第五十二話 遠い土地の漁村で
(こ……こ……は?)
水面で揺られ、木にしがみついた状態で僕は目覚めた。
無意識に口の中に入ってきた水がしょっぱいことで今の場所が海だと気づく。
少し前の記憶を失っていたのだが、カーターと斬り合いに負けて海へ転落したのを思い出した。
悔しさがこみ上げるが、まずは溺れないようにして生きなければいけない。
わずかであるが指輪から魔素が出て僕の体表を覆っていた。体温の低下を防いでくれているのであろう。体が冷え切っておらず、むしろ少しだけ温かい。
倦怠感が全身を包んでいるが右手には魔剣が握られていた。よく離さなかったと思う。ただし半ばから折れていて武器としてはもう機能しないことは確かだった。
(負けた……)
仲間の安否もわからない。
『気づいたか?』
指輪から自分の頭へ念話が届く。
(ああ……さんざんだ)
『生きていればまだ何かが起きる可能性がある。死ぬな』
(ああ……)
『おぬしが落下してから海流によってかなり移動した』
(だろうな……)
『見えるか? 向こう側に陸がある。あそこまで何とか泳ぎ切るのじゃ』
(りょー……かい……)
力が入らない。無意識で木にしがみついていなれば、今頃海底で永遠に寝ていたのだろう。
学校のプールで習ったバタ足でどうにか陸地との距離を縮めようとする。少しは進んでいるのだろうか?
海流は幸いにも僕の行きたい方向へ流れているようで、やがて弱いキックでも少しずつ少しずつ陸地との距離が縮まっていた。
そこから体力を絞りつくして、指輪の示した陸地の波際までどうにかたどり着いた。
砂浜から体を起こそうとするが戦闘ダメージと疲労、それに残った衣類が水を吸って重くてなかなか立ち上がれない。そのまま肘からもう一度崩れ落ちて寝そべる。波際を行き来する砂が口に入ってくる。
体はとうとう冷えてきたし、声も出ない……。
もう眠たい……。
せっかくここまで来て死ぬのかと思ったとき、向こうから人の声がした。
だが瞼はとんでもなく重たい。人間の子供だろうか……。
『喜べ。人間族の女の子じゃ。無邪気な魔素だがら、きっと助けてくれるぞ』
指輪の話が終わると僕は再び気を失った……。
******
――ホワンの死後――
闇は彼の墓前に茫然と立っていた。
人間族の慣習に従ってささやかではあるがホワンの葬式を済ませてから、ずっとそこにいた。
晴でも雨でも、太陽が照らしていても夜の深い闇の中でも。
もう何日もそれだけを見つめていた。
ふと後ろから誰かが来ることに闇は気づく。それは気配で王妃と王女、その護衛たちだとわかった。
「どうしたの?」
墓の方に目を向けたまま、闇は背後へ声をかけた。今彼は少年の姿で実体化している。
「会いたくなって来ちゃった」
王妃はここでは元王女に戻ることが出来る。ホワンと一緒に生まれた国を捨てた時、彼と長い時間をかけて旅をした。その時の思い出に浸りに来たのである。
「人間って不思議だな」
闇は呟く。
「どうして?」
「死んだら何もならない。なのに王妃みたいに死んだ人に会いに来ることもあるんだもん」
「いいじゃない。『人間』なんだから」
「そっか」
「あなただってそうじゃない。ずっとそこで見つめていたんでしょう? それに死んだら終わりっていうわけじゃないわよ。魂っていうのが巡り巡って、また別の赤ん坊に宿るのよ。きっとホワンも次の赤ちゃんに宿るのを待っているわ」
「いつ会える?」
「わからないわ。きっとすごく遠い未来よ。会ったとしてももう私たちのことは覚えていないのよ」
「そうか……」
闇は黙り込んでしまう。
「あなたはこれからどうするの?」
王妃は闇が今後どうするつもりか気になったので聞いてみた。
「どうもこうもないよ。思うがままに生きてみるさ」
「アテはあるの?」
「『アテ』?」
「あなたがしたいことって決まってるの? ってことよ」
「そういうことか」
闇は王妃たちの方へ振り返る。
「アテはあるよ」
「聞いてもいい?」
「聞かない方がいいよ」
「じゃやめておくね」
元々ホワンが闇と親しくなり、王妃との関係も生んだ。その中心にいた彼がなくなったので、闇と王妃はずっと親しい中ではいられない。闇が一緒にいたのはホワンであって、王妃ではないのである。彼女はそれを理解していた。
この国で生まれただ王女の方を闇はチラっとみた。
「人間族の結婚ってすごくおめでたいんだってね。この間、王女がいなくなってからもホワンはずっと気にしていたよ」
「本当⁉」
王女は嬉しそうだ。
「その首飾り。大事にしなよ」
「わかってる」
王女は自分の首に着けている、ホワンから譲ってもらった首飾りを握りしめた。
「さーて、そろそろここを離れようと思う」
少年の姿の闇は人間族のように背伸びをして呟いた。
王妃と王女は闇がどこへ行くのかあえて聞かなかった。闇は元々は魔素の塊であり、精霊という存在である。
「もう会うことはないだろう」
闇が別れを告げる。
「ええ。わかっているわ」
王妃が答える。
「人間ってこういう時、『達者で』っていうんだろう」
女性二人はクスっと笑った。闇の方がよっぽど人間みたいだ。
「それじゃあ」
「元気でね」
瞬きをしたら闇はもういなくなっていた。
「行っちゃったね」
「そうね。彼は彼、私は私、あなたはあなたよ」
「わかっていますよー」
「その首飾り絶対なくすんじゃないわよ。私のお師匠の『ホワン』の形見なんだから」
「それもわかっていますよー」
こうして二人はホワンの家を離れた。
王女と王妃はホワンの魔剣のことなどすっかり忘れていたが、闇は墓の裏に彼との思い出の品として魔剣を立てかけていたのだった。
……
…………
――これにて闇の記憶は終わる――
******
――パチパチパチ――
あったかい空気と何かが焼ける音に誘われて僕は目覚めた。
自分の体には布団のような布が掛けられて家の床に寝かされている。家の天井は木製でところどころ破損しているが、雨風だけは凌いでくれるようだ。薪が燃えて室内が炎で揺れるように照らされる。
僕はどうやら助かったらしい。
(起きねば……)
体を起こそうとすると胸から腹にかけて激痛が走った。
「ううぅぅ」
呻き声を聞いたのであろう。外から誰かが走ってくる。
(あれは……)
扉を開けると外の光が差し込んだ。眩しさにその光を腕で遮りながら、走ってきた正体を確認した。
それはあの浜辺に打ち上げられた時に最後に見た女の子のようだ。
「★〇×△◇■▼□……?」
話しかけられるが言葉が通じない。
喉が渇いていた僕はひとまず水を飲みたいという意思表示をするのに、何かをのむ仕草を見せた。女の子は僕の意図が分かったらしい顔をして屋外へ一目散に駆けて行った。
(ここはどこなんだ?)
『わからん。おぬしがカーターと戦ったところから、かなり遠いことだけは確かじゃ』
(そうだっ! アオイたちは無事かっ⁉)
『それもわからん。と言うよりはおぬしの方がわかるのではないか?』
(あ……)
指輪が言ったのは僕と契約魔素術を結んだ者とのつながりのことだ。
僕は念じる。予想通り近くには反応を感じない。ずっとずっと範囲を広げるが、まだかからない。
(おっ!)
かなり遠いところに反応がある。固まって動いているのか、距離が遠すぎるためか数はわからない。だが仮に死んでいれば契約は無効化されるはず。反応があるのできっと生きている。
(希望が出てきた……こんなところで寝ている場合じゃない)
もう一度体を起こそうとするが、痛みで今度は床に突っ伏してしまった。しばらく寝ていたためだろう、体に力が入りにくい。
(こいつは参ったな)
そうこうするうちに先ほどの女の子が器を持ってきてくれた。僕の要求が通じたか?
「◇■▼□!」
何を言っているかわからないが、何かが入った器を渡そうとする。飲めと言っているのだろう。落とさないように受け取って、中に入っている液体を飲み干した。
「美味い」
胃に染み渡る。間違いなく真水だった。
もう一杯欲しいと思って指を一本だけ上へ掲げて、空になった器を返した。
女の子はパッと明るい顔になって外へ駆け出す。おかわりの意味に気づいてくれたらしい。結局、僕はこの女の子に五往復してもらった。
陽が沈む前には黒パンとほとんど何も入っていない塩スープ、それに焼き立ての魚を出してもらった。先ほどから潮の香りが鼻につくので、おそらく打ち上げられた浜辺の近くなのだろう。漁村であれば魚が期待できると思ったが、予想通りでこれはすごく嬉しかった。
夜、食事をもらった後はひたすら体の回復に努めた。火傷が傷んだからだ。
不思議なことに胸の傷口はここで目覚めた時には塞ぎかかっていた。間違いなく致命傷だったカーターの袈裟斬り。生半可な傷じゃないはずなのに。
疑問に思いながらも、自分のブーツに仕込んでいたポケットに日本から持ち込んだ抗生剤の注射を抜き出す。すぐに自らの皮膚へ打った。
ちょっと痛かったが、破傷風予防や細菌感染を起こして、ここで発熱するよりはずっといい。これでポケットは空となった。
装備も破損著しく使い物にならない。魔素服は焼け落ち、月夜の防具一式は砕け散って一部は破損して海の中に落としたのだろう。冒険の道具を詰めたリュックは当然戦闘前に外していたのでここにない。魔剣はどこかへ行ってしまい、鞘もない。
今あるのは与えられた粗末なこちらの世界の衣服のみである。実質、体一つになってしまった。それでも……
(……必ず日本へ帰ってやる!)
その意志だけは失わないよう必死に自分を強く保とうとする。
火傷は自己治癒術が効きにくい。それでも抗生剤が良かったのか、幸いにも傷口が膿むこともなく経過した。
右頬に残った火傷だけは治さないことにした。右手で触ると滑らかな肌とちょっとだけ伸びた髭、そこにガザガザの感触が残ることになる。すべては奴に負けたことを忘れないために。
そこから助けてもらった場所で過ごすこと一か月。自分の置かれた状況が少しずつわかってきた。
******
「シュウ、そこの網取って!」
「はい、、、よ、、、」
僕は自分を助けてくれた女の子、メリッサと一緒に今日も漁にいそしんでいた。漁と言っても小舟で浜辺からすぐの場所に仕掛けた罠を回収していくのである。
「ほら、逃げちゃうよ。はやく~」
「はい、、、わかっ、、、たよ」
なんとか魚に逃げられることなく網を回収した。網には鯖に似た魚が大量に引っかかっていた。村ではこの魚を焼いたり、干して保存させて食べるらしい。生でも食べられるようだが村人は避けているようだ。
ここはカスツゥエラ王国とは別の国の漁村。村人の人口は百人ぐらい。立っている家も簡素な木造の家が多く、貿易都市トレドや魔術都市ルベンザと比べると相当な田舎だ。主に漁業にて生計を立てているようで、頻繁に買い付けに商人がやってきていた。
カスツゥエラ王国と違うと言ったのは、やはり言葉が通じなかったからそう判断した。念のため僕が話せるゴブリン語やオーク語でも話してみたが当然通じない。そのため別の国まで流れ着いたのだろうと結論づいた。
言葉は感覚で覚えたので、流暢には話せない。
数日に一回ほど、外部から来たと思われる見慣れない服装の人間とこの村の村長と思われる年長の男性が会話していた。声は聞こえるのだが早口のためか何を言っているのかさっぱりわからなかった。はやく近くの町にでも行って魔素術で言語を覚えたいと思うところである。
今だってようやくメリッサと挨拶や簡単な言葉で会話ができるだけで、複雑なやり取りはできない。
流れ着いてから数日はただひたすら療養に努めた。そのうち起き上がれるようになり、外に出た時はやはり村の一角にいることがわかった。
これも予想通りだがすぐ傍には海があり、その反対には森林、向こう側に山々が連なる。見える範囲で近くに目立つ建物はない。
(さて、どうしたらいいか……)
今日の漁を終えて日の沈む前、浜辺で波を見ながら今後のことを考えた。
(あの方角に……仲間を感じる)
海のはるか向こうに大陸が見える。距離にして数十キロだろうか。そこに気配をわずかに察知した。
――必ず生きて戻ってやる!――
僕は拳を握りしめて誓った。
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