第四十四話 一線を越えし者Ⅱ
「あなたが魔術都市ルベンザのシェリルだったのですね」
僕は一度会ったり、聞いたことのある名前を忘れないようにしている。大学受験勉強で身についたテクニックで、名前だけだとすぐに忘れるので、その時の自分の印象や場所・時間と関連付けるようにしていた。シェリルの名前はすでに、ルベンザに到着した時にウォンから聞いていたが、今の説明で同一人物だと確信した。
「そうだよ。改めて歓迎するよ。シュウとその仲間たち」
僕はオルソンに変身していたシェリルに聞きたいことが山ほどあった。
「シェリル、いくつか質問があります。いいですか?」
「どうぞ」
「もしあなたの名前がシェリル=ミゼラルドであれば、領主のマッシュ=ミゼラルドとの関係は?」
「ああ、それかい。目覚めてから初めて助けた者の名前がミゼラルドだったんだ。それ以降、僕とミゼラルド家は協力関係にある。だが、僕自身は領主と実際の血縁関係はない。ちなみにマッシュは、そのひひひひひひ……孫にあたる人間族だよ」
想像を超えた気の遠くなるような時間を過ごしていることはよくわかった。
「次ですが、オルソンと名乗っていた人物や僕に最初に接触してきた浮浪者。あれは貴方だと思いますが、どうやったのですか?」
「さきほど言った通りだ。変化の魔素術を使った」
シェリルは少し念じると体が浮浪者、次にオルソンの姿へ変化して、最後にまたシェリルの体へ戻った。僕たちは全員開いた口がふさがらなかった。異世界経験者のジュウゾウさんも同じようで、初めての体験のようだ。
「この姿でルベンザ内を歩いても警備兵に捕まるだけだからね。誰にも気を使われずに街中を歩くのには浮浪者の恰好が一番だったよ」
「すごいですね。僕に接触してきた三人は?」
「そこらにある木の棒を組み合わせて変化させて、声は僕の転移の魔素術で飛ばしたんだ。解除すると気の棒が残ってしまうから、それはすぐに同じく転移の魔素術で回収、というわけさ」
「素晴らしい」
「この術の良さを理解してもらえて本当にうれしいよ。ちなみに飲み物が急に出現したのは、時空間魔素術だ。昨日君たちの居場所は一瞬で変わったのも同じ原理だよ」
「やはり……」
想像のはるか上をいくシェリルの魔素術。
「元から使用できたのですか? それともその……」
両親を蘇らせようとして得た術なのか、と僕は言いかけたが途中でやめた。彼の心情に触れてしまうと思ったからだ。
「両親とは関係ないよ」
僕の言いたいことを悟ったシェリルの方から話してきた。
「正確には蘇生の魔素術を試みた時にはこれらの魔素術は使えなかったんだ。王都の学術書でその存在だけを知っていた。独りぼっちになってから今のルベンザのように栄えるまでの間、本当に永い時間があった。その間に魔素術の練習・開発をして得た術だよ」
「なるほど。蘇生の魔素術はなぜ思うように発動しなかったのですか?」
「それは今もわかっていないんだ。術は多数の戦争奴隷の生命と、術者や魔素石に含まれる大量の魔素とを引き換えに、たった二人の両親を蘇らせるはずだったんだ。ところが実際には、僕以外の術者を含むすべての生命を奪い去って、残った者は生命体とはいえるのかわからない僕の体と時間の無限地獄、移動制限だった」
(指輪。何か思い当たることがないか?)
『うーん、確証はないがおそらく魔素術の理に触れてしまったのではないかと思うぞ』
(魔素術の理?)
『簡単に言えば無理なものは無理なのじゃ。一度失った命を蘇らせるなどということはできない。なので、術は思うように発動せず、シェリルに違う形で降りかかったのではないかと思う』
(彼の体全体に刻まれたのは魔素文字に見えたが……⁉)
『おそらく一種の契約魔素術を、意図しない形でもらってしまったのじゃ。支払ったものは多数の生命と魔素、得たものはすでにそやつが説明した通りなのじゃろう』
一度テーブルに出された飲み物へ口をつける。日本でいうマッ〇シェイクと似ていた。
「あれ? これって」
「それ、美味しいだろう」
「ええ。これは何というのですか?」
「シェイクっていう飲み物なんだ」
予想外の答えにナオキと目線があった。
「これはもしかして…⁉」
こちらの世界に来てから、何回か自分たちの世界から持ち込まれたと思われる品を見ていた。『ニホントウ』はおそらく『日本刀』だろうし、この街の街灯も日本の街並みと酷似している。
「シェリル、これは誰が作ったのですか?」
「たしか二百年ぐらい前に。ちょっとかわった奴が発案したんだ。浮浪者で街中を動いていたら、ボロだけどこちらであまりみない格好していた人間族がいて、聞いてみたら言葉も通じない。カスツゥエラ語とか世話してあげたら、いつの間にか屋台を出していた。そこの眼玉商品がこの飲み物だったんだ。冷やすともっと美味しいのにってよく言っていたよ」
「その人はどこか違う世界から来たとか言っていませんでしたか?」
「うーん、よく覚えていないな。でも彼が今のルベンザの街灯照明の形を提案していたはずだ。今もそうだけど、当時は画期的だったね」
彼は記憶が薄れているようだが、これだけの類似品がこちらの文明でいきなり出てくるとは思えない。次期は違うが、僕たちと同じ世界からの『転移』なのだろう。
「そう言えば君たちもどこか不思議な雰囲気があるね。なんというか、その……この街の人とどこか違って、洗練されているというか、独特の感じがする」
「ははは、最近冒険者になったのでそのせいでしょう」
日本から転移してこちらへ来たことは彼には告げなかった。いずれ話す日が来るかもと思ったが、今ではないと直感した。
「まだいいですか?」
「もちろん、どうぞ」
「昨日の夜に僕を襲撃した者がいたのですが、この件でなにか知っていませんか?」
「彼女は、いや彼はおそらく僕と同じ系統の変化の魔素術を使っていたと思う。君たちの推測通りに、彼は君を襲った者に違いない。変化の術にしては僕から見れば雑だし、男からは変化の術を使えるような繊細な魔素を感じなかった。誰かの手を借りたか、道具を使ったのではないかと思う」
「ルベンザに入ってからはずっと一人でしたか?」
「あのコーサとかいう冒険者集団か。あれの一味以外に接触している者はいなかったよ」
本当に知りたい情報だけを的確に答えてくれる彼の思考能力が有難かった。改めて、魔素術の指導をお願いしようと思うわけである。がその前に……
「僕の左手にある紋章なんですが……」
「おっ、とうとうきたね」
僕はもう一度自分の左手の甲に刻まれた黒い十字の紋章を見つめた後、シェリルへ向けた。
「これはつい最近できたものです。一つ目は魔物と偶然戦った時にすでにできていました。二つ目は古い友人が死んだ時に灰色の十字として刻まれたようで、その後黒色へ変化していました。これはなんのですか?」
「ほぅ」
『灰色から黒色に変化した』というところは彼の興味をひいたらしい。
「色が変化した時には何か特別なことをしたのかい?」
「それは……」
こちらに召喚されてシゲと争い、シゲに勝って灰色の十字の紋章、その後両親へシゲの髪を届けたあと高熱を出して黒色になった。日本からの転移者だという部分を隠して、その時の状況を説明する。
シェリルはうんうんと頷きながら話を聞いてくれた。
「初めてそれを見た時を思ったけど、それはたぶん『七つの大罪』に関連した紋章じゃないかな」
「『七つの大罪』?」
「そうだよ。強欲、嫉妬、傲慢、憤怒、色欲、暴食、怠惰が七つの大罪だと言われている。それを刻まれた生物は特別な魔素の力を得ることができて、死んだときにそれは誰かに移される。それを永遠に繰り返すみたいなんだ」
「シェリルはどこでそのことを?」
「蘇生の魔素術を調べている過程で、王立図書館にその十字の紋章について触れた本があった。かなり古い本だった。
「本の題名は?」
「たしかかすれていて読めなかったはずだ。当時でそれぐらい古い本だった。それに十字の紋章はたいして重要視されていなかったはず。ただその存在を指摘するだけで、使い方がわからなかったんじゃないかと思う」
「たしかに……」
「君は使い方がわかるのかい?」
「いいえ、よくわかっていません」
思い出せば、この二つの十字の紋章は今まで大した役に立ったことはない。がちゃんと調べてみる必要はあると考えた。
一通り聞きたかったことを確認し終えたと僕は、当初の予定通りに魔素術を教えてほしいと頼むことにした。
「シェリルにお願いがあります。改めてですが、僕たちに魔素術の指導をしてほしいです」
「いいよ」
彼はあっさり承諾した。
「君たちは僕の退屈しのぎに付き合ってもらおうと初めて会った時から決めていた」
「いつからやりますか? 早ければ明日からでもお願いしたいと思います」
「まぁまぁ、そう急がない。そろそろ到着するよ」
「?」
何かが来るようだが、僕には見当もつかなかった。彼はルベンザ内の情報が常に入るようなので、知らない情報を掴んでいるようだ。
「もう玄関まで来た」
「??」
「さん、にぃ、いち……」
訳の分からなかった僕たちだったが、背部から足音がだんだん近づいてきて、座っている椅子からみて後ろの扉が開いた。
「よう、シェリル。久しぶりだな。相変わらず趣味の悪い屋敷だ」
「余計なお世話だ」
そこには貿易都市トレドの新冒険者所長のマルコーがいた。どうやら二人は旧知の仲らしい。さらにその後ろには……
「アオイ! レイナ!」
間違いなくこちらの世界に居ないはずの女性二人がマルコーの後ろに立っていた。
「「シュウっ!」」
喜びのあまり僕は椅子から立ち上がり二人に歩み寄り、抱き寄せようとした。感動の再開になるはずである。
しかし……
「「このっ、女たらし!」」
――ボゴッ――
「ぐわっ!」
二人は魔素をたっぷりと纏ったグーパンチで僕を同時に殴り飛ばした。反射的に顔と腹に魔素を強く纏ったが、足の踏ん張りが間に合わず。
鈍い音を出して吹っ飛んだ僕は部屋の壁を貫き、隣の奥側の壁に当たって止まった。
――ドッゴォーン――
壊れた壁からでた埃と肉体的、精神的なダメージで立ち上がれない僕。
「ああ、そうだった。君たちに言い忘れていたことがあったんだ」
なんとも申し訳なさそうなマルコーの声を聞いたような気がする。そこで僕の意識は途絶えた。
******
「ごめんなさい、シュウ様。私ったらつい」
「私も。ごめんね、シュウ」
今、僕はシェリルの邸宅で、殴り飛ばした張本人のアオイとレイナに介抱されていた。
二人は今回こちらの世界が危険だというので当初は日本にいるつもりだった。並行して僕たち男性陣はトレドからルベンザにウォン商会の護衛任務で来ていたわけだが、その道中とルベンザで合計二回ほど、僕が襲撃を受けた。いずれも暗殺未遂に終わったが、一つ間違えば今頃息をしていなかったと思われる。
事態を重く見たウォン商会のシグレはウォンに掛け合い、ルベンザからトレドへ冒険者ギルドを通じて連絡を入れた。連絡先はトレド王女のクリスであった。
クリスは心配になったが自分は予定があるので動けない。そこでマルコーと相談の上シュウの仲間である女性陣二人を呼び出し、彼を同席させてルベンザへ向かうことを提案、マルコーはこれを承諾した。
冒険者ギルド所長は個人の頼みを引き受けないのが通常である。しかしマルコーは赴任早々にトレド領主側と対立したくなかったようで、さらに個人的にシュウという人物に興味をもっていたことが幸いした。
またクリスはマルコーが新しい冒険者所長就任にあたり、裏切り者の元冒険者所長カーターと二の舞にならないよう、その職務について契約魔素術を交わしており、その行動は信頼できると判断していた。
さて、クリス王女は当初は日本にいる二人に事実を告げるだけの予定だったが、こちらの世界は危険だと承知なので、シュウが襲撃されたぐらいでトレドのある世界まで戻ってきてくれるか疑問に思った。
彼女は聡明であり、アオイ・レイナがシュウをどう思っているのか知っている。確実にこちらへ呼ぶために、襲撃のこと以外にシュウがルベンザで女遊びをしているようだと情報を送った。情報はカスツゥエラ語で手紙を書き、大学校舎近くの返す『門』経由で日本へ彼女が送ったのだった。
転送された手紙は政府の役人がまず受け取るが、当然何を書いているのかわからない。そのため関係者である五木さん経由で、二人へ連絡が入った。
手紙をみたアオイとレイナは激怒した。すぐにトレドへ着いて、クリス王女と打ち合わせをした後、マルコーと一緒に移動して今に至る。二人は馬術に長けていて、マルコーもまた馬に乗れるので移動は早かった。
尚、当初クリス王女は二人が着いたら、シュウの女遊びは呼び出すための口実だったと説明する予定だった。しかし、般若のような顔をした二人の女性が領主の城へ入ってきたのを見て、とっさの判断でその場で説明することをやめた。彼女の行動は、シュウの元へ仲間を向かわせるという点において大正解だ。
代わりにマルコーへもう一度連絡をとって事情を話して、『旅の途中でいいので二人へ打ち明けるように』と伝えていた。了承したはずの彼だったがそれを忘れていたため、さきほどのグーパンチが生まれた、というわけであった。
「いててて……」
腫れあがった顔は自己治癒術ですぐに治癒できるのだが、僕はそれをやらない。すぐにケロっとした顔をすると彼女たちが何をするかわからなかった。
誤解が解けて場が落ち着いたので、改めて僕たちはシェリルと向き合った。
術の指導は正式に明日からとなった。
「ではよろしくお願いします」
その日はおとなしく宿へ戻った。宿側は美女と美少女二人が男パーティに増えたことを不思議がったが、僕の顔を見て女性を誘拐したわけではないなと判断したようだ。




