぼりで手を拭きながら礼子は唸る。
今の若い子、私らとは当然だけど何か違うぞ。
「確かに使ってはなかったけど、恋愛となると別という話だよ」
運ばれてきた、シャルドネ風ノンアルコール飲料を誤魔化すように一気に飲む。
「じゃあ恋愛じゃなければ良いんですね?」
「和島くんああ言えばこういうだね」
ハイボールを飲み干した和島が桃色に変わり始めた顔で呟く。
「だってそうじゃないですか、恋愛がだめなら友達としてとか飲み友達としてとかそんなんで良いじゃないですか、俺は礼子さんと一緒にいられるならそれで良いんです」
若いとはなんと怖いもの知らずなことか。
それとも昨今の多様性だのジェンダーレスだのと言う、よく分からない言葉が彼等には空気の様に定着してるのか。
怖いなあ。礼子は枝豆を指で弄りながらやれやれと肩を落とした。
まあこの小僧の戯言に付き合ってやるのも人生経験かと考えた。長い間独りだったしと。
「負けました。君たち若い子は私達よりずっと先を行く考え方してるね、私はがんじがらめになってるからね」
枝豆を置いて店員に同じ飲み物と手羽先を注文した。
和島は礼子が卒業した調理師専門学校のかなり下の後輩でもあった。
はぐらかすようにそのことを話した。
また手羽先の脂でべとりとした指先を見て言った。
「さっきの話の続きなんやけど、まあいいよ、一緒に居よう。しょーもない話とかしようじゃないの」
輝くような笑顔で和島が笑う。
内心眩しいやめてくれえと礼子は思っていたが、彼はお構い無しに話しかけてくる。
「じゃあ明日から仕事場でも礼子さんって呼びますね」
「それはちょっと……みんなに勘繰られたら……」
慌てて止めるが若い力はもう止まらないようだった。
「良いじゃないですか、礼子さんの助手席は俺のものっすよ」
だんだん礼子の顔が赤くなる。
おしぼりで手羽先の油を拭うがどうにも焦って取れない。
若い子に良いように言い寄られて良い気になってるのではと思うと、みっともないと思いつつ嬉しかった。耳まで赤くなってるのではと冷や汗が止まらない。
お調子者をこれ以上良い気にさせないでと心の声は叫んでいた。
「なんでも良いよもう、もっと飲も、送ってあげるんだから」
飲み物をまた頼み直す礼子を見て和島が「よっしゃあ」と拳を握る。
若いって本当に……と目を伏せた。
帰り道、家まで送ると言ったものの家が何処かが分からず、礼子は気持ち良く寝静まった和島を助手席に置いて困り果てたのであった。
「若いって本当に色々良いね……」
ぽつりと呟いて弁当工場の駐車場へ車を走らせた。
なんという新年の幕開けだと、今年は色々あるかもなと思いながら埋め立て地の向こうの船の光を見た。
工場の更衣室に彼を寝かせるために、早出勤務者が出勤するまで駐車場で待機することにしたのだった。
さすがにひとりでは運べない。
よっこらせとシートベルトを外して缶コーヒーを飲みながら和島を見た。
私って自分を持ってるように見えるのかなあと礼子は考える。
普通に人に好かれれば嬉しいし、嫌われると落ち込む。どこにでも良くいるただのお調子者の独身女ではないだろうかと思った。
「ううん……」
和島の唸り声に我に返る。
「どしたの?水飲む?吐く?」
気分が悪いのかと彼を揺さぶる。
男は礼子の手を掴んで呟いた。
「俺本気ですから……」
そしてまた眠りについた。
この子、数年前まで高校生だったんだよなと礼子は頭を抱えた。
なんなんだ今日は本当にと思いながら、時刻は23時45分を過ぎていた。
「占いでは大きな変化は避けるべし、だったんだけどなあ」
季節刊のアラサー向け女性誌の占いページを思い出して呟いた。
運命の神は微笑むか。
それより早く早出の人出勤してえと思いながら、時川礼子の新年最初の日は終わろうとしていたのであった。
礼子の楽しい1年はまだ始まったばかり。