第十三話 同郷の奴隷
まとまった収入が入って食事にかけられるお金が増えたため、朝食のメニュー数と具材が増えた。トレーニングと稽古も欠かさず続けて、全身の筋肉量が増した気がした。
身体能力の向上は僕だけでなく、シグレとクーンにレイナまでも実感していた。
「ウエストが細くなりました」
(それ以上細くなってどうするんだろう?)
レイナがそういうのでツッコミそうになるのを抑えた。あれからレイナは気落ちする様子はなく、僕は正直安心していた。
今日は野盗退治の依頼人がシスターマリーだったので、彼女に会いに行く予定だった。
貿易都市トレドの大通りを歩くと、人間・猫人族・犬人族・狼人族・エルフ・ダークエルフ・ドワーフ……とたくさんの種族とすれ違った。それぞれがローブを着た魔術師、剣を装備した冒険者、エプロンのような料理服を着て道端で商売する者など、槍と頑丈な槍を装備した警備兵など、多種多様な恰好で生活していた。一人で歩いている者もいれば、家族に遊んでもらっている子供もいた。
今日も大通りは大変にぎわっている。
(ここではこれが普通か)
そんなことを考えながら歩き続け、やがてシスターマリーの教会に着く。中に入ると彼女は一人で教会内の清掃をしていた。
「マリー、こんにちは」
「あら、シュウ。それにレイナにシグレ。クーンまで来たのですね」
そういって迎え入れてくれたシスターマリーは野盗退治依頼を出した事情を話してくれた。あの野盗の集落は、元々シスターマリーの実家だったが両親の死去とマリーのトレド移住に伴って廃屋となっていた。そこに野盗が住み着いたと噂が出た。
野盗は周辺の人たちを排除して、盗みに暴力に殺しとなんでもやっているようで、心苦しくなったマリーが討伐依頼を雀の涙の金額で出したのだった。貿易都市トレドの冒険者ギルド支部所長カーターが討伐報酬に相当お金を足したらしい。
「本当にありがとうございました。ゴブリンの集落も討伐したと聞きました。であれば階位が上がっているのではないかと思います。よければ確認しましょうか? お金はいただきませんので」
シスターマリーの善意に甘えることにして、僕達はみてもらうことにした。
シグレは商人《見習い》から商人に変化して階位は十一、レイナは魔素使い《見習い》から魔素使いになって階位は十四、クーンも見習いの表記がはずれて斥候となって階位は十二になっていた。どうも階位が十以上になると《見習い》の表記が外れるらしい。
さて、僕の番が来た。彼女は目を閉じて集中する。
しばらくして、またふぅとため息をついて、そっと目を開けた。
「シュウさん、あなたの今の職業はイレギュラー《雷人》です。階位は十二です」
「「「「はぁ⁉」」」」
全員でなんだそれ⁉ という顔をした。当然彼女はそんな職業を聞いたことがないと言う。
「また聞いたことのない職業ですね。上層部へ報告します」
「待ってください。職業はわかったとしても、階位はそれで間違いないですか? 僕は戦闘で一番多く敵を倒しているはずです」
しかし、間違いないと彼女は言う。
(どうも階位の上がりが遅い可能性はありそうだな。次の段階へすぐに行けないのは厄介だ)
そんなことを思いながら僕らは教会を後にした。シスターマリーは笑顔でまた来てくださいねと言って送り出してくれた。
大通りをニーナばあやの魔素屋方面に向かって歩いていると、ふと奴隷と思われる人の列とすれ違った。先頭を身なりの良い奴隷商と思われる男性とそれを囲む武装した集団が歩き、その後に縄でつながれたボロ布を来た奴隷が十数人並んで歩かされていた。奴隷の顔には生気がなかった。
(当たり前か)
「あんなの絶対に嫌です」
思わず日本語を使ったレイナだったが、その声に奴隷列の一人が反応してこちらへ向かってきた。
「たっ、たすけてくれ~! お、おれは――」
大声で叫んだ。しかし列を乱した奴隷に対してすぐ武装した男性が鞭をふるった。
「ぐぇっ」
痛そうな音に僕は顔をしかめる。すぐに列に戻されて再び移動を始めた。何かを訴えようとしているが、声も出ない様子だった。
「クーン、あれは?」
「奴隷だニャ。先頭の綺麗な服の男が奴隷商のウォンだニャ。たしかウォン=グレイといったニャ」
「奴隷って僕でも買えるのか?」
「可能だニャ。奴隷の性別、年齢、健康状態でお金が大きく変わるから要注意だニャ」
「さっき急にしゃべれなくなったのはどうしてなんだ?」
「奴隷は契約魔素術を施されるニャ。主人に歯向かえず、命令には絶対服従だニャ」
「そうか……。ウォンの店はどこなんだ?」
「トレド中心の城壁近くの一等地に構えているはずだニャ」
さっきの日本人と思われる奴隷が気になって、僕たちは全員で奴隷商ウォンの店を訪ねた。冒険者ギルドよりもはるかに大きい敷地に、レンガ造りの立派な建物を持っていて、奴隷商が儲かっていることが良く分かった。
店に入ると、身なりのいい女性がすぐに声をかけてきた。
「いらっしゃいませ。本日は当店にどのようなご用件でしょうか?」
入店した僕らを値踏みするような目で品定めした女性店員に、
「店の手伝いや戦闘を手伝ってくれる奴隷が欲しいんだ」
と返す。
「さようですか。それではこちらへどうぞ」
いい香りのする木製のテーブルとイスに案内してくれた女性は、おいしいハーブティを出してくれた。
「いらしゃいませ」
奥から出てきた身なりのいい男性は、先ほど奴隷列の先頭を歩いていたウォンという人物だった。ウォンの指には宝石をちりばめた指輪がいくつもはめられていた。
「この奴隷商の主人をしています、ウォンと申します。本日は当店にお越しいただき誠にありがとうございます」
一介の冒険者相手に大げさな挨拶だと思った。
「店の手伝いや戦闘を手伝う奴隷を探していると伺っております。奴隷の種類にご希望はございますか?」
不思議な顔をしていると、ウォンは奴隷の種類は犯罪、借金、職業の三つが主流だと言った。犯罪は犯罪者がなった奴隷、借金は借金が理由でなった奴隷、職業奴隷は複数年契約で主人を探している奴隷だった。探している奴隷がどれかわからない僕は、
「どれでもいい。五十歳~六十歳ぐらいの健康そうな男性の奴隷をみせてほしい」
と注文すると、ウォンはこちらへと案内を始めた。隣の別室には十人ほどの奴隷が裸ですでに並んでいた。
(手際もいいな)
探していた日本人はいないので、他を見せてくれと言った僕はあえて、
「今日連れていた奴隷も見たい」
と言った。
「たしかに本日連れてきた奴隷はございます。しかし教育が行き届いていませんので、売りには出していません。見るのは構いませんが、不愉快な思いをされると思います」
「かまいません」
「では男性のみいらしてください。女性は近寄らない方が良いのではずしていただくようお願いします」
僕とシグレが奥に入って、レイナとクーンは入り口で待つことになった。奥は牢になっていて所狭しと奴隷が敷き詰められていた。
中には病気で臥せっている奴隷もいるようで、衛生環境は良くなかった。目的とする奴隷を見つけたが、彼が目的だとばれないように複数人と話したいと注文すると、再び別室に待機するよう案内された。購入の意思はあるのが伝わったみたいで、席を外して身体拘束はそのままで話せるようにしてもらう。
数人と当たり障りのない会話をした後、とうとう日本人奴隷が部屋に入ってきた。
僕を見るなり口を動かすが声が出ない。首には読めない文字が一周するように描かれていて、指輪はあれが契約魔素術だと言った。
「うぅ、うぅ。しゃべれる⁉」
「日本人ですね?」
「そうだ。お前はどうしてここにいるんだ?」
「〇△大学の関係者ですか?」
「そうだ。お前は何者なんだ。どうして言葉が通じるんだ?」
時間がないし、内容は把握されないとしても声は聞かれているので、余計なことをしゃべらせないようにと思い、彼の質問にあえて答えずに名前だけを確認した。
「五木徹っていうんだ。たのむ。助けてくれ」
「了解です。僕が買いますから、絶対に騒がないでください」
そういうと僕はウォンに次の人をお願いしますと言った。イツキトオルといった人が退出させられて、また奴隷が次々に入室してきた。最後まで見終わると、
「いかがでしたか? シュウ殿」
とウォンは再び話しかけてきた。
「! 僕を知っているのか?」
「はい。同日でゴブリン集落のジェネラル討伐と野盗退治を達成した冒険者がいると話題になっております。その冒険者は聞いたこともない職業を有しているとも」
(ちっ。どこからから情報が洩れているな。討伐のことを知っているのはギルド関係者ぐらいか。個人情報保護なんてこちらにはないから当然なのか)
これからいかに安く買おうか考えていた僕は、ウォンの言葉に邪魔された。
「さすがに情報が早いですね」
「ありがとうございます。さて、気になられたのはさきほどの聞いたこともない言葉で会話した奴隷ですね?」
「やはりわかってしまいますか。いくらで売りますか?」
「そうですね。健康な男性ですから、鉱山でも荷物運びでもなんにでも使えますし……」
安くないことを遠回しに言ってくるウォンを見て、なぜこの店が一等地で立派な建物なのかわかった気がした。ウォンはやり手なのだ。すでに入店してから僕のことに気づき、すぐに隣部屋に奴隷を配置させて、今こうして目的を正確に見破っている。
(敵対は避けたいな。しかし金が足りるか?)
ウォンは価格を吊り上げるようなことを挙げていたがさらに続けて、
「しかし私としてもここから活躍するであろうと思われる冒険者パーティとケンカはしたくありません。それでこうしませんか? シュウ殿の欲しい奴隷はこれから言語を覚えさせて教育せねばなりませんが、その手間と時間はやはり省きたいものです。今の状態でも構わないとおっしゃるのであれば、特別に安くお売りしましょう」
だと言った。
「こちらが提示する依頼をこなしていただければ、金貨一枚でお売りするのはいかがでしょうか? はっきり言いましてこの提示は破格です。通常金貨十枚はいただきます」
「金額については了解しました。ウォンさんの依頼とはなんでしょうか?」
「約二か月後に商隊を組んで、隣の娯楽都市ラファエルへ移動があります。その時往復で護衛についていただきたいのです。強くて信頼できる冒険者とのつながりをどの商隊も求めています」
「わかりました。一度仲間と相談するので、話す時間をください」
入り口で待っていたレイナたちにさきほどのウォンとのやり取りを話した。
「楽しそうですね。私は同行します」
「娯楽都市はここからおおよそ三日ぐらいの移動になるニャ」
「俺はやらないよ」
シグレだけは参加しないと言い切った。戦闘が苦手なのが理由だったようだ。仲間の意見のことや今後のことを考えて、僕はウォンに参加する意思はあるが、実際に近くなってみないと予定がわからないと伝えた。しかも参加する場合には、僕とレイナとクーンの三人だと言ってシグレを外してもらった。
「それでもかまいません。ウォン商会はあなた方を疑ってはいません。ささ、それでは奴隷の受け渡しをしましょう」
そういうとボロ布を着せた日本人がまた連れてこられた。
「これから奴隷の権限を購入者であるシュウ殿へ移行します。シュウ殿こちらへきて奴隷の首に手を当てて魔素を流してください」
そういうとウォンは先にイツキさんの首を触れた。途端に首にある契約魔素術の式が光り始め、続けて僕が魔素を日本人奴隷の首に流すと光は消えた。
「さ、これで終了です。この奴隷を生かすも殺すもあなた次第です。奴隷の反抗行為には自動で首が絞めつけられて息ができなくなります。またシュウ殿が意図的に魔素を流しても同じです。」
「了解しました。奴隷契約を解除する場合はどうすればいい?」
「ほぅ、面白いことをおっしゃりますな。奴隷を買ったばかりで解除を申されるとは」
「興味が湧きまして……」
「いやいや、実に不思議な方ですな。解除には首の後ろ側の術式の中に輪があります。ここに指を当てて、主人であるシュウ殿の魔素を流せば、契約魔素術は解除されます。一度解除した場合には通常は戻せませんので、ご注意ください」
「了解です。いろいろとありがとうございます」
「こちらこそ、良い商いでした。今度ともぜひご贔屓に」
そういって僕たちはウォンの店を出て、ニーナばあやの魔素屋へ戻った。途中イツキさんが騒ぐと非常に面倒なので、申し訳ないけど許した行動は『僕について歩く』のみだった。店について部屋に入ると僕は契約魔術そのものを解除した。
「はー、ようやく思うようにしゃべれる。ところでビールでもないか?」
自由になった第一声がビールだった。
******
ここには冷えたビールがないことを悟ったイツキさんはうなだれながら自分のことを話してくれた。
六十五歳で会社勤めから定年退職して、大学の警備員として雇われたばかりだったという。
あの日、大学で職務中いきなりゴブリンに襲われたイツキさんは追ってくる敵から逃げて部屋の中に隠れていたという。隠れている間は暇で暇で、電源がオフになった冷蔵庫のビールがぬるくなる前に飲んでしまい、酔っ払って寝ていたらしい。その間に僕らは必死になって戦って、返す『門』を起動させて帰還したのだが、それに乗り遅れてしまい後日校舎入り口の呼ぶ『門』に僕が書いた張り紙を見て、保管庫の食料で生活していた。
大学校舎敷地には他に残っていた人もやはりいたようだったが、日に日に見かける人が少なくなって、どこかへ行ったものと思って追いかけて校舎から出たら道に迷い、食糧が尽きて飢えて歩いているところを商人顔した人に拾われたとのこと。気が付けば首に契約魔素術を施されて、今現在ここに至ったと自信満々に語ってくれた。
「大学校舎内でどのぐらいの人数をみかけましたか? 周囲が変になって三日目(※ シュウたちは初めてこちらの世界に転移して二日目に現実世界へ戻った)以降です」
「うーん、全部見たわけじゃないけど、たぶん五十人以上はいたんじゃないかな」
「まだそんなに……」
レイナの顔が青ざめた。
(無事にいてくれるといいが……)
早く帰りたいと駄々をこねるイツキさんをなだめていたら、クーンとニーナばあやが二階に様子を見に上がってきた。これから元の世界を目指すにあたって、彼らには正直に話した方が行動しやすいと思った僕は、先にレイナとシグレに話を通しておいた上で、僕らの出身がこの世界ではなく元の世界であってそこに戻りたいこと、そのために大量の魔素を扱えるようになる必要があると伝えた。
「……と、実は別世界からきたようなんです」
「ふぅーん、雰囲気が違うとは思っていたけどそうだったかニャ」
ニーナばあやも最後まで頷きながら僕たちの話を聞いてくれた。
「同郷の人たちのことは残念だったね。これでも六十年以上生きているからね。ちょっとやそっとではおどろかないさ」
「助けてもらったことは忘れないですし、恩を返したいと思いますが、少なくとも一度向こうへ戻りたいと思います。また戻って来られる保証はありませんが、アテはあります」
「言っていた魔素に反応する門だね。たしか呼ぶ『門』と返す『門』と言っていたね。多分それは転移門のことだと思う。時という魔素属性があってね。その属性を持つと距離を移動できるようになるんだよ。でもそれだけじゃ世界を変えて移動するっていうのは無理だと思う。一度その『門』とやらを見てみたいね」
「構わないです。これは僕らの希望ですが、もっと階位を上げて大量に魔素を扱う能力を身につけてからの方がいいです。元の世界に戻れる可能性があります」
「それはどうしてなんだい?」
「ここに二回目に来た時に……」
僕とレイナは魔素が足りなくて、返す『門』を起動できなかったと思っていることを話す。
「魔素の放出量を上げる方法なら、ほかにもあるよ」
「えっ」
すがるような思いで僕とレイナはニーナばあやに迫った。
「シュウ。あんたは他人の魔素を感じ取れるかい?」
「はい、できます」
「それなら話が早い、わしの腕をつかみな」
そういってニーナばあやとお互いに腕をつかみあう。
「いまから私が魔素を渡すから受け取りな。離さないで受け取った私の魔素に自分の魔素を加えて戻しな」
腕から熱い魔素が入ってきたのを感じた僕はそれを制御して、同じぐらいの魔素を追加してニーナばあやにゆっくり渡した。
「そうそう。繰り返すよ」
また戻ってきた魔素はさっきよりも量がはるかに多かった。初めと同じ量だけの魔素を追加して、ニーナばあやにまた返す。次に戻ってくるのは二回目よりもはるかに大きくて制御が難しかった。
「これは⁉」
「集中しな。制御を離れた魔素はどこかへ飛んでいってしまうよ」
あと二回ほどやりとりをした魔素は僕の制御を越えてしまって、体から放散してしまった。
「これは魔素を扱う訓練の一種なんじゃが、いろんな魔素が混ざると威力を増すんじゃ。しかも魔素が尽きない限りは無限に高めることができる。二人でこれだから大人数で扱いの上手な術者がやれば、それは凄まじいものになる。時間がすごくかかるので、戦闘では使えないのが難点じゃがな」
魔素のやり取りを身近でみていたレイナは感覚で理解してくれたようだった。
(これならやれるかもしれない……)
ふと僕はメンバーをみた。自分のほかに、レイナ、シグレ、クーン、ニーナばあや。隣にではすでにイツキさんが、こちらのお酒を飲んで酔っぱらって寝ていた。
(はぁ……五人でやるか)
翌朝から僕らは二人ずつ組となって練習を始めた。階位が上がっていた影響もあって、それほど苦労せずに覚えることができた。レイナは魔素の扱いが頭一つ抜けていて、ニーナばあやにしきりに褒められていた。
さらに練習が進み、一度五人で円陣を組んでこの方法を試した。本番を想定して僕から開始して、レイナ、ニーナばあや、クーン、シグレの順にして僕に戻す形にした。初めと終わりは門の起動する感覚を知っているものが良いとのことで僕になった。一周した魔素を受け取ったときに体中が熱くなって、
(これは……⁉)
と驚いた。二人で練習していた時より、桁違いの魔素が戻ってきた。
(これならきっといける!)
確信した僕がそのことを伝えると、レイナは嬉しそうな顔をするけど、クーンはパーティメンバーがいなくなるので微妙な気持ちだったらしい。
「僕はまたこちらに戻ってこようと思う。ウォンとの約束もある」
「わかったニャ。信じて待っているニャ」
シグレの表情は喜んでいるのか悲しいのか最後までわからなかった。
練習と並行して、ひとまずイツキさんにもゴブリンを一匹倒してもらった。彼は『俺、戦いには向かないわー』と笑っていた。
そして僕らはいよいよ決行の日を迎えた。
******
晴れた日の早朝、僕、レイナ、シグレ、ニーナばあや、クーン、イツキさんでトレドの門を出て、土中に埋めていたレイナの旅行ケースをまず回収した。
そこから大学校舎に向かって丘を上って、渓谷へ入る。その手前で僕たちが倒した野盗の集落があった。殺されてしまった学生たちの身分証はしっかりレイナの旅行ケースに入っている。
渓谷を抜けて森林が広がると、とうとう大学校舎が見えてきた。
「あれがそうかい?」
門の前に着くと、僕が書いた張り紙が残されていた。事前に装備品をどうするか取り決めていた僕とレイナは、前回戻ったときに全部没収されて戻って来なかったことと、また戻るつもりもあったので、サークル棟の新体操部部室に置かせてもらった。保管庫にはまだ食料が残っているのも確認して、念のため周囲に呼びかけたが、やはり誰もいない様子だった。
ニーナばあやは大学校舎入り口にある呼ぶ『門』をずっと調べていた。
「こいつはすごいね。たしかに魔素を流すと魔素術の複雑な式が出てくるが読めないよ」
「同じものを作れますか?」
「わたしにかい? 無理だね。これを作ったやつはすごい術者だよ。それも一人じゃなくて、複数だね。犠牲もすごかったと思うよ」
「犠牲?」
「対価とも言って差し支えないね。人がいっぱい死んでるね」
「えっ?」
僕たちは驚いた。
「この転移門に刻まれている術式は血で描かれている。それぐらいの対価を払わないと転移なんてなかなかできないもんさ」
(指輪、お前知っていたな?)
『そうじゃ。おそらく初めにこちらへ召喚された人間がいて、おぬしと同時代に生きていた。そいつの血が呼ぶ『門』と返す『門』に使われておる。だからその転移門は同時代のおぬしたちを呼び寄せることができたのじゃ』
(そうだったのか……)
『初めは少ない人数をこちらに呼び寄せて、徐々に転移門の術式を大きくしていった。次第に呼び寄せる人数が多くなり、最後に呼び寄せたのがこの敷地だったのじゃ』
(……)
『おぬしが倒したオークはおそらく術者の一人じゃ。だから初めの時にはオークから抜き取った魔素を使うことで簡単に転移できた。術者の魔素だから効率的に転移できて当然じゃ。対して二回目に試した時は自分の魔素だっただろう。魔素には反応するが別の術者なので、より多くの魔素を必要とするため転移するには足りなかったのじゃ』
(知っていたなら言ってくれよ)
『言ったところで、あの時はすぐに戻れまい。それにいっぱい経験できたじゃろう。世に甘いことなどない』
(向こうに戻ったら、行方不明者のこと調べてみるか)
『好きにせい』
大学校舎を出て返す『門』のある洞窟へ入る。最奥の広間で魔素を放つと確かに光った。
「ここだ」
そう言って、イツキさんと荷物を真ん中において、何度も練習した五人で円陣を組んだ。
「いくよ」
僕から魔素を流して、レイナが受け取って追加して、ニーナばあやに渡す。さらに隣のクーンに渡して、そこからシグレに、そして最後に僕に戻る。このサイクルを二回繰り返した時から、呼ぶ『門』が少しづつ輝いて中心に集まるような風が吹き始めた。どんどん魔素を追加して隣に渡して回していく。
「おおぉぉ」
「イツキさん、絶対に動かないでください」
静止を促した僕はさらに追加してレイナに渡す。次に回ってきたら十分だと確信した僕は合図を出した。
「ニーナばあや、クーン。多分大丈夫だ。ここで離れてくれ」
突風が吹き荒れる中、彼女たちが頷いて隣へ魔素を渡すと、つないでいた手を解除して返す『門』の術式の中から離れていった。ついにシグレから僕に巨大すぎる魔素が渡った。自分にとどめるように制御に集中する額には汗がにじみ出ていた。制御が難しくなると僕の右腕を握っていたレイナが力を貸してくれた。
「いろいろとありがとう。また戻ってくると思うのでその時はよろしく!」
「ああ、期待しないで待っているよ」
ついに僕はため込んだ魔素の放出を始めた。周囲の光がさらに増して、突風が吹き荒れ、洞窟はすさまじい地響きを出した。
(……くる!)
その感覚の直前、僕の左腕を掴んでいた感覚がなくなり、シグレが離れたのが分かった。
「シグレっ! 戻って!」
「俺はこっちに……」
一瞬で景色が切り替わった。今度は意識を失うことなく、両足で立っていた。周りには警察の立ち入り禁止テープが張り巡らされていて、向こうにあった呼ぶ『門』とおなじ門だけが残っていた。
「戻った……」
しかし周囲を見渡しても僕と麗奈、気絶している五木さん、ほかに麗奈の旅行ケースぐらいしか見当たらない。ふと手紙と携帯電話が置いてあるのに気づいた。
(一体誰のだ?)
手紙の裏には時雨と書いてあった。中身を読んだ僕はそのまま手紙を戻した。
「修、私お父さんに連絡とるね」
「ああ、頼むよ」
しばらくすると遠くからサイレンの音が近づいてきた。
物語は続きます。引き続き読んでいただけると嬉しいです。
 




