惑う暇はなかった
岩敷伯爵邸の窓から飛びだした加羅は、最短距離を進んで行ってくれた。
最短距離と言うのはつまり、家々の屋根を飛び移るということで…。
「ひあああああ」
並みのジェットコースターなんて比じゃないほどのアップダウンに、私はたまらず悲鳴をあげた。
そもそもその手の乗り物は安全バーやシートベルトとかついているけれど、こちらは自分の身を守れるのはこの両手だけ。
最初は加羅が痛い思いをするんじゃないかと柔らかめにつかんでいた手も、いつの間にか渾身の力でしがみついていた。
でもそのおかげでたった数分でラヴィ神殿に到着した。
「止まれ!」
「突破して!」
「シャアアア!」
「ひっ!」
私たちを止めようとする門番さんたちは牙を剥いて唸る加羅の迫力に一瞬身を引いた。
その隙間を強引に突破してしまう。
「待て! 待たんか!」
「シャアアア!」
「加羅、門番さんたちを抑えておいて。ケガはさせないで。でも加羅が傷つけられそうになったら逃げてね」
加羅から飛び降りると、私はそう指示した。
『了解。大丈夫だよ』
「お願い」
門番さんたちの行く手を遮るように立ちふさがる加羅にちらりと目をやって、私は走り出した。
そこへ入り口での喧騒が聞こえでもしたのか、いつかの受付の女性が顔を出してくる。
その女性に私は勢いのまま飛びついた。
「貴子さんはどこ?」
「え? あ、あの。面会のお約束は?」
「いいから答えて!」
「ゆ、結城神官なら神殿に…」
「ありがとう!」
「ちょ、お待ちください」
制止する女性を振り払い、私は廊下を駆け出した。
入口から伸びる廊下の突き当りを左に曲がる。
曲がった先には以前貴子さんに連れてきてもらった『惑いの回廊』があるはずだった。
けれど、私にはそこはただの広い空間に見えた。
もう夜なのに明るい広間に等間隔に丸い柱が並んでいる。
私は迷うことなくその真ん中をつっきって、突き当りの大きな扉から中に飛び込む。
神殿の中は思ったよりも静かだった。
私が入った扉に背を向ける形で左右に長椅子が置かれ、そこで何人かの人々が祈っていた。
そしてその向こうにラヴィ神を象った巨大な神像があり、神像の前には髪の長い人が跪いていた。
「貴子さん!」
天井の高い神殿で、私の声はかなり大きく響いた。
その声にはじかれたように貴子さんが振り返る。
「亜香里さん。神殿ではお声を…」
「鬼切丸と焔丸を貸してください!」
大声をとがめようとした貴子さんを無視して、私は要件を切り出した。
真帆さんは『狩り』のような鬼切丸や焔丸を使えない戦いに赴く際には、貴子さんに刀を預けていく。
私が真帆さんと別れた場所から最も近い神殿はここだったから、真帆さんは魔断剣を借りるのと同時に鬼切丸を貴子さんに預けたはずだ。
「何を言ってらっしゃるんですか」
「真帆さんを助けるために必要なんです」
「真帆さんを?」
「真帆さんが魔断剣で誰を切ろうとしているか、貴子さんも知っているでしょう?」
「それは…」
断言する私に貴子さんは口ごもる。
貴子さんは真帆さんの親友だから、彼女の苦しみを共有していると私は知っていた。
だから貴子さんは真帆さんのために祈っていたのだと。
「私は真帆さんを泣かせたくないんです」
私がそう言うと貴子さんは視線をこちらに向けた。
「何か策があるんですか?」
「『奇跡』の力を借ります」
「奇跡?」
「奇跡が何か、それを話すことはできません」
瑠璃姫の『奇跡』は金剛国でもごくわずかな人しか知らないトップシークレットだ。
もしかするともと巫女で大神官の娘である貴子さんなら知っている可能性もあるけれど。これからのことに貴子さんを巻き込むわけにはいかないから、黙っていた方がいい。
「でも、信じてください」
誰が聞いても説得力のない言葉を吐く私をじっと見つめ、貴子さんはふっと息をついた。
「――わかりました」
「貴子さん」
あまりにもあっさりと信じてもらえたことに私は逆に驚いてしまった。
そんな私に口元をゆるめ、貴子さんは胸の前で両手を合わせた。その両手がぼうっと青い光に包まれる。
「私には真帆さんがつらい選択をしたことを知っても、何もできませんでした。ただ、真帆さんがこれ以上苦しまないようにと、神に祈ることしかできませんでした」
話しながら貴子さんは両手を徐々に開いていく。
その手と手の間に黒い鞘に納められた二振りの刀が現れる。
「でも、あなたが真帆さんを助けたいと思う気持ちは本物でしょう。そんなあなたを私は信じます。あなたは真帆さんの認めた方ですから」
完全に現れた鬼切丸と焔丸を両手で持ち、貴子さんは私に向けて差し出してきた。
「お持ちください。そしてどうか、真帆さんを泣かせないであげてください」
「ありがとうございます」
はじめて手にした日本刀は思いのほか重たかった。
それを胸に抱え、私は貴子さんに背を向けた。
「待て」
「?!」
駆け出そうとした私の進路を、ふいに現れた背の高い人物が塞ぐ。
ウェーブのかかった焦茶色の髪に身なりのいい細身の姿。
どうしてこの人がこんな所にいるの?
「真壁公爵? どうしてここに」
「登城の途中で狼人に襲われて、とっさに神殿に逃げ込んだんだ」
もうだいぶ遅い時間なのにもかかわらず、真壁公爵のいでたちはきちんとしていた。
そして意外なことに腰には剣まで佩いている。
なんでこんなときに登城なんてしようとしていたんだろう。
彼の行動は疑問だったけれど、それを問う暇は私にはなかった。
「そうですか。では急ぎますので失礼します」
「待てと言っている」
軽く頭を下げて横をすり抜けようとしたけれど、長い腕に阻まれてしまった。
「君はどこへ行くつもりだ」
「ま、真帆さんのところ、です」
とっさに腕の中の刀を強く抱きしめながら言うと、真壁公爵は眉根をよせた。
「君は『奇跡』の力を借
りると言っていたな」
「そ、れは」
この人はどこから話を聞いていたんだろう。
それにどこまで事情を知っているんだろう。
警戒する私に、真壁公爵は軽く首を振った。
「楔石城には強力な結界が張られている、厳戒態勢下では普通の者は入場できない」
「……」
確かに王宮にはガーファンクルが作った結界が張られている。そこを無理に通ろうとしたらどうなるかはわからない。
でもお城で騒ぎをおこせば、多分バルコさんが気づいてくれる。そうすれば彼はきっと力になってくれるだろう。
私の勝手な設定で傷つけてしまった人に頼ることを後ろめたく思いつつ、私は顔をあげた。
「たとえそうでも、行きます」
「無事ではすまないかもしれない」
「かまいません」
真帆さんを助けられるのなら、多少のケガや痛みなど気にしてなんかいられない。
それでも震えてしまいそうになる手を、私は刀を強くかかえることで抑えた。
「では――」
「…僕は少々疲れているらしい」
話を終わらせようとした私から視線を外すと、真壁公爵は深々とため息をついた。
「?」
「君を美しいと感じてしまった」
ああそれはとても疲れてますね。
あと視力も歪んでいるみたいですね。
思わず同意してしまった私の目の前に、不思議な文様が彫られたペンダントのようなものが差し出される。
「持っていけ」
「これは?」
「公爵家以上の者だけが持つことを許されている魔道護符だ。その護符を身に着けていれば結界は発動しない」
「でも…」
「いいから」
躊躇する私に真壁公爵は再度護符をすすめてくる。
それを受け取ると、私は片手でスカートをつまんでカーテシーをした。
「ありがとうございます」
その姿を目にした真壁公爵はふっと笑顔を見せた。
「うん、その礼は悪くない」
『美しい』とつぶやく彼にもう一度だけ頭を下げて、私は走り出した。
【空間魔法】
亜空間に場所をつくりだし、荷物などを一時的に置いておくことができる魔法。
空間の大きさ、中に入れられるものの質量などは術者の能力による。
魔法陣などを用いて袋などに空間魔法を付与することも可能だが、術者が直接作り上げるものよりは小さく、また高価になるため一般的には流通していない。
また、基本的に亜空間に生物を入れることはできない。
【魔道護符】
その名の通り魔法陣が刻まれた護符。
何かの結界の通行手形替わりになったり、外敵から身を守ったりすることができる。
今回の魔道護符は楔石城に張られた結界に入ることができるもの。ガーファンクルが結界を張った際に作ったもので金剛国にも数個しかない。
次は瑠璃姫の奇跡と秀一の矜持です




