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月光 (1)

 それから数日後。

 私は完全に後ろ向きだった思考からやっと155度くらいまでもとにもどることができた。

 つまり一応前を見ることはできるけれど完全には前向きにはなっていないという面倒くさい感じですね。

 そんな状態でも…それこそ後ろ向きの状態でも仕事に行くのはきっと前の世界で養われた社畜――もとい、勤労精神からだった。

 むしろ仕事をしている方がぐずぐずとマイナスなことを考えなくていいから、私は積極的に働いていた。

 そして今、私は馬車で帰宅の途中だった。

 私は登城は真帆さんの馬の後ろに乗せてもらい、帰りは真帆さんの方が遅いので岩敷家の馬車に迎えに来てもらうというのが常だった。

 ただ今日は馬車の中には真帆さんと高村さんがいる。

 私がちょっとがんばって仕事をしすぎたせいで帰宅時間が真帆さんや高村さんといっしょになったのだった。

 いつもなら真帆さんは馬で帰っているのだけど、今日は高村さんもいるということで馬を預け、馬車で帰ろうという話になったのだった。

 最初、高村さんは岩敷家の紋章の入った馬車に乗るのを拒否していたけれど、彼がいつも使っている巡回馬車(じゅんかいばしゃ)の時間は終わってしまっていたし、家で美幸さんが待っていることをもちだして真帆さんが説得した。

 伯爵家の座り心地のいい馬車に恐縮して大きな体を縮めている高村さんはちょっとかわいかった。

 うん、その気持ちわかる。

 なんかこの馬車、豪華すぎて申し訳ない気持ちになるんだよね。

 庶民仲間がいてくれるおかげで私がいつも感じている申し訳なさが少し薄らぐ。

 そして高村さんもしばらく話しているうちに少しずつリラックスしてきたみたいだった。


「そういや、あれから裸踊りはやってないのか?」

「そもそも最初からやってませんっ! それにこれがあるから服も脱ぎません!」


 にやにやと笑いながらからかう真帆さんに叫んでから、高村さんは左手首につけているミサンガを見せた。


「なんだそれは?」

「美幸につけられたんです。『もうすぐ父親になるんだから、お酒を飲むときにはこれを見て深酒しないように』って」

「素敵ですね」

「けっこういいできでしょう」


 私が褒めると、高村さんは照れながら笑った。

 確かに男性の手首にも似合うように幅広で、かつ地裂陣を表す赤と黒で作られたミサンガはとても上手でとてもかっこよかったけれど。

 私が素敵だと思ったはミサンガだけじゃなくて美幸さんの気持ちだった。

 都の警備や外敵と戦ったり、時には『狩り』に行ったりする陣戦士たちの仕事は辛いから。

 そんなときにお酒が心を軽くすることを知っている美幸さんはただ『酒を飲むな』じゃなくて、『深酒をするな』って戒めたんだろう。

 そう言おうと口を開きかけて、私は何も言えずにそれを閉じた。

 ミサンガを大切そうに撫でる高村さんの目が、とてもやさしかったから。

 きっと美幸さんの気持ちを、高村さんもわかってる。

 そんな二人の関係が素敵だと思った。


「素敵ですね」

「そうだな」


 もう一度私がつぶやくと、真帆さんも頷いてくれた。

 それから真帆さんはまた口調をからかうものに変えた。


「すっかり美幸に手綱握られてんな。いや、首輪かけられてるって感じか?」


 いや、かけられてるのは首じゃなくて手首です。

 …なんだろう、たまに真帆さんの発言がおっさんぽいのは。

 もしかして私の『設定』のせいなのかな?

 若干恥ずかしい気持ちになりながら真帆さんを見ると、彼女の肩越しに外の景色が見えた。


「きれい…」


 月の光に太陽の塔が白く輝いていた。

 いつの間にか馬車は太陽の広場の近くに来ていたようだった。

 円錐形の塔の突端にちょうど満月がかかり、畜光石が塗られた街並みも淡く光って、まるでおとぎ話の一ページのようだった。


「ああ、きれいだな」


 ため息をつく私の視線を追って外を見た真帆さんも同意してくれた。


「太陽の光に輝く太陽の塔もきれいだと思うけど、月光に輝く姿もまた優しくていいと思わないか?」


 そう言って真帆さんは手のひらを上にして街を示した。

 その手の上に白く輝く太陽の塔がちょうど重なって、まるで真帆さんが輝く剣を手にしているようにも見える。

 その姿すらも美しくて、私は再度感嘆のため息をついた。


「止まれ」


 ――と、真帆さんが片手をあげて御者の吉川さんに合図をした。


「真帆さん?」

「しっ」


 声をかけようとした私の唇に指をあてて、真帆さんはすばやく言った。

 そして緊張した面持ちで馬車の外を伺っている。


「…れか、…けてくれ…」


 とぎれとぎれに男の声が聞こえてきて、私たちは顔を見合わせた。


「聞こえたか?」

「はい!」


 真帆さんの問いに高村さんも真剣な顔で頷いた。


「高村、お前はここで亜香里を守れ。吉川っ、ついてこい」

「真帆さん!」

「亜香里は馬車から出るなよっ」


 そう言い捨てて真帆さんは馬車から飛び降りた。

 走り出す彼女のあとを、御者の吉川さんがあわててついていく。


「真帆さん、大丈夫かな」

「真帆さんなら大丈夫ですよ。それに吉村さんも引退したとはいえもと風吼陣の戦士ですから、そこらの奴には負けませんよ」

「そうなんですか」


 岩敷家のお抱えの御者で、いつもにこにこしている吉川さんがそんな過去を持つ猛者だとは知らなかった。

 それに風吼陣て、孝明さんの陣だよね。


「ですからあまり窓から身を乗り出さないでください」

「は、はい」


 真剣な顔の高村さんに注意されて私は慌てて座席に深く座りなおした。

 真帆さんが強いのは知っているけれど、やっぱり心配なものは心配だから、つい外の様子をうかがってしまう。


 ピューイピューイ


 真帆さんが向かった方から笛の音のような高い音が響く。


「あれは?」

「真帆さんか吉川さんが軍笛(ぐんてき)を使ったようですね。すぐに地裂陣のやつらが集まってくると思いますよ」

「それじゃあ、何か人手が必要なことがあるんじゃないですか」

「いや」


 高村さんは笛の音がしたほうに向かって目を向けながらしばらく集中するように黙り込んだ。


「どうやら戦闘にはなっていないようです。それより、俺の後ろに回ってください。…誰かきます」

「え?」


 高村さんに言われるままに彼の後ろに異動しながら、私は耳を澄ました。

 私の耳には真帆さんたちの動向も、ましてやこっちに近づいてくる人の気配も足音すらも聞こえない。

 けれど、しばらくして本当に人影が見えてきて、私は息を飲んだ。

 蓄光石が塗られた街は淡く光っていてかなり明るいけれど、よろよろと歩いてくる人物の顔までは判別することができなかった。


「誰だ?」

「その声は…高村さんですか?」


 剣に手をかけたまま高村さんが問うと、その人物は彼の名を呼んだ。

 そしてその声に私は聞き覚えがあった。


「ボルグさん?」

「亜香里さんもいらっしゃるんですか。ちょうどよかった、助けてください」


 足を引きずりながら馬車に向かってくるのはボルグさんだった。


「どうしたんですか?」

「そっちの角で…急に男に襲われて…」


 馬車のそばまで近づいてきたボルゴさんの姿は、思った以上に傷だらけだった。

 引きずっていた足からも、抑えている右腕からも血が滴っている。


「とりあえず馬車へ」


 高村さんは馬車の扉を開き外に飛び出した。

 それに続いて私も馬車から出る。


「亜香里さん」

「ボルグさんを馬車に引き入れたら私もすぐ戻りますから」


 咎めるように名前を呼ばれ、私はあわてて言い訳を口にする。

 確かに危険かもしれないけど、ここで見ているだけはさすがに私にもできなかった。

 私たちがそばに寄るとほっとした顔をしたボルグさんの上体が傾く。


「あぶなっ」


 とっさに私と高村さんが彼を支えるのは同時だった。


「すみません…」


 弱々しく謝るボルグさんの身体から血の匂いがする。

 どれだけケガをしてるんだろう。早く手当てをしなくちゃ。


「いったいどうしてこんなことに」

「わかりません。酒場で意気投合した男で…もう一軒行こうと外に出て、空を見上げたら急に襲い掛かってきたんです」

「空?」


 ボルグさんに言われて私と高村さんは同時に空を見上げた。

 そこには、さっきと変わらない満月が静かに浮かんでいるだけだった。


「月しか見えませんけれど」

「ええ、だから私もわけがわからなくて…っ!」

「わっ」


 話している途中でボルグさんがいきなり体重をかけてくる。

 私はそれを支えきることができなくて、おもいきり尻もちをついてしまった。


「ちょ、いきなりっ」

「危ないっ! 亜香里さんっ」

「ひあああっ」


 文句を言いかけた私はボルグさんに覆いかぶさられて情けない悲鳴をあげた。

 な、なんで?


「ぐ…、う。なんで…」


 混乱した私の心の声を代弁するようにボルグさんが呻いた。

 その声はさっきよりもずっと苦痛に満ちていた。


「ボルグさん? は、離してください」

「動かないで」


 もがく私を抱きしめ、ボルグさんは言った。


「え…あ…」


 ボルグさんの背中に触れていた手にぬるりとした感触がする。

 生温かいそれからさっきよりずっと強い血の匂いがする。


「なぜなんですか…」


 ボルグさんは振り向こうとしないまま苦しそうに言った。

 そんな彼の肩越しに私はそれを見てしまう。


「なぜ、あなたが私たちを襲うんです? 高村さん」

「たか…むらさん」


 私は目にしているものが信じられなくて高村さんを呼んだ。

 もしかすると私の声は声になっていなかったのかもしれない。

 でも、高村さんは瞬きもせずに私を見つめた。

 まるで魔法にでもかけられたように私はその目から視線を外すことができなかった。

 茶色がかった黒色であるはずの高村さんの目は金色に変わり、夜にも関わらず瞳孔が開いていた。

 そして彼の右手の爪は長く伸び、その先から滴るものがあった。


「高村さんっ」

「あおおおおーんっ」


 たまらず彼の名を叫ぶと、高村さんははじかれたように天を仰ぎ、狼のような咆哮をあげた。



巡回馬車(じゅんかいばしゃ)

 黒曜の街を決まったコースで回っている大型の馬車。

 主に平民が使う現代で言うバスのようなもの。

 運賃は大銅貨5枚



軍笛(ぐんてき)

 戦士たちが持つ笛。遠くまで響くので主に警備の時や戦場などで用いられる。

 ホイッスルよりは呼子笛に近い形をしている。

 その音は軍や陣によって異なり、吹き方などで簡単な伝達もできる。


いよいよクライマックスに向けて話が動いていきます。

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