美しい国と都の城壁
瑠璃姫が私を連れてきてくれたのは、白の最も高い塔の物見台だった。
城自体が小高い丘の上に建っているため、ここからは黒曜の都どころかはるか遠くの土地まで一望することができた。
太陽の広場を中心に四方八方へと延びる道と整然と整備された街並み。
都の中を通って海へと続く大河と、その周囲に広がる緑に少し離れたところに見える山々。
金剛国という国はこんなに整然とし、緑にあふれた美しい国なんだ。
絶景とも言える景色に言葉をなくしていると、瑠璃姫がふわりと振り返った。
「きれいでしょう? これがお父様の愛している国で、真帆やみんなが守っていてくれる国なの」
太陽の光で瑠璃姫の金髪がきらきらと輝く。
本当にすべて美しいと感じながら、私は瑠璃姫の言葉にも感動していた。
瑠璃姫は自分の父王の国と言いながらも、それを父王の所有物のようには言わなかった。
そして国を守るのは王ではなく真帆さんたち臣下だと。
まだ幼いと言ってもいい瑠璃姫がこんな風に言うのは、ご両親がそう教えているからだろう。
金剛王は王として優秀な人であると『設定』してはいたけれど、ここまで良い為政者だとは思わなかった。
だから真帆さんたち戦士も彼らのために命をかけて戦えるんだろうな。
「本当に、きれいで素晴らしい国ですね」
「ありがとう。ここは私のお気に入りの場所なのよ」
色々な思いをこめながら言うと、瑠璃姫は嬉しそうに笑った。
その瑠璃姫の長い髪が風にあおられて舞う。それを片手で抑えながら、瑠璃姫は城下へと目を移した。
「あら?」
「どうしました?」
瑠璃姫がちいさく声をあげると、すかさず真帆さんが寄ってくる。
瑠璃姫はすっと右手奥のあたりの城壁を指した。
「あのあたりの城壁の光が一瞬大きくなって、またもとに戻ったの」
「どのあたりですか?」
『城壁の光』という言葉に、真帆さんだけでなくバルコさんも瑠璃姫の指す方に目を凝らした。
女性にしては長身の真帆さんとバルコさんのふたりが腰をかがめて小さな瑠璃姫と顔の高さを同じにしようとしている姿は、後ろから見るとなんだかかわいらしかった。
「あのあたりよ」
「あれは北の…その後は光に変化は見られませんか?」
バルコさんは何かをさぐるように聞いた。
「んん…。いいえ、今はもう他の部分の光となにもかわらないわ」
「そうですか?」
「城壁の結界に変化があったのか?」
「いえ、結界が破られたような様子は見うけられません」
真帆さんの問いにバルコさんは軽く首を振った。
そうか、都の城壁には何らかの結界が張られているのね。
瑠璃姫の目はその結界を光として見ているんだ。
でもバルコさんの言い方だと、バルコさんにもその光が見えてる?
それとも魔導師だと何か結界を感じることができる能力でもあるのかな。
バルコさんは姿勢をもとにもどすと、まだ注意深く瑠璃姫の指したあたりを見据えていた。
「ですが一瞬であれ光り方がかわったということは、何かが結界に触れたことは確実です。あとで確認してまいります」
「頼む。もし護衛などの人が必要ならば言ってくれ」
「お願いいたします」
結界や魔法など自分の領域でないものに対して真帆さんは強力はするけれどバルコさんに任せるつもりらしい。
口では魔導師のことを嫌いなんて言いながら、バルコさん自身のことは信じているんだね。
真帆さんてちょっとツンデレ?
私がそんなことを考えているなんて知る由もない真帆さんとバルコさんは何かを小声で打ち合わせしていた。
それからバルコさんはまた瑠璃姫に向き直る。
「姫、申し訳ありませんがもう一度城壁をよく見ていただいてもよろしいでしょうか」
「ええ、いいわよ」
バルコさんのお願いに快く答えた瑠璃姫はゆっくりと物見台にそって歩き始めた。
その後ろにバルコさん、次に真帆さん、そして最後に私の順で歩きはじめる。
物見台は塔の周囲を一周できるように作られていた。
時計回りに歩いていると、城の中庭が見えたところで真帆さんが声をあげた。
「ん?」
「どうしました?」
「あそこにいる奴がこっちを見てる」
「え? どこ?」
真帆さんが示したのは中庭にいる何人かのうちのひとりだった。
でも、その人々はこの塔の上からは豆粒よりも小さいサイズで、私には誰かがこっちを見上げているなんてまったくわからなかった。
「あれ見えるんですか?」
「見えるよ。明るい茶色の髪に髭の男がこっちを見上げてる」
まだ下を見下ろしながら真帆さんはこともなげに言った。
うーむ。この眼鏡、一応1.5くらいは見えるように調整してるんだけどな。
目が悪い設定にはしていないけど、あの豆粒の髪色や髭まで見えるって、真帆さんの視力ってどれだけすごいの。
「たまたまとか。塔の上に人がいるのが気になったとかですかね」
「それはどうかは分からないが、こっちを見て笑ってるぞ」
表情まで見えるって、真帆さんは鷹か何かですか。
「お知り合いですか?」
「いや、見覚えはないし。あの服装は多分商人だと思うんだけどな」
「商人がお城にくることがあるんですか」
「ああ、今頃だと成人の儀の関係で祝宴の準備や祝いの品などを買い付けるからな、いつも以上に商人の出入りは激しくなるな」
「それじゃあ警備も大変ですね」
「そうだな。まあ、商人ギルドの二級以上のランクがないと城には入れないけどな。あ、城に入った」
その男が城に入ったのを期に真帆さんも顔をあげた。
「何を見ているの」
その真帆さんに瑠璃姫が飛びついてきた。
城壁の確認が終わったのか、その後ろにはバルコさんが少しだけこわばった顔でついてきている。
瑠璃姫は真帆さんの腰にしがみつきながら城の中庭を見下ろす。
「今年もたくさんの商人の人が来ているのね」
「瑠璃姫も商人さんたちにお会いしたことがあるんですか?」
「いいえ、商人たちに会うのはお父様とお母様だけなの。私はまだ子供だからそういう人には会わせてもらえないのよ。今年は真帆の成人の年だから、お祝いの品を選ぶのに参加したかったのに。残念」
柔らかな頬をぷくりと膨らませる瑠璃姫は、それはそれはかわいらしかった。
こんなあざとい仕草がかわいく、そして品よく見えるなんてお姫様ってすごい。
そういえば成人の儀のときは真帆さんも盛装をするんだよね。
今も登城してるってことでいつもの服よりもずっと上質な衣装を着ているんだけど、戦士の盛装ってやっぱり鎧なのかな。
「成人の儀と言えば真帆さんはどんな格好で出られるんですか? やっぱり地裂陣の式典用鎧とか、それとも何か制服のようなものがあるんですか?」
「…実はそれで母上ともめてる」
「は?」
私の問いに真帆さんはものすごく嫌そうな顔をした。
「女性の盛装ってドレスなんだよな…」
「真帆のドレス姿って見たことないけど、着たことある?」
「ないです。スカートすらないです」
嫌そうな顔のまま真帆さんは瑠璃姫に首を振って見せた。
「でも真帆さんは地裂陣の副将だから、戦士としての盛装は制服か鎧でいいんじゃないですか?」
「ああ、だけど私は未成年だから副将っていうのは仮の状態なんだ。成人の儀が終わってから陣将から正式に任命される予定なんだ」
「あー」
それは真帆さん的には万事休す。
「だったらどうされるんですか」
「私としては常識知らず扱いされても地裂陣の式典用盛装で出てやろうと思ってるんだけど、母上の大反対にあってる」
「伯爵夫人のですか」
華奢で上品なイメージの伯爵夫人が実は岩敷家の影の実力者なのは居候するようになった数日でよくわかっている。
先日もにこにこと笑いながら伯爵を叱っていた姿を見たのは記憶に新しい。
「多分これを逃したら私のドレス姿なんて絶対に拝めないと分かっているから、ここぞとばかりにごり押ししてくるんだよ」
「真帆は背が高いからきっとドレスも似合うと思うの」
「男がドレス着ているようにしかなりませんよ」
瑠璃姫の慰めに真帆さんはがっくりとうなだれた。
いや、それは多分瑠璃姫の意見が正しいと思うな。
あまり裾が広がらないドレスで、きれいな体のラインに沿うようなデザインにしたら、かなりかっこいいと思うんだけどな。
たとえばミュージカルのマイ・フェア・レディみたいなやつ。
脳内で真帆さんにあのドレスを着せてみたが、けっこう悪くない。
伯爵夫人ががんばっちゃうのも分かる気がする。
でも真帆さんはドレスを着るのが心底嫌そうだった。
「似合わないのもそうだし、あんなもの着てたらとっさのときに動けないじゃないか。成人の儀の場には王も王妃もいるんだぞ、襲撃にでもあったらどうする」
ぶつぶつとつぶやく声が耳に入って、私は慌てて脳内の想像を消した。
そうか、真帆さんは王家につかえる戦士だから、着飾るよりも戦えなくなることの方が嫌なんだ。
「でも母上を説得できる自信もない。いっそ『狩り』の予定でも入らないかな」
天を仰いで嘆く真帆さんの声に悲惨さが混じっていて、申し訳ないけれど私は笑ってしまった。
【黒曜の都の結界】
黒曜の都は城壁にそって結界が張られている。
この結界により門以外の場所から入り込もうとするものは排除される。
伝説の大魔導師であるガーファンクルによってつくられた結界は結界の式が残されており、250年たった今でも修復を重ねながら機能している。
次回は亜香里がちょっと悪だくみします