第五十九話 奴隷解放
翌朝、偶然見つけた日本人との待ち合わせ時間前に僕は先にその場所へ到着していた。
朝早いので昨日とは違い、ウォー通りはひっそりと静かだった。やがていくつかの屋台は開店の準備として朝の仕込みが始まり、にわかに騒がしくなる。あとちょっと時間が経過したら、昨日のにぎやかな通りへと変わるのだろう。
僕は昨日宿に帰ってから、日本語を話した人のことを考えていた。流暢な言葉づかいで間違いなく日本人で、あの感じだと十中八九奴隷にされているのだろう。
もし契約魔素術だった場合には、僕が同じ契約魔素術で上書きすれば簡単に無効にできる。だが僕の会得した契約魔素術の特性を晒してしまっていいものか悩んでいた。
しかもまだ日本に帰る道も確保できていない。勝手に解約してトラブルになったり戦闘になったりしたら、僕はいいとしても彼は逃げきれないのではないかと思った。
(店主が奴隷の持ち主だった場合には、交渉で解放してもらえればいいな。ワーストは主人が別の誰かで、鞭を打った太った奴はただの雇われた人だった場合は複雑な交渉になるのでやっかいだな)
そんなことをもう一度考えながら、日本人が出てくるのを店の影で待っていた。
やがて大通りの向こうからボロを着てトボトボと重い足取りで昨日の人が歩いてきた。都合が良いことに今は一人だった。
「おはよう」
僕は日本語で話しかける。
「……」
「昨日は迷惑をかけたみたいでごめん」
「……」
日本人は下を向いていた顔を上げたが、そこには無数の新しい傷跡があった。昨日あれからまた暴力にあったに違いない。
「大丈夫?」
「……ああ」
僕を睨む。きっと昨日僕が話しかけたことがきっかけで体罰を受けてしまったのだろう。謝罪の意味も込めて、効率はすごく悪いのだが治癒術を彼に施した。少し傷が癒えたことがわかってくれて、表情から敵意が消えた。
「わりぃ。いろいろあって」
「ごめんなさい」
「謝ることはねぇよ。お前は? いきなり日本語で話しかけられたんで昨日は驚いちまった」
「僕は黒田修二。いつもシュウって呼ばれています」
「俺は森拓也。〇×大学の四学生でワンダーフォーゲル部だ。正確には『だった』か……」
彼は突然涙目になった。相当つらかったんだろう。
「うっ、ううっ……」
「僕は政府の依頼を受けてこの世界で日本人を探しています。一緒に帰りましょう」
「帰ろうって言ったってよ……。見てみろよ、この首っ!」
タクヤには予想通り魔素術が刻まれていた。契約魔素術をしっかりと習った僕はその術式を見ればどの程度の実力者が契約を結んだのかわかる。彼の首の術式は雑で、自分より実力が劣るものに違いない。上書きの能力もあるし解除については問題ないと確信した。だができれば無難に彼の身柄を引き受けたい。
「あいつの言いなりだよ。逆らうと息が吸えないんだ」
「それは契約魔素術です。奴隷契約と言ってもいいと思います。主人は昨日鞭を振るった人ですか?」
「そうだよ、あの豚野郎……」
言いかけてタクヤは息が苦しくなりしゃべれなくなる。と、同時に首の契約魔素術が光り出した。
『かわいそうなもんじゃ』
(解除してやろう)
『契約を上書きするのか?』
(まずは穏やかにいくさ)
「その……契約の主人はいつ頃きますか?」
「もうすぐ店に出てくるよ。準備しておかないと一日中機嫌が悪いんだ」
「わかりました。私が解放するよう交渉しますので、いつも通りに振る舞ってください」
「……頼むっ……」
相当悔しいのだろう。目を潤ませて頼まれたら僕は何としても彼を解放しなくてはと思うわけである。
まもなく彼のいう『豚野郎』が店までのっそのっそと歩いてきた。
(昨日も思ったが確かに太りすぎだ。それに体臭もありそう)
「ほらぁ! さっさと店を開けんか。今日から秋の感謝祭で賑わうに決まっとるんだから、いっぱい稼がんと貴様らの飯はないぞ!」
従業員にかける言葉ではない。
「あのう。もしもし」
「ん⁉」
後ろから声をかけた僕を始めはお客さんだと思ったのだろう。愛想よくして店の注文を取ろうとするが、その用事ではないと言った。途端に顔が険しくなる。
「じゃ、何の用事だい?」
声にもトゲがあって不機嫌になった。
「あなたの店で働いている奴隷を私に譲っていただけませんか?」
「あぁん?」
さらに険しい顔になる。
「もちろん無料で譲れとは言いません。相当の金銭を払いましょう」
これは嘘である。僕の財布には余裕などない。交渉で下手に一度出ると相手はこちらの足元をみてとんでもない請求を押し付けてくる可能性があった。強気の姿勢を崩さない。
「はんっ! 何が良くて店の奴隷なんぞ欲しがるんだか」
店主は怒りに任せて椅子を蹴り飛ばした。
「私がいただきたいのはそこの男です」
タクヤを指さす。
「こいつかぁ~。若くて四肢の欠損がないので優秀な働き手になるとか言って買ったんだが、最近生意気だからな。口ごたえしかしない。せっかく言葉を覚えさせてやったのに大して役に立たん。売ってしまうか……」
損得を考える頭ぐらいはあるらしい。さっさと売ると言えと思いながら返事を待つ。
「金貨十枚はどうだ?」
「高いです。役に立たないのならば金銭に変えた方が得だとは思いますが、それにしても十枚は高すぎです」
「けっ、じゃあ。売らねぇよ。とっとと消えな!」
何としてもここで決着をつけたい。時間を空けると彼が何をされるか知れたもんじゃない。
「では私が食料を店へ納めます。それも大量に。それならどうですか?」
見たところこの店は串焼きの店で、獣や魔物の食べられる肉をその場で焼いて、屋台で売って稼ぐ商売形式だ。感謝祭の存在は知らなかったが、肉があって串にすれば飛ぶように売れるのだろうと思った。
「けっ。こっちの要求はそれだけじゃないぞ」
「もちろん金銭も払います。オークを含む食肉を二十匹分まるまる。それに金貨二枚。どうでしょうか?」
「ふぅん」
僕は冒険者ギルドから発行された、真新しい最低階級の証明書を見せた。
それを見せた瞬間、店主が嫌な笑い方をした。大方この階級では依頼達成などできないだろうと思ったのだろう。聞かなくてもこいつの顔がそう言っていた。
「いいだろう。期限は二日間だ。金は前払い。もし期間内に条件を満たせなかったらこの話はなかったことになる。しかも収めた食料も金も一切戻さない」
圧倒的に僕に不利な条件だ。だが僕は心の中でニヤリと笑った。
「ではあなたが約束を守らなかったら、ずっと腹を壊すなんてどうでしょうか?」
僕が言ったのは彼が違約をした場合の条件だ。もちろん契約を本気だと彼は思っていない。
「何言ってんだ⁉ お前。まぁ、好きにしろや」
「では決まりですね」
僕は体で隠して背中で契約魔素術式を素早く組み立てた。
「よろしくお願いします」
「けっ。さっさと行っちまえよ」
と言って店に戻ろうと後ろを向いた彼の腕を強制的に掴む。その瞬間、ボワッと魔素文字が僕と彼の腕に光りながら出現して、そして瞬時に消えた。
「ん? 何かしたのか?」
「ゴミが着いていたので払って落としました」
後ろから掴んだので、彼は魔素契約の術式が作動したことに気づかなかった。
(こいつは『同意』した。必ず依頼を達成してやる……!)
「けっ! 余計な事すんな。てめぇはすぐに狩りに行かないと時間がないんじゃないのか?」
「そうさせていただきます。金貨二枚は前払いの約束ですので今支払います。ではまた後で」
「さっさと消えちまえ」
金を差し出すとひったくるように受け取った店主は店奥へと入っていった。
「ありがとう。あんな約束大丈夫か?」
僕と店主のやり取りを見ていたタクヤが心配して駆け寄ってきた。
「大丈夫だと思います。それより目立つことをしないでください。早く依頼を達成して戻ってきて、必ずあなたを解放します」
「わかった。信じて待っているよ」
僕は足早にその場を離れた。
******
宿に戻るとアドリアンがようやく起きたところだった。眠たそうにしているアドリアンに僕や解放しようとしているタクヤが日本人であることを隠して、『友人を奴隷から解放したい』と申し出て協力を依頼した。彼は快く引き受けてくれた。
アドリアンは全く王都周辺を知らないわけでなく、野生動物や食料目的の魔物を狩るなら王都近くの森がいいと言う。食用肉(狩った魔物)を大量に運ぶ道具が必要なので、これは宿から押し車を借りることができた。大きな荷車であったので二人では難しく、臨時で金銭を払って宿から人を借りることにした。彼らは戦闘要員ではないので、ケガをさせないように注意しなければいけない。
準備をしてさっそく彼の案内する王都近くの森へ入った。
「ところでシュウ。魔物や動物ってお前どうやって見つけるんだ?」
「大丈夫です。すでに補足しています」
僕……ではなく指輪の魔素探知なのだが、さっそく魔素を持った集団を見つけていた。
近寄るとオークの集団だ。
(しめた! ひぃ、ふぅ、みぃ……十五匹もいる!)
いきなり依頼の半分以上の数を見つけてしまう。
「アドリアン。僕がやるので手を出さないで」
「ん? いいのか? 数が多いぞ」
「あれは魔物ではなく獲物です。楽勝ですから」
アドリアンが頷くか頷かないかぐらいで僕は茂みから飛び出していく!
僕は一目散に背中を見せているオークの一匹へ駆け寄った。
――ブシュッ――
短剣で首を斬って素早く立ち回る。続けざまに一撃、二撃。合計三匹倒れたところで別のオークが僕に気づいた。だが遅い! その間にもう一匹斬り倒すことに成功する。
オークは階位の高い僕の動きに全くついてこれず、一方的に倒すことに成功した。一匹だけ頭の回るヤツがいたが、背後からの攻撃を誘って攻撃の瞬間に雷変で背後に回って、即効倒した。
「ひぇ~、お強い、お強い」
アドリアンが尊敬と自分を使わずにオーク集団を倒し切った僕への皮肉を込めてそう言ってきた。
「さっさと血抜きしよう」
「はいよ」
オークの動脈を断ち切って血抜きをする。太めの枝に括り付けて重力の力で体から血を抜くと一番楽だった。
木には困らないので、十分ぐらいでオークが大量に逆さづりされている場所が出来上がった。異様な光景だった。
オークの血が匂ったのだろう。誘われて魔物が再び寄ってきた。
「ン⁉」
「シュウ、どうした?」
「魔物が集まってきた」
僕とアドリアンは得物を抜いて構える。
「血の匂いだけしかしないからな」
「ですが、好都合ですよ。臨時雇いの人たちは安全で見晴らしの良い丘に避難してください」
指輪も僕も探知ですでに補足している。指輪は先ほどと同じく魔物は弱いと言った。ならばこの場は魔物狩りの絶好の場所だ。さっさと依頼達成のために僕は向かってくる魔物全てを殺すことにした。
「アドリアン、気を抜くなよ! 一匹一匹は弱いと思うけど、数は多い。囲まれないように立ち回れ!」
「はいよ」
やがて一角狼や飛跳兎に二頭蛇といった魔物や、猪などの肉食系の野生の動物が集まってきた。
「いくぞっ!」
僕は一目散に魔物集団へ駆け出した!
******
「シュウ、お前強すぎだって」
あれから二十分ぐらいの間、僕は動きっぱなしだった。アオイとジュウゾウさんに指導してもらった集団戦での戦い方を実戦で使っていた。敵は統率されておらずかつ僕の一撃で葬れるので、高速の連撃でバシバシ倒していった。終わってみれば五十匹以上は斬り倒したと思う。
その間アドリアンもしっかり三匹ほどを仕留めていた。途中からもういいやと思って、丘の上から僕の動きを見ていたらしい。その感想が先ほどの呟きだった。
「さっさと魔石と売れる素材をはぎ取ろう。オークと食べられる魔物や動物は荷台に積んで。それで今日は終わりだ」
「はいよ~」
一杯になった荷台をみて笑いが止まらない。僕とアドリアン、雇った人たちでさっさとその場を離れた。
帰り道で王都の正門を潜るわけだが、再びあの陰湿な兵士長に呼び止められた。今後は冒険者ギルド発行の証明書があるわけだが、荷台のオークの数と証明書の等級を見比べたので、『今度は盗人になったか』と言ってきた。僕はさっさと通り抜けるのに銀貨を彼に握らせたら、案の定もう呼び止められることもなく王都内へ入ることができた。
これでドルドビ盗賊団捕縛の褒賞は使い切って素寒貧になる。
が今の僕には何より優先すべき目的がある。そのまま夕方前にタクヤがいる店に押し車と一緒に着いた。
「あの~」
偉そうにしている店主に話しかける。
「ん? 朝の生意気な奴じゃねぇか。どうした? もうできませんって言いに来たのか?」
「いいえ、約束の肉を持ってきました」
「嘘つけ」
「嘘ではないです。どうぞ、気の済むまで確認してください」
そう言って僕は押し車を指さした。ドタドタと店主は押し車に近寄るが、積まれている荷物をみてさすがに驚いた。僕は店主を無視して、オークなど約束の二十体分ほど肉を丁寧に店前に下ろした。
「では約束ですので、彼は奴隷から解放してもらいますね」
「嘘だっ! これはなんかの間違いだっ!」
「現実を見てください。あなたが言った条件を私は達成しているのです」
「認めんっ! 俺は認めないぞっ!」
(あ~あ)
あまり反抗的なことをするまずいぞと思っていたら、すぐに契約魔素術の罰則が発動した。僕は彼の腕に刻んだ契約魔素術が光ったのですぐにわかった。ちなみに今回の僕が発動した契約魔素術は通常の視力では見えないようにしている。達成や罰則の時に発動して光り輝くのだ。
そんな状況に気づかずに店主はその場を去ろうとしていたが、急にモジモジし始めた。
「き、さまっ。何をっ……したっ……。くっ……」
内股になって腹に手を当てている。顔は脂汗でびっしりだ。
「契約を破ろうとするからですよ。早く彼を解放してください。そうしないとここでもらしますよ」
「くっ……」
あまりの痛さに移動できない様子の店主をみて、僕はタクヤを呼び寄せた。
「さぁ、解除してください。あなたに魔素術解除の権限が渡っているはずです」
さらに脂汗ぎっしりになり、ようやくタクヤの首に手をかざした。
――ボワァン――
鈍い音を出してタクヤの首から魔素文字が離れて空中で拡散した。
「これで大丈夫、もう自由だ。さぁ、行こう」
「よっしゃ。どこまでもついていくぜ!」
ちなみに店主は解除の魔素術を使った時に腹の力が緩んでしまい、通りで盛大に漏らしていた。周囲には騒ぎを聞きつけた人だかりができていたので、その面前で大恥をかいたことになる。店に並んでいた客も事態を察して何も買わずに店を離れていった。
約束を守ればいいのにと思うわけだが、タクヤを解放したのを見た今、こいつの存在はどうでもよくなっていた。
僕はアドリアンと新しく加わったタクヤで、残りの魔物やらを換金して討伐報告をするため、ウォー通りを離れて冒険者ギルドへ向かった。
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