不穏の幕開け
それからの攻防は少し前までとは全く違っていた。
戦士たちが足止めしている狼人のところへ真帆さんが駆けつけ、一撃のもとに切り倒すたびに歓声があがる。
そして人間に戻った人は戦士であればそのまま戦闘に参加し、他の人は安全な場所へ保護されていった。
「よかったぁ」
その日、何度目かわからない『よかった』をつぶやきながら、私はその場に座り込んだ。
私の後ろには加羅がねそべっていて、ちょうどいい背もたれになってくれている。
『あともうちょっとで終わりそうだねぇ』
「そうだね」
私たちは真帆さんが戦っている場所から少し離れたところで狼人たちが減っていく様子を見守っていた。
広場にいる狼人たちはあと数人を残すところとなっていた。
これなら夜が明ける前にお城に戻って、バルコさんが拘束してくれている狼人たちも元に戻せるかもしれない。
安心したら急に疲れが出てきて、私はさらに加羅に寄りかかろうとした。
けれども加羅が急に身体を起こして唸りだした。
『危ないよ、ご主人』
「がああああっ!」
「ひゃあああ」
加羅が言い終わる前に物陰に隠れていたらしい狼人が襲いかかってきた。
「シャアアア!」
ばぁん!
加羅が狼人に立ち向かおうとした瞬間、私たちの周囲に金色がかった膜がはり、狼人を弾き飛ばした。
「ぐがあああ」
「にゃあああ!」
「がっ!」
飛ばされた狼人にすかさず加羅が襲いかかり、あっという間に倒してしまう。
地面にうつぶせに倒れた狼人を前足で抑え込んで、加羅はこちらを向いた。
『ご主人、ケガしてない?』
「私は平気。加羅こそどこか傷つけられたりしてない?」
見る限り加羅の圧勝だったけれど、狼人は怪力だし鋭い牙も爪もあるから、気づかない間にケガをしているかもしれない。
心配する私をよそに、加羅は得意げに胸を張った。
『うん、大丈夫! ボク強いから』
「そっか。で、その人は?」
加羅が無傷なのはよかったけど、狼人ももとは普通の人間だから。真帆さんに渡す前に殺しちゃったりしてないよね。
私の手よりも大きな前足の下でぴくりとも動かない狼人を、おそるおそるのぞき込む。
加羅もヤバいというような顔をしながら前足を少しだけあげた。
「んぐぅ…」
つんつんと加羅がつつくと狼人はうめき声をあげた。
『コイツも大丈夫。…たぶん』
「そ、そうだね」
加羅が小さい声で言った『たぶん』は聞こえないふりをして私はほっと息をついた。
微妙な空気になりかけたところで、加羅が話を変えた。
『でもご主人がつけているその護符、すごいねぇ。あの魔導師ってなにげにスゴイやつなんだね』
「さっきの光って、やっぱりこの護符から出たんだね」
『うん。それがあればご主人には誰も手出しできないよ。これでここにいても安心だね』
「バルコさんにはあとでお礼を言わなきゃだね」
『こんなことくらいしかできない』なんて言っていたけれど、バルコさん…ガーファンクルの魔術は完璧に私を守っていてくれていた。
私は胸元にある魔道護符を両手で握った。
肩が凝りそうな護符の重みが、今は安心感を与えてくれる。
「ねぇ、加羅。これがあれば私は安全だから。その狼人を真帆さんのところに運んであげてくれない?」
『えー。ご主人をひとりにするの?』
「その人ももとに戻してもらわなきゃならないから、お願い」
心配と言わんばかりに鼻をならす加羅に、私はそっとよりそった。
『仕方ないなぁ』
「ありがとう」
不満そうに了承する加羅の首の下を撫で、私は周囲を見回した。
広場のすみに小さな木製のベンチが見える。
誰かの手作りらしいそれは、少し古びていたけれどきれいな水色に塗装されていた。
私はそのベンチを指さす。
「私はあそこに座って待ってるから、ね」
『わかったよ』
加羅はこくりと頷き、狼人の襟首をくわえた。
そのまま運ぶと狼人を引きずってしまうことに気づいた彼は、狼人を放り投げて自分の背中に乗せる。
「器用~」
思わず拍手をすると、加羅は得意げな視線をこちらにむける。
『じゃあ行ってくるね。ボクはすぐ帰ってくるから絶対にそこから離れちゃだめだからね』
「うん」
加羅の言い方が子供に言い聞かせるみたいでちょっとひっかかったけれど、私は素直に頷いてみせた。
まあ魔道護符に守られているとはいえ、私の戦闘力は限りなくゼロに近いから、加羅が心配するのも理解はできるかな。
約束どおりベンチに座り、さらに遠くなった戦いをぼんやりと見つめる。
「私も少しくらい護身術とか習おうかなぁ」
多分私、この世界から帰れなくなっちゃったみだいだしなぁ。
この騒動が収まったらいろいろ考えなきゃ。
仕事はこのまま真帆さんの秘書として雇ってもらえるとしても、いつまでも岩敷邸に居候したままではいられないよね。
この世界にも賃貸アパートとか貸家とかあるのかな。
確かテラスハウスって集合住宅を表す言葉だったはずだから、きっと何か賃貸的なものはあるよね。
家賃どれくらいだろ。保証人も必要だったりするかな。
それよりもこの世界って若い女のひとり暮らしってできるんだろうか。
元の世界で小説を書くときにさらりとは調べてみたことはあるけれど、中世のひとり暮らし状況ってよくわからなかったんだよね。
お屋敷に住み込みで働くとかはあるみたいだけど。
うーん、いっそ岩敷邸のメイドにしてもらうとか?
いやでも私、家事そんなに得意じゃないしなー。
そんなことをつらつらと考えているうちに真帆さんたちの声が遠くなっていった。
「あれ?」
顔をあげると広場には人がいなくなっていた。
戦場が移動したのかな?
少し離れたところから戦う声が聞こえてくるから、それほど遠くには行っていないんだろうけど。
満月の光や建物や石畳に塗られた蓄光石の粉のおかげで暗くはなかったけれど、人気のない夜の広場は少し怖かった。
戦闘が行われている方へ行こうかな。
あ、でも加羅との約束があるしな。戻ってきたときにここにいないと心配するよね。
でもやっぱり怖いな。
不安に駆られて、私は胸の魔道護符を握りしめた。
その瞬間、近くの路地から小さな影が飛び出してくる。
「たすけて!」
「っ!」
その影から声をかけられて、すんでのところで出そうになった悲鳴をかみ殺す。
路地から飛び出してきたのは、8才くらいの男の子だった。
汚れの目立つシャツに古びたズボンを履いた少年は、私に気づくと全力で飛びついてきた。
「たすけて!」
「どうしたの、ぼく。何でこんなところにいるの?」
「たすけて。お母さんと妹をたすけてよ」
「どういうこと?」
「お母さんと妹が大変なんだ! お願いだから、たすけにきてよ」
少年は必死の形相で私にしがみつき、手をつかむとぐいぐいとひっぱる。
「ちょ、ちょっと待って。急病ならお医者さんを呼んだ方が…」
「いいから来て!」
私の言葉など耳に入らないらしい少年に私は手を引かれるままについて行く。
路地を二回曲がった先にあったのは、小さな二階家。
少年はその扉に手をかけると私の顔を見上げた。
「どうしたの?」
止まってしまった少年の目には涙が浮かんでいた。
少年が瞬きをすると、涙がひとつぶだけぽろりと落ちた。
「ごめんなさい…」
「何を謝っているの?」
私の質問には答えずに、少年は歯を食いしばると扉を開いた。
「女の人を連れてきたぞ! お母さんとりかを返せっ!」
「ひっ」
目の前に現れた光景に、私は息を飲んだ。
粗末な部屋に置かれた一台のベッド。
そのうえで抱き合って震える母娘とそして…彼女らの喉元に爪をつきつけた狼人がいた。
【賃貸住宅】
都市部にはいくつか賃貸住宅がある。
一番多いのは普通の民家の一部屋を貸し出すパターンで二番目に多いのはひとり暮らし用の小さな部屋が複数あるアパートタイプ。ただし風呂とトイレは共同になり、食事も賄いとなる。
アパートに住むのは地方から出てきた独身男性がほとんど。
女性のひとり暮らしはあまり多くなく、大抵の女性は住み込みで働くことが多い。
亜香里の長い夜はまだ終わりません




