第二十三話 変わる世界
翌日の早朝、いつものトレーニングと稽古のため、Tシャツにスラックスで麗奈宅の庭へ出た。
ここは都内の高級住宅街の中で目立つぐらい豪邸で、芝生が綺麗に整えられていた。昨日仲良くなった犬は、傍にひっきりなしに付いてくる。僕の一挙一動が気になって仕方ない様子。
入念なストレッチと負荷トレーニングのあと、木の棒で型の稽古を始めた。魔剣はこちらへ来てからはおとなしいが、人に見せるのも嫌なので部屋に置いておいた。
正眼の構えから、一瞬で敵の間合いに入って斬り下ろす。ドッという足音のあとに数メートル向こうへ自分の体を移動させる。攻撃は敵に防がれ、弾き飛ばされそうになるが引いて体勢を瞬時に直して、側面から攻撃。しかしこれも巧みな防御の術で防がれ、敵の追撃がくる。避ける、ひたすら避ける。避ける間に敵の隙を見つけて攻撃に転じる……
仮想の敵はついこの間倒したオークジェネラルだった。一対一だったらどうなっていたかわからない。その思いからイメージの中の敵と模擬戦を繰り返す。
(フゥ)
一通り動いたら、足場にしていた芝生が深くえぐられるようにめくれ上がっていた。
(あちゃー、やってしまった)
強化した脚力で観賞用の芝生を荒らしてしまったようだ。
「おはよう」
麗奈が庭に出てきた。庭の地面をみた彼女はクスッと笑って、
「今度からあっちでやってね」
と許してくれた。指さす先には舗装された地面だった。
(そうなるよね)
******
午前は麗奈の家族へ外出を告げて、母親の恵美と妹の明里の住む家に顔を出した。現在、母親と妹の住まいは以前のボロアパートではなく、セキュリティのしっかりしたマンションに引っ越している。大家である星置さんの計らいに感謝であった。
「ただいま」
「おかえり」
ちょうど母親と妹がいた。
「こっちはどう?」
「べつに~」
妹である明里の様子がどうもおかしい。家の中にはいままでなかったはずの家具が増えていた。明里の服もどこか変化している。光沢があるというか……明らかに金がかかってきた。
(あっ!)
今回の大量の帰還者に対する成功報酬はまだだったが、契約した時の警察・防衛省側が初期の段階で支払ったまとまったお金が家にはあるはずだった。
「明里、もしかしてその服って」
「えへへ~」
全く悪びれたそぶりを見せない明里に、どの程度の契約金を使ったのかわからない僕は、詳細を聞くのをやめた。思えば年頃の女性がおしゃれに気を使えないのも、いろいろとあるのだろう。そう自分に言い聞かせた。
「そういえば中華料理屋さんの徳さんが顔を見たがっていたよ。オンライン講義に、向こうでの探索で忙しいのはいいけど、人とのつながりも大切にしなさいよ。たまには顔を出しておきなさい。」
母親に諭される。
(僕の居場所がない……。この家具も僕がとった契約で買ったはずなんだが……)
久々の家は変化していて、思ったより居心地が悪かった。
(これは成功報酬の振込先を考えないとな)
妹の笑顔に何度騙されたことか。自分に警告を聞かせながら、久々に中華料理を営む徳さんの店に顔を出した。
「徳さん、久しぶりっ!」
「おおっ、きたか。久しぶりだな。最近どうだ?」
徳さんは僕の近況を一番に聞いてきた。まだ公式には発表されていない僕は、記者会見の時間帯は本日の十時だと聞かされていた。すでに記者会見は始まっている時間帯である。
「僕から言えることは、『ニュースを見て』かな」
「そうかそうか。どれどれ」
僕はいつも通りにアルバイトのつもりで来たので、店内清掃をしてのれんを店先に出す。だんだん客が入ってきて、店内が忙しくなってきたとき、テレビがお昼のニュースを伝え始めた。
「お昼の時間になりました、N〇Kの〇×△です。本日はまず、先日起きた『〇×大学消失事件』の続報となります。本日午前11時に警察は防衛省と合同で記者会見を開き――」
店内が静まり返る。全員がテレビにくぎ付けになり、徳さんの包丁も止まった。自然と僕もテレビに注目する形になる。
「――警察は、死亡扱いされていた八十一名の帰還に成功したと発表しました。帰還者については都内病院で検査を受けて、一部の人は衰弱のため入院となりましたが、全員命に別状はないとのことです。」
店内がざわつく。
「帰還した方法については、警察・防衛省は記者への質問に対して回答を控えました。残る死亡者とされている人達について、今後帰還できるかの見通しについては現時点で見込んでいないとの発表でした」
(そりゃ、そうだろう)
「この点について、警察は『引き続き帰還できるよう最大限の努力をする』としています。では次に帰還した人たちが入院している現場からの中継です。――」
その後ニュースは帰還者が入院している病院および元大学校舎の敷地を画像で流して、現場の状況を伝えた。
(このあと一気にSNSで流れるんだろうな。それに帰還した人たちは学生が多いから情報封鎖はできないだろう。それにしても――)
まだ帰還者を探すのか? 受けた依頼を終えたつもりでいた僕は公式発表に疑問を覚えた。
(近いうちに五木さんに確認する必要があるな。できれば向こうへは自由意志で行きたい)
クーン達との再会、クリス王女との約束、ウォン商会の護衛依頼。まだ向こうでやることがある僕は、暇を持て余すよりはこちらとあちらを行き来する生活で楽しみを見出しつつあった。
店内は昼のピークを過ぎて客がまばらとなり、ランチタイム営業を終えた。徳さんはもういいよと言ってくれて、本日分のアルバイト代を渡してくれた。
「えっ?」
本日は三時間程度のアルバイトであったし、何より金額は多かった。これは受け取れないというと、徳さんは『いいから、また来てくれよ』といって送り出してくれた。
(徳さん……)
結局有難く頂戴した。
徳さんの中華料理店を出て、麗奈宅へ移動のため電車に乗ったが、久々に旧友からL〇NE経由で連絡がきた。高校の同級生同士で久々に会わないか? という連絡だった。
(みんなに会いたい)
そう思った僕はすぐに参加で連絡した。
『こちらでの知り合いか?』
(そう。こちらには年齢順に学校という場所へ行って、学ぶ制度があるんだ)
指輪の質問に、日本という国の学校制度について説明した。
『ほう。興味深いな。全員が受けられるのか? 向こうとはずいぶん違うな』
その通りだと思った。全員が教育を受けられれば、治安は良くなり、国力も増す。良いことが多いのに……。
******
集合場所は台東区の駅地下マク〇ナルドで、懐かしい顔がすでに十数人集まっていた。
「久しぶり」
「おっ、シュウじゃないか」
すぐに声をかけてくれたのはクラスの代表的存在の佐藤紀太郎。通称『ノリ』。
「よく来てくれた」
笑顔でノリは僕を迎え入れてくれた。
『これがおぬしの同級生とやらか? 鍛錬不足では?』
(向こう基準の強さで言うなら、全然弱いだろう。ただしこちらでは頭がものをいう世界なんだよ)
『ほう』
指輪は妙に納得していた。
「シュウ、大学って大丈夫か?」
ノリがさっそくいまホットなネタを聞いてきた。クラスメイト達は僕が現役で失踪事件の現場となった大学に進学していたことを当然知っている。自分が失踪からの帰還者第一号であることは公式には知られていないので、当日不在だったことにして話を適当に合わせた。
「全然だよ。ただひたすらオンライン授業とアルバイト」
「そっかそっか。無事で何より」
そういうとノリの前には週刊誌が置かれていた。
「さっきニュースで失踪の話が流れていたけど、向こうから帰還した奴らがもう出ているぜ」
そう言って渡された週刊誌のタイトルは『帰還者した美女、車内のデート』のタイトルだった。見れば向こうから帰還したばかりの葵と麗奈がアップで写されていた。葵に至っては、ぴったりと体に貼りつくような魔素服なのでボディラインが丸見えで、見る人からは扇情的だ。
(警察さん、防衛省さん。機密情報が漏れていますよー)
ページをめくると今度は葵の車内で僕がキスされたシーンになっていた。ただし写真では、僕は後頭部のみ参加であくまで葵が中心だった。
(俺、結局いないのと同じじゃないか)
写真は望遠鏡か、ドローンでも使って撮影したのであろう。
(あとで警部たちに文句を言ってやろう)
写真に自分が映らなかった腹いせなのか、情報漏洩に対する警告なのか、自分でもよくわからなかった。
「あれ、修。ちょっと体つきがよくなったんじゃないか?」
ノリは気さくに僕に話しかけてくれる。
「講義とアルバイト以外の時間はトレーニングしているんだ。体がなまっちゃって」
トレーニングの話は本当だが、それ以外にも向こうに行って魔物を倒しているなんて話せなかった。
「おっ、そろってんじゃん」
続いて店に入ってきたのは向井浩二といって、クラスの中で素行が悪い奴だった。たしか受験に失敗して浪人していたはず。
浩二の登場で一瞬みんなの会話が途切れてしまった。じーっと集合している人たちを見渡すと、隣の席が空いている僕の横に目を付けたようだ。
「久々」
「元気している?」
話しかけられた僕は、仕方なく当たり障りのない返事で返す。
「ああ。修、ちょっと見ない間になんか変わったような」
(よく気付いた!)
ちょっと嬉しくなった僕はそのまま話しかけてしまった。
「最近トレーニングやるようになってね。浩二はどうしてる? 勉強?」
「ああ、そんなところだよ」
浩二の返事は歯切れが悪かった。
その後は相変わらず身勝手に振る舞い、高校生の時からあまりみんなに相手されていなかったそのままの彼だった。最終的にみんなの席に行っても話に入れてもらえず、僕のところに戻ってきた。
「なぁ、このあとちょっといいところに行かないか?」
そう言って浩二の切り出してきた話は、クラス会の解散後に自分の行きつけの店に行きたいという。正直気が乗らないが、見に行くだけならと思って、
「ああ、いいよ」
と返事をした。そうすると浩二はすぐに携帯電話のメッセージで誰かに連絡を入れているようだった。
クラス会の後、店の横には浩二と僕、そのほかに数人の男子が集まった。集まったクラスメイトはどちらかというと浩二の強い勧誘を断り切れないタイプ人ばかりだった。僕以外は、いずれもお金には困っていないのは、みなが高校からわかっていたことである。
(嫌な予感がするな)
浩二が案内する場所は、そこから徒歩数分で通りから一本中に入った看板も出していない怪しい家だった。中に入るといろいろな雑貨が置いてあって、顔つきの悪い細身の男性が店番をしていた。
「さぁ、買い物でもしてくれよ」
そういう浩二だが、店の中には正直魅力的なものがない。ただの不要な雑貨屋さんに見せた。値段も随分と高いように思う。
「浩二君」
弱気なクラスメイトが『ここでは買うものがない、そもそも買い物に付き合うのに来たわけではない』と言った。そこで店奥からガタイのいい男が三人ほど出てきた。
実は初めから店の奥に三名いるのは、指輪に教えてもらっていた。店番をみて僕らをカモにしたいんだと気づいていたので驚かなかったが、クラスメイト達は気づくはずがないので驚いていたようだった。
「なんだと、コラァ」
怒気をはらんだ声で、
「じゃあ兄ちゃん、うちの店にケチつけるってか?」
と因縁をつけてくる。そんなわけがないと思った。買うものがないと告げたクラスメイトの胸倉が掴まれた。
(そろそろか)
いつ手を出そうか思っていたけど、こちらからは手を出さないで相手の出方を見ていた僕は、そろそろこの場を治めてもいいかなと思った。
「じゃあ、特製の薬でも買っていけや、なぁ」
「……」
恐怖で震えるクラスメイトを助けようとした時に浩二が、
「それは話しと違う!」
と叫んだ。
「ちょっと脅して買い物させるだけだって言ってただろう。話が違うよ!」
「うるせぇ、引っ込んでろ!」
浩二とその仲間でケンカが始まった。だが僕の知ったことではない。
「あー、ちょっと」
大きな声で間に入った。
「なんだテメエは⁉」
クラスメイトの胸倉をつかんでいた奴の腕を握りしめる。当然今の僕は、こちらの世界では相当な筋力自慢になる。痛みで顔をゆがめた奴は胸倉をつかんでいた手を放した。
「くっ」
「帰っていいかい? この店にはみんな用事がないんだと」
「このヤロウ!」
横から殴りかかってきた男の拳を交わして、得意の腹に加減して蹴りを放つと、吹っ飛んで店の商品が陳列された棚へ突っ込んでいった。上でを掴んでいた奴も引き寄せて、肝臓へ拳を打ち込む。残った最後の男は戦意を失ったようで、立ち尽くしていた。
「帰ろう」
クラスメイトに促して店を出る。最後に浩二の横をすれ違う時、さようならを告げた。同級生から金を巻き上げようとした奴には、もう二度と関わることはないだろう。浩二は何も言わなかった。
(少しやりすぎたかな)
店から離れて駅で解散した後、反省した。
『こちらでは、ああいう顔つきが強いのか?』
(そんなことないさ)
『面白い体験だったぞ』
(僕にとっては、胸糞の悪さだけが残った嫌な経験だよ)
複雑な感情になっていたら、携帯電話にメッセージが入った。相手は五木さんだった。
『警察と防衛省がまた君たちと契約したいと連絡がきた。明日午前十時に五木マネジメント事務所へきてくれ』
『了解』
僕はすぐにメッセージを返した。




