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第三の聖典 第三部 火神少女(全十二話)  作者: キリスト者のたまご
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火神少女 第十章「「火神少女」の実用性」

「火神少女」の火の特徴である、光輝性とは、パソコンの初心であった。闇夜を明るく照らすその光とは、「火神少女」の火である、光輝性を発端に持つものであった。

自働性(地)、委任性(水)、光輝性(火)、浮動性(風)。神の形態には四属性あり、自働性は神の腰から上、委任性は神の腰から下、光輝性は光輪、浮動性とは翼となっている。

キリストの「栄光の姿」とは、翼の事であり、有翼のインマヌエルこそがイエスにとって、栄光の形であった。

その事から、父性、子性、聖霊性、すべてが浮動性に含まれるのだ。「天にまします我らが父よ」という様に、父性が絶対的に浮動している事を表している。つられて子性も聖霊性もである。

父、子、聖霊は浮いて動く事から、自働性のエロヒームと対比されるのである。

神の光輝性は、天使によって顕される。

神の委任性は、人間、生物によって顕される。

主体たる神が地の自働性を司り、火神少女=光輝性。風神少女=ペルソナ=浮動性。水神少女=委任性。となる。すなわち、エロヒームが地の自働性を司りながら、火神少女として、風神少女として、水神少女として、発展している。すなわち、エロヒームとは、全であり、一であり、全にして一、汎神論の基本に繋がる。ただし、人格神である為に、少女、主宰神たる神の人格こそが最も尊ばれる。

御心というものである。そこが汎神論と元本教が最もかけ離れた所である。

ペルソナは自由の神、すなわち、風神にならって、父、子、聖霊と分岐しているのだから、いわば、自由に特化した神のペルソナとなっている。

中でも、火神少女が卓越(たくえつ)したスペックを持ち合わせていて、火神少女の内容が問われる所である。

火神少女=光輝性となっているので、いかに光輝くか、それに重点が置かれる。現代において、火というのは馴染(なじ)みがないが、それは白色灯がある為だろう。光輝くのに電気は欠かせないものである。

火は光輝くものだったので、それに比して近いものを白色灯と言う為、蝋燭(ろうそく)の白い火つまり、白色灯やパソコンの画面等、光輝くものが産み出されつつある。より身近に、よりコンパクトに。

火を光輝性として扱うのは、気まぐれ等ではない。

単に単純化するならば、こうなるだけである。

つまり、光輝性とは、人間の進歩の度合いを計るものなのである。

もし、町を視て視慣れないものがあったなら、光を放っていたならば、人間が進歩している証拠である。

人間が光輝性を極めると、どういう事になるのか?是非とも視ていきたい所である。

日月神示に「何もかも神がさしているのだ。」とある様に、火神少女を通じて、人間が光輝性を極めるに当たって、初心忘るるべからず。初心の幻想を想い、その火を根絶やしにせず、初心にて、機械の良さを忘れずに生きていけたら、幸いである。ただし、幻想の為のものであると、忘れてはならない。

常に幻想を(とも)す為に、あるものだから、その光輝性をも忘れてはならないだろう。恐らくそれが初心であるから。

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