第六話 強欲と嫉妬
校舎の門周囲にはさっき助けた人達、校舎の中で様子をうかがっていた人達が集まっていた。全部で五十人ぐらいいて、一部の人たちはさっきのやり取りを見ていた。
「俺たち、帰れるぞぉぉぉぉーーーーーー」
誰かがそう叫ぶと、周囲の人たちにどんどんと伝わってしまった。
やむなく僕は、付近の脅威のある敵は倒したことと、帰れる可能性があることを短く伝えた。その上で一時間後にみんなで移動することを提案した。戻れるかもわからないが、一回でやり切る必要を強く感じたため時間を決めた。
周囲の人にも手伝ってもらい、まだ状況を知らない人を探して呼びかけて、可能な限り生きている人たちを探し出す。
残念ながら、探しきれない人も出てしまうと思ったが、その人のためにずっとここに残るわけにもいかず、門に食料と水が保管庫に残っていることを目立つように看板で残した。
準備の途中で、ふと悲鳴を聞いたような気がした。周囲の人には聞こえていないようで、僕だけがその音を拾ったようだった。
(気のせいかな……)
自分の感覚を信じて大学校舎敷地内のサークル棟へ入って、階段を上がった。四階に上がったときに屋上に向かう階段方向から、騒がしい足音と雑に扉を閉める音が鳴り響いた。
(やっぱり変だ)
もはや習慣で足音を消してそっと扉を開けると、そこには男性が女性を押し倒して襲っていた。男性の姿に見覚えがあった僕は思わず叫んだ!
「シゲ、何やっているんだ!」
「あぁん⁉」
女性を馬乗りにしたままこちらへ振り返ったシゲは、眼が充血していてよだれを垂らし、体から赤黒い蒸気のようなものを漂わせていた。その雰囲気は昨日までのシゲではなく、正気とは思えなかった。
「このぉー、女がよー、言うことを聞かねーんだよ。だからなー」
「シゲ、どうしたんだよ。おかしいぞ」
「この女がー、お前と一緒に行くっていうからよー、止めてやったんだよー。あいつについていっても金なんかねぇってよー」
(まともなじゃない‼ 取り憑かれているのか⁉)
「いやっ、はなしてっ」
「うるせーよー、俺よりあいつといっしょに行きたいってかー」
シゲは叫んだ彼女をそのまま殴った。
「やめろっ! それ以上やるな、シゲ!」
「俺にさーしーずー……するなっ」
立ち上がってシゲはそのまま一直線に殴りかかってきた。
(はやいっ)
「おまえだけが特別だとおもうなー」
予想以上に早い接近に、油断していた俺は先制を許してしまった。体の後ろに隠していた鉄パイプを握って、俺の頭を思いっきり殴ってきた。左腕で頭をガードしたが、ボキッと骨が折れたのがわかった。
「っ……」
「おまえはー、苦しめて殺してやるよー」
「シゲ、どうしたんだよ。そんなんじゃないだろう」
説得に応じる様子もなく、再び彼は僕に接近してきた。
しかし、ゴブリンとオークを倒しまくって身体能力が上がっていた僕を、彼はとらえることはできず、ただ力任せに鉄パイプを振り回すだけだった。落ち着いてさえしまえば、本能で動いている彼の動きは読みやすく、攻撃後のスキをみて彼の脚に向かって蹴りを繰り出した。
(何かがおかしい)
『そうじゃ。こやつをよく見ておけ。『宿命』の力に魅入られ、『取り込まれた』ものの末路じゃ』
(宿命?)
『そうじゃ。シュウよ、よく見ろ。あやつのこの人間離れした力は生命を燃やして手に入れておるのじゃ。もうじきやつの生命力は尽きてしまう。ちょうどオークから魔素を吸い取った後と同じように、体は生きる力を失うじゃろう』
(助ける方法はないのか?)
『自分で心を制御するしかない』
攻撃が当たらずに、僕の反撃を受け続けて業を煮やしたシゲが突然攻撃をやめた。
「くくくく」
振り返って倒れている女性を掴み上げると、彼女の首を絞め始めた!
「待てっ、シゲ。やめろ」
「だったらー、にげるなー。おまえの力も女も、ぜーんぶ俺によこせっ」
挑発に乗って近づいていったら、シゲは彼女を放して僕に組み付いてきた! たいした力もなくて蹴り飛ばそうとした時、自分の力が入らないことに気づいた。
(こいつ……)
彼の方に僕の魔素が引っ張られて流れていくのを感じて、引き戻そうと抵抗した。自分の魔素と彼の魔素が複雑に絡み合って綱引きする……
「よーこーせー」
「シゲ、しっかりしろ!」
「くくくく」
「そんなことして何になる⁉ 元の世界に戻れるために協力しろっ!」
「おまえが俺にしたがうんだー、めいれいするんじゃないー」
魔素同士の引っ張り合いは、仕掛けに気づくまではシゲが一方的だったが、次第に僕が優勢に変わった。オークから引き抜いた大量の魔素と戦闘経験があったことが、僕を有利にさせていた。指輪に魔素について教えてもらっていたことも大きく、その使い方は僕の方がうまかった。
彼から魔素をかなり引き抜いて、力が入るようになった脚で蹴り飛ばす! 地面に転がった彼は、僕と同じ年のはずなのに、顔面がしわだらけで白髪になっていた。
「これ以上僕にやらせるな」
とうとう赤黒い蒸気のようなものが薄くなってきて、彼の体がしぼみ始めてしまった……。これが指輪の言っていた末路というやつなのだろう。
「くくくく、おれはおまえには負けないよ」
そういってシゲは女性を掴んで、僕と反対方向へ走り出す――
(……⁉)
一瞬わからなかったが、すぐに彼の意図に気づいた僕は二人を全力で追いかけた。校舎屋上の端にたどり着いてしまったシゲは女性と一緒に――屋上から飛び降りた!
(間に合ってくれっ)
屋上端で女性が僕の方へ手を伸ばしたため、飛び降りる直前に追いついて折れていない方で彼女を掴んだが、すでに落ちていた体を引き寄せることはできずそのまま落下した。とっさに僕も飛び降りて、空中で抱き寄せて体の上下を入れ替え、シゲから守るように正面に寄せて――――落ちて地面に激突した‼
「ごぶっ」
「キャーーーーーーーーーーーー」
悲鳴が周囲に響き渡って、騒ぎを聞きつけた人達が集まってくる。
僕は背部から落ちた時の衝撃で肺の空気を全部吐き出して呼吸が苦しく、背中に激痛を感じて動けなかった。幸いにも落ちた場所は芝生だったので、折れた腕も含めて全身の感覚は何とかあって意識もはっきりしていた。地面との間に僕が入るようにしていたので、彼女への衝撃は僕より少ないはず。頭も保護していたが意識がなく、さらに足が折れているようだった。
アオイが真っ青な顔で近寄ってきて、
「大丈夫ですか? すぐに手当てしますわ」
「左腕が折れてしまったけど問題ないと思う。かなり体が丈夫になっていたみたいだ。それより昨日食堂で会った男が近くに落ちたはずなんだけど見たかい? あとナオキを呼んできてほしい」
「俺ならもういるよ。ケガみせてみろよ」
ナオキは僕のケガの状況を確かめると、すぐに意識のない女性に自分の魔素を流し始めた。
「うーん……」
次第に顔色が戻り、意識が回復した彼女を大丈夫だといったナオキは安静を指示した。
「シューウッ」
走ってきたレイナに思いっきり抱き着かれてしまった。骨は折れたけど大丈夫だと告げて抱き合うような形でいたら、アオイにじーーっと睨まれてしまった……。
『もてる男はつらいのう』
(茶化すなよ。こっちは腕一本折れているんだ。それより、シゲはどこに……)
『そこにおる。もうじき死ぬ』
アオイとレイナに両側を支えてもらって、倒れている白髪の男に近づいた。
「ごほっ……。…………。」
声も出にくくなっているようだが眼は開いていた。
「シゲ……」
眼だけで僕をとらえたシゲがもう長くないことは、誰が見ても明らかだった。
「彼にも回復を――――」
「い……らん……」
絞りだした声で、彼は治療を受ける意思がないことを伝えてきた。
僕は周囲へ事情を説明する。
「シゲが僕に屋上で戦闘を仕掛けてきたんだ。倒せないとわかったら、近くにいた女性を巻き添えにして飛び降りて、その時一緒に落ちたんだ。腕の骨折は彼にやられた」
僕の話にアオイとレオナは後ろに引いた。
「シ……ュウ……」
彼に呼ばれた気がして、僕だけが彼に近づいた。眼があって、ずっと僕の眼を見たまま少し首を上げた。
「お……やじ……つた…………え…………………」
それが最後の言葉だった。
自力で持ち上げていた首が落ち始め、だんだん眼の力がなくなって、遠くを見つめるだけになった。僕は彼の瞼を閉じてあげて、しばらくそばにいた。
******
屋上であったことのすべてを三人に隠さずに話した。話を聞きながらアオイは、僕の骨折した腕を当て木と布で肩から吊り下げるという応急処置をしてくれた。ナオキの魔素は痛みを和らげてはくれるが、骨折まで治癒させる能力はないみたいだった。
少し気持ちが落ち着くと、シゲとの別れの時間をもらって、彼の家族に何か物を持っていこうと思ってみたが、どれも血まみれでとても家族に持っているようなものは見当たらない。仕方なく髪を束ねて短く切って、白紙に厳重に包んで自分のリュックへ詰めた。家族への説明の言葉を考えたけど今の僕には浮かばなかった。遺体は門近くの土を掘って埋めたて、少しだけ彼の傍にいて仲の良かったころの思い出に浸った。ほかにも見渡す限りで亡くなってしまった人たちを土の中に埋めて、その人たちの持ち物を一つずつ持つことにした。
後ろから、
「くっそー、ごめんな」
とナオキに声をかけられた。骨折が完全になおらないことを謝りたかったみたいだ。
「気にすんなよ。これだけやってくれたら骨折でもすぐに治りそうだよ。それより彼女は大丈夫なの?」
「多分大丈夫だ。俺が彼女を連れていくよ」
ナオキは僕と一緒に落ちた女性を抱きかかえた。
ふと自分の左手が熱い気がしたのでまた怪我でもしたのかと見てみると、左手の甲に十字の紋章が追加されていたことに気づいた。
新しい紋章は、ここに来た時に見つけた紋章よりも薄く、灰色をしていた。痛みもないし今は放っておくことにする。
その後、門に集まった生き残った人達でオークを倒した洞窟まで移動した。中に入って地面に描かれた模様に軽く魔素を流すと、前と同じように光り輝くことを確かめて、全員を呼び寄せて模様の中に全員入るように伝えた。
『全力で魔素を放て。それで転移門が起動する』
(それからは?)
『そんなもの決まっておる。出たとこ勝負じゃ』
(……)
心の底から心配になったが、ここまで人を集めておいて全然できませんでした! の謝罪で済まされる空気ではなく、何か起きることを願って転移門とやらの中心に立つ。そして地面に向けて魔素を放出し始めると、すぐに光り輝き始めて、周囲の空気が僕に集まって洞窟が震え始めた。
『まだじゃ!まだまだ足りん』
(全力でやっているよ!)
『もっともっと強く放出するのじゃ』
(くっ!)
残る魔素を絞りだすように放出すると、転移門はさらに強く光って周囲は突風が吹き荒れ……僕たちは光に包まれた‼
『強欲、嫉妬を喰らう、か』
******
……ふと、慣れ親しんだ湿った空気を感じて、自分がさっきまでいた洞窟とは別の地面に立っていることに気づく。
「あ……」
地面はむき出しの土であったが、洞窟の中ではなかった。
空があって視界に入ってきた景色に、心がときめいた……
戦闘に次ぐ戦闘で全身のけだるさもあったが、好奇心が勝った……
足に力が入らず両手を膝に置いて姿勢を保って、僕は周囲をみた……
見慣れたビル・マンションがぎっしりと立ち並んでいて、そこは待ち焦がれた見知った景色だった!
「……戻ってきた……」
葵は意識を失っていたようだったが気づいて立ち上がった。満面の笑みで近づいてきてくれて何かを話しかけてきたが、言っていることが聞き取れず、だんだんと力が抜けてしまい、僕は仰向けに倒れた。彼女に支えられながら、遠くからサイレンの音を聞いて……意識を失った……
******
目覚めると白い天井のある部屋で僕は寝ていた。腕を動かすと引っ張られる感覚があって、点滴が自分の腕につながっていることがわかった。アラームが鳴って看護師さんが走ってきて、起きた僕をみるとまた部屋から飛び出していった。すぐにお医者さんと思われる男性とそのあとに見慣れた顔が入ってきた!
「みんな……母さん……」
母親、妹、葵、麗奈、直樹のみんながベッドの傍に寄ってきて、
「良かった、目を覚ましたのね。心配したんだから」
と妹は言う。母親は涙していて、ちょっと心配させすぎたかな……と反省する。
「元の世界に戻ったんだよな?」
「はい、間違いありませんわ。修様は、丸一日以上眠ったままでした」
葵がそう答えてくれた。
今日は木曜日で、時間経過は向こうの世界もこちらも同じようだ。
それから僕はみんなに状況を聞いた。講義初日の朝に突然大学校舎ごと消えて気づいたらむき出しの地面だけが残されていて大騒ぎになったこと、戻ってきた僕が気を失ったのは大学校舎があった場所であったこと、向こうからこちらへの戻るためにあの場にいた人たちは無事にもどっていること、今僕らは警察に拘束されていて自由に行動できないこと、目が覚めた人はすでに事情聴取があったこと……どれも重要な話ばかりだった。
「このあと僕はどうなるの?」
「検査して体に問題がなければ、警察に事情を聞かれると思います」
麗奈が教えてくれた。
「お兄ちゃん、どこでこんな綺麗な人たちと知り合ってるのよー、もー」
「こいつっ、うるさ……」
じゃれてきた妹に、いつも通りのかるいゲンコツをお見舞いしようとしている途中で、僕は突然やめてしまう。
「どうしましたか?」
「いやなんでもないんだ。まだ体が本調子じゃないみたいだ。そんなことより、麗奈」
「はい」
「こっちに戻ってきてから、その、なんだ……アレは使えたのかい?」
「アレ?」
「こほん……きっと炎の魔素のことですわね?」
状況を察した葵が補足してくれた。
「私たちで確かめましたが、まちがいなく使えませんでした」
「ハハハ、そうだよね。そんな便利なことないよね……」
ガチャっと音がして、部屋の入り口から看護師さんと、体格の良いスーツの男性二名、眼鏡のスーツ女性一名が入ってきた。
「主治医の先生が体は大丈夫だと判断しました。この後に事情聴取があります。申し訳ないのですが、付き添いの方は一度退出をお願いします」
「じゃあまたあとでねー」
みんなが退出して、僕への事情聴取が始まった。
さっき妹とじゃれている時、僕は気づいてしまったのでとっさに左腕を布団の中に隠した。
左手には今も黒い指輪があって、十字の紋章が二つほど左手の甲に残っていることを。
元の世界へ戻ったのに魔素を感じることができることを。
そして布団の中ではビッと一瞬電気が走った!
ご愛読ありがとうございます。
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