高村夫妻
「高村さん」
振り返った先にいたのは、高村さんだった。
小柄な女性と連れ立っていた高村さんは、私が名前を呼ぶと片手をあげて近寄ってきた。
「やあ、おはよう。亜香里さんも今日は休みかい?」
「はい、せっかくなんで市場を見に来ました。ところで、高村さん、こちらは奥様ですか?」
「はじめまして、高村の妻で美幸と申します」
私が聞くと、美幸さんはぺこりと頭を下げた。
私より少し低いくらいの身長の彼女は、長身の高村さんと並ぶと、さらに小さく華奢に見えた。
大きな瞳に小さな鼻と口、肩口で切りそろえた髪型の美幸さんは快活そうで、とてもかわいらしかった。
ただ、そのかわいさには真帆さんや貴子さんのような圧がなかった。
真帆さんや貴子さんを『設定』のある特別な人とするならば、やはり美幸さんのかわいらしさはあくまで『それ以外の人』のかわいらしさで、逆にそのゆるさが私をほっとさせてくれた。
こういう素朴な人たちにほっとするのって、結局私も『それ以外の人』だからなんだろうなぁ。
しみじみ思いながら私も頭を下げる。
「林亜香里と申します。岩敷真帆さまの秘書のようなものをさせていただいております。高村さんにはいつも大変お世話になっております」
「こちらこそ、主人がお世話になっております」
頭を下げた私にあわせて美幸さんもふたたび頭を下げる。
ふたりは確か先々月結婚したばかりの新婚さんだったはず。
だからか高村さんのことを『主人』と言う美幸さんは少しくすぐったそうで、嬉しそうな顔をしていた。
おおう、尊い。
こんなに小さくてかわいい人が男前にプロポーズしたのか。
あの時のいかつい男ふたりの再現シーンを思い出して、つい笑みがこぼれてしまう。
その笑みに何かを察したのか、美幸さんがおずおずと聞いてきた。
「あの、もしかして、亜香里さんも私たちの結婚のなれそめ知ってます?」
「あのー、えーと…」
これは言ってもいいものかと高村さんの顔を見ると、必死で唇の前で指をたてている。
その必死さが面白くて、つい意地悪をしたくなってしまった。
「はい、美幸さんからプロポーズされたんですよね」
「ああああああ」
「ああああーもうっ」
語尾にハートマークをつけて言えば、高村さんはへなへなとしゃがみこみ、美幸さんは頭を抱えて叫んでいた。
「一っ、なんでそうやって会う人会う人にあの時のこと話しちゃうのっ」
「俺じゃない! 話したのは俺じゃないよっ。木村と田中だよ!」
「とめないあなたが悪い! そのせいでいつも地烈陣の人に会うと微妙な顔で笑われるのよっ」
「それは美幸がみんなの前でプロポーズするからじゃないか」
「だって初めに任せておいたらずっと結婚できないっておもっちゃったんだもん!」
「いたい、いたい。殴るな」
照れ隠しにぽかぽかと殴り始めた美幸さんから守るように高村さんは頭を抱えた。
美幸さんの殴り方も本気ではなかったから口で言うほど痛くはないのだろう。
それに本当に止めたかったら長身の高村さんは立ち上がってしまえばいい。そうすれば小柄な美幸さんのこぶしは届かないだろう。
まあつまり、おふたりともラブラブですね。
ほのぼのとしたラブラブオーラを出すふたりがまぶしい。
これはお邪魔しちゃ悪いな。
とりあえずご挨拶だけして別れるか。
「あのー、じゃあ私はこれで」
「いや、ちょ、待って」
「ごめんなさい!」
軽く声をかけた私に高村さんと美幸さんははっとなって声をあげた。
あ、これ私の存在忘れてたな。
「これから市場に行くんだろ、一緒に行こう」
「そ、そうですよ。よければお昼も一緒にしましょう」
「いや、でもお邪魔をしては悪いですし」
「「とんでもありませんっ」」
ここまで言われてしまっては固辞するのも逆に悪い気がして、私はふたりの言葉に甘えることにした。
「じゃあぜひお願いします」
「喜んで」
そう言うとふたりは私を真ん中にして歩き始めた。
夫婦なんだから並んで歩けばいいのに、私を孤独にさせない気づかいだろうか。
若いのに気遣いのできるいい子たちだな。
あえて気にしないようにしていたけれど、高村さんも美幸さんも多分私より年下だよね。
美幸さんなんて下手をすれば10代かもしれない。
こうやって見るとお肌とかぴちぴちしてるもんね。
すこし日焼けはしているけれどつるつるのお肌がうらやましい。
あ、そうだ。この際だから美幸さんにスキンケア用品のことを聞けばいいんだ。
この世界に来てから不便なことのひとつにスキンケアがあった。
身体や顔を洗うのはお風呂や洗面台に置かれている石鹸をつかっていたけれど、化粧水やクリームの類が見当たらないのだ。
岩敷家の屋敷の人に頼めば用意してくれるのかもしれないけれど、さすがにそこまで甘えるのは気が引けた。
それともスキンケア自体が一般的じゃなかったらどうしよう。
「美幸さんはお肌のお手入れとかどうしてますか?」
「えーと、私はハーブの入ったクリームを洗顔後に塗るくらいなんですけど」
「よかったらそのクリームを売っているお店を教えてもらえませんか?」
よかったー。お手入れ用クリームあったー。
欲を言えば日焼け止めとかもほしいけど、せめてクリームだけでも手に入れたい。
私がそうお願いすると美幸さんはぱぁっと表情を明るくさせた。
「もちろんいいですよ! ちょうどこの市にいい商品を取り揃えてるお店が出店しているんです。私もそこに行くつもりだったからいっしょに行きましょう」
「ありがとうございます。助かります」
「いえいえ、その他には必要なものはありますか?」
「あとはできたらちょっとした布製品を買いたいんです。ハンカチとかバッグとかそういうものを」
「なるほど」
何気ない風を装いながら美幸さんはちらりと高村さんを見た。
私が美幸さんに会う前から彼女のことを知っていたように、美幸さんも私のことを高村さんから聞いていたのだろう。
地裂陣の中では私は真帆さんに都外で身一つで拾われた記憶喪失の女ということになっているから、その境遇に同情してくれたのかもしれない。
「今から行こうと思っているお店は雑貨も取り扱ってますし、そのほかにもいくつもお店はありますから、気に入ったものが買えると思いますよ」
「楽しみですね」
「お買い物って楽しいですよね」
わくわくする気持ちが抑えられずに言うと、美幸さんも楽しそうに同意してくれた。
この子とはなんとなく趣味が合いそうな気がする。
「この買い物、長くなるな…」
顔を見合わせて笑う私たちの横で、高村さんが盛大にため息をついた。
その声は悲壮感に満ちていて、私は声を出して笑ってしまった。
そのおかげか、人見知りしがちな私でもリラックスして美幸さんとおしゃべりをすることができた。
そうやってお話しながら歩いているうちに、美幸さんのお目当てのお店へとたどり着いた。
その店には明るい茶色の髪に髭を生やした40才くらいの男がいた。
「いらっしゃいませ」
店をのぞき込んだ私たちに向かって、男はにこやかに声をかけてくる。
「あれ、いつものご主人はどうしたの?」
ご贔屓にしている店という話だったが、その人物のことを美幸さんも高村さんも知らないようだった。
「ああ、バランの親父なら腰をやっちまいましてね。今回は同業者でもある私が代理で出張してきたんですよ」
「それは心配ね」
「まあ今は痛みを感じることもないですから、ご心配にはおよびませんよ」
気さくに笑いながら男は美幸さんに向かって右手を差し出した。
「私はボルグ・レアンと申します。どうぞお見知りおきを」
「よろしく」
美幸さんと握手をしたのち、ボルグという男は私にも手を差し伸べてくる。
「お嬢さんもどうぞご贔屓に」
「は、はい」
そのとき私は男の左目の下に小さな傷があるのに気付いた。
【商人】
数か国をめぐる商人は商人ギルドのメンバーなのが基本である。
ギルドのメンバー証はその商人の扱うものや品質によってランクがつけられ、厳選なる審査のもとに発行される。
ゆえにギルドの証明書はその商人の身元を保証すると同時にその商人が扱う商品の質も保証するため、買い手側も安心して購入できる。
またランクの高いギルド証を持つ者ならば、店舗がない者でありながら貴族や王族と取引をする者も少なくはなかった。
次回はボルグの店の商品の話。