瑠璃姫と魔導師とお茶
瑠璃姫は真帆さんに向かって躊躇なくとびついた。
それを真帆さんは揺らぐことなくしっかりと受け止める。
瑠璃姫は確か12才になったはず、小柄とはいえかなりの勢いで飛びついてきた彼女を受け止める真帆さんの体幹に思わず感心してしまう。
「今日は城に来る予定じゃなかったでしょう?」
「少し前に鬼頭の爺さんに呼ばれたんですけど、そっちの用事が終わったんで姫に会いに来ました」
「うふふ、嬉しい」
無邪気に笑う瑠璃姫を真帆さんはやさしい目で見つめた。
その瞳を見るだけで、真帆さんが瑠璃姫のことをとても大切に思っているのが見て取れる。
そしてそれがさもありなんと思えるほど、瑠璃姫はかわいらしいお姫さまだった。
貴子さんも美少女ではあったけれど、あえて言うと彼女の美は大人びていて、美少女よりも美女という風情だったのに対し、瑠璃姫はまさに美少女だった。
太陽の光を反射する白金の髪にその名の通り瑠璃色の瞳。そして染み一つない白い頬は今上気してピンク色に染まっている。
まさに絵本の中から出てきたようなお姫様、それが瑠璃姫だった。
「今日は姫に紹介したい者がいて、連れてきたんですよ」
「だあれ?」
真帆に言われて初めて気づいたように瑠璃姫は私を見た。
わあ、大きな目。それにまつ毛長い。
その目が瞬きをするたびにまつ毛で風がおこりそう。
「はじめまして、瑠璃です」
「はじめまして、林亜香里と申します」
私が名乗ると、瑠璃姫は微笑みながら右手を差し出してきた。
とっさにその手をとってしまったけれど、どうしていいかわからない。
軽く頭を下げてから膝を曲げる仕草をしてみたら、瑠璃姫は驚きもせずに手を離したから、これであっていたらしい。
何かの映画で見た女王様に対する挨拶を真似ておいて正解だった。
「こちらへきて、いっしょにお茶を飲みましょう?」
瑠璃姫は真帆さんと私を部屋の中央におかれたソファの方へと誘ってくれた。
そこにはローブのような衣装を着た青年が何冊かの本を片付けているところだった。
「バルコ。すまない、勉強中だったか?」
「真帆さんがいらしたら姫は他のことが手につきませんから、仕方ありませんね」
バルコと呼ばれた青年は少し困ったように笑いながら言った。
それから彼は瑠璃姫に向かって声をかける。
「今日のお勉強はここまでにいたしましょう。ですが後で宿題をお出ししますから、明日までにそれを終わらせておいてくださいね」
「ありがとう、バルコ先生」
瑠璃姫はバルコさんにお礼を言った。
先生というからにはこの人は瑠璃姫の家庭教師なんだろう。
でも銀色の髪に琥珀色の瞳や、バルコという名前からして、金剛国の人間でないことは明らかだった。
年齢も多く見積もって30才くらいの男性でかつ外国人でありながら姫君の家庭教師をしているなんて、よっぽど優秀な人なんだろう。
「せっかくだから先生もいっしょにお茶を飲みましょう?」
「それではご相伴に預からせていただきます」
瑠璃姫に誘われて、バルコさんもお茶会に参加することとなった。
メイドさんたちがお茶を用意している間に私はバルコさんに紹介された。
「こちらは私の秘書をしてもらっている林亜香里。亜香里、こちらは王宮魔導師で姫の家庭教師もしているバルコ・マルティネス」
「よろしくお願いします。どうぞバルコとお呼びください」
「林亜香里です。どうぞよろしくお願いします」
バルコさんからは手を差し伸べられなかったので、なんとなく握手をしないまま挨拶を交わす。
「亜香里さんは確か、真帆が森でひろったのよね」
「ひろった?」
瑠璃姫の問いにバルコさんは怪訝そうな顔をする。
ああ、こういう反応久しぶり。
そうだよね、いきなり人間をひろったなんて話をされても困っちゃうよね。
でもそれが本当なんだから仕方がない
。
「はいひろわれました」
「じゃあ真帆が亜香里さんのご主人様なの?」
「あー、どうなんでしょうね。ご主人様かどうかは置いておいて、保護者ではありますね」
瑠璃姫は飼い主って言いたいところをご主人様に言い換えたんだろうな。
確かに私は真帆さんに雇われているけれども、ご主人様とか雇用主とか言うよりは正直保護者に近い。
10も年下の女の子が保護者と言うのも少々情けない気がするけど、真帆さんの後ろ盾がなければ私は路頭に迷っていただろう。
保護者という言葉に瑠璃姫は軽く首を傾げた。
「んー、ということは、亜香里さんは真帆といっしょに暮しているってこと?」
「あ、はい。岩敷家にお部屋を用意していただいています」
「…いいなぁ」
心底うらやましそうに瑠璃姫はため息をついた。
「真帆と同じおうちに暮らせるの、本当にうらやましい」
「瑠璃姫様は、真帆さんがお好きなんですね」
「うん、大好き」
私の問いに瑠璃姫は満面の笑みで答えた。
そのお日様のような笑顔に、彼女は本当に真帆さんのことが大好きなのだと知れた。
視線を真帆さんに向けると、真帆さんはとろけるような笑みを浮かべていた。
「私も瑠璃姫が大好きです。私は姫の騎士ですから」
「ふふふふ」
真帆さんの答えに瑠璃姫は両手で口元を覆って笑った。
こんな風に一点の曇りもなく誰かに好意を向けることができ、また向けられた好意を疑うこともない瑠璃姫は、きっとみんなに大切に育てられ、愛されてきたんだろう。
不思議と瑠璃姫の恵まれた環境に対するうらやましさとかはわかなかった。むしろこのきれいなままで育てられてきた姫君をきれいなままで成長させたいとすら思ってしまう。
準備されたお茶をいただきながらそう思っていると、となりに座っていたバルコさんが小さな声でつぶやいた。
「…まぶしい方ですよね」
「ええ、あのままでいてほしいですよね」
「そう思われますか?」
「え?」
本心からの言葉だったのに問い返されて、私はバルコさんに視線を向けた。
琥珀色の瞳にじっと見られて、つい首を傾げる。
「そう思っていますが、なにかおかしいですか?」
「いえ。大抵の方は姫の無防備さを心配されるものですから」
「ああ…、なるほど」
確かに王族ともなると人の表裏を読み取らなければならないこともあるだろう。
でも、瑠璃姫にはそんなものに気づく必要があるだろうか?
「大丈夫ですよ、姫には真帆さんやあなたやその他にたくさんの人がいますから」
「私ですか?」
「ええ、あなたは瑠璃姫の『先生』でしょう?」
瑠璃姫の強みは周りいる人たち。
瑠璃姫と金剛国を守り愛する人々、そんな人たちがそばにいるかぎり姫を傷つける者なんて近寄れはしない。
そんな風に私は瑠璃姫を『設定』したんだもの。
「――あなたは何かを知ってらっしゃるんですか?」
「私が何を知っていると思ってらっしゃるんですか?」
質問に質問でかえすと、バルコさんはとまどったように瞬きをした。
まあ知っていると言えば知っているけれど。
私がこの世界を作ったなんて言っても頭がおかしいと思われて終わりでしょ。
それにつけてもバルコさんって不思議。
瑠璃姫の先生なんて設定は作ったことがなかったし、それが魔導師なんて言ったらなおさらなんだよね。
でもこの顔立ちや圧の強さは『設定』持ちの人特有なものだし。
私の中二病歴史の設定ノートは家に置いてきている。
ただその中の設定たちは何度も読み直したおかげですっかり暗記してしまっていた。その設定たちのなかにバルコ・マルティネスなんて名前はなかった。
偽名を使っているとしたら何の理由で偽名を使う必要があるんだろう。
どこかの国のスパイだったとしたら、誰だろう。
ああ、それにしても綺麗な琥珀色の瞳。
「あの…」
バルコさんの正体を知ろうとじっと見ていたら、彼は急に自分の顔を片手で覆ってしまった。
「そんなに見られると少々照れてしまいます」
「あ、ごめんなさいっ」
見すぎてた、これは申し訳ない。
「どうしたんだ?」
私が謝ると真帆さんがそれに気づいて聞いてきた。
「ついバルコさんの琥珀の瞳がきれいで見つめすぎてしまったんです」
「それでバルコが照れたのか。やるな、亜香里」
「やる?」
なぜバルコさんを見つめすぎて褒められたんだろう。
基本的に相手を見つめすぎるのって、不作法な行為だよね?
「あのね、先生の瞳に見つめられると、みんなはなんとなく落ち着かない気持ちになって目をそらせちゃうんだって」
私が不思議がっていると瑠璃姫が真帆さんが褒めてくれた理由を教えてくれた。
でも『みんなが』『だって』という伝聞系だということは瑠璃姫はバルコさんに見つめられても居心地の悪い思いをしないってことなんですね
さすが瑠璃姫。
ところで真帆さんは…、まあ真帆さんが誰かに目をあわせられても、その目を反らすとは考えづらいね。
それにしてもそのバルコさんを照れさせたってことは私はよっぽど見つめすぎていたんだろうな。
もう一度謝った方がいいかな。
「いいんだよ、普段他人に恥ずかしい思いをさせてるんだ。たまには自分が恥ずかしく思えばいい」
謝ろうとしたところで、目ざとくそれに気づいた真帆さんが遮ってくる。
「自覚はありますが、ひどい言われようですね」
ようやく顔の赤みがひいたらしいバルコさんは手を放して真帆さんに顔を向けた。
「えー、だって私、お前のこと嫌いだもん」
「へ?」
真帆さんのいきなりの発言に私は目を丸くした。
【瑠璃姫】
ゆるくウェーブのかかった白金髪に瑠璃色の瞳。
12才。120cmくらい。
金剛国第一子の姫。
月姫とよばれる奇跡を身に宿す姫君。
本人は自分が月姫であることを知っているが自覚はない。
真帆のことが大好き。
次回は魔導師と外国の話。