第十五話 襲撃の首謀者を追えⅢ
――あなたたちが発見した遺体は私の兄です――
クリス王女の居城の一室で、僕は本日一番の衝撃に言葉を失った。仲間も黙って彼女の話を聞いている。
「もちろんシュウたちが犯人だと疑っているわけではないですよ」
彼女の顔は笑っているとも怒っているともわからない表情だった。
僕たちが発見した遺体というのは二回目にこちらへ転移した時まで遡る。大学校舎から貿易都市トレドまでの道のりで初めは一人の遺体、その後複数人の遺体を見つけていた。いずれもクロスロード家の家紋である五つの星が装飾された装備を持っていた。
(まさか……クリス王女の兄だったとは……)
「まだ時間はありますね?」
そう言って彼女は席を立ち、壁際に飾られた肖像画の前に立った。画には成人した男女二人と、おそらくはその子供であるあろう男女の子供二人が描かれていた。
(そこにいる女の子はクリス王女で、その横の男の子は兄なのか?)
「今からちょうど一年前のことです」
僕たちに背を向けながら、彼女は話を再開する。
「私の兄はロラン=クロスロードと言います。兄は私の四つ上で、当然のことですが次期トレド領主でした。妹である私からみても、人物は優れていて武術も学び、魔素術や政治手腕も期待されていたと思います」
全員が彼女の話を聞いていた。
「当時兄は結婚相手を探していました。次期領主の妻となる者にはふさわしい女性をと、主にお母さまが中心となってトレド内外の良家から悩みに悩みぬいて選び、ようやく決まりかけていました。その矢先に、結婚相手と親族が死亡するという痛ましい事件が起きたのです。それも一度ならず二度も」
「……」
リスボンは思い出すように王女の傍に立っている。
「一度目は魔術都市ルベンザからの縁談でした。相手と一度目の話合いの場を持ち、婚約が成立する直前に、相手方の両親が死亡しました。実際には暗殺されたのだと思います。公式には急死としか連絡を受けていませんが、後に配下に探らせたところ毒殺でした。両親が死亡した結婚相手はふさぎ込み、婚約を破棄したいと申し出ました。優しい兄はそれでもと声をかけましたが、お相手の意思が変わることはありませんでした」
クリス王女は微動だにしない。
「二度目はトレド内での縁談です。トレドの内政には各主要部署に大臣を設置しています。当時の外務大臣の娘が結婚するには良い年頃で、それに兄との面識もありました。一度目の婚約破棄から半ば自暴自棄になりかけていた兄をその幼馴染が支えてくれました。母は当初は反対でしたが、最終的には兄の強い希望が通り、今回は婚約にまでこぎつけたのです。しかし――」
彼女は背を向けたまま手を力いっぱい握りしめた。
「――その幼馴染が突如行方不明になりました。トレドの警備隊、冒険者ギルド。探索にはありとあらゆる手を使いましたが、見つかりませんでした。行方不明から数日後トレド南側の港に人間が浮いていると報告を受け、兄が駆け付けた時には変わり果てた姿でした」
「クリス王女、殺害方法は?」
僕以外が、『なんてことを聞くのか』という顔でこちらを見た。唯一背中を向けていたクリス王女がこちらへ向き直り、
「一太刀で斬られていました。誰が見ても致命傷だったようです」
と僕に答えてくれた。失礼な質問だったかもしれないが、彼女は怒ってはいないようだ。
「シュウの素直に真実を見抜こうとする姿勢、私は好きですよ」
フフフと久々に笑いながら、話はさらに続く。
「二度目の殺害をきっかけに、兄の行動は変わりました。『結婚相手探し』から『犯人捜し』へと。夕方まで訓練や執務をこなして、そこから犯人捜しをしていたようです。兄も口数が少なくなり、私との会話や会う機会は激減していきました」
一つ大きな深呼吸をした。
「一年前、大雨の日に兄は夜に出かけていきました。周囲の者が話すには、その日は最近で一番機嫌が良かったようです。側近の者を引き連れて城を出た後から行方がわからなくなりました。帰らない兄を待ち続け、ようやく事態が父である王の耳に入り、本格的な捜索を始めましたが、それでも手がかりはありませんでした。なにぶん雨がすべての痕跡を流してしまって、城が手配した探索者はいずれも無駄足に終わりました。数日たち、数週間たち、数か月たち……王は兄のことをあきらめるようになっていました」
部屋にはクリス王女の声だけが響いていた。
「生きていれば必ず連絡が入るはず。その願いはいつまでたっても叶わず、あなたたちが持ち込んだ手紙によって生存の希望は打ち砕かれてしまいました」
「手紙はお兄さんのものでまちがいなかったのですか? それに書かれていた内容は?」
「その手紙は兄が書きしめたものに間違いありません。唯一の兄の文字を見間違うわけがありませんから。そして手紙に書かれていたのは場所だけです。そこを調べろという意図だとわかった私は、配下の者に命じて指示通りの場所である資料を回収しました。本当は私が行きたかったのですが、いまはとある理由で城からは離れない方が良さそうなのです」
「ある資料?」
「内容は『貿易都市トレドの密輸』についてでした。このトレドで密輸組織が暗躍している情報をつかみ、探っていたようです。思い返せば、二人の花嫁候補はいずれも外交やトレド内外とのつながりのある家でした。兄を殺害した者あるいは組織から見れば、何かしらの不都合があったのでしょう」
「? して犯人は?」
「犯人はまだ捕まっていません。候補者を絞っているのですが、今一つ確信がありません」
「クリス王女も狙われているのでは?」
「! シュウ、どうしてそれがわかったのですか?」
「勘です。先ほど、そこにあるお茶を飲みそうで飲まなかったですよね? 警戒している印象を受けました。何か混ぜられているのですか?」
「私はてっきりシュウは戦闘のできる女たらし程度にしか思っていませんでしたが、考えを改めなければいけませんね」
(そりゃ、ひでーよ)
クリス王女の評価にがっかりした。
「この紅茶には毒が混ぜられています。初めは体調不良なのかと思っていましたが、飲むと後から体調が悪くなるので、飲まないことにしました。後で教えてもらいましたが、紅茶を混ぜるこの道具が毒の存在を示しています。この道具は毒に反応して色が変わるのです」
(『銀』だ)
クリス王女はサーっと紅茶を捨てて絨毯に沁み込ませた。
「これで相手側には飲んだことにさせておくのです。今では城内にも敵の力が及んでいることは明白です」
「確かに匂うニャ」
「わかるのか?」
クーンの匂いへの反応は抜群のようだった。
「体に悪そうな匂いだニャ。昔ニーナばあやの家で嗅いだことがあるニャ」
クーンの発言はクリス王女のほかにナオキも反応していた。
突如リスボンが、
「クリス王女、人が来ますっ! 警備兵です」
と警戒を促した。
「わかりました、術を解きなさい。皆さま、私と話を合わせてくださいね」
クリス王女がそう言うと、防音の魔素術が解除された。
――トントン――
「はい、どうぞおはいりなさい」
「失礼しますっ!」
乱暴に入ってきたのは二人組の警備兵だった。
(ズカズカと王女と客の間に入ってくるなんて、失礼な奴だな)
「クリス王女が部屋に入ってしばらく出てこないので、様子を見るよう指示されました。外部からの者と長時間接触していてまさかと思いましたので、失礼ながら様子を伺わせていただきました」
「あら、そんなに私のことを心配してくれるのね」
「これは失礼しました。最近物騒な事件が続いています。王女に万が一のことがあってはいけませんので」
「私は大丈夫です。この者達はクロスロード家の客人です。下がりなさい」
「はっ!」
兵士二人は僕たちを一瞥した後、背中を向けた部屋から退出しようとした。その瞬間、目線は先ほどクリス王女が捨てた紅茶の入った器にいったのを見逃さなかった。
さらにその兵士二人には見覚えがあった。僕が窃盗罪で捕まって城の地下室で拷問を受けた過去があったが、その時の兵士二名だった。
「ちょっと待って」
あいさつ代わりにぶん殴ってやろうかと思って声を掛けたら、冒険者風情に止められたのが気にくわないのであろう。
「ん?」
不機嫌そうな声でぶっきらぼうだが、結局王女の前もあって兵士二人は立ち止まった。
「ん、なんだ?」
「覚えていませんか? あなたたちに拷問にかけられた冒険者です」
「変な言いがかりはやめたまえ。私は君のことを知らないぞ」
「私もだ」
(とぼけちゃって)
「ローズベルトに冤罪をかけられた時ですよ。まさかもうお忘れになりましたか?」
「「!」」
兵士二人は『ローズベルト』という声を聞いた途端に体が硬直した。その直後、全身を魔素術が覆いつくす!
(襲撃時のウォルトと同じだ!)
すぐに全身に火が着いた。すさまじい勢いで、炎が燃え盛る!
「どきなさいっ!」
クリス王女が叫んだ! 彼女は燃え盛る兵士のうち一人に近づき、魔素文字を空中に描いて兵士にぶつけた。途端に彼を包んでいた炎ははじけ飛んで、やけどを負った兵士の表情や全身が見えるようになった。
(もう一人は……)
残る一命はすでに動かなくなっており、部屋には人が焼ける臭いが立ち込めている。クーンは匂いに耐えられず、鼻を覆っていた。
「……」
全員声が出ない。たった今まで生きていた兵士が焼け死んだのである。
「リスボン」
「! はい」
あっけにとられていたリスボンはクリス王女に命じられて警備兵を呼ぶため部屋を出ていく。
「シュウ」
「はい」
クリス王女は僕、というか僕たち全員に話しかけた。
「ここも私が話をしますので、内容を合わせてください。それにシュウは明日の同じ時間にもう一度私のところへ来てくださいね」
「はい?」
「いいから。絶対に忘れないで」
「はい」
「ふぅ。さて、この異常事態でおそらく一番に来るのは……」
ドタドタと複数の足が地面をたたくように音が聞こえ、やがて僕たちの部屋に兵士たちが入ってきた。
「どうかしましたか? クリス王女」
「キーエンス、ちょうど良いところに」
キーエンスと呼ばれた男は警備隊長らしかった。部下を多数引き連れて、部屋に僕たちを囲い込むように入ってきた。
「ムムッ! これは」
焼けた二人(うち一人は死亡)をみたキーエンスは、僕たちに敵意を向けた。
「そこの者達はこの状況に関係ありません。むしろ巻き込んでしまいました」
クリス王女は極めて冷静に努め、医療班を呼ぶよう指示した。
「そこの倒れている二人は城の兵士です。私が大切なお客様と会っているこの部屋に、安否確認を名目に割り込み、自ら炎を出して死にました。一人はまだ息がありますので、至急手当を」
「はっ!」
兵士数名が部屋を出て行った。
「やれやれ騒がしいですな。何かありましたか?」
続いて入ってきたのはでっぷり太っているが、身なりの良い男性だった。
「これはこれはブラウン。近くにいたのですか?」
「姫、ちゃんと防衛大臣として扱っていただかねば。それにこの状況はどうしたのですかな?」
クリス王女がブラウンと呼んだ男は、貿易都市トレドの防衛大臣のようだ。立派なヒゲを蓄えてたしかに威厳はあるが、いざとなったときに走るよりも転がった方が早く移動できそうな肥満体型だった。
「あら、そちらこそわたしのことをちゃんと『王女』と呼んでくださいな」
「ふん。で、これは?」
「警備の兵士二名が、勝手に入ってきて急に燃え出しましたの」
「なんと」
「一人は死にましたが、一人は助けましたわ。いま手当できるものを呼びました」
「⁉」
「あら、どうかしましたか?」
「いえいえ。みたところかなりの火傷をしています。いかにして助けたので?」
「それは秘密です」
やがて救護班が到着して、生き残った一人を担架に乗せて運んで行った。
キーエンスが王女に発言する。
「クリス王女、してこの者たちはどうしますか?」
「もう用はありません」
「開放するのですか? わが城の兵が焼かれた現場にいたのですぞ!」
「兵は自ら火を放ったのです。彼らはなにもしていません。それに彼の指輪をみなさい、ちゃんとした客人ですよ」
キーエンスは僕を眺めてきたが、左指のクリス王女からもらった指輪を見つけると、
「大変失礼しましたっ」
と言って姿勢を正した。彼女からもらった指輪はここでも絶大な威力を発揮した。
「客人方、こちらへどうぞ」
兵士たちの案内されるままに城外まで出た僕らは、その後何事もなく風雲亭に着いた。
宿ではみんなで一息つこうとしたが、ナオキは思い出したようにクーンを連れてすぐに出て行った。
「どこか行くのか?」
「あぁ、ちょっとな」
ナオキは行き先をあいまいにしてそそくさと宿を後にした。
(何かあるんだろう)
最近ナオキは僕よりも早起きして何かをやっているらしかった。単独行動はパーティルールとして禁止しているが、男二人ならば何も起こることはないだろう。そう思って送り出すことにした。
「シュウ様、ぜひお相手を」
後ろを振り向くと新しく打ち直された斬月を手にアオイが立っていた。
「よし! やるか」
「はい、よろしくお願いしますっ」
宿の庭でそれぞれの剣で実戦さながらの稽古を始めることにした。




