奇跡の水
「加羅、お城へ向かって」
『わかったよ、ご主人』
神殿の廊下で兵士たちを威嚇してくれていた加羅の背中に飛び乗ると、彼はふたたび走り出した。
家々の屋根を飛び乗り、王宮のある丘を崖側から登っていく。
『どこから入るの?』
「そのまま壁を登って」
『りょうかい』
私は真壁公爵の護符が加羅も守ってくれるようにとぐっと体を押し付けながら言った。
公爵なんて地位の人が徒歩で登城するなんてありえないから、馬か馬車くらいなら護符の範囲に入るんだろうけど。
それでも体の大きな加羅が結界にはじかれたりしたらかわいそうだ。
ガッ!
加羅の爪が城壁に突き刺さる。
結界が反応する様子はないから、護符が機能しているみたい。
ガッ、ガッ、ガッ、カ…
『え?』
「ええええ?」
二、三歩分くらい上がったところで加羅の身体が浮かび上がり、私たちは声をあげた。
なんとか壁に戻ろうと加羅はじたばたと足を動かすけれど、そのまま上へ上へと運ばれてしまう。
そして行き着いた先は前に瑠璃姫たちと城下を眺めた塔の上だった。
「何をやっているんですか、あなたはっ!」
衝撃もなく下ろされ、自由になったところでローブを着た白髪の人物にいきなり怒られた。
『なにこいつ』
「加羅、この人は大丈夫だから」
唸り声をあげる加羅をなだめ、私は彼の背中から下りる。
「助けてくださってありがとうございます。バルコさん」
「ありがとうございますじゃありません!」
お礼を言う私にバルコさんはぴしゃりと言った。
「狼人が暴れている城下に出るだけでも危険なのに、城に忍び込むなんて自殺行為ですよ! しかもその魔道護符はどこから持ってきたんですか!」
「ごめんなさい」
バルコさんの怒りはもっともなので素直に謝りながらも、私は少しも反省するつもりはなかった。
どれほど怒られても、止められても、私は瑠璃姫のところに行かなきゃならないから。
「瑠璃姫はどこ?」
「亜香里?」
バルコさんが答えるよりも早く、柔らかな声が耳に届く。
振り返ると瑠璃姫が秀一さんとともに塔への入口あたりに立っていた。
「瑠璃姫」
「姫、寄ってはいけません! 亜香里も近寄るな」
「秀一さん…」
秀一さんは前に出ようとした瑠璃姫を止め、同時に私も止めた。
「鬼頭将軍、彼女は亜香里よ? 真帆の秘書よ」
「知っています。しかし今の彼女は城への侵入者です。無防備な接触はお止めください」
秀一さんは静かに言うと私に顔を向けた。
「亜香里、君もそこから動くな。むやみに動くと不審者として捕縛する」
剣の柄に右手をかけながらそう宣言する秀一さんは、城を守る青龍将軍の顔をしていた。
彼の強い意志に圧倒されて、私は身動きがとれなくなってしまう。
でも、このままいるわけにはいかない。
深呼吸をして腕に抱いた鬼切丸と焔丸を抱えなおすと、私は瑠璃姫に向かって叫んだ。
「瑠璃姫! 真帆さんは今、狼人と戦っています!」
「ええ、聞いているわ」
「魔断剣を使えば真帆さんは狼人に勝つでしょう。でも、その狼人の中に真帆さんの部下がいるんです!」
「!」
瑠璃姫が小さく息を飲む音が聞こえた。
口に手をあてている姫に、私は畳みかけるように言葉を続ける。
「その人は自分の意思で暴れているわけじゃないんです。きっと何かに操られているだけなんです。だから…」
「動くな」
感情のままに叫び、無意識に一歩踏み出した私を再び秀一さんが止めた。
「狼人の中に部下がいるのがどうした。どんな者であろうとも国に弓引くものは切る。それが我ら戦士だ」
「どんな、人でも?」
言い聞かせるように言う秀一さんの言葉に反応したのは瑠璃姫だった。
「ええ、そうです。たとえそれが親や恋人であったとしても、そしてそれがその者の意思でなかったとしても、国を守るためならば我らは彼らを切ります。それは真帆も同じです」
秀一さんの口調からは、この国の戦士としても矜持が感じられた。
そして真帆さんも秀一さんと同じくらい誇り高い戦士だから、高村さんを切ってしまうだろう。
戦士としてはそれが正しいけれど、だからって傷つかないわけじゃない。
「秀一さんの言う通り、真帆さんは高村さんを切るしょう。でも、真帆さんは切ったあとで泣くんです」
「真帆が、泣くの?」
「真帆さんが優しいのは、瑠璃姫もご存じでしょう?」
優しいから真帆さんは強いし、優しいから高村さんを切る役を誰かに任せたりしない。
「ええ、知っているわ」
私以上に真帆さんのことをよく知っている瑠璃姫は、何度も首を縦に振った。
「いえ、真帆さんだけじゃなく、孝明さんや秀一さんも、大切な人を切ったら泣くでしょう。…そしてそれが戦士と言うのならばそれまでかもしれません」
強く優しい彼らのことを思うと私までもが悲しくなる。
喉の奥がひりついて声が出なくなりそうになるのを、唇を噛んでこらえた。
一つ息をついて、私は話を続ける。
「でも、私は真帆さんを泣かせたくないんです。そして私は真帆さんを泣かせない方法を知っているんです。それには瑠璃姫のお力が必要なんです」
泣いちゃだめ! まだ私にはやることがあるんだから。
潤んできそうな瞳に力をいれて、自分自身に言い聞かせる。
そんな私を秀一さんは驚いたように見つめていた。
「亜香里…」
「鬼頭将軍、そこをどいて」
剣の柄に手を置いて固まった秀一さんに瑠璃姫が声をかけた。
「しかし、姫」
「いいの。亜香里はぜったいに私に何もしないわ。それは将軍もわかっているから、あなただけが来たのでしょう?」
「……」
穏やかに問う姫に秀一さんは軽く頭を下げると一歩だけ横にずれた。
瑠璃姫はその横をすりぬけ、軽やかな足取りで私のところまで来てくれる。
月明りに姫の金髪が輝く姿に、私は自然と跪いていた。
「亜香里、私は何をすればいいの?」
「姫の『奇跡』をください」
「『奇跡』なんて知らないわ」
私の願いに瑠璃姫は悲しそうに首を振った。
「お父さまやお母さまは私が月姫だと。奇跡の姫だと言うけれど。私は奇跡なんておこしたことがないのよ。ただの世間知らずの子供でしかないの。そんな私に何ができると言うの?」
ほろほろと、姫の頬を涙がこぼれ落ちる。
きれいなカーブを描いて落ちていく雫が、月光にきらりと輝く姿を私は静かに見つめていた。
「…私は姫の奇跡がどこにあるかを知っています」
「亜香里?」
「瑠璃姫の『奇跡』は、姫の身体の中にあるんです」
私がそう言うと、瑠璃姫は目を大きく見開いて私を見た。
その目を見上げて、私は姫の奇跡を説明する。
「姫の中の水が『奇跡』をおこします」
「私の水」
瑠璃姫は私の言葉をつぶやきながら自分の頬に触れた。
【月姫の奇跡】
月姫の奇跡は望むことを実現する力。
その奇跡は月姫の体液を触媒として発現する。
発現条件は月姫自身が強く願いながら体液を渡すこと。それを使う者が月姫を信じること。
月姫の『奇跡』の源は聖なる力だが、『奇跡』に善悪は関係しない。
そして月姫の体液を取り込んだ魔物はその力が数倍にもなると言われている。
瑠璃姫は自分の奇跡の源を知りました。
そして秀一とバルコはどうするのでしょう。




