第二十二話 新たな契約
「シュウ」
優しい声でクリス王女から話しかけられた僕は、彼女の傍に歩み寄った。
「バレてしまったのですね」
「うふふふ。後をつけさせてもらいました」
入り口にはクリス王女に付き添う形でリスボンと、さきほどのオークジェネラルと一緒に死闘を演じたローレンスがいた。
「気になることは徹底的に調べませんと」
そういって魔素陣へ踏み込んできた彼女は魔素を少しだけ流す。途端に淡く弱い光を放って、その後すぐに元の地面に戻った。
「これがあなた方の世界へ戻るための『門』なのですね」
「はい。私たちはここを返す『門』と呼んでいます。こちらへの入ってくるときは、この洞窟から少しのところにある大きな建物の門になります。そちらは呼ぶ『門』と言っています」
「呼ぶ『門』に、返す『門』ですか」
「こちらを調べるつもりですか?」
僕は一番気になっていたことをクリス王女に聞く。
「それは――」
満面の笑みで僕に顔を向けると、
「――あなた次第です」
と言った。
「どういう意味ですか?」
「質問に質問で返す形になりますが、シュウはこのままこちらへもう戻らないつもりですか?」
ふと最後まで付き添ってくれたクーンを見た。相変わらずこのやり取りになるとクーンは不安な様子だった。契約を果たしたと思っている僕は戻らなくてもよいはずだった。ただ、なぜかこちらに強く惹かれる自分がいるのを自覚するようになっていた。
「いいえ。また戻ってきます」
はっきりとクリス王女に向かってそう告げた。
「本当ですか? 約束ですよ」
そういうとクリス王女は僕に抱き着いてきた。これにはリスボンもローレンスもびっくりの様子。
「まだ私はジェネラルオーク討伐の報酬を払っていませんし、あなたに個人的に頼みたいこともあります」
そういうと彼女は僕の左手に指輪を預けてきた。
「それはクロスロード家の紋章が入っています。次に来る時、城の門兵に見せると通してもらえます。戻ってきたら一番に私に会いに来てくださいね」
そういうと彼女は返す『門』の魔素陣から外れて、洞窟の入り口に歩き始めた。
「こことあちらの建物は手つかずで残しておきます。シュウ、いいですか? 約束ですよ」
そこまでやり取りしたところで、ギュっと腕をつねられた。アオイとレイナを待たせたままで、業を煮やして彼女たちが腕を掴んできたのだった。
「ごめんごめん」
再び返す『門』の位置に戻り、三人で魔素を流し始める。魔素陣が描かれた地面が輝き、洞窟が振動を始める。
「じゃあ、そのうち戻ってくるよ。クーン、元気で」
再び強く魔素を流すと視界が切り替わった。
******
戻ったところは僕の想像していた場所ではなかった。周囲を頑強な網、さらにその奥に壁で囲まれていた。
――ウォーーン、ウォーーン――
すぐにけたたましい警報が鳴り響く。
「おおっ、もどったか!」
網の外には、先に戻っていた重蔵さんと直樹がいて、その後ろのこれまた頑強な扉から青木巡査が出てきた。
「けがはありませんか?」
「大丈夫です」
こちらの装備に一瞬目をやった青木巡査は、この前と変わらず僕の心配をしてくれていた。
「もうすぐ警部と防衛省の人たちが到着します」
「この後僕たちはどうなりますか?」
「メディカルチェックを受けて、自宅へ戻ってもらう予定です」
そういうと青木巡査は、鉄網のロックを外して僕たちを外に出してくれた。続いて頑強な扉をくぐるとコンクリートむき出しの廊下と監視カメラが至る所にあるのがわかった。
「ここは?」
「旧大学敷地です。校舎がなくなったところに、転移して戻ってくる人たちを迎え入れるため、設備を整えている最中です」
会話に妙な違和感を覚えた。
(最中? これで終わりでは?)
やがて廊下の端の部屋にたどり着いた。
「隣には帰還したばかりの八十一名がいますが、あなたたちは別室です」
部屋で青木巡査に簡単は向こうでの報告を入れると、扉がバタンと開いた。防衛省大臣秘書官の藤原さんと陸上自衛隊司令部所属の板垣さんが、突然入ってきた。
「君たち、よくやった!!」
板垣さんは熱意のある握手を求めてこられ、僕の両手はがっちり握られた。
「初めてでこれだけの帰還者を出せるとは、さすが見込んだだけはある」
目を潤ませながら、僕たちの活躍を讃えてくれる。ここまでされると正直恥ずかしい。
「さて、これから一度君たちにはメディカルチェックを受けてもらうのに病院へ移動してもらう」
「このままの人数で行ったら目立ちませんか?」
当然の質問を葵がする。
「八十一人の帰還者は人数が多いのでやむをえまい。明日朝一番で会見を開く予定にした。しかし依頼を受けた君たちは違う。そこは私達も考えた。」
板垣さんは同じ建物内の駐車場まで案内してくれたが、そこには同じ黒のTOYO〇Aワンボックスカーが二十台以上並んでいた。
「また帰還者が出たことは公にはされていない。まず君たちを先に病院へ送り届け、次に帰還者を病院へ送り出す。勘の良いマスコミは気づいているだろうが、同じ車を複数個所へ同時に走らせれば追跡は困難であろう。したがって先発する君たちが追跡される可能性は極めて低い」
大きな笑い声で自信満々に板垣さんは言う。
僕たちは二台に分かれて車へ乗り込もうとすると、
「そういえばその見慣れない装備も一度回収する。ささっ」
と板垣さんに言われた。背中の剣を外しかかったが、
「ちょっと待ったぁ!」
と室内駐車場に大きな声が響き渡る。見れば入り口の方に懐かしの五木さんが来ていた。五木さんは二回目の帰還の時に、貿易都市トレドで奴隷にされていた日本人で、僕たちが救い出した人だ。
「ちょっと待った。そいつは契約違反だぜ、板垣さん」
近寄ってきた五木さんは僕達と板垣さんたちの間に入った。
「むむっ⁉」
「この間の契約書には、向こうで手に入れた物についての取り決めはなかったぜ」
「たしかに」
「黒木君達が取得したものについては彼らの物である。そうだよな?」
確かにその通りであった。よくよく考えれば、前にオークを倒して回収した魔石付きの杖も渡したままだった。警察・防衛省との今後の関係を考えた時に、悪化を避けたい僕はやはり装備を一度提出しようと考えた。しかし五木さんは『ちっちっちっ』と言って僕らを制止した。
「ひとまずこっちでの動きを移動しながら話そう」
そういうと強引に僕と同じ車へ乗り込んだ。
「こっちでは――」
そう切り出した五木さんは車内で日本での動きを教えてくれた。
まず世間では警察・防衛省が依頼した『日本人探索』の依頼に批判が殺到していた。すべての情報を開示したわけではないが、一般人に依頼したことが洩れてしまい、非難が集中していると教えてくれた。
「今回の帰還で、世論が変わって探索に賛成する人が出てくる。黒田君の活躍は、警察・防衛省からみれば非常にグッドタイミングなんだ。次に――」
今度は僕たちの契約と五木さんに頼んでいたマネジメント会社について教えてくれた。マネジメント会社とは、この間出発する前に五木さんに僕達が依頼した、異世界探索の依頼契約を結ぶときに代理になってくれる会社のことだった。会社名は『株式会社五木マネジメント』。
(そのまんまだ)
社長はもちろん五木さんで、社員が一名いて僕の知っている人だと言ってくれた。場所は五木さん家になっているが、近々港区へ引っ越し予定だと言った。
「ひょっとして五木さんもお金持ちですか? そういえば起業の資金は?」
五木さんの名刺は間違いなく株式会社表記だった。
「ええと」
途端に五木さんの歯切れが悪くなった。
(もしや……⁉)
「すまん! 金があまりないので、君たちが活躍すると見込んで借金をした」
(あちゃー)
先行き不安になったが、契約の成功報酬が発生するはずで、それをあてがうことにしようと思った。五木さんもそれを見込んでいるようだった。
(大丈夫かな)
さらに不安になる。五木さんは僕らが向こうへ行っている間に成功報酬の話し合いをしていた。当然こんな大人数で戻ってくることは予想しておらず、一人五百万円で契約していた!
(ナイスだ!)
単純に五百万円が八十一人で、しめて総額四億近い金額になったはず。
(貧乏から脱出できる!)
僕はガッツポーズをした。
「五木さん、初めてあなたを頼れる人だと思いました!」
「黒田君……」
気づけば先ほど板垣さんが僕にしてきたような熱い握手を、今度は僕が五木さんにしていた。
やがてマスコミをまいた僕たちは都内病院の裏口にたどり着く。そこで血圧測定と聴診、さらに採血や心電図などの検査をして、医師が確認した後に解放された。
すでに葵、麗奈両名は両親へ連絡を入れており、病院からは彼女たちの車で移動することになっていたようだ。五木さんとは後日また今後のことを相談することにして、別れ際に『勝手に署名すんなよ!』とクギを刺されてしまう。
また病院の裏口から出ようと葵の車に乗ろうとしたが、麗奈が今度はこっちだという。
「葵の家から二人も探索者が出たのが洩れてしまったようです。いまは葵の家にマスコミが張り付いています」
「それは迷惑だな」
「それで今回、修は私の家に来ることになりました」
どこでそんな相談をしていたんだろう? と思いながら、わかったよと伝えた。そこで葵の車から出ようとしたら、ぐっと腕を掴まれた車内に引き込まれ、突然葵にキスされた。ゆっくり唇を放すと、
「浮気は許しませんからね」
とすごく優しい声で言った。首にリードを繋がれたと悟った僕は、かすれる声で当然だよと言って、麗奈の車へ乗った。
麗奈の車も葵に負けず劣らずの真っ白なセダンタイプの高級車であった。エンジン音が小さくて加速がすごく心地よい。そのまま首都高を走って、港区南麻布に入っていった。しばらくして綺麗な植林に囲まれた邸宅の一つに入っていく。
(やっぱり……)
予想通り麗奈の住む住宅も豪邸であった。葵は和だったが、麗奈は洋。
セダンは静かに門をくぐり、邸宅の玄関に着いた。執事と思われる男性が車のドアを開けて室内へ誘導してくれた。あらかじめ連絡が言っていたのか、異世界の防御服に魔剣を抱えていても誰も驚かない。
そのうち犬の鳴き声が聞こえて、玄関に十匹以上のドーベルマンが集まってきた。
「番犬ですので安心してください。人間より信用できます」
奥の階段から日本人夫婦が降りてきた。途端にドーベルマンたちは全部お座りをしてしっぽを振り始める。
「初めまして、麗奈の父の雄三と申します。こちらは家内の紀子です」
丁寧な挨拶を受けた。
「初めまして。黒田修二と申します。この度は突然お邪魔してしまい申し訳ないです」
「いいえ、とんでもございません。娘の命の恩人がお困りですから、当然のことです」
親子だ。紹介されなくてもそう思ったであろう。紀子と言った麗奈の母親は娘そっくりであった。
「麗奈、向こうで話があります。いらっしゃい」
麗奈と母親の紀子さんが奥の部屋に入っていった。それに続いて父親の雄三さんも行ってしまった。玄関には僕と番犬のドーベルマンばかり。少し気まずい。遊び心が出てしまい、一番体の大きなドーベルマンの方を見たらふと目線がかち合ってしまった。
犬はすぐに腰を上げて耳をピンと立て始める。
ウゥー
低い唸り声を発した途端に、ほかの犬たちも同じ姿勢となった。瞬時に僕は魔素に殺気をのせて放つ!
……
音のないやりとりだったが、ドーベルマンたちは唸ることをすぐに止めて腰を下ろした。その状態で僕が近づいていく。すぐ目の前まで近づいても、今後は足元を見るだけで首を挙げてこない。
『やりおるな。『調伏』じゃ』
(生物の本能が悟ったんだろう。僕にはかなわないと)
『動物は正直じゃ』
(そう思う。自分をだませるのは人間だけなんだと思う)
『先日の魔素陣の吸収から、おぬしの生物としての『格』があがったように思う。放つ魔素が力強いぞ』
(そういえば……)
向こうの世界でシスターマリーに階位を確認するのを忘れていた。次に行ったら確認しよう、少しはまともな職業になっていればいい。僕はそんな程度にしか思わなかった。
ガチャと扉が開く音がして、親子三人が入ってくる。話合いは終わったようだ。
「シュウさん、しばらくの間うちに泊まっていただきます。部屋は二階に用意してあります。自分の家だと思って遠慮せずに過ごしてください」
紀子さんにそう言われた僕は正直安心した。裏では何を話しているかうまく聞き取れていなかった。
「あら?」
麗奈が異変に気付く。
「修、犬に何かした?」
「麗奈たちがいない間に、いきり立ったのでなだめたんだ」
ふふふと笑うと二階の僕の部屋まで案内してくれると言い、一緒に階段を上った。準備された部屋は、数畳のベッドだけの部屋を考えていたが、一通り家具がそろい、トイレとバスルームまで完備されている、超豪華な部屋であった。
「麗奈、これはさすがに凄すぎるんじゃない?」
「あら、そう。これで普通の部屋だけど」
(僕の家を見たら、もう会話してもらえないかもしれないな)
そんなことを思いながら、好意に甘えることにした。五木さんは気を利かせて僕の家財道具を持ってきてくれていたが、その中にパソコンが入っていた。遅れていた授業を取り戻すべく、さっそく受講を始めた。




