第五十三話 遥か向こうの日本に向けて
季節は秋だったが、もうすぐ冬の気配を足元に感じて始めていた。海はいつもと変わらないがだんだんと水が冷たくなり、森林の草木は緑から赤色にその大部分が変わっている。
僕はまだ流れ着いた漁村にいた。いつまでも長居する気はなく、出発するタイミングを伺っている。
――ここに来てから約二カ月――
初めは傷を癒して、助けってもらった少女メリッサの仕事を手伝っていた。
メリッサは父親と一緒に漁業をしていた。父親はティーホンという。四十歳半ば、髭面で愛想がない。胸板は厚く屈強な男だった。漁師としての腕は確かなようで、村人からの信頼は厚い。網元のような立ち位置なのだろうと思った。
漁業は今までテレビや教科書でしか知らなかった僕にとって貴重な体験だった。はっきり言ってキツイ。朝は早いし、肉体労働だ。陸に上がってからは罠の確認をしなきゃいけない。獲れた魚だって新鮮なうちに売るなり干すなりしないと圧倒いう間に食べられなくなってしまう。
助けてもらった恩返しにと思い手伝っていた。働かない者は食うべからず。
同時に村の警備についても僕は手を貸すことにした。どちらかというとこちらの方が本職だと思うのだが、村人はそう思っていなかったらしい。
村の警備は主に三人で担当していて、アドリアン、ダーノ、ジーマといった。全員人間族で、うちリーダー格がアドリアン。
こいつは三十歳前後で年上だが、僕と同じぐらいの身長。体格は僕の方が筋量と体重があると思う。流れ着いた当初は村に食い扶持が増えたためか、邪魔だという視線を会うたびに送られた。
朝会って覚えたての言葉で挨拶しても返されないなんて当たり前。それでも高校時代の接客アルバイトで培った不屈の精神で、笑顔で話続ける。僕のことを気持ち悪い奴と思っただろう。
僕が流れ着くのとほぼ同時期に、実は近くの村が魔物の被害にあっていたらしい。事前にその情報が出回っていたので、この漁村でも警戒していた。敵はゴブリンだとか野犬だとかいろいろと噂が飛び交っていてどれが真相か誰もわからなかった。
メリッサは好意的だったが、そのほか村人は僕のことを他人扱いかそれ以下である。関係が変わったのは村が襲撃を受けてからだ。
襲撃の時、一番最初に反応したのは指輪だった。
『シュウよ。魔物がこちらへ来るぞ』
(何っ⁉)
朝一番の漁を終えて休んでいた時、指輪の警告が突如頭に響いた。
(数と方向は?)
『十以上おる。山側からじゃ』
(種類は?)
『わからん。がうち半分以上は弱い。ゴブリンじゃないかと思うぞ』
(……それなら何とかなるかもしれない)
ゴブリンだけなら楽勝だ。だがそれ以外は雷哮の剣がない状態でどこまで行けるかわからない。
すぐにメリッサのところへ飛んでいった。
「メリッサ! まもの、、、がく、、、るぞ」
「?」
「まものが、、、くるぞ」
「!」
ろれつの悪い言葉じゃ初めは伝わらなかったが、僕の真剣な顔つきもあってどうにか状況が伝わったらしい。メリッサはすぐにティーホンのところへ行き、それから村長のところへ飛んでいった。村として住人へ周知して迎撃なり考えるのかと思ったら、よそ者の警告には耳を傾けてはもらなかった。この時メリッサもそうだが、ティーホンも僕のことをかなり信用していたらしい。が、村長には結局届かなかった。
仕方なく僕は家にあった包丁を借りて、村の外へ行こうとするがそれも村人に止められた。何を言っているか早口でわからなかったが、相当罵られたと思う。
雷に変化して抜け出すことも考えたが、手の内を晒すのは化け物扱いされると思ったのでやめようか悩んでいた段階で、魔物が村を襲い始めた。
最初の標的は村の端の家だった。正確には中に居た女性と子供で、村中に悲鳴が響き渡って初めて僕の警告が正しかったことがわかってもらえた。
だが時すでに遅し!
あらかじめゴブリンが半数だと情報を得ていたので、迷わず近くの棍棒を握って悲鳴の方向に僕は駆け出す。後ろからメリッサも走ってくっついてきた。
階位が上がっている僕にゴブリンなどは問題にならず、打撃のみで一匹目を潰した。続けて二匹三匹と倒したところで、ほかの魔物が僕のことに気づいた。
残るはオークだった。
が、これも全く問題にならず。ただし棍棒が僕の攻撃力に耐えかねて折れたので、今度は格闘のみで決着をつけてやった。
十分に加速してからの飛び蹴り! 目いっぱい足に魔素を纏わせたら、オークは体を「く」の字にして後ろ側へ吹き飛んで数本の木をなぎ倒して、さらに森の奥へ消えた。
戦意を失ったオークは再び森へ逃げ帰ったが、一匹だけ残った。ちなみに僕はオーク語もわかる。
「グググ、ニンゲンふぜいが……」
「相手が悪かったな」
「おまえなんぞ……」
オークは攻撃ではなく何かをしようとしたが、僕は間髪入れずに雷変を使って敵の真正面へ立った。
「!」
『人間ごとき』とやらがいきなり消えて、自分の目の前に現れたので驚いたのだろう。僕はそのまま足蹴りを放ち、オークを膝つかせた後、首を捻じ曲げて息の根を止めた。ちなみの足蹴りはひざ下の筋肉を骨からはがすようなイメージで擦り付ける蹴りだ。激痛だったと思う。
敵は幸いにもゴブリンとオークだけで、僕に向かってこなかった魔物は村人たちがどうにか討ち取ったらしい。
「大丈夫かっ⁉」
ティーホンが走ってきた。手には漁業用の網が握られていた。悲鳴を聞いて手元の武器を取ってきたらしい。
僕は笑ってしまった。
「それ、、、じゃ、、、たたかえない、、、よ」
決して流暢ではない言葉で話したが、それでも話している途中から意図は伝わっていた。メリッサと一緒にケラケラ笑い続けたら、ティーホンは怒って家にすぐ戻ってしまった。
戦闘準備をしてほかの村人が着いたときにはもうあらかた終わっていた。
――流れ着いたよそ者が村を襲った魔物を男性たちが集まる前に圧倒して撃退――
この事実は村での僕の待遇を大幅に変えた。
メリッサは今まで村人が僕のことを疎ましく思っていたことを知っていたので、まるで我が物顔のように僕の活躍を話してくれた。さすがに魔物の死体と襲われた村人の証言もあり、僕の話を今度は信じてくれたらしい。
その日はオークの肉が村人全員に振る舞われた。珍しく酒も出たようで、僕も一口もらった。苦みの後に少しだけ頭がぼーっとして遠方へ流された張り詰めた気持ちが幾分か楽になった気がした。
ちなみにゴブリンはここでもまずくて喰えないらしく、その辺に捨てられていた。
この出来事をきっかけに僕は村での信頼を勝ち取り、警備を任されるようになった。その一環として先ほどの三人へ戦闘技術の指南を預かることになったのである。ちなみに三人でゴブリン二匹をボコボコにして自慢にしようとしていたが、村長に一喝されていた。
聞けば三人の職業はそれぞれ戦士、弓取り、斥候だと。適職だとは思うが、まだに《見習い》らしく、武器の扱いは異世界へ転移する前の僕と同じ程度だった。
なので、徹底的に鍛えることにした。すぐに根を上げたが、一緒に魔物狩りに行って敵を倒させて階位を上げることで実力が上がったことを実感させて、そこからはかなり素直になった。今では師匠と弟子……と言うよりは舎弟といった方が近い。
進歩と言えば僕の魔素術にも嬉しいことが起きた。
実はシェリルのところで教えてもらった魔素術の訓練を村人に見つからないようこっそりと屋内や森の奥で続けていた。見つかれば教えてくれと頼まれたり、村に残ってくれと言われるに違いない。僕はここに世話にはなったがずっと居座ることはできないので、そこは割り切っていた。
一番嬉しかったのは保管庫がとうとう発動したことだ。これは大気を相手に空間を借りる術式を組む。
すでに術式や組み方を教えてもらっていたがどうしても発動せず、魔石を無駄にするだけだった。この系統の魔素術会得を諦めようとした時、悔しさから僕の体内の魔素が暴走気味になった。
その時! 左手甲に刻まれた二つの十字の紋章が輝き、魔素が力強く体内の別の場所から湧き出る感覚を掴むことに成功する。
もしや⁉ と思って、自分の感情をわざと逆なでして魔素をひねり出した後、術式を組んでみるといきなり成功した。この時は使ったのはゴブリンから取り出した小さな魔石だったので、空間はナイフ一本を仕舞おうとしてもはみ出すぐらい小さかった。なので、実用に耐えられる大きさではないため、確保したオークの魔石を複数使って保管庫を作製した。
十字の紋章は初め感情のコントロールが非常に難しく、繊細な契約魔素術との相性は決して良くなかった。が、そこは練習に練習を重ね、とうとう『激情と冷静』という相反する感情をコントロールすることに成功した。
出来た保管庫は使った魔素石の影響もあって結局は小さい。自分を中心として左右の腰に合計二か所設置して、その大きさは縦・横・幅が三十センチメートル程度であった。保管はできても便利な冷蔵・冷凍機能や時間経過を抑える機能はない。ただ入れるのみである。
それでも僕には有難い。中に水や保存食を入れることが出来るので、今後の一人旅には重宝するだろう。入れてしまえば重さはない。なにせ別空間なのだから。当然、無色透明で無臭であり、他人には見えない。体やロープの使い方次第では、手元を隠しながら中に保管した物を取り出せる仕様だ。
さらに僕は世話になったお礼の一つとして、次に襲撃があるとしても簡単に弱い人が襲われないように簡単な木の柵を村の周囲に設置した。作業は訓練を兼ねて三人衆で担当した。
その三人衆も階位が十以上となり、《見習い》が外れたらしい。この間行商について行って、教会で鑑定してもらったことを自慢にしていた。
村の周囲には何個かそれなりの魔物の巣があったが、それらは指輪による魔素探知と僕の雷の魔素術で一掃した。すでに付近の魔物は村人の手に余るような強い魔物はおらず、たまに迷い込んだゴブリン、一角狼がうろつく程度である。
(これなら大丈夫だろう)
そこまで二カ月かかった。
そして、僕はとうとうお世話になった村を出る決意をして、ある夜メリッサとティーホンに打ち明けた。
僕はだいぶなめらかに話せるようになったこの土地の言葉で話す。
「行っちゃうの?」
不安そうなメリッサである。横にいるティーホンの表情は険しい。
「ああ、いこうとおもう」
「戻ってくる?」
「それは聞いちゃいかんだろう」
ティーホンは娘を制止した。
「ごめんよ、メリッサ。いつかいかなきゃいけないんだ。まっているなかまがいる」
「やっぱり……ずっと海の方を眺めていたもんね」
「きづいていた?」
「もちろん。すごく悔しそうだった」
「うん。いろいろあったんだ」
「いつか戻ってきてね」
「ああ、そのときはなかまもつれてくるよ」
メリッサは物心ついたときから母親がおらず、父親と漁をしていた。友達と言っても遊ぶことなどあまりしていなかったのかもしれない。
戻ってくることと友達を連れてくることを伝えるとすごく喜んでくれた。
「おい、シュウ」
ティーホンが奥からゴソゴソと何かを持ってくる。
「……それはっ⁉」
僕の折れた魔剣と鞘だった。
「物騒だったので念のため回収しておいた。隠していてすまなかったが、どんな人間かわかるまでは預かっておくつもりだった。そのうちにおまえに戻すタイミングを見失っちまってな」
失ったと思っていたがこれは嬉しい誤算だ。重たそうに持って剣と鞘を、ティーホンは僕に返してくれた。軽やかにそれを受け取ると彼はとても驚いていた。この魔剣一式は雷の魔素を扱えるものしか認めない。装備しようとしても鉛のように重くなり、扱えないのだ。
「ありがとう、ティーホン」
魔剣は折れていて使い物にならないが、本体の魔石は無事である。これを装備していれば雷の魔素術は劇的に威力を上げることが出来るのでここからの旅で重宝するだろう。
名もなき漁村での最後の夜、僕はメリッサ親子とささやかな食事を楽しんだ。
******
(明日はとうとう出発だ)
その夜、僕は入念な準備と装備の確認をした。会得した保管庫に保存食と竹に似ている植物の筒に入れた水、数日分の衣服、雨宿りの道具などを折りたたんで丁寧に入れていく。じゃないと容量がないので仕舞えず、空間から飛び出たなんとも格好悪い形になってしまう。
尚、保管庫は魔素を手に纏わせて腰後ろへ突っ込めば自由に出し入れができる。
ここからは一人でカスツゥエラ王国まで戻らなくてはいけない。まず自分の正確な位置を知るために大きな街へ行って地図をみつける。そこでできれば冒険者ギルドへ行こうと思う。が、身分証明書は先の戦いで紛失していて今の僕がどういう扱いになるかわからない。
お金はわずかであるが、密かに狩った魔物の毛皮や魔石を途中で売って路銀としようと思っている。
床について目を瞑る。
眠くなるのを待とうと思ったが、明日の出発に少しだけ興奮していて寝付けなかった。
(なぁ、指輪)
僕はずっと思っていた疑問を指輪にぶつけた。
(なんであの傷で助かったんだろうな?)
傷といったのはカーター戦で最後の袈裟斬りを受けたことを示す。
(普通に考えて致命傷だ。もしかして、指輪がなんとかしてくれたのか?)
『わしは海面に落ちてからはお主へ魔素を張ったが、あのカーターとかいう奴の魔剣の威力を抑え込めるほど強力な術は持ち合わせてはおらぬ』
(ではどうして?)
『それはお主が身に着けていた『首飾り』のおかげじゃよ』
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