第七話 帰還Ⅰ
「こんにちは、初めまして]
ニコリと笑った男性はそのまま自己紹介を続けた。
「私は佐々岡健司と申します。こっちは戸倉宗次郎、そしてこっちは青木美佐子です」
「よろしくお願いします」
「君は修二くんだったね? これから大事な話をいくつか聞くけど、かといって緊張はしなくいでいいよ」
話しかけてきたのは笑顔が素敵な佐々岡さんだ。
彼は巡査長で、横のいかつい壮年の戸倉さんが警部、書類に忙しくペンを走らせているのが巡査の青木さんだった。男性二名はスーツにネクタイで、いかにも警察官って感じがする立ち振る舞いだ。
「まず君に何が起きたのか、友達からは一応聞いたんだけど教えてもらえるかい?」
「はい。僕は――」
あの日大学校舎の門を通り過ぎてすぐにゴブリンと呼ばれる生物に襲われたこととヤツらを殺したこと、そのあと葵・麗奈・直樹の三人と合流して一緒に戦ったこと、魔素を使ったこと、何十人も殺されていて攫われた人もいたこと、オークと呼ばれる生物を倒して戻ってきたことなど思い出す限りの情報を話す。
三人は時々僕の話に頷いてくれて、話の大筋はすでに聞いていたのであろうと思われ、青木巡査のペンが続けて忙しく動くことはなかった。ただし、指輪と左手に刻まれた十字の紋章のことは黙っていた。
(言っても絶対信じてもらえないだろう……)
「ふうむ。三人からも先に事情を聞かせてもらったが、同じような話だな」
「にわかには信じられませんが、実際に敷地から大学校舎が消えていますので……」
戸倉警部と青木巡査が言った。
「オーケー。だいたいわかったよ。また話を聞くかもしれないけど、その時はぜひ協力してほしい。警察としても信じられないようなことが起きたという認識なんだが、君や君のお友達がやったとは考えていない」
「そのうち気づくだろうが、世間は相当な騒ぎになっている。何せ白昼堂々と建物とそこにいた人がいなくなったのだからな。君の周囲には警察官をつけるし、安易な行動は絶対に避けてくれ」
戸倉警部に釘を刺された後に彼らが立ち去ろうとして、僕はずっと思っていた疑問をぶつけた。
「あのー」
「ん?」
「僕からも聞きたいことがあります」
「なんだ? 答えられる範囲でなら答えるが、こういう状況なんであまり時間もないんでね」
「いったい何人死んだんですか?」
「ふぅ……」
戸倉警部と佐々岡巡査長が顔を見合わせた。すぐにこちらに振り向く。
「当事者だから知る権利はあるだろう。黙っていてもどうせ新聞ですぐにばれる」
「……。実はまだ二百二十三名の消息がわかっていない。その人たちは全員あの時大学にいたと推測されている。君と一緒に戻ってきたのが五十二名。君が最後の事情聴取になるはずで、話が本当だとすると、日本に戻ってきていない人たちは皆死亡か失踪扱いになる見込みだ」
言葉がでない。
すこし落ち着いてまた聞く。
「僕は罪に問われますか?」
訳が分からないといったような戸倉警部と青木巡査だったが、佐々岡巡査長が
「ああ、君のお友達のことかい? たしか駒田重幸君だっけ? 彼もたしかにこっちには戻ってきていないし、彼に襲われたという女性からの証言は確認している。しかし警察としては証言だけでは立証が難しいし、仮に本当だとしても正当防衛も成り立つと判断されそうな状況なので、君が罪に問われて刑事起訴される可能性は極めて低いんじゃないかと思う。警察もまだ事態の全容を解明したわけじゃないんだけど」
と教えてくれた。
最後に連絡先をもらうと、彼らは警察署に戻るといって部屋の外に出て行った。
夜、僕は眠れずに病室の外に出た。
(この二日間はいろいろあって疲れたよ)
これからどうしようだとか、大学はどうなるだろうとか、いろいろ考えているとだんだんと眠気が覚めてしまった。
途端にコーラがものすごく飲みたくなってしまって、ナースステーションに話しかけてお金を借りる。普段は絶対こんなことしないんだろうなって思ったけど、事情を知っている看護師さんは優しくて、こっそり貸してくれた。
お金を投入して自販機で購入。
フタを開けると少し振られていたようで、炭酸が出て左手がコーラ浸しになった。
『こりゃーーーー!』
「えっ⁉」
驚いて声を上げてしまったら静かな廊下に響いて、看護師さんに怒られた。部屋に戻るように促されて、ベッドに入った僕は指輪と話す。
(おい、指輪。やっぱりこっちでも話せるのか⁉)
『しまったわい。黙っておくつもりだったのに……』
(さっき雷の魔素も使えたんだぞ。いったいどうなってるんだ?)
『簡単じゃ。あの三人につかえず、おぬしが使えるんだから、何か理由があるんじゃ。条件を満たしたのか、はたまた……』
(なんだよ。たのむよ指輪。教えてくれよ)
『うっさいわい。私だってわからんことぐらいあるわい』
(僕の世界と指輪が落ちていた世界は違うと思うんだ。こっちに来たことないの?』
『ない』
(この指輪、全然使えないな)
『なんじゃと、こっちに帰ってくることが出来たのは誰のおかげじゃと思っとるんじゃ!☆×〇★△●……だからおぬしは、◇□■〇×△…………〇★☆×△●…………』
頭の中に響く声を無視して、僕は寝ることにした。
『……おい。無視するな。これは忠告じゃからちゃんと聞け。もし魔素が使えるんだったら、注意が必要じゃ。』
(はいはい)
『聞いておらぬな。もう知らんからな』
(りょーかい。また明日。おやすみ)
******
翌日、午前中に退院の手続きを終えて警察の車で自宅へ送ってもらった。最初はなぜこんなに至れり尽くせりなのか分からなかったが、病院の玄関に近づくと外の状況がわかった。マスコミ・野次馬が大勢集まっていて、僕が病院を出るのを待ち構えている。
(情報漏れてるじゃん)
「すいません。どこからの情報か不明ですが、すでにマスコミはここに入院しているのがわかっているようです。日本だけじゃなく、世界でも注目度の高いニュースですので」
迎えに来てくれた青木巡査が教えてくれた。
犯罪者ではないが顔が知られるといろいろとまずいこともあって、帽子を深くかぶって外に出て、すぐに警察の車に乗せてもらう。
そのまま自宅まで移動したがずっとつけてくる車も多かったみたいだった。
わかっていたけどうちの住んでいるアパートは正直古かった。住居を知られてしまったことよりも恥ずかしさの方が大きい気がする。先導する青木さんに人ごみをわけてもらって、数日ぶりに家に帰った。
「ただいま」
「おかえりー」
「おかえり」
僕の家は東京都台東区にある。
木造二階建てアパートで外見が古く、最寄り駅にも徒歩三十分以上かかる場所で、条件は悪いがその分家賃が安かった。
母は黒田恵美で今年四十五歳、一家の家計を支える大黒柱だ。父親を亡くした後、ようやく企業に正規の事務職員として雇ってもらい、日中は勤務して夕方から週三回近所のスーパーにレジ打ちと在庫管理のアルバイト、土日も必ず一日は近所でアルバイトをしていた。
父親のいない家計はあまり余裕がなく、一時は大学進学をあきらめようと思っていたが、学歴が大事な日本社会を痛感していた母親はアルバイトを追加してお金をためて、僕を大学へ送り出している。
携帯電話も高校入学時はなかったが、みんなについていけないとまずいと思ってねだってしまった。その代わり自分でアルバイトをして、月々の支払いを済ませていた。
病院から自宅へ戻ってみると、家の中が殺風景に感じた。この家には余分なものが本当になかった。
(病院の方がこれはいいかもしれないな)
身を削ってお金を稼いでくれている母親にすごく失礼なことを思っていると、
「おにいちゃん、お風呂行こー」
と誘われる。
妹である黒田明里は、今年高校二年生の健康女子。兄に似て優秀(?)なようで大学への進学を考えているが、家の状況をみると簡単に言い出せないので、それ関連の話題は最近家の中では禁止扱いである。
近所に懇意にしてもらっている家がいくつかあって、そのうちの一つがアパートの大家さんで家がちょうどここから二軒隣にあった。星置みつこ(ほしおき みつこ)という大家さんは一人暮らしで、最近白髪が多くなったことに悩んでいるとても良いおばちゃん。
当然うちの事情も知っていた。
アパートには風呂がついてないので、風呂掃除をすることを条件に星置さん家の風呂を使わせてもらっている。明里はそこに行こうと僕を誘ってきた。
窓から外を見るとだいぶ暗くなっていて、集まっていた人達はアパート入り口前にはいなくなっていた。これなら大丈夫だろうと思って行くことにした。見張ってくれている警官二名にも目的と行き先をきちんと告げれば問題ないだろう。
「あれー? お兄ちゃん、背高くなった?」
「そうか?」
確かに妹が少し小さく見える気がした。外に出ようと履いた靴も小さい気がする。靴に足を無理やりねじ込んで、二人で星置さんの家へ訪れた。
「こんばんわー」
「いらっしゃい。大変だったみたいね。ささ、どうぞ入りなさい」
家の中に案内されるといつもどおり僕が風呂を洗ってお湯をためて、明里は星置さんとと談笑する。ほんとにいつも通り。
今日は先に僕が入っていいらしいので、遠慮なく一番風呂をいただく。
次に明里が入ったが、その間星置さんに向こうでの出来事を根ほり葉ほり聞かれた。警察からは余分なことは言わないように指示されていたので、当たり障りのない会話だったがそれでも十分に刺激的だった様子である。
「ほんと、無事でよかったねぇ」
「ありがとうございます。ところで大学はしばらくないと思うんで、困ったことがあればいつでも言ってください。手伝いにきます」
「そうかい、ありがとうねぇ」
明里が上がってきて髪を乾かしたら、僕らは星置さん家を出て自宅へ戻り、寝る準備をする。
(明日からどうしようかな……まずはアルバイトかな? その前に靴とダメになった服の代わりを買わなきゃいけないな)
夜静かになると付近の音がよく聞こえて耳障りでなかなか眠れなかった。ゴブリンとの闘いで得た能力が引き継がれていることは間違いなかった。
(耳が良くなるのも考えないといけないな。自分の体もどの程度になっているのかよくわからないし)
翌朝以降の行動計画を練りながら、僕は眠りに落ちた。
******
いつも通り早朝に目が覚めると、ストレッチを始める。
これは僕の日課でいつもはアパート横の空き地でやっていたけど、マスコミがいるようでしばらくは家の中でやることにした。ストレッチのあとに筋力トレーニングを続けておこなう。
(驚いた。全く疲れない)
腕立て伏せは普段三十回×二セットだけど、百回連続で続けてもほんの少し疲労を感じる程度だった。
「おにいちゃん、すごーい」
「ほんとう無理しないでね。ケガでもされたら母さん困るから」
その後朝食を食べると、そのまま近くの中華料理店に顔を出した。
「おじさん、こんにちは!」
「おーう、修二か。よく来たよく来た」
優しく声をかけてくれるのは、藤岡徳治さんで、みんなから徳さんと呼ばれていた。この中華料理店の店長で、大家の星置さんに紹介してもらった近所の名店である。
「いやー、修ちゃん。大変だったね。体大丈夫かい?」
「もう大丈夫です。それよりいつも通りやらせてもらいますね」
アパートに引っ越してからこの店のことを知っていたが、親しくなったのは高校三年の春休み。休み中のアルバイト先を探していたら大家の星置さんに紹介してもらって、それから皿洗い・清掃・ゴミ出し・簡単なホールスタッフを任せてもらっていた。何よりまかないで中華料理といっぱいの白飯を出してもらえるのがうれしかった。
いつも通り片付け、テーブルと椅子の整理と清掃、醤油などのテーブル調味料の残量チェックをして、のれんを店先にかけて開店の準備をする。その後、店は昼の時間帯になって多忙を極めた。
今はお客さんの昼ごはんタイムが終わって、ひと段落している。
最後の片付けとして皿洗いをしていると店長の徳さんに、
「修ちゃん、もう今日は上がっていいよ」
と声をかけられた。ちょうど最後の皿を洗い終わって僕はその日のアルバイトを終えることにした。
「これ、余りだから持っていきな。それに先月からの給料だよ」
「えっ⁉」
たまに余った材料でおかずを作ってくれて持たせてくれるのでそのことは驚かなかったけど、いつも毎月二十日が給料日だったので、そっちに僕は驚いた。
「いろいろあって、大変だろうから早く渡しておくよ」
気遣いがうれしかった。店を出て金額を確かめたら、少し色がついていた。これなら、靴も服も何とかなるかな……。
自宅へ余りのおかずを持って戻ると、アパートの前に見たことのない黒塗りの長い高級車が止まっていた。
初めは取材か警察の車だろうと思っていたけど、近寄ってみると取材のテレビ局にしては派手で、警察の標識もないことがわかった。後部座席のドアが開くと、見知った女性が出てきた。
「葵……」
病院で別れる前に葵を含む四人で連絡先を交換していたが、住所までは知らないはずだった。今日は前のようなポニーテールではなく髪を下ろしていて、白のワンピース姿であった。
相変わらずセンスの良い格好で、このアパートとのギャップがすごい。
「修様、こんにちは」
「葵、どうしたんだい? こんなところに……」
「修様を迎えに来ましたわ」
「あれ? なんか今日ってあった?」
「私のお母さまが修様に会いたがっていますわ。さあ、こちらへ」
さっきもらった中華料理の香ばしいにおいをこの車に持ち込むわけにはいかず、一度自宅へ戻っておかずとアルバイト代を家に置いてから、誘われるままに車に乗せていただいた。
こんな車に乗った経験などなく、どこからか出てきた運転手に誘導されて車内へ入り込んだ。
シートは本革が張られていて、車内に冷蔵庫が設置されていた。さらに助手席にも体格の良い男性がもう一人乗っているらしい。
どうも葵の母親が僕にお礼を言いたいらしく迎えに来た様子だったが、その豪華さに正直引く。
(葵ってお金持ちなんだ……)
「その後、体調は変わりありませんか?」
「もう大丈夫みたいだよ。今日はこれから服と靴を買いに行こうかなって思ってたんだ」
「あら⁉ でしたら一緒に行きませんか? ちょうど私も買いたいものがあります」
そういうと葵は運転手に行き先変更を告げた。二人で当たり障りのない会話をしていたら、僕を乗せた車は田園調布の大きな通りから一本奥に入って止まった。窓越しにみても、高級感が半端ない綺麗なショーウィンドウがある店の前であった。
「さぁ、行きましょう」
「でもここって……」
「ほら」
手をつながれて引っ張られるまま車を降りてその店へ入店する。
「いらっしゃいませ」
店は服屋だった。店員も礼儀正しく、見たところ品ぞろえは申し分ない様子だったが、お金がないとも言い出せず。葵は男性用の服を選んで試着室前に運んでいた。
「これを着てみてください」
言われるがままに渡された服を着てみるとよく似合った。
鏡でチェックした後、値札をみて、僕は最初にゴブリンと遭遇した以来の衝撃を受けた。破かないようにそっと服を脱いで更衣室を出たら、次はこちらだと葵に言われてしまう。それが終わっても、次々と服が運ばれてきた。次第に靴まで運ばれてくるようになって、正直生きた心地がしなかった。
「ではこれとあれ、それに……」
どうも葵が会計を支払っている様子。最後になってもまだ僕が着ていた服と靴は店員がニコニコして値札をそっと切ってくれた。
新品の服に着替えた僕は、再び車内へ誘導されて葵の車へ乗った。
御愛読ありがとうございます。




