ドレスと宝石と社交界の猛者
岩敷伯爵夫人は真帆さんが騎士に叙任されるという話を聞いてひどく落胆したし。
さすがに彼女も騎士になる娘にドレスを推し進めることはできなかったらしい。
「と、いうわけで私のドレスはあきらめてほしい。だけど代わりにさ」
嘆く母親に良心がとがめたらしい真帆さんは私をぐっと前に押し出した。
「亜香里が鬼頭さんのパートナーとして成人の儀とその後の宴にも参加するから、ドレスの準備をしてやってよ」
「まあまあまあまあ」
真帆さんがそう言うと、岩敷夫人はとたんに目を輝かせた。
「どんなドレスにしましょうかね。亜香里さんは細いからウェストの細さが際立つデザインがいいわね」
「あ、あの…、奥様?」
うきうきしながら侍女を呼び始める岩敷夫人に、私は嫌な予感しかなかった。
だいたいパーティドレスってどれくらいするんだろう。私に払えるのかな。今ですら真帆さんにお給料の前借りしてるのに。
借金待ったなしの私ができるだけ安いものをお願いしようとすると、真帆さんがそれを制するように言った。
「ドレス代やアクセサリー代は鬼頭の爺さんが払うって言ってるから、好きなだけ飾りたててやって」
「まあ、鬼頭陣将がそこまでおっしゃるなんて、亜香里さんよっぽど気に入られたのねー」
「は、はあ」
にこにこと微笑みながら岩敷夫人は分厚い本を広げる。
そこにはいくつものドレスの絵が描かれていた。
いわゆるドレスを注文するときのデザインカタログのようだった。
「亜香里さんのご希望はある?」
「ええと、その。流行とかはよくわからないのですが、できたらあまりスカートが広がっていないものがいいです」
「そうねぇ。だったらこの辺りかこの辺りがいいかしら」
きっと真帆さんのために何度も読んできたのだろう。
岩敷夫人は即座に何枚かの絵を示してくる。
「亜香里だったらこれかこれがいいんじゃないかな」
なぜか真帆さんまでドレス選びに参加してきた。
真帆さん、自分は着なくてよくなったからかものすごく楽しそうにドレスを選んでくる。
「私はこっちの方がいいと思うんだけど」
「それは胸が開きすぎているからだめ」
「真帆、あなたお父様と同じようなこと言うのね」
「亜香里に悪い虫がついたら困るからね」
えーと、真帆さんは16才で私26才だったはず。
何で真帆さんの方が保護者みたいな言い方なんだろう。
ぼんやり思っていると真帆さんはふいにこっちを見て片目をつぶった。
「だって亜香里は私の大切な秘書だから」
「は、はい」
うううう。その笑顔は反則です。
と、言うか真帆さんなんでそんなに男前なの。
なんだかんだ言いながらも岩敷夫人と真帆さんはドレスの候補を三つまでしぼったようだった。
それを私の前に並べてくれる。
「亜香里はどれがいい?」
示されたのはどれもがわりと細身ですっきりとしたデザインのものばかりだった。
うーん、あんまり大きなリボンが胸元にあるのは照れ臭いな。
でもこっちはレースが多すぎる気がする。
その中でも一番飾りが少ないドレスを私は指した。
「これですかね」
「だろ、私もそれがいいと思ったんだ」
「でもそれ、胸元が寂しすぎないかしら」
「だったらそこに真珠のネックレスとかを何重にも下げたらどうかな」
「真珠をたくさんつけるのはだめよ、真帆」
「え?」
岩敷夫人にダメ出しをされて真帆さんはきょとんとした。
「王妃さまのお名前を冠した宝石は必要以上に纏わないのが宮廷のマナーなのよ。あと、王妃さまがお召しになるドレスとは同じ色を選んではだめ」
「へー、そうなんだ」
「そうなんですね」
女性だけにある宮廷マナー…暗黙のルールかな…に、真帆さんと私はそろって子供のように言った。
「ええそうよ。男性は仕事などで他者と競うけれど、私たち妻は社交界で情報を集めたりして夫を助けるの。また、マナーをわきまえていないと夫に恥をかかせることになるから、必死で覚えるのよ」
そう言ってほほえむ岩敷夫人には歴戦の猛者のような強さがあった。
「そっか、女性たちも華やかな裏で戦ってるんだな」
「そればかりだとは言わないけれど、守られてばかりが女ではないわ」
「奥様、素敵です」
何だろうこの格好良さ。
岩敷夫人は小柄でたおやかな女性なんだけれど、その中にある芯の通った強さに感動してしまう。
それと同時に自分にはそんなことはできないとも思ってしまう。
庶民でよかった。
今回はたまたま宮廷のパーティに顔を出すことになってしまったけれど、これが最初で最後だろうから、色々見ておこう。
「とりあえずアクセサリーの話は置いておいて、ドレスの色を決めましょう」
「え、青でしょ」
「青?」
岩敷夫人の言葉に真帆さんが当然のように言った。
その言い切り方に私は首を傾げた。
青は特に好きな色でもないし、この世界にきてから身に着けた覚えもない色だった。
それなのに真帆さんはさも当然のように青を勧めるんだろう?
「そうね、やっぱり青よね」
なぜか岩敷夫人も青を選ぶのが当然のように言ってくる。
彼女は手元にあった青いハンカチを私の顔まわりにおいた。
「いいわね、亜香里さんは色が白いから、青がとても似合うわ。幸い今回のパーティで王妃さまは緑をお召しになられるようだし、青にしましょう」
「は、はあ。そうですね」
ここまで青を推されてしまうと嫌ともいえず、私は押し切られる形で了承した。
まあ青が嫌いなわけじゃないし、選んだデザインは割とクール目だったから青が映えそうだし。
…それに、色が白いとか似合うとか言われてちょっと嬉しかったりもするし。
まあ色白なのはひきこもりいいぽ手前のインドア派で日に焼けてないだけなだけなんですけどね。
「あと、ドレスが青ならアクセサリーはサファイヤで統一しましょうか。あ、でも髪には白い花とかあしらってもいいわね」
「まだ決めるものがあるんですか」
今度は髪型のカタログをとりだしてきた岩敷夫人に真帆さんがいくぶんうんざりした様子で聞いた。
「何言っているの、髪型の次は靴と手袋を決めて、あと扇子もハンカチも準備しなければならないのよ。それから亜香里さん、ダンスは踊れて?」
「だ、ダンス? いえ、全く」
いきなり水を向けられて私は首を振った。
ダンスなんて学生の時に踊った創作ダンスとフォークダンスくらいしか記憶がない。
しかも音感と運動能力が微妙なせいで若干テンポが遅れぎみの散々な出来だった。
学生時代の黒歴史を呼び起こされてうなだれてしまった私に岩敷夫人は優しく声をかけてくれる。
「そんなに恥じ入らなくてもいいのよ。今回の主役は新成人の子たちなのだから、無理に踊らなくてもいいでしょうし。でも簡単なダンスとドレスの裾のさばきかたや姿勢やマナーなどをレッスンしましょうね」
「はい?」
え、何か今レッスンって言葉が聞こえたような…。
慌てて横を向くと真帆さんが音もなく立ち上がったところだった。
「母上、申し訳ないんだけどちょっと王宮に行かなきゃいけない用を思い出したんで行ってくるね。亜香里のドレスやもろもろはよろしく。彼女に一番似合うものをあつらえてあげてよ。もし高額になって鬼頭の爺さんに請求しにくかったら半分私が持つからさ」
「それは申し訳ないです。自分で払います」
「真帆、亜香里さん。我が家を甘く見てはいけませんよ」
だからできるだけ安いものを…と、続けようとした私の言葉を岩敷夫人がぴしゃりと止める。
「我が岩敷家は金剛国の重鎮で由緒ある家柄。娘の大切な秘書でかつ我が家で面倒見ている方に恥をかかせるような装いをさせるものですか。亜香里さんは私が責任をもって最高の貴婦人に仕立ててみせます。だからあなたたちがお金のことなど気にする必要はないのよ」
すっと背筋を伸ばして言う岩敷夫人には名門貴族の奥方の矜持のようなものが見えた。
その姿はとても凛として美しかったのだけれど、私としては恐怖でしかなかった。
この奥様の言う『最高の貴婦人』って、絶対衣装のことだけじゃないよね…。
助けを求めるように真帆さんを見たけれど、真帆さんは片手をあげて拝むようなしぐさをしながら唇だけで『ごめん』と言った。
それから真帆さんは岩敷夫人に頭を下げた、
「では、母上にすべてまかせます。亜香里をお願いします」
「ええ、いってらっしゃい」
「真帆さ…」
「亜香里も忙しいだろうから成人の儀までは仕事には来なくていいからな」
追いすがろうとした私に真帆さんはそれだけ言うと部屋を出ていった。
――は、謀られた。
絶対真帆さん私のこと人身御供にするつもりだった…。
真帆さんが出て行ったドアをうらみがましく睨んでも戻ってきてくれるわけもなく。
「さあ亜香里さん。小物を選びましょうね。それから今日はまず手始めにヒールの高い靴での歩き方を練習しましょう」
「よ、よろしくお願いします…」
有無を言わせない笑顔でほほ笑む社交界の猛者・岩敷夫人に対抗する術は私にはなかった。
【金剛国王妃】
金剛国は王室に嫁いだ女性に宝石の名を与える。
その名となった宝石はその人を表すものとされ、アクセサリーはもちろん衣装や持ち物などにデザインされる。
特に王妃の名の宝石は宮廷ではその人のものとされ、宮廷の宴ではその宝石を多くつけるのはタブーとされる。
現在の王妃の名は『真珠』と言い、エイトリアル近くの小国の王女だった女性。
次回はいよいよ成人の儀がはじまります




