火神少女 第八章「私は私である」
私は私にて、すべからく、私に並び立つ者は私以外にはないものである。
私は私にて、すべからく、私に並び立つ者は私以外にはないものである。
私は私でそれ以外の人間ではないのである。
だから、私に並び立つ者はないものである。
私に並び立つ者がないという事は唯一絶対性が宿っているという事である。
私は私にて、私以外に私たる者はないものである。
唯一絶対という事は神に匹敵する威力を持っているという事である。つまり、威力においては、神に並び立つ者だという事である。しかしながら、私は私でいる限りの事である。
すなわち、人間は例外なく、主なのだが、それは自分の領域だけであって、すなわち、人間の領域は神と比べて狭いのである。
神の領域は全知全能の神と言われる通り、すべての事に通ずるものである。
体において唯一絶対という事はいわば、精神においてであり、魂においてという事である。
体、精神、魂において、主なのだという事が言える。
もちろん、一つ体の中であるから、一つの体、一つの精神、一つの魂においてである。
しかし、私に並び立つ者が私以外にいないという事は、大きな課題であると言える。果たして、代わりを見つける事が出来るのか?という旅において、全く諦めざるを得ないのである。
やはり、自分の中で私というのは、唯一絶対のもので、それを受け入れさせる事が私には出来るのである。
適合者は私以外におらず、私は私で他の誰でもないという事である。
その他の邪魔者は主権を得る上で邪魔をしてくるのみである。
ある意味において、主への関心に関わってくる所である。主はひとりで、クニノトコタチノカミである。しかも、唯一絶対の神という所に水を差す、邪魔者がいるという事である。主なる神すなわち、唯一絶対の神がいるという事は、人間本位で見て下さる方がひとりいるという事である。神本位という事は唯一絶対という意味で、人間本位という事であり、しかも、それを保証して下さるありがたい神という事である。すなわち、人間の唯一絶対性というのは、神の唯一絶対性と繋がり、神が唯一絶対である限り、それは続くのである。この神というのは、唯一神教的神である。
すなわち、私が私である事と、唯一絶対の神が神である事と繋がってくるのである。すなわち、人間本位と神本位とは本来同じであるのである。
すなわち、主が主権を持たれ、主であられる限り、すなわち、体に縛られず、自由であられる限り、すなわち、体の対面に縛られない限りは私は私であり、それ以外の何者でもないのである。
すなわち、自分以外にはなり得ないのである。
それはドッペルゲンガーの様に、自分が自分によって殺されるという妙な現象を引き起こさないものである。つまり、自分の形によって自分を損なう事がないのである。




