第三十一話 日本へ戻る前に
「あーあ」
今日はとうとうこちらの世界から日本へ戻る日だ。風雲亭の庭で大きな背伸びをする。本日は移動日扱いにして稽古も休みとしていた。
午前中にクリス王女の城へ寄って、ブラウン大臣からトレド防衛戦までの報酬を交渉することになっていた。忙しいが午後には日本へ向かうためにトレドを出発する。すなわちこちらへ転移してしまった大学校舎近くの洞窟へ向かうのだ。
「ちょっと名残惜しいね」
あれから夢幻の団では再びこちらの世界へ戻ってくるか否かの話は一切なかった。だが様子を見ていると、アオイやレイナの気持ちは決まっているらしい。
僕は個人の意思に委ねようと思っていた。あからさまにもう危険だから来ないと言ってしまえばそれまでだが、クーンが寂しがるに違いなかった。クリス王女と会えないのもなんとなくつまらない気がするし、それに……
(……カーターを取り逃がしている)
逃げる瞬間に言われた『またな』というつぶやきが未だに頭の中でこだましていた。奴とは次に会った時は決着をつけたいと強く思うようになっていた。
「さ、行こうか」
この宿には日本から持ち込んだ大量の荷物がある。特に女性陣の滞在をサポートするシャワーなどの入浴グッズ。それらは置いていくことにした。
代わりにいま大量に手元にあるのは……トレド防衛戦で大量に得た(主に僕の秘術で倒した)魔石だ。ちなみに最後の赤い一つ目からは大きめの無色の魔石が出てきた。
無色の魔石は初めに通した魔素属性によってどの属性にも変化できる。ただし一度きりで元に戻すことはできない。なので僕はこれら無色の魔石については、日本政府へは渡さずに手元に残しておくことにした。
「ご主人、長い間お世話になりました」
「おい、そんなお別れみたいなことを言うなよ」
「ははは」
夢幻の団は今回で解散するかもしれない。適当に笑って合わせておく。
「トレド中君たちの話題で持ちきりだよ。街を救った英雄だってね!」
「そうなんですか?」
「ああ、知らないのかい⁉ 歩くときは顔を隠した方がいいかもね。ハッハッハ」
僕たちは宿の主人たちへ挨拶を済ませてクリス王女の待つ城へと向かった。
******
「こんにちは、シュウ。それに夢幻の団の皆さん」
「こんにちは、クリス王女」
いつぞやと同じく広間のテーブルに向かい合う形で座っている。こちらは夢幻の団五人で、向こう側はクリス王女だけが座っている。背後にはリスボン、トム、ホーキンスが立って控えていた。
「では、この間あいまいに終わってしまった報酬の話をしましょうか」
「はい」
「まず今回の一連のブラウン元防衛大臣の謀反、魔物大集団からのトレド防衛戦についてです。皆さんの助力なくして解決できる問題ではありませんでした。トレド領主を代表してお礼を申し上げます」
「いえいえ、依頼されたものをこなしただけですから」
「とんでもありません。夢幻の団の皆さんには私も領主も非常に感謝しています。では、まずブラウン元防衛大臣の謀反に関してです」
クリス王女は報酬の話に移った。
「兄の遺体の発見から、事件解明につながる手紙の提供、ブラウン元防衛大臣の謀反に関わる事件の全てに関して。私たちトレド領主側は夢幻の団に対して、
1、トレド領主の管理する土地への永住権と税の免除
2、金貨一千枚
3、解決した問題を依頼の形式として冒険者ギルドへの貢献度進呈
の報酬を払います」
けっこうな金額だと思う。だが彼女たちだけでは対応できない未解決の謎を解き明かしたのだから、当然ではないか。
「よろしいようですね。次に魔物大集団発生後のトレド防衛戦についてです。トレド領主は夢幻の団に対して、その報酬として、
1、討伐した魔物に関するすべての所有権を夢幻の団に認める
2、金貨一千枚
3、解決した問題を依頼の形式として冒険者ギルドへの貢献度進呈
とします」
「……」
「……」
「……」
「……」
みんなの反応が薄いので僕が答えた。
「ありがとうございます」
僕は正直嬉しかった。だがほかのみんなはどうだろうか。黙ってクリス王女の話を聞いている。
先日から未解決だが、こちらの世界はもう危なすぎるとの認識だ。そのためみんなは今回日本へ戻ったら、こちらへ戻らない気持ちを持っているようだ。直接話したわけではないけれど、その雰囲気だ。
そのことをクリス王女は知らない。もしかしたら察しているのかもしれないけど。
「さらに……」
(まだあるのか)
「トレド側で保有している武器防具があります。そのうちあなたたちが欲するものを一点譲ります」
(!)
僕はまたこちらの世界へ戻ってこようと思う。そうなれば戦闘は避けられない。
トレド側が保有している武器防具というからには、雷哮の剣ほどではなくて、魅力的な物があるだろうと思った。武器防具の性能が生死を分けることもあるので、正直喉から手が出るほど欲しかった。
「ありがとうございます。有難く頂戴いたします」
一息置いて今度は僕の方からの要求だ。
「クリス王女、まだ僕たちから要求があります」
「何でしょうか?」
「実は……」
今回の事件を直接解決したのは夢幻の団に間違いない。しかし目立たない功績として、スラム地区の猫人族スタンリーたちの活躍があったことを忘れてはならない。それにニーナばあやも手伝ってくれている。それに対する報酬を求めてようと決めていた。
「なるほど」
「猫人族は戦闘へ不向きとされていたり、人間族ほどのトレド領主や政府側への強いつながりがないため、冷遇されているような立場となってしまっています。彼らはスラムに住み、貧困にあえぎ、現在の住居をすぐにでも立ち退きをしなければいけません。僕たちはトレド領主側に今回の報酬として、この件の見直しを要求します」
「……。わかりました」
クリス王女はクーンの方をみた。
「そこまで目が行き届かなかったのはトレド領主側の落ち度かもしれません。その件は私の方で解決することを約束します」
「えっ⁉ ということはどういうことになるんだニャ?」
自分の種族の危機なのでクーンは必至だ。
「スラム地区の立ち退き命令は取り下げます。さらに報酬の一環として住居の提供を約束します」
「やったニャ!!」
クーンは飛び上がらんばかりの喜びだ。
「クリス王女、それでは根本的解決にはなりません」
解決ムードだったが僕はさらに要求をした。
「猫人族へ『教育』をしてください。彼らが自立できるよう学校のようなものを立てて、教育をするのです。冒険者なり、商家なり、彼らが自ら考えて稼いで生活ができるように」
「それはどういうことでしょうか?」
「日本には学校という制度がありまして……」
この場にいるのは僕たちの出身を知っている者たちばかりなので日本の学校制度を離しても支障はない。彼女へ教育制度の概要を説明した。
「なるほど、それは面白いですね……」
クリス王女は学校制度に興味を持った。
「わかりました。その条件をのみましょう」
「! ありがとうございます」
「待ってください。立ち退きを求めないことなどに対して、私からあなたたちへ条件があります」
「?」
「聞けば日本という場所はここよりも文明がずっと進んでいて、安全と聞いています」
「はい、それは間違いありません」
「では、それと交換に私を日本へ連れて行ってください」
「「「「「!!」」」」」
「よろしいですね?」
「クリス王女! それはっ!」
夢幻の団は非常にこの申し出に驚いた。
「すぐに、とは言わないです。まだまだトレドの立て直しがありますから。しかし近い将来に絶対に連れて行ってくださいね、シュウ」
クリス王女は僕に向かってウインクした。
(どこでその仕草を覚えたんだ?)
『相変わらず交渉上手じゃ、それにおぬしは無類の女たらし。初めから勝負になどなっておらん。承諾しておけ』
(いいのか? 彼女がこちらへ必ず戻れるとは限らないぞ)
『まず大丈夫じゃ。『門』はこちらの大学校舎と日本をまちがいなく接続できる。それにおぬしもすこしは考えていたではないか?』
(そのとおりだけど……)
彼女はじっと僕を見つめている。
すこし考えてから、
「わかりました」
と答えた。
「この件は夢幻の団で請け負うものではないと思います。ですので僕が個人的に受けます。それでよろしいですね?」
「ええ」
個人的に受けると言ったら、彼女はすごくうれしかったようだ。笑顔満点。
「条件も決まりましたし、そろそろ出ようと思います」
「シュウ」
立ち上がり部屋を出ようとする僕にクリス王女が近づいてきて抱擁した。
「気を付けて。そして戻ってきてくださいね」
皆の見ている前でそっと口づけしてくれた。
女性に弱い僕はデレデレだ。
ナオキはあちゃーという顔をした。アオイとレイナの方は怖くて見れない。ただし、尋常でない殺気を感じたことは間違いない。
(……生きて日本に帰れるかな……)
僕はなるべく人目のある通りを選んで帰ることにした。
******
僕たち夢幻の団はいま日本へ戻るためにトレド北に位置する、転移してしまった大学校舎へ向かっていた。
クリス王女は多忙のため見送りには来れないそうだ。
(懐かしいな)
一度殺されかかった野盗の集落、そこからさらに北方へ歩いて大学校舎が見えてくる。人がいなくなるとあっという間に廃墟になるんだなと思った。どこか全体的にさびれていた。
「だれかー、いないですかぁー」
「いませんかぁー」
「おーい」
もしかするとまだ日本人が残っているかとも思って探してみたが、戻ってくる声はない。
(まだここに居れば、誘って日本へ戻るだけなので、成功報酬がもらえるんだが)
「日本へ戻ろうっか」
「そうしましょう」
大学校舎敷地から洞窟が見えてきた。中には返す『門』がある。
「じゃあ、戻るよ」
「シュウ」
「クーン……」
クーンは夢幻の団の微妙な空気を察したらしい。ものすごくさびしそうな顔をした。
「心配するな。また何かあったら向こうへ手紙をここ経由で送ってくれ」
「……」
彼は泣きそうである。
「今回は特に危なかった。一歩間違ってしまえば全滅だった。こっちに戻るかは、もうそれぞれの意思に委ねようと思う」
僕はちらりとアオイ達の方をみた。
「でも……」
クーンがはっとして顔を上げた。
「僕はまたこちらへ戻ってこようと思う」
「!」
嬉しそうな顔になった彼。
「これが決して最後じゃない。だから戻ってくるのを待っててくれ」
「わかったニャ」
「じゃあ、行ってくる」
僕はアオイ、ナオキ、レイナで円陣を組んだ。中には大量の魔石を始めとする日本へ持ち帰ろうとしている荷物を置いている。
ずいぶんと魔素の扱いも上手になり、以前よりも簡単に魔素陣が起動しそうだ。
「じゃあ……」
またな、と言う前に目の前の景色はむき出しのコンクリートと鉄網に切り替わった。




