決着
「亜香里!」
「残念だったな青龍将軍、岩敷陣将!」
ボルグが長い遠吠えを終えたころ、野犬を倒した真帆さんたちが建物の下に到着した。
真帆さんの合図で戦士たちが建物を囲むように動いていく。
周囲を包囲され、何人かの持つ弓が向けられてもボルグは余裕を崩さなかった。
秀一さんと並んで見上げる真帆さんの後ろには、牙を剥いた加羅の姿も見えた。
右手に持った鬼切丸をまっすぐにつきつけて真帆さんは叫んだ。
「亜香里を離せ!」
「断る! この女は俺のものだ!」
「今投降すれば命だけは助けてやる。 …だが、もしこれ以上少しでも亜香里に傷をつけたなら、生きているのを後悔するほどの目にあわせてやるぞ」
真帆さんの本気の殺気に周囲の空気が冷える。
自分に向けられたわけでもないのに震える私の体をひきよせ、ボルグは笑いながらその要求をはねのけた。
「それは無理な相談だな。俺はこの女を犯し、肉を食まねば気が済まん」
「貴様に逃げ場などない! 王都を囲むガーファンクルの結界がお前を閉じ込める!」
そうだ、結界!
黒曜の都はガーファンクルの結界で覆われていて、勝手に入ることも出ることもできないはず。
それなのにボルグはそんなことなど織り込み済みだと笑って見せた。
「偉大なる魔導師が作った結界を修復すこともできずに使い続けることしかできない人間どもが。年を経た結界には必ずどこかに亀裂があるものと知れ」
その言葉が合図だったかのように、北側の城壁から音が聞こえた。
続いて動物の悲鳴のような声。
見ると、城壁の内外から何匹もの犬がとある空間に体当たりをしていた。
多分そこに結界があるのだろう。犬の体がぶつかるたびに空間が光り、犬たちが跳ね返されていく。
「きゃうん!」
「ギャウッ」
体当たりをしながら、犬たちは悲鳴をあげていた。中には傷を負っているものも少なくない。
そして何度も体当たりをするうちに、空間にかすかなひびが生じていく。
「ぎゃううん」
「やめて!」
犬たちの悲痛な叫びに私は声をあげていた。
「は、自分の身すら守れぬ弱者のくせに、お優しいことだな」
「何でこんなことするのよ!」
「お前が俺のものだからだ」
「私はあなたのものなんかじゃない!」
こんな場面なのに、私は力いっぱい叫んでいた。
ただただ、私は腹立たしかった。
確かに私は弱者だ。
ボルグの手から逃げることもできないし、利用される犬たちを助けることもできない。
でも、弱者にだって勇気やプライドがある。
私は私をもの扱いするやつの自由になんかならない。
怒りにまかせて私は真帆さんに向かって叫んでいた。
「真帆さん! 私なんか気にしなくていいから! 私ごとボルグを切ってしまってくださいっ!」
「黙れ!」
片手しかないボルグには私の口をふさぐことはできない。
ボルグの恫喝を無視して、私は叫び続けた。
「こんな奴に殺されるくらいなら、真帆さんに切られた方が何倍もましです。だからこいつを逃がしちゃだめ!」
「黙れと言っているだろう!」
「亜香里」
真帆さんが私の名前を呼んだ。
その瞬間、私には真帆さんしか見えなくなった。
周囲の喧騒や拘束するボルグの腕すら感じられなくなり、真帆さんの大きな瞳から目を離すことができなくなる。
「亜香里、私を信じられるか?」
静かな問いだったけれど彼女の呼吸すらもはっきりと聞こえてくる。
私はその問いに迷いなく答えた。
「信じます。私は真帆さんを信じています」
「なら、大丈夫だ」
ふっと笑う真帆さんに、私も微笑み返していた。
鬼切丸を腰の鞘にもどし、真帆さんは右手をあげた。
その手が下ろされるのと、彼女の唇が開くのを私はどこか夢のように見ていた。
「飛べ」
その言葉と同時に右側から何か光るものが飛んでくる。
「何だ!」
複数のそれをボルグが払うわずかな間に私は空中へと飛び出していた。
「待て! ぐあっ」
こちらに向けてのばされたボルグの手に複数のナイフがつきささる。
ああ、あれは孝明さんのナイフだ。
落下しながら私は直感的にそう思った。
魔道鋼のナイフはボルグに傷をつけるけれど致命傷にはならない。
痛みで一瞬怯んだボルグだったけれど、すぐに体勢を整えて私に向かって飛び出そうとする。
「ボルグ・レアン!」
その動きを空気を切り裂くように響く声が止める。
満月を背に大きな獣にまたがった騎士のシルエットがうかびあがっていた。
「真帆さん」
それは加羅にまたがった真帆さんだった。
真帆さんは鬼切丸を抜き放つと、加羅の背を蹴ってボルグへと舞い降りた。
月光に輝く刃が人狼へと振り下ろされる。
「があああああ!」
「お前は死ね!」
鬼切丸はボルグの左腕を切り落とし、そのままの勢いで肩から腹までを袈裟切りにする。
真帆さんが勝った!
真帆さんの勝利を確信して私は身体の力をぬいた。
これでみんなも助かる。よかった。
「ひゃああ」
ほっとしたのもつかの間、私は突然の衝撃に悲鳴をあげた。
背中と太もものあたりに強い力を受けて息がつまる。
けれどもそれは地面にぶつかるよりはずっと軽い痛みだった。…はず、多分。
「いたた…」
「大丈夫か、亜香里」
「しゅ、秀一さん?」
心配そうに聞いてくる低い声が近い。
顔をあげた私は自分が秀一さんに受け止められていたことを知った。
「秀一さんこそ大丈夫ですか」
「こんな傷なんてなんでもない」
顔の傷のことを心配されたのだと思ったのか、秀一さんはたれてくる血をぺろりと舐めて笑って見せた。
「そ、それだけじゃないです…」
いや、顔の傷も心配だけれど落ちてくる人間を受け止めて平然としてるってどういうこと?
「腕とか肩とか折れたりはずれたりしてないですか?」
「別になんともないが?」
そう言いながら秀一さんは私を抱えたまま数歩後ろに下がった。
どさり!
「ひっ」
さっきまで私たちがいた場所に大きなが落ちてきて、私は悲鳴をあげながら秀一さんにしがみついた。
落ちたものはニ、三度痙攣してからゆっくりと顔をあげた。
「が、あ…あ、かり」
「ボルグ…」
月明りに照らされたボルグの顔は半ば人間のそれに戻りかけていた。
「あ…か…」
明らかに致命傷を負っているはずのボルグは、それでもなお私に向かってはいずってこようとした。
「…あああ」
「見るな」
なんとも言えない気分になってうめく私の視界からボルグの姿が消える。
秀一さんがボルグに背中を向けたからだった。
彼は私を抱く手に力をいれ、肩越しに振り返った。
「貴様には二度と亜香里を触れさせも見せもしない」
その時の秀一さんがどんな表情をしていたかはわからない。
けれども彼の背後から絶望を音にしたような声があがり・・・。そして消えた。
ボルグの執着にはどんな名をつけるのが正しいのでしょう




