現在のなろう作品、およびオタク文化への警鐘 ~日本のアニメ衰退への道~2
つづけて読んでいただき、ありがとうございます。
さて、文末に残した、その先に待っているものは何でしょうかという問い。
どこかのサイトで見たものを勝手に引用させていただきますが、これは言い換えると、
「物語の菓子化」が進んだ先にあるものは何でしょうか
という意味でもあります。
ただただ強くなり、国を作り、ほめられ、覇権を取り、世界を自分のものにする。
ただただイケメンに愛され、美女に愛され、
まるで世界は自分を中心に回っているかのように味わえるのです。
そしてそれは、様々な文学や、アニメの主人公という狭い、狭いのぞき口から見えた、作品の中の世界の「現実」を覗いているからこそ、まるで自分が本当に主人公と脳が錯覚してしまうためにおこる現象なのです。
もしくは、その「現実」に無意識に、今の自分の心理状況を落ち着けるために、依存したがっているのか。
ええ、確かにストーリー性も何もないアニメや作品を読むのは非常に簡単で、人によりますけれども、はまってしまう人も当然いるでしょう。
物語の菓子化が進んだとき、作家はその存在意義を失います。
なぜなら誰でも同じようなものを書けるから。
たとえそれが自分のような初心者であっても。
森鴎外や、太宰治のような才能はまったくもって無用です。
そして、そのような作品は儲かります。なぜなら読者はそういった作品を求めているから。
ほかのジャンル、まともな作品に必要なが投資が回りません。
もっとも、そのような状況になればまともなのは、なろう系がまともと言われているのでしょうが。
はっきりいって、なろう系のような物語が大多数の人気を得るということは、これまで積み重ねられてきた美というものを無碍にしているということなのです。
古い価値観を新しい価値観で否定するということは歴史上あったことですが、なろう系というものは、ストーリー性も何もないという、積み重ねられてきたものの根幹を揺るがすことなのです。
昔からある素晴らしい作品は、もれなくストーリーを研究してきた、その集大成ともいえる作品ではないでしょうか。
表現方法、物語の展開方法、そして一字一字に至るまで考えられて書き上げられた文章。それこそが素晴らしい作品たる要因だったのですが、なろう系はそれを否定しているといえるでしょう。
ここで考えないといけないことは、作品のおもしろさとはいったい何かです。
まず間違いないことは主人公の体験を追体験できることだとは思いますが、私にも本当の面白さとは何かはいまいちよくわかりません。
ぜひ考えてみてほしいと思います。
そして、菓子化が引き起こす問題は、もう一つあると考えます。
それは日本の全体としてのアニメの品質の低下、海外へのノウハウの流出です。
制作側は、作れば作るほど儲かるのだから、とにかく低予算で、大量にアニメを作りたいと思うでしょう。
作画など客は求めていないのだから。
オール三コマ割りで、作画崩れも気にしない。
そんな作品であふれかえるはずです。
それだけでなく、そのアニメの制作は、もしかしたら製作だけは日本の会社に見えるかもしれません。
が、実態は中国やタイ、インドネシアなど海外受注で、99パーセント、もしくは100パーセントが構成されていて、日本の力などないでしょう。
もはや日本のアニメはすごいなんて言われず、ノウハウを得た海外で作られた独自アニメが大多数の人気になっているはずです。
その時には、自力でアニメを日本で作ろうと思っても、海外に優秀な人材は高値で買いたたかれ、ノウハウも日本にはない。立場は逆転します。
これは大げさに言っていません。
もう実際に始まっていることです。
驚くべきか、なるべくしてなったというべきか、中国でも似たようななろう系アニメがすでに作られています。
I might be a fake cultivator
きっと検索欄に出てきた動画は海外の動画だと思いますが、英語がわからなくても、どんな作品かはだいたいわかります。
そして登場人物などの服装やアイテムはさておき、作画レベルでは、これが日本で作られたといわれても大半の人が信じてしまうでしょう。
このようにもはや中国のレベルは日本の低級アニメと同程度まで来ているのです。
と、いいますか、もはや日本のアニメは海外の助けなしに成り立たないといっても過言ではないでしょう。
最後のEDのクレジットをよく見てみると、いまやほとんどのアニメに日本人以外、東南アジアや中国人の名前が連なっています。
まあ、誤解がないようにいうと、中国人とか外国人が嫌いだからこれを書いているのではありません。
私が危惧しているのは、日本のアニメ産業の力の衰退を懸念していて、向こうが同じレベルまで到達してしまえば、人員、そしてコストの面で劣る日本勢は勝ち目がないということです。
次はまとめです。