暴走する正義
「ヒーロー」が「悪」を倒す
このような展開は、漫画、アニメ、ドラマなどで何万回と見たことがあるだろう。
最後、アンパンマンの決め台詞と共に吹き飛ばされるバイキンマンは誰もが一度は見たことがある。
現実でも、不倫をする有名人や暴言を吐いた政治家に対して、SNSなどで罵詈雑言の嵐が吹き荒れる。
このご時世では、さらにマスク警察やクラスター発生大学へのクレーム、感染者の誹謗中傷などとどまることを知らない。
彼らは何を思って、こういった行動をとるのだろうか。
一般人の家に石を投げる者はいないだろう。
だが、感染者の家に石を投げる者はいる。
もちろん、便乗して悪意をぶつけ、ストレス発散をしている者も多い。
だが、少なくない者たちは、本気で自分たちに正義がある(と思っている)のだ。
こうした歪んだ正義は必ず暴走する。
「自由よ、汝の名の下でいかに多くの罪が犯されたことか」
これは、フランス革命後期に処刑されたロラン夫人が死の直前に言った言葉とされる。
フランス革命と言えば、自由・平等といった人権思想が広まった事件として有名であるが、
同時に、人間の醜さがここまでかというほど顕在化した事件でもあった。
フランスの民衆は自由を求めて蜂起した。
アンシャンレジームと呼ばれる特権階級ばかりが優遇される現状を変えようと立ち上がったのだ。
そして、ルイ16世は民衆らの要求を受け入れ、新体制の設立を認めた。
しかし、ここから人々は呪いにとりつかれたように暴走を始める。
その呪いとは「正義」であった。
今まで、我々を苦しめてきた貴族たち
外国に救援を要請した王妃と国王
立憲君主制を望む貴族
急進的な改革に反対する革命穏健派
こうした勢力は、「フランスの敵」「悪」であるとして次々に処刑されていった。
フランス革命において処刑された人々は3000人を超えると言われている。
処刑を宣告した者たちは決して快楽殺人者ではない。
彼らは、フランスのため、自由のため、必要なことであると本気で思っていた。
自分たちに「正義」があると本気で信じていたのだ。
だが、自分たちに「正義」があるとして、相手が「悪」であるのだろうか。
「悪の反対は善、善の反対は悪。正義の反対は、別の正義あるいは慈悲・寛容である」
これは、野球ゲームに出てくる「悪」の幹部の言葉である。
正義とは価値観である。つまり、人によって違い、絶対的なものなどない。
例えば、イスラム教徒は宗教に危機をもたらす者への殺人を正義だと考えている(ジハード)。
だが、一般的な日本人にとって殺人を肯定するのは正当防衛のような非常に限られた場面しかない。
戦争に関しても、漫画のように「悪の帝国」などと自覚している国など一つもない。
どの国も自分の国に正義があると思って殺し合いをしているのだ。
ネットワーク社会になり、人とのつながりが格段に増えた結果、誹謗中傷にさらされる危険も高くなっている。こういった、誹謗中傷への対策は簡単ではない。なぜなら、彼らは自分に「正義」があると信じて疑わないからだ。
だが、正義というものは人によって違う相対的なもので、簡単に暴走するものであることを自覚してほしいと思う。
最後に、このコロナ下での誹謗中傷について、見事に言い表している言葉を紹介して終わる。
山本弘氏の『翼を持つ少女』に出てくるセリフだ。
「世の中で最も危険な思想は、悪じゃなく、正義だ。
悪には罪悪感という歯止めがあるが、正義には歯止めなんかない。
だからいくらでも暴走する。
過去に起きた戦争や大量虐殺も、たいていの場合、それが正義だと信じた連中の暴走が起こしたものだ。」
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