青色の案内人
「う、うぅん…」
街へ向かう道中の道端、森に入る手前くらいの木の根のところで倒れている人物を見つけた。
魔物なんていう化け物どもが跋扈しているこのご時世、そんな無防備な姿を晒していれば速攻お陀仏させてくださいって言ってるみたいなもんだが……何故かここに近付いてくる魔物の気配は感じない。
盗賊もこの世界にいるっちゃいるが、まあこのあたりには9割いないので考慮する余地は必要ない。
「ふぅむ」
見たところ歳の頃は17から8ってところ。
向こうの世界じゃあ高校生くらいか?
中性的な容姿はしているが、背格好からして男だろう。
服は至って普通だ、傷だったりおかしな点はなし、見るからに健康そうな肌色や体付きからして特に身体に異常をきたしているとかでもなさそうだ。
となると今眠ってるのは単に気を失ってるだけで、ここに来て数分も経ってないってところかなぁ。
この世界―ア・フィールド―では珍しい黒髪黒目の少年。
十中八九目的の人物だろう事は間違いないけど、念の為あのお方から貰った紙を広げて読み上げてみる。
「ええっと、名前は本郷 剛くん。性別は男性、年齢は……お、17かぁ若いねぇ。身長は165センチ、体重は48キロ、軽っ! 趣味はラーメン屋巡りに買い食いかぁ、良い趣味してるね、仲良くなれそうだよ。で、好きなものは映画や洋画鑑賞で、嫌いなものはピーマンっと、意外性丸。性格は誰にでも気さくで物怖じしないタイプ。高校生活はおおむね順調だけど親子仲はちょっとどころか悪いみたいだね、それでもめげずに歳の離れた弟と妹の面倒を見てきたわけかぁ~、うん、とってもとっても好印象っ」
軽く要項目を確認していると、感覚的にフッと空気が重くなった気がした。
いや、事実重くなっている。
俺がここに来た事で効力が切れたんだろう、あるはずのものが元に戻ったようだ。
少年をこんままにしてけば今度こそ命はない。
ひとまず馬に引かせていた荷台に乗せるとしよう。
向こうの世界で言うマットレスなんて贅沢な物はないけど、一応それなりのクッションはあるし体を痛めることはないだろう。
天幕もあるからそれほど汚れる事もないしね。
「よっ、と! ふぅ~、意識のない人ってなんでこんなに重いのかねぇ」
少し持ち上げて運んだだけだというのに、額に浮かんだ汗を拭いながら息を吐いた。
しかしこのまま悠長に息ついている暇はない。
魔物が来る前にここを去らないと。
彼が起きてないのに魔物と戦っても仕方がない。
「速度はそこそこで、いこっかベル」
「ヒヒィイン!」
御者台に乗り愛馬のお尻を撫でながら呟く。
ベルは尻尾を愉快に振りながら初速はゆっくり、徐々に加速していった。
うん、安全運転は大事大事ぃ~。
「う、う~ん」
そうしてしばらく砂利道を走っていると、決して快適とは言えない揺れに起こされたのか、荷台に寝かせていた少年が起き上がる気配がした。
確か人のイメージは9割が第一印象で決まるんだったっけ。
よし! ここは一発、気さくなお兄さんになろう!
「おう、そこなあんちゃん、やっと目が覚めたかい」
「うわぁ!?」
急に声をかけられてビックリしたのか、少年が大きく仰け反りながら後ろに倒れる。
………うん、思いっきり間違えた気がしないでもない。
でも今更取り繕うのもなぁ…できれば不信感は与えたくないし、キャラ感は統一したい。
結論、このまま続行でいゴー。
「いやぁ、道端であんちゃんが倒れてた時ぁ何事かと思ったが、その様子じゃ元気そうだなぁ。ははははは!」
「は、はあ…」
少年は胡散臭げに相槌を打ち、観察するように視線を彷徨わせる。
へぇ、想っていたよりも冷静だな。
てっきりいきなり見知らぬ人に拾われてるもんで暴れるか、それでなくても取り乱すくらいはするかと思ってたのに……。
やや、そういう反応は少し古いんだっけか。
最初の頃はそれが普通だったんだけど、時代が変われば人も変わるもんだねぇ。
「あ、あの」
以前と今との状況を比べながら懐古に耽っていると、少年は御者台に身を乗り出して顔を合わせてくる。
近くで見るとよりわかるが、凄い容姿だなぁこの少年。
整った目鼻立ちに綺麗な肌、体格はちと細いが、性格が良いのは保証付き。
こりゃあこの世界の女性陣が放っておかないだろう。
変な人に食い物にされなきゃいいが。
「あ、あの!」
「おぉすまんな、どうしたあんちゃん」
おっと、アホな事を考えてたせいですっかり話しかけられたのを忘れてた。
「えっと…運送業の方、ですか?」
「ああ、そういや自己紹介がまだだったか! あっしはブルー、こっちは相棒の」
「ベルルルゥ!」
「ベルだ。あんちゃんの言うウンソーギョウってのがなにかわからんが、あっしは行商人だよ、よろしくぅ!」
「そう、ですか。あ、僕は本郷剛……こっちだとツヨシ・ホンゴウになると思います。よろしくお願いしますブルーさん」
「ブルーでいいさ! なんなら敬語なんかもなしでいいしな」
「あはは、これは癖なので…でもわかりました、ブルー。僕のこともツヨシで構いません」
「おう!」
最初はどうなるかと思ったが、徐々に掴みはイイ感じになってきたなぁ。
少しばかり言葉遣いなんかは気になるが、どうせ冒険者ギルドなんかに行った時に教えてもらえることだ、そこまではしなくてもいいだろう。
「ってツヨシよ、姓があるってことはお貴族様かい? 言われてみればどことなく賢そうだし、あんなところに居たわりにゃ服もほとんど汚れてないよな」
白々しい事を口にしながら、不躾気味に少年改めツヨシを上から下に流し見る。
「あー、いえ、僕たちの故郷では貴族じゃなくても苗字……姓があるんです。あとその、服が綺麗なのは、キレイ好きですから」
言い訳が苦しいという事がわかっているからか、あからさまに狼狽えている。
しかし今の俺は陽気キャラ、そんな無粋な真似はせんさ。
「ハハッ! そうかいそうかい! 随分イイトコに住んでたんだなぁ。でもなんであんなとこに居たんだよ。あっしが通りかからなきゃ今頃魔物に食われててもおかしくないぜ?」
「えっと、実は……そう! 盗賊に襲われて命からがら逃げてきたんです! その時に荷物は全部盗られちゃって…」
「あんなところでか?」
「は、はい!」
個人的には良い線いってるとでも思っているのか、自信満々に頷いてるが……あの辺りに盗賊はいないんだよなぁ。
なにせあの森は街に駐屯している衛兵の訓練場なんだから、そんなところに盗賊が巣食った日には一日と経たずに壊滅させられるよ。
それに逃げてきたっていうなら、余計に服が汚れてないのが怪しい。
荷物がない事に関しての言い訳としては落第点もいいところだ。
追及するつもりは毛頭ないけどな!
「ま、いいか。とりあえずそんな丸腰じゃ危ないだろうし、街まで送ってやるよ」
「あ、ありがとうございます……ふぅ、普通の人、なのかな?」
「ん? なんか言ったかー?」
「い、いえ、なんでもないですよ! ……でも怪しいよね、僕に最初に会ってるんだし…もしかして隠居した伝説の冒険者だったりとか…あの人が気を利かせてくれたのかも」
小さい独り言のつもりなのかねぇ、全部バッチリ聞こえてるぞツヨシ。
……っても、その考えは案外間違いじゃないんだよねぇ。
俺は少年がさっきまでいたかくりよの狭間、所謂生と死の境界線上では『青色の案内人』で通ってる、異世界のチュートリアルキャラクターさんだ。
その名の通り、異なる世界に来た異世界人――例えばツヨシのような転移・転生者――に少しだけ最初の手引きをしてあげるお助け的な役柄を担っている。
『青色』ってのは俺の題名詞みたいなカタチなんだけど、狭間じゃあどちらかというと安全マークというか、言ってしまえば初心者マークの意味合いが強いと思われてるそうだ。
一応、これでも題名のモジリなのに……悲し。
っと、そろそろか。
俺は首筋にピリッとした感覚が走るのを感じて馬を止める。
ベルも気配を感じたのか、毛を逆立てた。
「ベル、自分の身は自分で守れよ」
「ブルルッ」
ベルは首を雄々しくしならせて応えてくれる。
すぐさま鞍に移ると、繋がれている革紐を外して御者台に戻りながら荷台に放り投げた。
「うわっ、ど、どうかしたんですか?」
いきなり飛び込んで来た物体に驚きながら、荷台に乗っていた荷物を眺めていたツヨシが御者台に顔を出す。
それとほぼ時を同じくして、馬車の前方を扇状に囲うようにして森から魔物が飛び出してきた。
「グルルルル」
「バウッ!」
「スンスンッ」
「…………」
Dランクのグレイウルフが4匹、か。
ま、序盤の敵役にはちょうどいいのかもねぇ。
「あ、あれは……まさか」
「ありゃグレイウルフっていう魔物だな。ランクはD、1体につきゴブリン6匹相当ってところかね」
「あれが…」
ゴクリッ、と隣で生唾を呑み込む音が聞こえる。
おそらく初めて感じる殺気に緊張感を感じてるんだろう。
頭は冷静ではあるようだが……この様子じゃあ戦闘経験を積ませるのは得策じゃないか。
どう在っても慣れてはもらうつもりだが、ま、トラウマにならない程度にしよう。
そこまで考えて、俺はツヨシの肩を押して荷台に押し戻した。
「見たところ武器も持ってないんだろう? あっしに任せなされ」
「で、でも! オジサン1人じゃ!」
誰がオジサンじゃ、俺はまだ26歳だってのに。
「ま、数は問題じゃないさ。」
そう言って俺は被っていた笠を荷台に向かってに放り投げ、御者台に置いていた柄が7割を占めた約1メートルくらいの斧を両手に引っ提げて降りた。
「ツヨシ、もしもの時は荷台に積んである武器を使え。なに、武器は運んでる荷物じゃねえから気にすんな」
「で、でもこんなの使ったことないですよ!?」
「テキトーに振り回してりゃ威嚇くらいにはなる」
ニッと歯を見せて笑いかけ、お手本とばかりに片手で振り回して見せる。
「グルルルルッ」
「ワオォーン!」
「おっとお待ちかねって感じだね。そこで見ときい、これが現実ってもんだぜ」
後半はツヨシに聞こえないよう小さく呟き、見えないところで獰猛な笑みを浮かべる。
「グルァァアアア!!」
「ふっ!」
突っ込んできた1匹の頭目掛け、斧を横から薙ぐように振るう。
馬鹿正直に真正面から飛び掛かってきた、一番殺気立ってたグレイウルフがそれを避けられるわけもなく、1匹目は脳漿を撒き散らしながら頭部を砕け散らした。
「まずは一つ」
「アオォオオオオン!」
仲間を弔う雄叫びと共に目の前の空気が揺れる、あれは魔法だな。
属性は風、系統は攻撃、グレイウルフのランク的に【ウィンドブラスト】あたりか。
止めるのは容易いが、俺の役目はそうじゃない。
この場で取るべき行動は……鬼気迫った表情でツヨシに指示を出す事!
「伏せろ!!」
「ッ!!」
叫びながら急いで横に飛ぶ。
ズボンが少し切れたが、体は五体満足だ。
それだけ確認して後ろを振り返り背後の被害を確認する。
オンボロ寸前だった天幕がふっ飛んじゃってたけど……ベルもツヨシも無事だな。
なんならツヨシはちゃっかり剣を手に持ってるし。
しかしベルもツヨシも無事だったが、天幕を壊したのは許さんぞこの野郎!
「せやぁああああっ!」
魔力を声に乗せて雄叫びをあげる。
距離を取ろうとしていたグレイウルフ達は、全員驚いたように一瞬硬直した。
無属性、補助系統の【スタンボイス】っていう魔法だが、無詠唱でやれば傍から見たとき、単に相手がビビって止まったようにしか見えないんだから便利だ。
その一瞬で距離を詰め、魔法を使ったグレイウルフ目掛け斧を上段から振り下ろす。
再びグシャッ、と破砕音が響いた。
「これで2つ」
視線をサッと走らせると、少しは学習したのか残りの2匹が大きく左右に分かれる。
挟み撃ちするつもりなんだろうが、左の個体が出遅れてるな。
「それならァ!!」
右側へ大きく踏み込み、先に飛び掛かってきた3匹目グレイウルフの脳天目掛け斧を叩きつけ頭部を砕く。
これで三つ!
そのままの慣性を殺さずに、右手だけで柄を握って背面まで振り抜く。
威嚇目的の斧は砂利道を僅かに削りながら粉塵を巻き上げた。
「バウッ!」
出遅れていた4匹目のグレイウルフは、辛うじて砂利混じりの粉塵を回避して……そこで俺よりも都合の良さそうな獲物を見つけたのだろう。
俺の事を無視して一直線に馬車へと向かって走り出した。
ベルは荷車から離れている、つまりここで狙われているのは……。
「っ、ツヨシ!!」
自分でも信じられないくらいの大根役者っぷりだが、焦ったようにツヨシに声をかけた。
まるでいかにも間に合いませんよといった具合に。
そうした茶番の果てに、4匹目が荷台に乗っていた彼目掛けて飛び掛かる。
「う、うわぁぁあああ!!!」
ツヨシは一瞬身体を強張らせた後、迫りくる殺意の塊に目を見開きながらも剣を抜き放つ。
見事な軌跡を描いて放たれた剣閃は、目標を違える事なくグレイウルフの首を切り裂いた。
だが致命傷には至っていない。
野郎、あの状況で首を捻ってかわしやがったのか。
あれじゃあ飛び掛かってはこないにしろ魔法を使われる可能性がある。
「やるじゃないか」
だから俺は二重の意味でそう呟いて早急に駆け寄り、グレイウルフの首を叩き落とした。
「はぁ…はぁ…っ、うっぷ!?」
意図的ではないにしろ、それを見てしまっていたツヨシが真っ白な顔色になるのを見て、今気付いたとばかりに首を傾げる。
「自分の手でなにかを斬ったのは初めてかい?」
「こ、ころっ、うっ」
「無理しなさんな。むしろ一度吐いた方が楽だぞ?」
「こ、こんな、ところでっ!?」
少年は血塗れの現場を涙目になりながら見渡し、首を横に振る。
そりゃあそうだろうと思いながらも、俺は他人事のように斧を肩に担いで竦めてみせた。
しばらくして、顔色の回復した彼を連れた俺は街の門の前で検問を待っていた。
道中は彼の気分転換も兼ねてこの国の金銭価値に世界の情勢、冒険者や商人、魔術師なんかのギルドに貴族絡みの事を面白可笑しく話した。
その甲斐あってか、ツヨシもどうにか持ち直したようだ。
「にしてもツヨシ、剣なんて振った事ないって割には良い筋してたじゃねえか」
「その、僕も無我夢中で…」
手放しで褒めてるっていうのに、困ったように笑うツヨシ。
そこには複雑な心境が多分に含まれている事だろうが、見たところトラウマになっているなんてことはなさそうだ。
ここは一つ押しの姿勢で行こうか。
「よし決めた、その剣はやるよ!」
「え、でも……悪いですよ、助けてもらった上に剣まで……」
「ん~、ツヨシが言いたい事もわかるがなぁ…」
言いながら視線を下から上へ、上から下へとツヨシの全体を眺め流す。
今の彼では万が一があった場合に困るだろう。
なにせ武器もなし、金もなし、身分もなければ伝手も無し。
異世界人らしくチートの一つや二つくらいは引っ提げてるだろうが、それだけで生きていけるほど異世界は甘くはない。
この世界は理不尽と無情に溢れてるんだから、さ。
「丸腰はさすがにやめといたほうがいいぜ。命がいくつあっても足りないからな」
「……そう、ですね」
「ん、よし」
ツヨシは道中での戦闘を思い出したのか、遠慮がちにだが突きつけた剣を受け取った。
俺が言った足りないっていうのは、さっきみたいな戦闘に関してもそうだが…………なによりも丸腰っていうのはこの子が思っている以上に舐められる。
剣と魔法の異世界っていうのは伊達じゃあないって事だな。
もっとも、この少年が格闘チートみたいなものを持ってるのなら話は別だけど、それは俺が口を出す事じゃないしねぇ。
ツヨシがこの先何を選び、何を得て、何に成るにしても、餞別の一つくらいあった方がいい。
見た感じ戦闘系のスキルくらいは与えられてそうだし、あげて損な事はないだろうさ。
「次の者」
「おっと、次はあっしらだ」
ベルのお尻をペチペチと叩いて、少し進む。
「なにか身分を示すものはあるか?」
「おうさ」
気軽に返事を返しながら、俺は商人ギルドのカードを差し出す。
門兵は全面を眺めて頷くとカードを返してくれる。
「よし……そちらの者は?」
「っ」
門兵は荷台に乗っていた少年に遠慮がちな視線を投げかけた。
格好からしてお貴族様っぽいもんだからそう勘違いするのも仕方がない。
ツヨシはそれを怪しまれてるとでも思ったのか息を呑んでるけど。
「悪いがこちらの少年は行き倒れさんでね。荷物もないみたいなんだ」
「そうか。では紹介状のようなものはないか? ないのであれば通行料として大銀貨1枚を支払ってもらい、こちらの水晶に触れてもらって仮発行させてもらう事になる」
大銀貨1枚。
それだけあれば宿に2日は泊まる事が出来る。
行き倒れていた人物が出せる額ではない。
けどここには俺がいるからな、金の心配は特にない。
ツヨシにも説明済みだから今更改まる必要もないしな。
「大銀貨1枚だ」
「よし、では少年。こちらに手を触れてくれ」
「犯罪歴がないか調べる為の道具だ。害はないから安心していいぜ」
「は、はい」
重犯罪者であれば黒、犯罪者であれば赤、問題行動を起こした事があるなら黄、犯罪歴がなければ緑。
果たしてツヨシが水晶に手を触れて淡く光った色は緑色、特に問題なしの証だ。
「うむ、特に問題ないようだ。ではこちらを」
「あ、ありがとうございます」
「気にするな、これも仕事だ。では次の者」
門兵が促すのを見て馬車を進ませる。
門から少し進んでから、俺は馬車を停めた。
そこでツヨシを降ろして、人波に流されないよう馬車自体も道の脇に寄らせる。
「ツヨシ、お前はこれからどうするつもりだ?」
「えっと…今日はもう遅いし、明日にでもギルドを覗いてみたいと思ってます」
「なるほどな」
見れば空はもう茜色だ。
今から登録を行うにしろ、依頼を受けるのは明日になるだろうからってことか。
うん、ちゃんと考えてるようでなによりだ。
「だがツヨシは無一文だろう? 今夜はどうするつもりだ。街中とはいえ野宿はオススメできないぜ?」
「それは……」
「ん~……そうだな、これ持ってけ」
考える素振りを見せてから、腰のベルトに付けていた小袋を押し付ける。
チャリン、と音が響いたからか、ツヨシはそれがなんであるかすぐに気付いたようだった。
「そんな悪いです! 送ってもらってお金まで貰うなんて!」
「いいから受け取れって。街まで案内しておいて翌日に死なれてちゃ寝覚めが悪くてたまらねえ!」
人の好さそうな笑顔でツヨシの手を取り、無理やりにでも握らせる。
俺は持ってたところで使わないし、なによりこれはツヨシへの特典の一つだ。
なにを言おうが受け取ってもらわないと困る。
さ~て、ひとまずこれで俺の役目はおしまいだ。
ツヨシが今日にでも行動を起こすんならまだ付き合う必要があったが、そうでないなら脇役は退場のお時間。
そんなわけで御者台に乗り直し、ベルのお尻をワンタッチして俺はまた一人街道を行く。
「あぁ、もしもこの街で困った事があればこれを見せてみるといい、きっと力になってくれるぜ」
と、去り際に予め用意していた書状を投げて渡す。
ツヨシはよくある『ちょっ、待っ』みたいな感じで追い掛けてこようとしてたが、その書状を受け取るためにまた人波の端へと流れていった。
馬車が通れば人波は避けられるが、その後方は当然水のように戻っていく。
いずれまた出会う事はあるだろうが、今のところはお別れだ。
「あの、いろいろありがとうございました!!」
もはや姿の見えなくなった少年の真摯なお礼を聞きつつ、俺は手を振ってその場を去った。
「で、女神様、あの子がこの世界の勇者ってわけかい?」
『その通りですミスター・ブルー』
「相変わらず堅っ苦しいねぇ。気軽にブルーちゃんかあおちゃんでいいってのに」
『そういったわけにはいきません』
「くくくっ、そう? 残念」
喉奥から笑いながら、俺は本棚と机、椅子しか置かれていない殺風景な小屋の中で女神様と相対する。
相対するって言っても、俺は気楽に椅子に座りながら茶を飲んでるけど。
いやぁ、ツヨシが元いた世界、日本の茶は美味いね。
『彼の者は……この世界で生き残れそうでしょうか?』
「わかんないねぇ。この世界はなにがあってもおかしくないところだし」
『……………』
実際、この世界はなにがあってもおかしくない。
彼が元居た世界に比べて事件や事故、犯罪もそうだが病気だって多々ある。
異世界人だってんだから病気とかとは無縁なんだろうけどねぇ。
それを抜きにしても龍や邪神なんて恐ろしい存在がいる世界なんだから、なにがあるかわからないのは本当の事。
「ま、最悪死にそうになったらあっしが助ければいいさ」
『……毎度面倒をおかけします、ミスター・ブルー』
「気にしなさんな、それがあっしのお仕事よ」
コトッ、と湯飲みを机の上に置き、一息ついてから真面目な表情を作る。
「それにしてもここ最近異世界人――――主に日本人が多い気がするけんど、向こうでなにかあったのかい?」
『…あちらの世界では大規模な感染症が流行っているようです。その影響は世界中の経済にまで影響を及ぼしており……移動や行動、時間の制限により金銭的余裕がないようでしたり、ところによっては路頭に迷うような事態もあるようです』
なるほどねぇ、女神様がなにを言いたいのかよくわかった。
「はあ~、自殺者が後を絶たないみたいな感じになってんのねぇ」
『おそらくは…』
ここに来たって事は余程未練があったか、もしくは異なる世界を強く望んだか、または今までに余程善行を積んできたかのどれかだろうけど。
……けどまぁ、彼らが思っている以上に異なる世界ってのは厳しいぞ。
でなければ俺のような他所の住人が呼び出されるわけがないんだしねえ。
「どこの世も世知辛いのは変わんないかぁ」
『申し訳ございません』
「女神様が謝るようなことじゃないさ。世界はそうして幾度となく回ってるんだからね」
滅亡と再起を繰り返しながら、世界は進んでいる。
廻り巡りて回帰する。
それが真理であり〝理〟だからね。
ま、それはそれとして、だ。
「それじゃ、またなにかあったら読んでよ。すぐに来るからさ」
『……もう帰られるのですね』
「うん、ボクには還らないといけない場所があるからね」
立ち上がり、本棚から一冊の本を手に取り、近くの壁にかけられていた緑色の帽子を頭に被せる。
途端――――姿が10代の少年の姿へと戻っていく。
視線は低くなり、服装もそれに合わせてちっちゃくなっていった。
見た目は完全に向こうの世界でいう小学生。
そんな姿形の変わったボクを見て、女神様は優しく微笑む。
『やはりそちらの方が似合いますね、ミスター・ブルー』
「こっちの姿で題名のもじりで呼ばれると、なんだかムズムズするね。もう慣れちゃったからいいんだけどさ」
照れたように頬を掻いてると……女神様が感極まったように抱き着いてくる。
「……で、これはなに?」
『成分の補充です』
「成分って…女神様、相変わらずショタ好きだよね」
『…本気ですよ?』
「余計に困るね、それは」
主に反応とか色々。
まあボク自身、こんな綺麗な女神様に抱き着かれてまんざらでもないのは認めるけど。
しかしこうなった女神様はもう離してくれないだろうから、と、逃げるように緑色の帽子に付いた特徴的な青い羽を1度撫でて、帽子と羽を繋ぎとめているダイヤに触れる。
「じゃあまたね」
『はい、また』
ボクはめがみさまの真っ白なかみをなでながら、ダイヤを回した。
いっしゅんだけ、目の前のけしきがまっしろになったかと思うと、すぐにひらけていく。
だけどここはさっきまでボクがいたさっぷうけいなこやの中じゃなくて、しっそだけどたしかな生活感のある……ボクたちのお家だった。
「…………」
むねいっぱいにいきをすってみると、いつものなんでもない木のかおりと自然のすんだ空気がボクの心をみたしてくれる。
とっとっとっとっとっ。
しばらくぶりのお家の空気をたんのうしていると、小走りにこちらへ向かってくる子どもの足音が聞こえてきた。
ふりかえると同時に、とびらがいきおいよく開かれる。
目が合った。
「っ!」
「おっと」
とたんにその子はまんめんの笑顔でとびついてきた。
とつぜんの行動にもボクはおどろかず、しっかりとだきとめてあげる。
「おかえりなさい! おにいちゃん!」
「ただいま、ミチル」
返事をしながら、いとおしい妹をだきしめた。
妹はきゃぁー! っとうれしそうな声をあげながらだきしめ返してくれる。
ならばと頭をなでてあげると、妹はひさしぶりに会えてよほどうれしいのか、ふたつむすびのみつあみをゆらしながらにぱっと笑い返してくれた。
うん、妹が今日もかわいい!
少年が去った後、部屋に残った女神は寂しそうに先程まで彼が持っていた本の表紙を撫でる。
まるで絶対に手に入らない事をわかっていながら、それでも慈しみが溢れ出しているかのような雰囲気。
なにも知らない者が見れば、あわや未亡人にも見えかねない様子で、されど彼女以外その部屋には誰もいなかった。
だからだろうか。
彼女は思わずといった感じに、表紙を撫でるのを止め……本の頭についばむようなキスを一つ落とす。
「お慕いしておりますよ、ちるちる様」
そうして愛おしそうに彼女が呟いた時、ほんの少しだけ表紙に飾られた少年がウインクをしたように見えた。
その本の名は――――――――『青い鳥』。
なんとなく闇鍋したくなったからしてしまった。
反省はしている、だが後悔はない…。