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 岩敷家の自分の部屋に戻ると、私は力なくデスクに腰を下ろした。

 そこに立てられている小さな鏡には、ひどい顔をした私が映っている。


「あんたのせいでみんなが苦しんでるのよ」


 鏡に向かって悪態をつくと、私は引き出しからあのノートを取り出した。

 私がもとの世界から持ってくることのできた数少ないもの。

 この世界の設定を書いたあのノート。

 このノートを破棄すれば、もしかして世界が変わるかもしれない。

 とりあえずノートを適当に開き、両端を思い切りひっぱってみる。

 びくともしないそれを今度は一ページだけ掴んで引いてみたけれど、ただの紙のはずなのに少しもやぶれてくれなかった。


「もうっ! なんなのよっ」


 やけをおこして床に投げつけ、踏みにじってみたけれどノートによごれひとつつけることはできなかった。


「どうして、私が書いたものなのにどうしてなにもできないのよ…」


 子供のように泣きわめきながらノートを踏んでいた私は、足がもつれて床にしりもちをついた。


「ねぇ、私が書いた世界だって言うんなら、私に真帆さんたちを助けさせてよぉ…」


 涙はさっきから流れっぱなしだったけれど、それを拭うことすら私はできなかった。

 なんて私は無力なんだろう。

 この世界を設定したなんて言っても中途半端で、この世界で生きる人たちの助けもできない。

 なんで私はこの世界に来たの?

 どうしたら真帆さんを助けられるの。

 でも真帆さんは決めてしまった。奇跡でもおこらない限り、真帆さんは高村さんを切ってしまうだろう。


「『奇跡』?」


 その言葉を声に出して、私は唐突にその言葉を持つ人を思い出した。

 慌ててノートをめくり、その『設定』を読み直す。

 

【瑠璃姫】

  …『時の神サメイの取り分』のその時に生まれた瑠璃姫は、月の神マヒナの加護をうけその身に奇跡を宿す月姫でもある。

月姫とよばれる奇跡を身に宿す姫君。

 本人は自分が月姫であることを知っているが自覚はない。

 真帆のことが大好き。


 瑠璃姫はまだ自分の力の使い方を知らない。

 でも私は瑠璃姫の力を知っているし、瑠璃姫の『奇跡』が何に宿るか設定もしてる。

 それに真帆さんの鬼切丸。

 あれがあればもしかすると『奇跡』を作れるかもしれない。

 私は念のために机からペンを取り出すと、ノートに書き加えた。


 瑠璃姫の『奇跡』は岩敷真帆が振るったときに最強になる。


 この世界にきてから何を書き込んでも現実にはならなかった設定ノートだけど、気休め程度にはなるかもしれない。


「お願い」


 さっきまで破り捨てようとしていたノートを胸に抱いて祈り、私は立ち上がった。

 そして窓を開けると加羅を呼ぶ。


「加羅」

『どうしたの?』


 それほど大きな声を出したわけでもなかったけれど、加羅はすぐに私のもとにきてくれる。


「真帆さんを助けたいの。私を加羅の背中に乗せて運んでくれる?」

『それは構わないけれど』


 いったん窓から中に入った加羅はそこで一度瞬きをして言葉を続けた。


『戻れなくなりますよ』

「え?」


 突然言われた言葉の意味が理解できなかった私は聞き返した。


『この世界に干渉すれば貴女は戻れなくなると言ったのです』


 加羅は私のことを真正面から見据えて言った。


『今まで貴女が行ったことはこの世界の理を超えることはなく、ただの傍観者にすぎなかった。でも、これから貴女が成そうとしていることはこの世界への干渉となる』


 静かに語る加羅の声は彼のものではなかった。

 いつもの加羅は声変わり前の男の子のような声と口調で話すけれど、今はまるで大人の女性のような声と話し方だった。

 それに最も違っていたのはその瞳。

 加羅の目は黄色に瞳孔か黒い、まさに猫という目だけれど、今の加羅の目はきれいな水色をしていた。

 その目には私のシルエットが映っている。


『貴女がその知識をもってこの世界に干渉すると言うのならば、貴女はこの世界のひとりと看做され、元の世界に帰してあげられなくなってしまいます』


 加羅に憑依した誰かは私が『帰れなくなる』ではなくて『帰せなくなる』と言った。

 彼女が誰かは分からなかったけれど、でもその言葉が真実だと私は理解していた。


『そうなっても貴女は後悔しませんか?』

「後悔は…すると思います」


 だから、彼女の問いに答える私の声はみっともなく震えていた。


「きっと私は、帰れないとわかってももとの世界を恋しがるだろうし、帰れなくなったことを悲しむと思います」


 そう、これは紛れもない本心。


「…でも」


 でも私は出会ってしまった。

 真帆さんや、秀一さんや、孝明さん、ガーファンクルなどの私がつくったキャラクターだけじゃなくて、高村さんたち一般の人たちにも出会ってしまったから。


「それでも、私が私の知識で助けることができるかもしれないとわかっていて傍観することはできません。それこそもとの世界に帰れたとしても、私は一生後悔するでしょう。だから、行きます」


 私は震える声のままそう宣言した。


『…そう』


 私の言葉を聞いた加羅の中の彼女は、小さく吐息を漏らすと瞬きをした。


『貴女はそういう選択をしたのね。ならば私は、貴女の選択を尊重しましょう』


 そういう彼女の声はどこか嬉しそうに聞こえた。

 加羅の姿のまま、彼女は私の頬にキスを落とす。


『貴女にすべての神の加護がありますように』


 もふっとした感触だったけれど、そのキスは確かなぬくもりと、ほんの少しの勇気をくれた。


「あ、ありがとうございます」

『あれ?』


 私がお礼を言い終わる前に、加羅が声をあげた。


『なんでボク、ここにいるんだろ』


 至近距離で見る加羅の瞳はいつもの黄色に戻っていた。


『ご主人に呼ばれたところまでは覚えてるんだけど。えっと確か、ご主人をどこかに連れて行くんだよね』

「それであってるよ」


 こてんと首を傾げた加羅の頭を私は少し強めに撫でた。

 ぐるぐると喉をならす加羅の額に私は自分のそれを重ねた。


「加羅にも危ない思いをさせちゃうけど、お願い、私をまずラヴィ神殿まで連れて行って」

『おやすいごようだよ』


 私のお願いを快諾すると、加羅は頬ずりをしてから背を向けてきた。

 その姿がいつものものよりも二回りほど大きくなる。


『乗って』

「ありがとう」


 私が乗りやすいように身を低くしてくれた加羅の背をまたごうとしたら、長いスカートが邪魔をしてきた。

 びりびりびり。

 それを躊躇なく裂いて深いスリットをつくると、私は加羅の背に乗る。


『行くよ、しっかりと掴まっていてね』


 加羅はそう言うと窓から外に飛び出した。



【大砂猫への騎乗】

 人間と主従契約を結んだ大砂猫は自分の大きさを自由に変えることができる。

 それによって人間を背に乗せて走ることも可能になる。

 かつて大砂猫が繁栄し、人間との主従契約をむすぶことも頻繁であった頃は大砂猫を騎獣としている者も見られたが、数代を経てからは見られることがない。

 その乗り心地については記録が少なく謎となっている。




とうとう亜香里は選択しました

これから彼女はどんな行動をとるのでしょう。

それから亜香里に問いかけた声はどんな存在なのでしょうか。

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