書くなれど
「ふん、そんなもんあたしゃ使うもんかね!」
再来月で御年84歳になる坂本ヤスが怒鳴る。
いや本人は怒鳴ったつもりかもしれないが、細くつぶやいただけである。
ここはとある古寺。
数人のボランティアで清掃がまかなわれているほど、和尚が一人で運営している小さな寺である。歴史的には深い。が、年々進行する村の過疎化に伴い運営はギリギリであった。
坂本ヤスは清掃員として50余年を越える。もはや半世紀以上「掃除」というものに費やしてきたのだ。その心意気は不動だ。
故に信じてきたものを疑うことはない。それは共に生き、支え、常に傍らにあった親友。手を離すことなどあるわけがない。
目の前で苦笑し佇む、同じボランティア清掃に参加していた主婦。それを一瞥する坂本ヤスの手に握られたハタキ。そのハタキの布の先が微かに揺れている。
主婦が推す、フワフワとしたものが付いているハタキ。なんでも「埃は全て吸着しますから楽ですよ〜」と。
何を言っているか! 全ての埃をハタキ落とし、落ちた埃、いや誇りを寄せ拾い集め、ありがたく賃金を頂くのがあたしらの職ではないのか!(今は無償とは言えだ!)
有償の職を離れ、後年はボランティアとして多種数多の施設を訪れて早数年。がしかし! その矜持は失われてなどいない!
ちなみに握られたハタキは手製! 着古した服を切って、試行錯誤の上に組み合わせた至高のハタキ!
何代目のハタキだ!!
「ふん、あたしゃこの部屋を一人でやるから、あんた方は本堂をやっときな!」
そう坂本ヤスは言い渡す。
うん、もちろん彼女らには無言で立ち去った様にしか見えなかった……
カラリ
件の部屋を開ける。
「失礼致します。」
坂本ヤスは誰も居ない部屋に深々と一礼し、入室する。
入ってまず先に部屋の窓、扉を全て開け放った。
新鮮な秋風が彼女の頬をかすめゆく。
が、坂本ヤスは微動だにすることは無い。
カッと見開く眼
そこからは修羅の如く! 無双乱舞で叩く!はたく!ハタキ駆ける!!
縦横無尽! その年齢相応の見た目とは裏腹に駆け抜けるハタキ術!!
未だ現役! いやこれほど鬼気勝るハタキ術を体得した者があろうか!! 風神雷神も敵うまい!!
厳かに御安置された小さな観音像。
観音様であろうと坂本ヤスにとっては容赦がなかった。バシバシと叩かれる観音像。むしろ坂本ヤスにとってみれば埃一つ、塵一つ残すことのほうが罪! 微塵も残すまじ!!
カラン
観音様の背面へ、坂本ヤスお手製のハタキがスナップした時に小さくなった。
何事か! 坂本ヤスの手が瞬時に止まる。辺りが静寂する。ここに在るのは坂本ヤスと観音様の微笑みだけとなる。
坂本ヤス(84)は観音様の背から鳴った所を探った。
掌程の木片が落ち、観音様の背に穴が空いている。
中は空洞なのか。
カサリ
手を伸ばした所に何かが触れた。
掴んでみたそれは書簡であろうか。数枚の手紙であった。
坂本ヤスはその手紙を手に取り開いた。
文字通り「ミミズが這った」が如くつらつらと書かれた書簡。
見る人が見れば達筆なる文字。がしかし常人に読めるような代物では無い。
いつの間にか伝家の宝刀、お手製のハタキは脇に納められている。坂本ヤスはその「書簡」を読んでいた。
おぉう! これを読めるのか! 伊達に歳は取っていない!!
カササ
書簡、いや手紙のページがめくられる。
時が重ね、遡る。
全てが書かれた時代へと巻き戻っていく。