ご主人様になりました(真)
その夜、私は早めに岩敷伯爵家に戻っていた。
泣き顔のまま秀一さんに連れられて戻ってきた私を、真帆さんが心配して早めに帰してくれたのだった。
バルコさんに何かされたのかと心配する真帆さんと秀一さんの誤解を解くのは大変だったけれど、どうにかわかってもらえたとは思う。
そう思えたのは、岩敷伯爵家の自分の部屋にたどりついてからだったけれど。
部屋のベッドに座り、私は頭を抱え込んだ。
自分の軽率で軽薄な設定がバルコさん…ガーファンクルさんをあんなに苦しめているなんて、思いもよらなかった。
そもそも私が英雄王アロンゾと大魔導師ガーファンクルの設定をあんなにしたのも、ただ単にかっこいいと思っただけだから。
剣に封じられた王とそれを助けるために永遠の時を生きる魔導師。…なんてファンタジー的悲劇でかっこいいって、何の必然性もなく考えた設定だった。
「はぁ」
じわりと涙が滲んできて、私はため息をついた。
これでもあんまり売れていないとはいえ物書きだったから、物語を作るにあたって悲劇や苦難、悪意とかそういうものが必要なのはわかってる。
ただただ安穏とした日常ばかりの小説が面白いわけがない。
だいたい書き終わった小説ならまだしも、ただ書き散らした設定だけが生きている世界があるなんて思いもしないし。
ましてや自分がその世界に入り込むなんて…。
つらつらと言い訳を考えていたら視界がどんどん歪んでくる。
何をどう言い訳しても、バルコさんを苦しめているのは私が考えた設定だ。
「この世界が私が考えたものなのに、どうして私の思い通りにならないの?」
この世界に来てしまってから何度も持った疑問を口にする。
この世界に来てからしばらくした時、私は自分の考えた設定を変更したり追加したりできるんじゃないかと実験してみた。
例えば私をチートにしたり、真帆さんのことを悪く言う人なんていなくなるとか。
頭の中で考えてみたり、紙に書きだしたり、あの設定ノートに書きこんでみたりもした。
でも私は私でしかなかったし、世界も何も変わらなかった。
私はただの林亜香里という無力な人間のままだった。
もしかするとこの世界に入り込んでしまった時点で、私はこの世界の人々と同じ存在になってしまったのかもしれない。
だとしたらそう開き直れればいいんだろうけれど。やっぱりこの世界の色々な設定は私が考えたもので、恥ずかしさや意図せず苦しめてしまった人への後悔を拭えない。
「もういっそ消えてしまいたい…」
苦しめている人たちの設定を変えることができないのならばせめて私の設定した人がいないどこかに行ってしまいたい。
言葉とともに涙がこぼれおちる。
膝に落ちた涙の粒がスカートに丸く染みていく。
ああ、ハンカチ出さなきゃ。
「なーん」
ぼんやりとそんなことを考えていると窓の外で鳴き声が聞こえた。
顔を上げると、そこには私の頭よりも大きな肉球がガラスに張り付いているのが見えた。
通常の猫のそれよりも何倍も大きな肉球に、私はその前足の持ち主が誰か気づいた。
「加羅?」
「なううにゃ」
窓を開けると加羅が小さく鳴きながら入ってきた。
ひょんなことから私の飼い猫となった加羅は、その日から夜は私の部屋で眠るようになっていた。
「おかえり、今日は早かったんだね」
「にゃむなあにゃあ」
加羅は私が窓を閉めるのを待ってから、すりすりと顔を寄せてくる。
「どうしたの? ずいぶん甘えたさんだね」
いつもだったら2、3度頭をこすりつけたら離れるのに、今日は何かを語るように鳴きながら何度も加羅はすり寄ってくる。
加羅も何かあったのかな。
顎の下を撫でてあげると、加羅は目を細めながら一声鳴いた。
「なうううにゃ」
「ひゃっ」
ぺろり
いきなり加羅に頬を舐められて私は思わず声をあげてしまう。
ああ、多分加羅は泣いていた私を心配してくれたんだろう。
だから頬を舐めて慰めようとしてくれているんだろうけど、虎よりも大きなサイズの大砂猫の舌はけっこう強さがあって舐められるたびに頭がゆれる。
ついでにざりざりした感触もわりと痛かった。
「いたたたた」
「にゃんうにゅにゃ」
「ちょ、まって、加羅、ストップ、ストップ!」
しばらく耐えようと思ったけれどもう無理だった。
悲鳴を上げる私をお構いなしに舐め続ける加羅を押しとどめるように両手で口を押える。
そうしたら今度は加羅は手を舐めはじめた。
手の方がまだ頬よりは痛くな…くもない。やっぱり痛い。
「加羅、舌が痛いよ」
「にゃ? にゃにゃう?」
『え、いたかった?』
「え?」
加羅の鳴き声に少年のような声が重なって聞こえて、私は動きを止めた。
「え、なに?」
「なーうにゃにゃなうにゃにゃいにゃ」
『ボクの舌ってご主人にはいたいの?』
「……」
『ごめんね。ご主人泣いてたから、なぐさめてあげたかったんだ』
「…もしかして、加羅?」
『なあに?』
耳をすましているうちに、加羅の鳴き声は完全に言葉として聞き取れるようになった。
『やったぁ。 ご主人、ボクの言葉がわかるようになったんだぁ』
「やっぱり加羅がしゃべってるんだね」
『うん』
嬉しそうに返事をする加羅に、とうとう自分の頭がおかしくなってしまったのかと思う。
だったらこの世界も実は全部私の妄想なのかもしれない。
現実逃避しかけた私を尻目に、加羅は話を続ける。
『あのね、ボクたち大砂猫はね、一生に一度だけ主と決めた人と話せるようになるんだよ』
「そんなことができるの?」
『うん、ボクたちって魔獣に近いから』
ごろごろと喉を鳴らす加羅の頭を撫でながら私は首を傾げた。
「でも、急にどうして話せるようになったの?」
『それはボクがご主人の血を舐めたからだと思うよ』
「血?」
加羅に言われて私は自分の手を見た。
そう言えば登城のときに何回か指を刺されたから、指に血が残っていたのか。
『うれしいなぁ。ボクずっと、ご主人とお話がしたかったんだ』
「……」
嬉しそうな加羅に私は返事をすることができなかった。
『ご主人?』
「私なんかを、ご主人になんて決めてしまっていいの?」
ご主人なんて呼んでもらっているけれど、結局加羅の餌などは岩敷伯爵家が面倒みてくれている。
私のやることなんて、毎日ブラッシングしてあげることと夜同じベッドで寝ることくらいだ。
そんな楽しいことしかしていない人間なんて、飼い主としては最低だと思う。
素直にそう言えば、加羅は不思議そうに聞いてくる。
『なんで?』
「ごめんね」
こんな何もできない人間がご主人でごめんね。
思わず謝ると、加羅は頭で私を押した。
『ご主人、ちょっと座って』
ぐいぐいと推されて私はまたベッドに腰をかけた。
その膝の上に頭を乗せて、加羅は上目づかいで見上げてきた。
撫でてと言わんばかりの視線に、いつものように頭を撫ではじめる。
『きもちいい~』
本当に気持ちよさそうにうなると、加羅は大きなあくびをした。
『ボク、ご主人に撫でてもらうの大好き』
「そう?」
『うん、ずっと撫でていてほしい。だからね、ボクはボクがご主人を好きだから、いっしょにいたくてご主人として決めたんだ』
「そんな、撫でるのがうまい人ならもっといるでしょう?」
『ううん、ご主人が最高。いちばん好き』
頭を動かして私の手を撫でてもらいたいところに誘導しながら加羅は言った。
『ボクのけがを治してくれたときから、ボクはご主人とお話ができるようになりたかったよ。でもそうするにはご主人の血を舐めなきゃいけないから。ご主人に痛い思いをさせるのやだったからずっと言えなかったんだ』
「そっか。でも、私は…」
『それにね、ご主人と契約したから、ボクはいろんなことができるようになったんだよ』
「え?」
『たとえばね、こうやってご主人とお話できるだけじゃなくて、ご主人が呼べばどんなに遠くても聞こえるし。それに体の大きさだって変えられるんだよ』
そう言って加羅はぱちりと片目を閉じて見せた。
『この姿の倍くらいに大きくなって、ご主人を乗せてあげることだってできるし、すごく小さくなって、ご主人のバッグに入ることだってできるんだよ』
話しているうちに加羅のサイズはどんどんと縮まっていった。
そして加羅が眠そうにのびをしたときにはもう、彼の姿は子猫くらいのサイズになってしまっていた。
「すごい…」
すっかり縮んだ加羅が膝に乗ると、私はまた撫で始めた。
虎よりも大きい猫というサイズもまた楽しかったけど、この両手サイズの猫もめちゃくちゃ手になじんで撫でやすい。
しばらく無心で撫でていると加羅はふるふると頭を揺らした。
あ、撫ですぎて嫌がられちゃったかな。
『あぶない、もうちょっとで寝ちゃうとこだった。ボク、ご主人に言わなきゃいけないことがあったんだった』
「言わなきゃいけないこと?」
『うん、あのね。ボクはご主人が大好きだから。たとえご主人がもとの世界に戻ったとしても、ボクはついていくよ』
「加羅…」
加羅の突然の言葉に、私はひゅっと息を飲んだ。
【大砂猫(真)】
テンペ大陸の砂漠地帯に生息するネコ科の動物。見た目は大きな猫。
体長4~5mに達し、あまり人には慣れない。
実は魔獣に近い種族で知能が高い。
そして生涯にひとりだけ、主と決めた人などと魂を結ぶことができ、それによって意思の疎通ができるようになる。
ただし人と大砂猫と主従契約は大砂猫側からしかできず、主に拒否権はない。また、契約の解除も大砂猫側からしかできない。
この一方的な主従契約は大砂猫側からはいつでも破棄することができるが、その後大砂猫は主を持つことができなくなる。
そして主をもった大砂猫はその魔力が増大し、いくつかの魔法が使えるようになる。
そのうちのひとつに大きさを自由に変えることができるというものがある。
本当の意味でご主人様になりました。
次はもう少しだけ後ろ向きの亜香里がいます




