ごはんと暦
それから私と高村さんと美幸さんは市場をしばらく見まわった後、近くのお店ですこし遅めのお昼をとることにした。
この世界に来てしまって安心したことのひとつは食事だった。
中世では基本食事は朝夕の2回だと聞いていたけれど、金剛国は朝昼晩と食べる習慣があった。
これは3食きちんと食べたい私にとって本当に朗報だった。
それからもうひとつは…。
「お待たせしました~」
「うわ、おいしそう」
運ばれてきた食事に私は小さく歓声をあげた。
そんな私にほほえみ、高村さんと美幸さんも箸をとる。
3人でいただきますをして、私は注文した親子丼を頬張った。
そう、もうひとつ安心したのはこのお箸とごはん。
金剛国はお米がとれる国でそれを主食にしている。それに伴ってお箸も食器としての地位をちゃんと守ってきた。
外国との交流が深まるにつれ、いわゆる洋食文化も発展してきて、上流階級の人たちはそっちの方が主流になっているみたいだけれど、一般家庭はご飯とパンをその時々で楽しんでいるらしい。
だから街には和食のお店も洋食のお店もある。
まるっきり西洋の街並みの中で、カフェみたいなお店で丼物を食べるのも変な気分だけど。
とりあえず食生活を洋食オンリーと『設定』しなかった自分をほめておこう。
それにしても久々のごはんがおいしい。
「ごはんおいし~」
「こっちのカツ丼もうまい」
「大丈夫? 足りる?」
私と美幸さんは親子丼だったけれど、高村さんはカツ丼を食べている。
普通盛りを食べる高村さんを心配して美幸さんは自分の丼を彼に寄せた。
「よかったら私のも食べる」
「美幸は半分も食べてないじゃないか。ちゃんと食べないとだめだぞ」
「大丈夫、ちょっと入りそうにないのよ」
「でも…」
おお、ここでもらぶらぶですか。
美幸さんは細くて小さいから一人前食べられないのかな。
それにしても小食だし、高村さんも心配よね。
眉毛をハの字にして心配する高村さんに、地烈陣の戦士として訓練をしているときのような覇気はない。
好きな子の前でかわいくなる系男子、いいよねぇ。
勝手に大人の余裕をもちながら親子丼を堪能していると、高村さんが爆弾発言をかましてくれた。
「もうひとりの体じゃないんだし…」
「んぐっ」
口に入れたお米を吐き出さなかった私を誰か褒めてほしい。
ほとんど噛まないまま飲み込んでしまったお米が喉につまりそうになるのをお茶で流し込み、私は目を丸くした。
「ええっとそれは、美幸さんに赤ちゃんができたってこと?」
「一っ」
「あ、やべ…」
私が聞くと美幸さんは高村さんの二の腕をぺしりと殴り、高村さんは慌てて口を押えた。
「その、まだわかったばっかりで真帆さんたちにも話してないので…」
「わかりました、真帆さんには秘密にしておきますね」
口元に指をたて内緒というポーズとすると、高村さんはあからさまにほっとした様子を見せた。
上司の真帆さんより先に秘書である私が知っちゃったらまずいもんね。
美幸さんご懐妊の話を真帆さんから聞いた時には盛大に驚いてあげよう。
「でも、お祝いは言わせてください」
「ありがとうございます」
『おめでとうございます』と頭を下げると、美幸さんと高村さんは頬を染めた。
「でも、だからさっき美幸さんは市場であんなに布類を買ってたんですね」
「はい。気が早いとは思うんですけど。おむつとか産着とかおくるみとか作りたくて」
高村さんの横に置いてある包みを見ながら美幸さんは嬉しそうに笑った。
その笑みが大人びていてどきりとしてしまう。
それと同時に何だか私も幸せな気分になった。
彼らと出会ってたった1日の私ですらこんなに喜ばしい気持ちになるんだから、きっと真帆さんたち地烈陣の仲間たちはもっと嬉しいんだろうな。
そしてきっとふたりの赤ちゃんはたくさんの人に愛されるだろう。
その時は私も何かお祝いをさせてもらおう。
「きっとおふたりに赤ちゃんができたことを聞いたら、真帆さんはすごく喜ぶでしょうね」
そう言うと美幸さんははにかみながらもしっかりと頷いてくれた。
「ええ、あの方は自分のこと以上に周りを大切にしてくれる方ですから。もう少し体が安定したらお知らせしようと思ってます」
「じゃあその時までがんばって内緒にしますね」
「お願いします」
「それで、赤ちゃんはいつごろ生まれる予定なんですか?」
「産婆さんが言うにはタラの月の中頃って話なんですが」
「寒い季節なんですね」
今がアッカーシの月だからそこからタラの月まで8か月あるから…。
今美幸さんは2か月くらいかな。
机の下で何とか覚えた月の呼び名を指を折りながら数えて確認する。
テンペ大陸において暦はどの国も共通で、すべて神々の名前が付けられている。
ちなみにアッカーシは空の神でタラは星の女神。
「星の女神の月に生まれるなんて素敵ですね」
「ええ、できたら生まれ日のタラの日になるといいんですけど」「それは星の女神の加護が強くなるから?」
「ええ、タラの月タラの日に生まれた女の子は女神のご加護で星のような瞳になるという言い伝えががるあるんですよ」
「俺としては男の子だったらマウトの日かユッダの日がいいんだけどな」
「それは戦士としてはいいかもしれないけど、私はダヴァかギャーンの日がいいなぁ」
ええとマウトは死の神で…ユッダとダヴァとギャーンは…なんだっけ?
月をつかさどる13神を覚えるのがやっとで、さすがに日の神を全部覚えるのはまだ無理。
ただ、死の神マウトはさほど嫌われてはいないというのがわかった。
普通なら嫌がられそうなものだけどなぁ。
なにかマウトにまつわる話とかあるのかな。
今度神話の本とかないか探してみよう。
でも寒い時期の子か、靴下とか編んであげようかな。
もう少し寒くなったら毛糸とか売り出すかな。
そんなことをつらつらと考えながらふと視線を向けると、市場の人通りはさらに多くなってきた。
「すごい人通りですね。この市場はいつもこんなににぎわっているんですか?」
「いや、いつもはもう少しおちついてる。来月には成人の儀があるから市場も活気づいているんだ」
「成人の儀って来月なんですか?」
「ああ、金剛国の成人の儀はプリッスビーの月のサムードゥルの日って決まっていて、その日は貴族たちだけじゃなく俺たち平民もそれぞれ祝うから、その関係で各国から商人たちがあつまってくるんだ」
なるほど、成人式のときのふりそで商戦みたいなものかしら。
「そういえば真帆さんも成人の儀に出るくらいの年じゃないですか?」
「そう、いよいよ我らが副将どのも成人と認められる。これであの方も王宮での会議に参加できる。これは喜ばしい限りだよ」
にこにこと語る高村さんは本当に嬉しそうだった。
「一は真帆さんが未成年だって理由で会議や軍議からはずされるのを残念がっていたものね」
「あれだけ才能がある人が年齢だけで馬鹿にされるのは腹が立つじゃないか。俺たちの副将だぜ」
美幸さんが高村さんの喜んでいる理由を教えてくれ、高村さんは憤慨したように言った。
いや、逆にまだ未成年の子を副将として認め、しかもその能力が正当に評価されないことを悔しがる方がすごいよ。
しかもそれが地烈陣みんながそう思っているということに感動する。
本当に真帆さんはみんなに愛されているんだな。
自分の考えたキャラクターなだけに、母のような気持ちになってしまう。
「あ、ところで亜香里さん。これもらってくれませんか」
感無量になっている私に、美幸さんが小さな紙袋を差し出してきた。
それはたしか市場でボルグさんにおまけとして渡されていたものだった。
たしかまたたび茶だったよね。あれって現代でも安くないと思ったけど。
とまどっていると美幸さんは申し訳そうに言った。
「さっきもらったものなんですけど。私、どうもこの香りが苦手で」
「そういうことなら遠慮なく」
受け取った紙袋からは確かに独特の匂いがした。
私は結構嫌いじゃないけれど、妊娠すると匂いとかに敏感になるって言うもんね。
部屋に戻ったらさっそく飲んでみよう。
おっとその前に話に夢中になって丼の存在を忘れていた。
残りのご飯をたいらげるべく、私は箸を持ち直した。
【テンペ大陸の暦】
テンペ大陸の暦は春から新年がはじまり、元旦にあたる日を創造の女神ルーシーンの日として特別に扱い、その後13神の月がある。
ひと月は28日。
つまり13月が各28日あり364日。そこへルーシーンの日が足されて365日となる。
ごはんと暦の話に話を裂きすぎて大きな動物の登場までいきませんでした。
次回こそ大きな動物が登場します。